5話 正直無理ゲーだと思います
ダメージからはだいぶ回復しました。
が、また何かあると長期間逃走しそうです。
完全に更新停止する場合は、報告します。
転移に伴い暗転していた視界が戻る。
古びた建物の中。
硬い石の床も灰色の壁も昨日と同じ。
転移は問題なく成功したらしい。
転移先の教会は昨日とは違い、ホール一杯に老人と女子供が溢れている。
これだけの人数がいるのに転移できるスペースがあったのが不思議だが、ドアの近くだったためにたまたま開けてあったらしい。
ドアが開けば転移不能になるだろうが。
もし塞がれて、≪ホーム≫から移動できなくなっていたら、と思うとぞっとする。
次に帰る前に転移先を複数用意しよう。
いくら快適な住居とはいえ、閉じ込められるのは怖い。
一瞬昨日の紫斑の出る病が再発したのかと思ったが、そうではないらしい。
焦燥しているのは見て取れるが、病で衰弱している様子ではなく、紫斑の見える人間もいない。
力なく蹲り、所々から嗚咽が聞こえる様子は難民キャンプを思わせるものがある。
そしてかなりの数の人間が、怪我をしている様子だった。
(昨日は病で今日は怪我って何がおきてるのー!?)
予想外の展開に途方に暮れるルクレチア。
そして、突如現れた少女に騒然となる周囲。
何も考えず、関わらず。このまま外に出て薬だけ配って逃げられないかな、と逃避気味に思ったルクレチアだったが。
周囲を取り囲まれては逃げることも出来ない。
「救い手様!?」
「昨日の、女神様だ!」
どうやら昨日薬を受け取った人が混ざっていたらしい。
昨日の話が吹聴されていたようで、上がった歓声に昨日はいなかったはずの人々も期待を込めて駆け寄る。
突如現れた少女に驚き、怯えたものはごく数名。歓声を上げ、駆け寄った人に警戒した人は押しやられる。
小柄な少女の作り物めいた美貌と、その身に纏う白銀色の長衣は雑然としたこの教会の中で場違いに美しく、神聖ですらあって。
絶望的な状況に置かれた彼らにとっては女神の救いに見えたのは間違いないだろう。
……その、救い手と見なされた少女が暗器を握りしめて怯えていることになど、誰も気づかなかった。
訳の分らない状況で取り囲まれて泣きたくなったルクレチアだが。
さすがに敵意は(多分)無いであろう人や、まして子供に暗器を振るうほどパニックになったわけではない。
逃げ出したい衝動を辛うじて抑え、理性を総動員し何とか暗器から手を離す。
そして、微かに見覚えのある少年へ(内心引き攣りつつも)微笑みかける。
彼は多分、昨日薬を飲ませた少年だろう。
病は癒えても、やせ衰え衰弱したままの様子に回復薬も必要か、悩んだのは記憶に新しい。
「昨日の、子ですね? 病は、もう大丈夫ですか?」
少年は女神のような奇跡をもたらした少女に優しく話しかけられた興奮に頬を紅潮させ、頷く。
その様子はとてもNPCには見えない。
(ショートカットとかが無かったら本当に、異世界みたいなんだけどなぁ)
自分の視界内にあるゲームシステムと、ゲームとはかけ離れたリアリティの周囲に認識が追いつかない。
ここでゲームとして適当に行動した場合、周囲の反応が怖い。
かといって現実として認識して動くには、この世界がどんな世界か分らない。
普通に魔法を使うだけでも、この世界に魔法があるのかどうかさえ謎だ。
ゲームでも異世界でも変なことをしてしまってフラグが立つのは怖い。
取りあえず受注してしまったクエストを完遂させることだけ考えようにも、この周囲を取り囲む人々を払いのけ、無視して進むというわけにはいかないだろう。
チェーンクエストで、実はこの人たちの傷を治さなきゃいけないとかいうフラグがある可能性もある。
(とりあえず、ここが異世界だと思って行動しておけば、あとで後悔する可能性は減るかなぁ)
ゲームだと思って人を見殺しにしてたら、実は善良な村人でした、とかいうのは心に痛すぎる。
異世界だと思って善人プレイをしてたら、実はゲームで。マジになちゃって恥ずかしい、というなら黒歴史ですむ。
後者も地味に心にダメージが来るが、前者よりはましだろう。
覚悟を決め、アイテムボックスからHP回復薬を取り出す。
2種類あるうちの、どちらにしようか少しだけ悩んだが回復量の少ない方にする。
上位版は子供にはもったいないだろう。下位でもHPの300くらいは回復するのだし。
ちなみにルクレチアのHPは1000しかない。レベル100でのHP下限値だ。
普通なら2000くらいまではあげるプレイヤーが多いが、ルクレチアはその手のHPをブーストするスキルを全く持っていないのでいっそ見事なまでに最低値をマークしている。
だからこそ、レベルがカンストした辺りではあまり役に立たないアイテムである下位版の回復薬が現役でアイテムボックスに入っているわけだが。
ちなみに回復薬の上位版ではHPは800前後回復する。瀕死の時使う以外は何となくもったいない気がして使いにくい。
「どうぞ。傷に効く薬です。……その傷は、どうしたのですか?」
昨日の万能薬によく似た小さな丸いフラスコを傷を負った老女に渡す。
魔法がこの世界でポピュラーかどうかが分らない以上、安易に使ってしまうのは危ないだろう。
魔法のない世界だったりしたら、このまま女神様扱いが加速してしまいそうだし。
だが、このまま放置というのも選びにくい。
万能薬を昨日すでに使っているのだから、回復薬くらいなら目立たないだろう。
薬で追いつかない状況になれば、あっさり魔法を使うだろうが状況が許す限りは保身も優先しようと思う。
薬を渡された老女は、おそるおそるではあるが、口をつけた。
疑う気はないらしい。
一目で傷を負っていることが分るほど、治療とも呼べない雑な手当をしただけで放置されていた傷。
それが、一瞬で癒える。
誰の目にも明らかな、奇跡。
死病の紫斑が消えるほどの劇的な奇跡でこそないものの。
昨日の奇跡を知らぬ者には十分な、奇跡。
教会内に広がるざわめき。
ルクレチアは意識して微笑みを浮かべたままでいるが、内心は逃げ出したくてたまらなかった。
目立つのは苦手だ。没個性万歳。
地味に地味に生きていた身にこの過剰な視線と期待、崇拝は重すぎる。
それでも、逃げ出したら元のゲームなり現実なりに戻る手がかりが失われてしまう。
そのためだけに、耐える。
その手は縋るように暗器を握りしめていたが、見た目はブローチ。
周囲からは胸元に手を添えているようしか見えなかったのは幸いだろう。
ややして、最初の衝撃が去ったのか薬を飲んだ老女が代表して口を開く。
「魔術師の方々が病で倒れられて……結界がなくなってしまったのです。それで、魔物の襲撃が……。騎士団の皆様が何とか追い払ってくださったのですが、まだ襲撃が続いていて、いつまた突破されるか分らないのです。女神様! どうか、どうか、この街をお救いください!」
予想通りと言えば予想通りの展開に泣きたくなるルクレチア。
周りから見れば憂い顔で俯いてしまったように見えるのだろう。周囲は期待と絶望半々といった風情で固唾をのんで見守っている。
戦う力はありません、といって逃げることは出来るだろう。
そもそもテレポート以外の魔法は使っていない。威力どころか、発動するかさえ謎だ。
武器を持って戦えるかどうかも怪しいものがある。
その武器だとてルクレチアが握りしめている小さな暗器一つでは人一人を無力化するのがせいぜい。どんなにがんばっても暗器では正面から戦うのは辛い。2人目には塗った毒の効果も著しく減じられ、役に立たなくなっているだろう。
このまま薬を配布し、後方支援に徹するのが一番確実だ。
ゲームなら何度死んでもあまり気にならないが、現実かもしれない状態では怪我をするのだって嫌だ。
痛い思いだってしたくない。
魔物などと呼ばれる存在と対峙するのは怖い。
ルクレチアはなんの愛着も、関係もない人々のために身を犠牲にすることが出来るほど殊勝な人間ではないのだから。
いざとなったら見捨てる決意を固める。危なくなったら保身を一番に考え、逃げ出すことを決めておく。
それでも、それまでは。
自分が安全である限りは、助けられるよう努力するべきではないだろうか。
この老女や、痩せた少年を。
襤褸を纏った傷だらけの子供を。
なにもせず、見捨てることは出来なかった。
それに、病に倒れたという魔術師が回復していれば。結界とやらが機能し襲撃は防げていた可能性もある。
病が昨日のものと同一かどうかは分らないが……。
それでもルクレチアが昨日のうちに薬を配布していればこの事態は防げていたかもしれないのだ。
薬を渡す義務などないのだし、関係ないと言ってしまうことも出来るが、罪悪感はぬぐえない。
(偽善とか自己満足なんだろうけど……)
それで助かる命があるならそれでいいだろうと自分を納得させる。
「私には戦う力はありませんが……何かお手伝いできることはあるかもしれません。薬もまだありますから……その、騎士団の皆様がいらっしゃるところまで案内してもらえますか?」
(行きたくないけど……。リアルな戦場って……嫌な想像しかできないよ……)
周囲はこれで助かる!と盛り上がっているが、ルクレチアは際限なく落ち込んでいる。
正直今からでも逃げ出したいが、その後のことを考えるとそれも出来ない。
ここで≪ホーム≫に逃げ帰って、そして次に来たとき廃墟が広がってましたとかいうトラウマ体験はほしくない。
戦場を見るトラウマと、大勢を見殺しにしたという後悔どっちがましかは微妙な線だが。
人間vs人間ではないのが救いだろうか。
……人型の魔物という線もあるが。
(永遠に≪ホーム≫に引きこもれるなら迷わず引きこもっていたのに……)
食事と入浴は大事だ。なぜかいまだに排泄欲が無い謎は今はまだそっとしておきたいが、≪ホーム≫にはトイレがないので助かったとも言える。
それが余計に現実感を薄れさせてもいるのだが……。
そっとため息を押し殺し、取りあえず周囲の怪我人に回復薬を渡していく。
……老女以外も怪我人だらけなのを忘れてたなんてことはない。
半年ぶりなのに短いです。
凹みが止まらない。