3話 夢オチだと思いたかったです
≪ホーム≫に戻ったルクレチアだが、部屋は様変わりしていた。
ぱっと見はなにも変わっていないように見える。
だが、これまでとは明らかに質感が違った。
帰還時は基本設備であるリビングに出る。
使いやすさと利便性を追求した、といえば聞こえはいいが実際は他の部屋がそれぞれの生産設備と素材アイテムで埋まってしまったので、普段使うものや、キッチンがここにあるので料理用アイテムまで詰め込みんでしまい、ごちゃごちゃになってしまただけの部屋だ。雑多なアイテムでカオスに近い。
住み心地の良さを追求してベッドやドレッサー、ティーセットなどまで置いてあるせいでもあるのだが。
それらはこれまで、よく出来た玩具のようなものだった。
それが今では重量感さえも醸しだし、箱庭の≪ホーム≫をまるで現実の世界に具現化したように見せていた。
おそるおそる触れた感触も、磨かれた木の艶やかさ、金属の冷たさまで完璧に再現されている。
いっそ斧でも持ってきて、壊せないことを確認してしまいたくなるほどのリアリティ。
「バージョンアップ、だよね」
思わず声が漏れる。
サーバーを止めたりもしないまま、ここまでのバージョンアップが出来るはずもないのだが、ルクレチアにはそれくらいしか思いつかない。
今まで見たことのない新エリアなら違和感を感じつつも「何かすごい新技術」と思ってスルーできたが、馴染んでいたはずの場所さえもが変わっているとなると違ってくる。
自分が知らない間に、世界そのものが変化してしまったような恐怖。
10年以上も遊んで知り尽くしていたはずの世界が変わっていく。
元々変化の苦手なルクレチアにとって、それは忌避すべき事態だ。
かろうじて視界の端に映るステータスウィンドウや魔法へのショートカットだけがここをゲームの仮想世界なのだと思い出させてくれていたが、それがなければ異世界にでも飛ばされたのかと思ってしまっていたかもしれない。
これはもう、急いでログアウトしてしまおう。
そして、ネットをで情報を集める。
その結果次第では引退も視野に入れることになるかもしれないが、ここで一人パニックになっているよりはいいだろう。
だが、ウィンドウを操作してログアウトを選択したにも関わらず。
この世界は、終わらなかった。
何度押してもなんの変化もなく。
慌ててGMコールしようとしても、そちらにも反応がない。
他の人はどうなのだろう、と。
友人にメッセージを送ろうとしてもフレンドリストは全員の接続状況をオフラインと表示している。
(この時間から全員寝てるとか、あり得ないよね? エリアサーバーが落ちたとか? なんでもいいけど、相談できないのかー。寂しいし、困るよぅ)
システムコマンドが作動しない以上ログアウトの方法はあとひとつ。
所謂、寝オチだ。
街中で、露店などを開いていれば別だが、寝てしまえば脳波の変化を察知したシステムが自動的にログアウトさせてくれる。
寝ていてもログインしている以上サーバーの負荷になるのでそれの軽減のためだ。
プレイヤーにとってはフィールドで寝てしまいモンスターに殺されることや、騎獣での移動中に寝てしまってとんでもないところへ行ってしまう確率が減って非常に助かる仕様ではあったのだが。
今ではたとえ全ユーザーがログインしていようとサーバーは飽和しないだろうし、ほとんどのプレイヤーがレベル上限を突破し、経験点がカンストしているため死んでもデスペナを恐れることはない。移動魔法やアイテムの充実によって見知らぬ土地に漂流しても困ることはないだろう。
それでも今回はこの仕様があって助かった。
ルクレチアは「寝て起きたらゲーム内からリアルに移動してた」というのが苦手なのだが、この際仕方ない。
滅多に横になることのないベッドに潜り込む。
スプリングの軋む感触と、絹で出来ているらしいシーツの少し冷たい感触。
羽布団の軽さと柔らかさ。
それらは確かに心地良いが、このゲーム内であり得るはずのない感触でもある。
混乱が深くなり、叫びだしたい気持ちに襲われながら、必死に睡魔を呼び込む。
普通なら心地よさをもたらすであろう、ぬくもりに包まれてなお恐怖が先に立つ。
何度も何度も寝返りを打ち、かなりの時間を経てようやく眠りにつくことが出来た。
決して安らかとは言えなかったが。
目覚めたとき、最初に目に入ったのは薄紫色の長い髪だった。
ルクレチアの現実の髪の色は日本人らしい、というべきなのか漆黒の色だ。
確かに眠ったはずなのに、ログアウト出来ていない。
「……なんで?」
ステータスウィンドウからログアウトの操作を繰り返すが、昨夜と同じ。
友人達との連絡がつかないことも、変わっていない。
(いや、サリィスに行けば誰かいるはずっ!)
一番人が多い街に行けば顔見知りの一人くらいは見つかるだろう。
いや、この際全く知らない人だろうと、ログアウトが出来ないことをGMか運営に連絡してくれるよう頼めればそれいい。
もしログアウト出来ないのが自分だけだったとしても、ここで一人悩んでいるよりはマシだろう。
そう決めて、記録石を取り出す。
≪ホーム≫の玄関からでれば設定した場所に出られるのだが、ルクレチアが設定しているのは草原のど真ん中なので今は行っても仕方ない。
普段なら、薬草が取り放題の上に素材やドロップ品が薬になるモンスターがいてルクレチア的には天国なのだが。
記録石は手のひらに乗る程度のサイズで、ダイヤモンドのようなカッティングがされている。
実際、何も記録されていないものは透明なので宝飾用の素材と間違える人間が多い。
記録後の石は中に記録した場所の俯瞰図が浮かぶので間違えようがないのだが。
記録石で記録した場所に飛ぶにはテレポートの魔法を使用するか、天路香と呼ばれるアイテムを香炉で焚き、その煙に包まれて移動するしかない。
だが、そのどちらも移動先に人が居たりすれば安全のために移動できなくなる。
ルクレチアがこのゲームをはじめるより昔には移動できたそうだが、ぶつかったとか、そのときに触っただのという諍いが絶えなかったため仕様変更が入ったのだが。
そのため、石の記録先に移動できないときがある。そのときは分かりやすく石の中の俯瞰図が暗い色で塗りつぶされるのだが。
いま、ルクレチアが持っている石はひとつを除いてすべてが暗い色に塗りつぶされていた。
記録先には移動しやすいように人が居ない場所を選んである。
移動しにくい人が集まるところではなく、地味な店の2階や路地裏。変わったところでは橋の下など。
それでも稀に先客がいることがないわけではない。
だが、20個近い石がすべて移動できなくなることなど今まで見たことがない。
人の減ったこのゲームでその確率はいかほどだろう?
それ以上考えることが出来ずに、ルクレチアは最後の希望に縋って玄関のドアを開ける。
ドアの先は、草原のはずだ。
このゲーム内でもっとも馴染んだ場所。
友人達にはもっと便利な場所につなげればいいのに、と何度も笑われたが彼女にとっては一番使い勝手のいい草原だ。
現実では見たことのない地平線が360度広がるのが好きだった。
それなのに。
ドアの先に広がっていたのは、闇だった。
何もない。
いっそ踏み込んでしまおうかとも思ったが、そんな勇気もなく扉を閉じる。
30秒ほど沈黙した後、もう一度今度はそーっと開けて覗いてみる。
……やっぱり闇だった。
ルクレチアはくるっと身を翻し隣の鍛冶場へ向かう。
廊下へのドアを開くときは恐怖から慎重になったが、≪ホーム≫内は正常のようだ。
他の部屋に繋がる廊下も質感以外は今までと何ら変わっていない。
鍛冶部屋の中も炉の熱を感じる以外は普通だった。
熱がある、ということに混乱したがここまで異常なことが続くとそれくらいはなんでもない気分になってくるから不思議だ。
そのまま、安く量の多い鉄のインゴットをひとつ取りだし、玄関に戻る。
インゴットの重量をわずかに感じたが、気にしないことにする。
ドアから手を出すのも怖かったので、開け放ったドアの内側から鉄を投げ込む。
鉄は闇の中に消えていった。
音もなく、床らしい場所に落ちるのも見えないままどこへともなく。
(見なかったことにしよう!)
部屋の中のチェストを3つほど玄関前に積み重ね、間違っても勢いや習慣ででてしまうことがないようにする。
鍵も掛けたかったが、その機能がないので諦めた。
チェストはその重厚な装飾と見かけによらず、ゲーム内のまま軽いことに多少の安堵を覚えた。
中に入っているアイテムの重量そのままになっていたらルクレチアには持ち上げることも出来なかっただろう。
とりだしたアイテムの重さが忠実に再現されるのを考えると不思議だがアイテムボックス系の物の中にあるアイテムは重さを感じないらしい。
箱の重さだけのようだ。
容量もゲーム内と変わらずインゴットが数万入っていてもアイテムカウントとしては1つに過ぎない。取り出せば実体を持つのに無限に中に入る。謎の箱だ。
その辺りはゲームのままなのだが……。
一つだけ移動に使えるであろう記録石を見つめて途方に暮れる。
それは、昨日のクエストの場所を記録した石だった。
あの場所に行ってからすべてが変わったのだ。行くのは怖い。
まるで違う世界のようだった。
ゲームとは思えないほどのリアリティのあった場所。
女神の奇跡。
あの青年はゲーム内で出会った女性と引き替え、と言ってなかったか?
クエストの設定だろうと何気なく聞き流していた言葉達。
ルクレチアは街を救うことを了承した。
だから連れてこられたのだろう。
(ってことは、街を救えば帰れる、よね……?)
違うゲームに連れ込まれたのだと思おう。
まるで、違う世界のようなゲーム。
ゲームではないような気がしたが、ルクレチアの視界に残るショートカット群が、そしてゲームのままの≪ホーム≫が。共に現実感を著しく阻害していた。
説明的すぎて面白くないですね……。




