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「この話はフィクションであり、喘息を軽視する意図はありません。あくまで勘違いのズレを楽しむコメディです」


というか筆者が気管支喘息もちです


【第一章:深夜のコンビニ、龍角散は誘惑の果実】

 深夜二時。街が寝静まり、街灯の青白い光だけがアスファルトを照らす時刻。

 俺、佐藤和馬さとうかずまは、人生最大の崖っぷちに立たされていた。


(……っ、ゲホッ。……はぁ、……苦しい……ッ!)


 季節の変わり目。昼間の暖かさに油断した俺を、深夜の冷え込みという名の刺客が襲った。俺の脆弱な気管支は、冷気を感じた瞬間に一斉にストライキを起こし、喉の奥を力一杯締め上げている。

 あろうことか、命の綱である吸入器を自宅の玄関に忘れてきた。手元にあるのは、飲み干して空になった、ぺこぺこと虚しい音を立てるペットボトルだけだ。


「……っ、龍角散。……せめて、……粉を……」


 俺は這うようにして、駅前のコンビニ『サンライズ・マート』の自動ドアを潜った。

 レジカウンターの奥には、スマホをいじりながら退屈そうに欠伸あくびを噛み殺している若い女性店員が一人。


「……っ、あ。……すみ、……ません」


 俺の声が、喉の奥にへばりついた粘膜と空気を激しく摩擦させ、地響きのような低音となって響いた。

 それは、数十年使い込まれたヴィンテージのチェロが、魂を削って最期の音を奏でるような、掠れた、それでいて艶やかなハスキーボイス。


「はい? ……いらっしゃいま……せっ!?」


 顔を上げた店員が、目を見開いて硬直した。俺は酸欠で視界がチカチカし、涙目になりながら、冷たいカウンターに指を食い込ませる。


「……龍角散。……一番、強いやつを。……あと、……水だ。……冷えてる、やつを……っ」


 俺は必死だった。一刻も早く喉を湿らせ、この窒息地獄から脱出したい。

 だが、その言葉は深夜の静寂を切り裂く**「極上の囁き」**となって彼女の鼓膜を蹂躙した。

「水だ」と言っただけなのに、まるで「今夜は帰さない」と宣言されたかのような、抗いがたい圧がそこには宿っていた。


「……っ! 龍、龍角散のブルーですね!? あとお水、……一番キンキンに冷えてるやつ、持ってきますッ!!」


 彼女は金メダルを獲りに行く短距離ランナーのような勢いで売り場へ消えた。

 数秒後、彼女は息を切らし、顔を真っ赤にして戻ってきた。差し出された龍角散の袋を、俺は震える手で引きちぎる。


「……っ、ふぅ。……悪いな」


 俺は一粒を口に放り込んだ。苦い。だが、今はこれが生命線だ。

 続いてミネラルウォーターのキャップを弾き飛ばし、喉を大きく反らして一気に流し込んだ。


「……ゴクッ、……ゴクッ、……ゴクッ」


 静まり返った店内に、重厚な嚥下音えんげおんが響き渡る。

 俺にとっては「死を免れるための緊急給水」だが、彼女の目には、砂漠で愛を渇望するワイルドな男の、無防備な色気に見えていた。喉仏が激しく上下し、こぼれた水滴が俺の首筋を伝い、シャツの襟元へと吸い込まれていく。


「……ぷはぁ。……っ、生き、返った」


 水が喉を通り、少しだけ肺に空気が戻ってきた。俺はカウンターにぐったりと手をつき、伏せ目がちに、消え入りそうな声で呟いた。


「……迷惑を、……かけたな。……深夜に、……こんな姿を見せて。……すまない」


 酸欠でふらつく体を支えるため、自分に言い聞かせるように出した言葉だったが、これがトドメだった。

「こんな姿」=「事後のような乱れた姿」と脳内変換された店員は、ついにレジの奥で膝から崩れ落ちた。


「……結婚、してください……っ!!」


「……はぁあ!? お会計、お会計させてくれよ!!」


 俺の正論は、恋の暴走列車と化した彼女には届かない。俺は千円札を叩きつけ、お釣りも受け取らずに店を飛び出した。背後から「……あの声、一生忘れません……っ!」という絶叫が夜空に木霊していた。


【第二章:リモート会議、マイク越しの吐息は劇薬】

 翌日。俺は自宅のデスクで、自らの気管支と激しい再交渉を行っていた。

 昨夜のダメージが残っているのか、肺の奥が重い。運悪く、今日に限って吸入器のストックを切らしている。そしてさらに最悪なことに、今から、社運を賭けた大事なリモートプレゼンが始まるのだ。


(……この声で、出るのか? ……いや、代わりはいない)


 画面には、取引先である大手アパレルメーカー『ヴィーナス・モード』の女性陣がずらりと並んでいる。特に、中央に座る担当の広瀬部長は「氷の女帝」と恐れられ、過去に何人もの営業マンを論破し、泣かせてきた難敵だ。

 俺は迷わずカメラをオフにした。この、酸欠で白目を剥き、よだれを垂らしそうな醜態を見せるわけにはいかない。


『――佐藤さん、準備はよろしいですか? 貴重な時間を割いているのです。……簡潔に。』


 広瀬部長の、冷徹な声がスピーカーから響く。

 俺は喉の奥に溜まった異物を、掠れた息と共に無理やり押し出した。


「……っ、あ。……お待たせ、……しました。……佐藤、です」


「……っ!?」


 画面の向こうで、一斉に紙がバサバサと床に落ちる音がした。

 俺の声は、マイクの高性能ノイズリダクションすら突き抜け、最高級のシルクが擦れ合うような、深い深い低音ハスキーとなって相手側の会議室に響き渡った。


「……今回の、企画意図ですが。……っ、はぁ。……『包み込む、……優しさ』。……肌に、触れる瞬間の、……切ない、温度……」


 俺はただ、息が続かないから言葉を切っているだけだ。一語話すごとに、肺の底から空気を絞り出している。

 だが、その「絶妙な溜め」と「熱を帯びた吐息」は、マイクのデジタル処理によって逆に鮮明になり、彼女たちの耳元で直接、熱い吐息と共に愛を囁かれているような錯覚を巻き起こした。


『……っ、あ、あぁ……。……佐藤、さん』


 広瀬部長の声から「氷」が消えた。それどころか、マイク越しでも分かるほど、彼女の呼吸が荒くなっている。


「……この素材なら、……皆さんの、……心に、……深く、……届けば。……嬉しい、です」


 俺は机に突っ伏した。限界だ。目の前が暗くなる。

 ……沈黙。

 会議室からは、物音一つ聞こえてこない。

(……失敗した。声が掠れすぎて、何も伝わらなかったんだ。クビだ、俺の会社人生は終わった)


 絶望して会議を終了ボタンに指をかけた、その時。


『……採用、です。……全会一致。……いえ、私の独断で、採用にします。』


「……っ、え? 理由を、……伺っても?」


『……理由? ……あなたの、その……情熱。……そう、魂が震えるようなプレゼン。……佐藤さん、お願い。……今の、もう一度、録音させてもらっても、いいかしら?』


「録音……ですか?」


『……えぇ。……弊社の、……社員教育の、……そう、メンタルケア用の教材として……っ!』


 広瀬部長の声は、もはや懇願に近かった。背景からは「……今の『え?』が耳に毒すぎる……」「……神様、一生この声を聴かせてください……」という、隠しきれない女子社員たちの悲鳴が漏れ聞こえてくる。


 俺はマイクを切り、気絶するように眠りに落ちた。

 数分後、スマホにはプロジェクトリーダーの男性上司から動揺したメッセージが届いた。

『佐藤、お前、向こうの部長に何をした!? 「契約書は今すぐ私が持っていくから、佐藤さんを一人で待機させておけ」って狂った電話が来たぞ! お前、まさか……マイク越しに脱いだのか!?』


【第三章:美容室、シャンプー台の禁忌】

 午後の三時。俺は、なんとか身だしなみを整えようと、馴染みの美容室『ヘアー・ルナ』を訪れた。

 だが、店内に充満するスタイリング剤やパーマ液の華やかな香りが、俺の過敏な気管支を容赦なく刺激する。


「……っ、はぁ。……予約していた、……佐藤、です」


 受付の女性スタッフが、俺の声を聞いた瞬間、手に持っていた顧客台帳を床にぶちまけた。俺の声は、マイクを通さずとも低く、重く、切なげに、店内のBGMさえかき消す存在感を放つ。


「ひゃいっ!? ……あ、いらっしゃいませ! ……お客様、あの、お怪我か何か……?」


「……いや。……持病だ。……気にするな」


 俺は椅子に深く腰掛け、目を閉じた。酸欠でめまいがする。

 だが、担当の若手カリスマ美容師までもが、コームを持つ手を震わせている。


「……お客さん、すごい声ですね。正直、同じ男として……敗北感しか感じません。……あぁ、もう、手が震えてカットが難しいな……」


「……っ、はぁ。……早く、……終わらせて。……限界、なんだ」


 俺は文字通り「体力の限界」を訴えた。

 だが、極め付けはシャンプー台だった。仰向けになり、首筋を温かいお湯が流れる。

 緊張が緩んだ瞬間、俺の喉から制御不能の音が漏れた。


「……っ、はぁ。……あぁ、……そこだ。……もっと、……強く」


 俺はただ、指圧が気管を圧迫して苦しいから、せめてマッサージで誤魔化そうと要望しただけだ。だが、静かなシャンプー室に響いたその「あぁ」は、あまりにも深く、あまりにも甘美な、禁断のハスキーボイスだった。

 シャンプーをしていたアシスタントの女の子の手が、ビクッと止まった。


「……っ、はぁ。……苦しい。……優しく、……してくれ。……お願いだ」


 俺は酸素を求めて懇願した。酸素をくれ。

 だが、彼女の返答は、耳元での「……っ、はい、……一生、尽くします……っ!」という、嗚咽混じりのプロポーズだった。

 鏡の前に戻った頃には、店内の全ての女性客とスタッフが、俺が立ち上がるのを息を呑んで見守るという、異様な空間が完成していた。


【第四章:病院の受付、聖域での誤算】

「……っ、はぁ。……たし、……けて。……佐藤……です……ッ」


 ようやく辿り着いた。俺の聖域、呼吸器内科『はぁと呼吸クリニック』。

 だが、受付までの数メートルが、今の俺にはエベレスト登山に匹敵する。一歩踏み出すごとに、肺が焼けるように痛む。


「あ、佐藤さん! 大丈夫ですか!? すぐ車椅子を……!」


 顔見知りのベテラン受付嬢、田中さんが駆け寄ってくる。俺は彼女の肩に縋り付き、耳元で、絶え絶えの声を漏らした。


「……っ、はぁ。……田中さん。……先生に。……早く、……吸わせてくれ。……でないと、……俺は……死ぬ」


「……っ、あ、あぁ……っ!!」


 田中さんの顔が、熟れすぎたトマトのように赤くなった。

「吸わせてくれ」=「吸入器ネブライザーを使わせてくれ」なのだが、至近距離でのその重厚なハスキーボイスは、あまりにも過激で、破廉恥な要求として彼女の脳内を直撃した。


「……は、はいっ! 先生を、今すぐ! 佐藤さんのために! ……あ、でも、その前に……もう一度、今の、……その掠れた声で、私の名前を……っ!」


「……っ、いいから。……早く。……っ、はぁ。……苦しい、んだ……」


 俺の苦悶の溜息が、受付のカウンター越しに待合室全体に広がった。

 すると、どうだろう。

 待合室にいた、喘息や風邪で意気消沈していた患者たち――特におばあちゃんたちの集団が、俺の声を聞いた瞬間、一斉に背筋を伸ばし、頬を染め始めたのだ。


「……あらやだ、急に心臓が元気に動き出したわ」

「……いい声ねぇ、まるでお迎えじゃなくて、王子様が来たみたいだわ……」


 待合室が、かつてないほどの活気――いや、熱気――に包まれる。

 ようやく診察室に運び込まれ、強力な吸入措置を受けた俺は、三十分後、ようやく「普通の声」を取り戻した。


「……ふぅ。……助かった。……ありがとうございます、先生」


「佐藤くん。君が来ると、待合室の患者さんの『治りたい欲』と『血圧』が異常に跳ね上がるんだが……。君、診察前に何か、特別なマインドフルネスでも指導してるのかい?」


 主治医の先生が、真剣な顔でカルテを叩きながら尋ねてくる。


「……死にかけてただけですよ、先生。……ガチで」


 俺は、領収書を受け取りに受付へ戻った。

 そこには、俺がいつ出てくるのかを今か今かと待ち構える、スマホを構えた女性陣の長い列ができていた。


「佐藤さーん! さっきの『吸わせてくれ』、もう一回言ってくださーい!!」

「あの掠れた『はぁ』を録音させてくれたら、医療費全額出します!!」


「……普通の声に戻った俺に、用はないだろ!!」


 俺の普通の、少し高めの声でのツッコミは、彼女たちの耳には一ミリも届かなかった。

 俺は、次の発作に備えて吸入器を三本処方してもらい、首から下げることを固く心に誓いながら、逃げるように病院を後にした。


(完)

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


喘息の発作という、本人にとっては「笑えない死活問題」が、周囲には「抗えない色気」に見えてしまう……。そんな救いようのないボタンの掛け違いを楽しんでいただけたなら幸いです。


個人的には、病院の受付で「吸わせてくれ」と懇願するシーンがお気に入りです。医療的には100点満点の正解なのに、あの声で言われると完全にアウトですよね(笑)。


もし「面白かった!」「もっと和馬くんの喉を追い詰めてほしい(笑)」と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】や【評価(下の★★★★★)】で応援をお願いします!


皆様の応援があれば、和馬くんが「夜道で警察に囲まれる編」や「実家に電話して親戚一同がパニックになる編」なども書いてみたいと思います。(うん、応援、、あればいいな)


また次の「吐息」でお会いしましょう!

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