萌芽
ラノベ好きの一般人の趣味で始めました。拙作がだれかの楽しみになりますように。
その日、ひとりの少女が死んだ。
陰謀によって母親を失い、外界と隔絶された古城に幽閉され、外の世界を知ることもなく。
帝国の皇女であり、本来は輝かしい未来を約束されていたはずだが、その将来は歪められた。
彼女の運命は暗転し、闇の種は蒔かれた。それは地下に潜み、芽吹きの時を密かに待つことになる。
「んん・・・」
うめき声を上げると、少女はぐっと背伸びをした。母親が見ればはしたないと叱られるだろうが、その声を聞くことはもうない。
ただでさえうっとうしい首輪が付けられているのだから、これくらい大丈夫、と少女は良心の呵責を正当化した。気を取り直して読書に戻ろうとしたとき、鉄格子の向こうの扉から、ノックの音が聞こえた。
「失礼致します、お食事をお持ちしました」
楽しい時間を邪魔されて、少女はむっと頬を膨らませる。侍女が入ってくると、彼女は拗ねた表情を引っ込めた。看守でもある使用人に自分の感情を晒したくなかったからだ。
テーブルにパンとスープの簡素な食事が置かれる。侍女が出て行ったのを見届けると、少女は食事に口を付けた。
食事は粗末だが、貴族らしく優雅に見えるように食べる。物心ついたときからの習慣は中々消えない。
いつも通りの、鬱屈な日常がまた続いていくはず、だった。
「っ?!」
突然襲ってきた息苦しさに、喉を押さえてもがき苦しむ。少女は耐えきれず、床に崩れ落ちた。地面に這いつくばって、助けを求めて声にならない声を上げる。
「う、うぐっ・・・」
そして、その手は何も掴むことなく床に落ちたのだった。
目覚めたとき、少女は不思議な空間を漂っていた。辺りは真っ暗で、大地も大空もない。
訳が分からないが、本能が一刻も逃げるべきだと警鐘を鳴らす。
「やあ、お嬢さん」
長髪をなびかせた男が、にこやかな笑みを浮かべて立っていた。
「君のことはずっと見ていたよ、不幸で哀れな人の子よ」
ここはどこなのかと少女は聞くと、世界の狭間だと男は答えた。
訳の分からないことを言われ、疑問は深まるだけだった。
あなたは誰?と少女は聞いた。
「私の名はオフィターポピス」邪神の化身だと男は答えた。
「もっとも、君たちの信仰する神とは別だがね」
底知れぬ表情から、その神とやらの得体の知れなさがにじみ出ていた。
最後に、自分をどうするつもりなのかと少女は訪ねた。
パンッ。
待ってましたとばかりに男は大げさに手を打った。
「ぜひとも私と契約して欲しい、愛らしいプルウィウスの花よ」
膝を折り、芝居がかった仕草でお辞儀をする。そのまま男は手を差し出した。
突然のことに呆然と少女は立ち尽くした。
「何を言っているのですか・・・?」
「君に力を与えてやろう。君に仇なすもの全てを滅ぼせる力を」
そのために魂を売ってもらう必要があるけどね、と男は笑う。
「な、何のためにですか」
「君は力を得て、私はここから出られる。よい関係だろう?」
創造の女神の世界を汚す者の手を取るようなおぞましいことは、断じて人に許される行為ではない。世界の摂理を踏みにじった行為の結果は、いくつものお伽噺で語られている。
「そんなことできるわけないわ」
拒否する彼女の首を、男がなでる。正確には彼女の首に嵌められた魔力を封じる首輪を。
「遠慮することはない。こんな風に縛られて・・・さぞ不自由だっただろう」
「・・・・・・っ!」
頭痛がして、思い出さないようにしていた記憶が蘇る。
魔力暴走で吹き飛んだ庭に、倒れた兄、自分の血塗れの手、自分を取り押さえた騎士・・・・・・あの時から全てが変わった。幽閉、そして母の処刑・・・・・・。わたしはこの寂れた古城に一人取り残された。
「こんなにも神に祝福されて生まれてきたというのに、皮肉なものだ」
男が笑うと、忌々しかった首輪があっけなく砕け散った。
「でも、わたしはとっくに死んでいます」
反射的に少女は後ずさるが、また距離を詰められる。
「その点なら問題はない。まだ仮死状態だ、私と契約すれば身体はどうとでもなる」
その時、空間が大きく揺れた。
揺れは収まるどころかどんどん大きくなっていく。
「ふむ・・・崩壊が始まったな」
雨が降ってきたな、と同じくらいの軽さで男は言った。
「このまま消えたいのなら止めはしないが・・・どちらがお望みかな?」
決断できずに黙り込む。こんな不気味な場所でひとり死んでいくなんてぞっとする。だが、悪魔と契約するというのも同じくらい恐ろしかった。魔法について学んだことがあるからこそ、それがどれほど道にはずれたものであるかは知っている。
不意に足下が揺れて、裂けた。
「きゃあっ」
目を瞑るが、恐れていた衝撃はやってこない。
目を開けると、腰から下がなくなった男がいた。どうやら、男がかばって放り投げたらしい。
「なんで・・・!」
「崩壊を止めることはできないが、選択のための時間ならもう少しは作れるからね」
「もし私が断ったらどうするの?」
「その時は仕方がない、また待つだけだ。封印が壊れるまでか、新たな契約者が見つかるまでか・・・。時間は私の味方だからね」
荒れ狂う空間とは対照的に、男は恐ろしいほど平静だった。
死を――いや、正確には死ではないかも知れないが――目前にして一切動じない様に、少女は心の底から恐怖した。男の本心を読み取ろうと、少女は凝視したが、まったく表情は読めなかった。
何も分からない。ああ、自分はなんてちっぽけな存在なのだろうか・・・。
放り投げられた時の、繋いだ手の感触がまだ残っていた。小さな手を爪が食い込むほどにきつく握る。
顔を上げると、今まさに飲み込まれようとしている男が目に入った。
ばきっ、と音がして、少女の背後にも大きな裂け目が現れる。
「・・・・・・っわたしはあなたの条件を呑む!」
伸ばした手は、今度は空を切ることなく手に握り返された。
「契約成立だ。我らが父の名において、ここに契約は成った」




