2話 まだクエストだと思っていました
視界が暗転したと思ったら、全く別の場所に移動させられていた。
現象自体は転移魔法で慣れたものだが、NPCにアイテムも詠唱もなく移動させられたのは初めてだ。
(びっくりした……。現地まで移動サービスってのは珍しいなぁ)
この手のクエストは場所を聞いて自分で移動するのが普通だったので少し驚いていた。
そして周囲を把握しようと見回し、固まってしまう。
この家の住人なのか、男の人が居たのはいい。驚いているようだが、普通の反応だろう。
ただ、周囲がこれまでと違い、異常なまでにリアリティ溢れる風景になっていたのだ。
(う、うわー。煉瓦造りの家? カーテンとかほつれてるよ……。BGMないし、外の人の声とか聞こえるし。何この無駄なリアリティ)
「あなた様がユーリアが喚んだ、救い手様ですか?」
突然現れたルクレチアに驚いていた男性が気を取り直して話しかけてくる。
よく見ると、彼も先ほどの黒衣の女性と同じようなデザインの服を身につけている。
「あ、はいー。病気なんですよね? 薬、配りますよー」
ルクレチアの態度はどこまでも気軽だ。クエストに身構える必要も、NPCに話しかける言葉に気を遣う必要もないのだから当然と言えば当然なのだが。
その気軽な態度を見て、男性の表情が微かに苦いものへなる。
だが、ルクレチアは気付かない。
彼女は男性にも名前の表示がないことに困惑したり、古びて傷んだ机の質感に感心している最中だった。
(いつの間にこんなにグラフィック向上したんだろう? 新しいエリアなのかなぁ。サービス終了が噂されてたけど、まだ拡張して延命するのかなー? バグ多そうだけど新エリアの新クエスト一番乗りかも)
「そう、ですか。……では、こちらへお願いします」
たとえどんな態度の人間であろうと、病に苦しむ人を救えるというのなら構わない。
そう判断して、彼はルクレチアを誘導しようとした。
「はーい。あ、でもさっきの女の人、待たなくていいのかな? さっきの人が依頼人、ですよねー? 依頼達成の判断してもらわないといけないし」
それは、ルクレチアにとっては普通の判断だった。彼女の中では病で苦しんでいる人はイベントの中のNPCで、作り物だ。どんなに苦しんでいても、リアルだなー、といった程度の気持ちしか抱かない。元気になれば、よかったね、くらいの感慨は抱くのだが。
それにクエストの途中で何日待たせたとしてもNPCは何事もなかったかのようにクエストを続行するし、一部の時間制限のあるもの以外では病で苦しんでいるというNPCが時間経過と共に死ぬこともない。
だが、この態度に青年は激高した。
「ユーリアは死んだ! 女神の奇跡と引き替えに、だ! あなたという救いと引き替えに、だ! こうしている間にも人が死ぬんだ、助けてくれ!」
青年がルクレチアの手を掴む。その体温と力の強さがルクレチアに混乱をもたらす。
(痛いしっ。なんでこんなに怒るの? NPCが妙にリアルって怖いよー。ああ、もうキャンセルして帰ろうかなぁ……)
その間にも手を引かれて渋々動き出す。
立て付けの悪い扉の軋む音、床板の感触。
ゲームでは床が変わっても足音のSEが変化するくらいで、特殊なフィールドでない限り歩き心地など変わらないのに、ここはそんなところまで妙にリアルだ。
最近のゲームなら絨毯の感触や砂地の感触まで立派に再現していると言うから、それなのかもしれないが。
これまでのゲームとはあまりに違うリアリティに混乱する。
まるで、別のゲームか……違う世界にでも居るようだ。と。
連れて行かれた先は、地獄だった。
少なくてもルクレチアにはそう見えた。
硬い、石の床に敷かれているのは粗末な布にすぎず。その上に横たわる、痩せこけた人。
男女の区別も、老若の区別もなく並べられている。
掛けられている毛布も薄く、吐瀉物や汚物で汚れたままになっているからか、悪臭も酷い。
横たわる人は例外なく紫斑で覆われ、苦鳴を漏らしているがその間を動き、看病する人はほんの数名しかいない。
その数名も横たわる人に比べればわずかとはいえ、紫斑が見えるものが居る。
(いや、ちょっとこれはどうよ? こんなところまでリアルにしたらかえって引くでしょう! やだなぁ、これ。楽しくないしっ)
心底帰りたい気分に陥ったが、さっきのNPCらしくない青年の反応が怖かったのと、クエスト達成後にもらえるであろう報酬の為にもう少しがんばってみる。
とりあえず、アイテムボックスから万能薬を取り出す。
指一本分くらいの小さく丸いフラスコ。コルクで栓をしただけの、ゲーム内ではありふれたアイテムだ。
中に入った紫紺の液体はほんの一口分しかない。
取りあえず、一番近くにいた少年の口に流し込む。
ほとんど意識もなく、時々呻くだけだった少年だが、薬の効果は劇的だった。
流し込んでほんの数秒。
全身が淡い紫色の光で包まれたかと思うと、紫斑はすべて消え失せた。
少年は衰弱しているようだが、あっさりと半身を起こし自分に何が起こったか理解できない様子で居る。
「効き目はばっちり見たいですねー」
青年と少年がフリーズしているので何となくそんなことを呟いてみるルクレチア。
万能薬だけでは減ったHPは戻らないので回復薬もいるのかな?と少し悩むが、取りあえず病気を治してとっととクエストを終わらせたい気持ちが先に立った。
「あの、一人で配るの大変そうなんですけど。手伝ってくれます?」
万能薬を必要数だけ提供すればいいのか、全部飲ませて回る必要のあるクエストなのか判断できなかったのでダメ元で依頼してみる。
さすがに今の今まで病床にあった少年に手伝わせるのは気が引けたので、元気そうな青年にだけだが。
「は、はい!」
渡された薬に気を取り直したのか、素早く瀕死の人間から順に飲ませはじめる青年。
その様子に、数だけ渡せばいいのかも?と思いつつも全員が治るまで、というものの可能性を考えてルクレチアも薬を与えていく。
だが、アイテムボックス内では同種のものはいくつ入れてあっても、1アイテムというカウントになるが、手に取れば実体を持つわけで。
一度にだせるのはせいぜい3つ4つ程度。
青年と個別に配っていては薬の受け渡しに時間が掛かる。
結局一緒にくっついて回ることになった。
(なんか、すごく嫌われてる気がするなぁ。 態度の悪い人設定なのかなー、でも嫌だなぁ。せっかく格好いい人なのに、なんか台無しっ)
実際は今まで死を待つしかなかった人間を数秒で癒す薬をもたらしたルクレチアに畏敬を抱いているだけなのだが、ありふれたアイテムを提供しただけのルクレチアにはそのことは分らない。
先ほどまでのルクレチアのいい加減に見える態度も、力を持つ人間にありがちな傲慢さなのだろうと思っている。
むしろ、見捨てて去っていかなっただけでも感謝しているくらいだ。
回復した人に拝まれたり、目があっただけで土下座れたりしつつ。
看病をしていた人たちも含めて、この場にいた人は全員回復した。
ここは椅子や祭壇は撤去されてるものの、教会の中だったらしい。街外れに位置していることから、隔離にと最初に倒れた者達が運び込まれたようだ。
看病していたのはこの教会のシスター達だったらしいが、やっぱり感染した、と……。
ちなみに青年も当然のごとく感染していたので薬を飲み、別室に残る数名の病人に薬を運んでいった。
(この感染率の高さだと、街もやばそうなんだけどなー。でももういいのかな? あ、でも100人以上って言ってたのにここには20人くらいだったし…)
期待されてるような視線は感じるが、誰も言い出さない。
もちろん、街にも病人が溢れているのは彼らも知っているので助けてほしい。だが、それを口にする勇気がない。
この場へルクレチアを連れてきた青年が戻れば、街の現状を説明し案内するだろうと、彼が戻るのを待っている状態だ。
ルクレチアの服装は、彼女にとっては普段着だ。だが、彼らの目から見れば見たこともないくらいに高価で美しい衣装に見える。
光沢のある布をたっぷりと使い、目立たないとはいえ近くで見れば繊細な刺繍が施されているのがよく分る。
実際は防御力をあげる魔法のための装飾なのだが、知らぬものから見れば華麗な刺繍にしか見えない。
その服装だけでも気軽に口をきいていい存在ではないと思えるのに、さらには信じられないほどの効果を持つ薬をどこからともなく取りだし、配るという異能。
ここが教会で、ルクレチアの姿が美しい少女だからこそ、逃げ出さずにいられたに過ぎない。
老人や特に信心深い者達は、女神の使いとして拝んでいるが。
結果、司祭である青年に任せようと口を開くものが皆無という、奇妙な沈黙に居たたまれない気分になったルクレチアは逃げ出すことにした。
(取りあえず帰ろう! 完遂してないけど、また明日でいいよね。そろそろログアウトして寝ないと、明日も仕事だし)
この判断を彼女は後日死ぬほど後悔することになるのだが、それを知るはずもなく。
現在位置に記録石を使い、テレポートで移動できるようにして≪ホーム≫に戻る。
街には病に侵された人々がたくさんいたが、それを知ることもなく。