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異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.2 聖女
9/22

09. 祈りの裏側

ヴァルフリート家に顔を出してから二日後。

時刻は深夜。


日中は人波で溢れかえる王都も、この時間になると息を潜めたように静まり返る。

俺たちはその静寂の底――聖教会本部、聖宮殿一階の一室に身を潜めていた。


廊下に面した扉には「会議室」とだけ記された、どこにでもありそうな小部屋。

だが情報屋の話では、この部屋の真下に隠し通路があるという。

白衣を着た小太りの男が、何度もこの部屋に出入りするのを確認済みらしい。


「確か……この本を取り出してっと……」


俺は、目の前で作業する人物から視線を外さないよう、神経を尖らせていた。


そこに“いる”と分かっている。

分かっているはずなのに、油断すると視界から存在が抜け落ちる。


無意識が、勝手に「いないもの」として処理してしまうのだ。


ベルベットの所作は、それほどまでに洗練されていた。


(A級探索者でも見失う、ってのは伊達じゃないな)


実際俺自身は、ただ一度も彼女を見失ったことがない。

それは訓練の賜物というより、胸の奥で鳴る異能が、常に彼女の位置を示しているからだった。


「あった!それじゃ、いくよ」


ベルベットが本棚の奥に隠されたスイッチを押し込む。


かすかな振動。

次いで、床の中央に細い切れ目が走り、それが四方へと滑るように開いていった。


「……これは」


「やっぱりね。ボクの情報、当たりだったでしょ?」


開いた床の向こう。

そこには、地下へと続く階段が、暗闇の奥まで伸びていた。


(この先で……)


脳裏に、例の資料の内容がよぎる。

同時に、俺の異能がこれまでにない強さで警告を発した。


ぞわり、と背筋を撫でる感覚。


(……気を抜くな)


俺は静かに息を整え、意識を完全に戦闘態勢へ切り替える。


「行こう、ベルベット。先に中に入ってくれ」


「了解。――“影位相(シャドウフェイズ)”」


その言葉と同時に、ベルベットの身体が俺の足元の影へと沈んでいく。

影位相。

影の中に侵入し、移動する能力。


触れている物体も同時に取り込める上、一度潜めば追跡はほぼ不可能。

情報屋としてこれ以上ない切り札だ。


完全に姿が消えたのを確認し、俺は準備していた小型電灯を点けた。


階段を降りる。


一段、また一段。

進むごとに、警告音が大きくなる。


(……相当だな)


心拍が、自然と一定のリズムに落ち着いていく。

緊張ではなく、集中。


(鬼が出るか、蛇が出るか……)


どちらにせよ、聖教会の地下に、こんな“隠す気満々”の通路がある時点で、限りなく黒だ。


果てしなく続く階段を数分。

やがて、下方に光が見え始めた。


とん。


最後の一段を踏み下りると、目の前に現れたのは背丈の倍はあろうかという巨大な扉だった。


床に視線を落とし、影の中の相棒へ合図を送る。

返事がわりに僅かに影が波打つ。


俺は両手を扉に当て、全身の力を込めて押し込んだ。


――次の瞬間。


扉の向こうから溢れ出す、まばゆい光。


俺は反射的に目を閉じ、顔を背けた。




大扉の向こうに広がっていたのは、思わず足を止めるほどの光景だった。


聖宮殿一階すべてに匹敵するのではないかと思うほどの、円形の大広間。

天井は見上げるほどに高く、視線の正面――ちょうど祈りを捧げる位置に、大きなステンドグラスが据えられている。


修道服をまとった一人の女性。

胸の前で両手を組み、静かに祈るその姿は聖女を象徴しているのだろう。


色とりどりのガラスを透過した光が、床へと降り注ぎ、虹色の光彩となって大広間を満たしていた。

神聖、と言えば聞こえはいい。だが――


俺は数歩だけ中へ踏み込み、周囲へ意識を広げた。


床は、俺の姿がはっきりと映り込むほど磨き上げられた大理石。

柱も、祭壇も、装飾もない。


何もない。

それが、逆に不気味だった。


「……この部屋は」


言葉が漏れた、その瞬間。


大広間の入口と正反対――真っ白な壁に、細い切れ目が走った。


「ッ!」


反射的に両手が腰の双剣へ伸びる。


直後、壁が音もなく開き、そこから姿を現した人物がこちらを見て目を丸くした。


「おやおや。これは珍しいお客さんじゃの」


白衣を纏った、小太りの老人。

年の頃は、白光衛生隊(ヘイロー・メディクス)隊長であるエルダー様と同じくらいだろう。

ベルベットが目撃したという人物像とも一致する。


「とある依頼で調査に来た。王都騎士団副団長、ロイスだ」


剣にかけた指を外さず、言葉を投げる。


「あんたは何者だ。ここで、何をしている」


「ホッホ。貴方のことは、もちろん存じておりますとも」


老人は目を細め、楽しげに笑った。


「いろんな意味で有名人じゃからの。……おっと、失礼。ワシはガレノス。魔導開発局(エーテル・ファブリカ)の局長をしておる者じゃ」


「?局長はあんたじゃなかったはずだ」


「無理もあるまい。知る必要のある者にしか、知らされんからの」


この老人が局長かどうかなど興味はない。

俺は一歩、踏み込む。


「あんたらがやっている研究は――子供を使った投薬実験だろう」


空気が、わずかに揺れた。


ガレノスの細い目が、ほんの少しだけ開く。

そこに宿った光は、明らかにまともな研究者のそれではなかった。


「ふむ……どこで嗅ぎつけたかは知らんが」


老人は肩をすくめる。


「ここにおるからには隠す意味もないのう。その通りじゃ。簡単に言うなら筋力、脚力などの身体能力上昇に始まり、欠損部位の自然回復まで。あらゆる“可能性”を、人為的に与える研究をしておる」


「……大層な話だな」


声が、自然と低くなる。


「何のために、そんなことをする?」


その問いに、ガレノスは胸の前で両手を組み、目を閉じた。

まるで、ステンドグラスの女と同じ仕草で。


「すべては、聖女様のためじゃ」


「……は?」


「彼女はいつも、どこか退屈そうでな。諦めたような顔をしておられる」


老人は、恍惚とした表情で続ける。


「そんなお方を驚かせ、心の底から笑っていただきたい。ただ、それだけじゃ」


一瞬、思考が止まった。


ーーただ、それだけ?


理解が追いついた瞬間、剣を握る手に力が入るのが分かる。

足元の影がわずかに震えた。ベルベットも同じ感情を抱いていることがわかる。


ガレノスは、そんな俺の反応を満足そうに眺めると、指を鳴らした。


ぱきり、と音を立てて床に菱形の切れ目が入り、老人の立つ床ごと宙へと浮かび上がる。


地上五メートルほどの高さで止まり、両手を大きく広げた。


「実験は、ようやく完成への道筋が見えてきたのじゃ!」


声が、やけに弾んでいる。


「今はまだ子供だけじゃが、すぐに大人にも応用できるじゃろう! しかも――」


卑しい視線が、俺を見下ろす。


「ちょうど良い実験素材が、自分から来てくれたしのぉ」


俺は短く息を吐いた。


そして、剣を抜く。


静かに。

だが、大広間全体に響く声で告げた。


「……たったそれだけのために、無関係な子供を攫い、実験に使う」


一歩、前へ。


「どうやら俺の想像以上に、聖教会は腐っているらしいな」


視線を、ステンドグラスへ向ける。


「頂点に立つ“聖女サマ”の程度も、知れたもんだ」


ガレノスの顔が、みるみる歪んでいく。


「警告はしない。今すぐ、関係者全員まとめて牢にぶち込む」


その瞬間。


「貴様ァァァ!」


額に血管を浮かべ、老人が喚いた。


「神聖なる聖女様を愚弄するとは!やはり被検体にする価値すらない!この場で、ワシが直々に裁きを下してくれる!」


俺は、鼻で笑う。


「裁き?ずいぶんと偉そうだな。神にでもなったつもりか」


剣先を向ける。


「ぼけるにはまだ早いぞ、たぬきじじい」


「なッ……なああああああ!」


叫びが響くよりも早く、俺は地面を蹴った。


跳躍。


常人を遥かに上回る身体能力をもって、俺は一瞬でガレノスの背後へ回り込んだ。

隙だらけの胴へ、下段から斬り払おうとした――その刹那。



――――――――――

warning

――――――――――



脳内で、金属を引き裂くような警告音が鳴り響く。


「……ッ!」


考えるより早く、俺は地を蹴って後方へ跳んだ。


次の瞬間、さっきまで俺が立っていた空間が、炎の渦に飲み込まれる。


爆ぜる熱。

遅れて、焼けつくような痛みが肩を舐める。


「ぐっ……!」


一拍、遅れた。


回避は間に合ったが、完全ではない。

外套の端が燃え、鎧越しでも分かるほどの熱が肩口と脇腹に残る。


着地と同時に、反射的に上空を見上げた。


そこには、両手を顔の前で合わせ、茹で上がったように顔を赤くしたガレノスが浮かんでいた。

そして、その周囲には十の炎弾。


「ただの研究者とでも思ったか!あまり舐めるなよ、クソガキが!」


怒声が、大広間に響く。


「かつてエルダーとも争った、この大魔法師の力――その身で知れッ!!」


シュゴッ!!

キュイイイイイイ――!


宙に浮かんでいた炎弾の半数が、高速で回転を始めた。

次の瞬間、それらは銃弾のような速度で、一斉に俺へと放たれる。


(無詠唱……!?)


避ける余裕はない。

俺は即座に剣を振るい、迫る炎を弾き返す。


「ぐっ……!」


通常、魔法を使うには詠唱が必要となる。

それはどれほどの実力者であっても覆せない、この世界の理。

だが――この老人からは、それが一言も聞こえなかった。


弾き返された炎弾は、しかし空中で爆ぜることはなく、再びこちらへと方向を変えた。


「!?」


背中を焼く熱。

脇腹を掠める炎。


「ぐっ……!」


焦げた匂いが、大広間に立ち込める。


「くひひ……良いぞぉ。その反応、その顔……たまらんなァ……!」


上空から、興奮を隠そうともせずにガレノスが見下ろしてくる。


気持ち悪い。


純粋に、吐き気がするほど。


「安心せい。壊れたら壊れたで、ちゃんと“直して”やるからのォ」


舌で唇を舐める仕草。


「骨が砕けても、内臓が焼けても……ほれ、研究の途中経過としては最高じゃろう?」


拳が、自然と握られる。


この瞬間、はっきりと理解してしまった。

こいつはここで排除すべきだということを。


「教えてやろう、今から死にゆく貴様に」


その声は、誇示に満ちていた。


「ワシの異能は――“詠唱破棄(ダイレクトリンク)”。言葉を介さず、脳内のイメージだけで魔法を行使できる」


言い終わるより早く、彼の周囲に青い粒子が生まれ始める。

魔素――魔法の燃料となる、空気中の力。


だが、その量が異常だった。


「……」


思わず、言葉を失う。


天井を覆い尽くすほどの青。

この空間の、ほぼすべての魔素が引き寄せられている。


やがて青は赤へと染まり、魔素は炎へと変じていく。

無数の炎弾が生成され、大広間の気温が一気に跳ね上がった。


視界が赤く染まる。

ステンドグラスに描かれた修道服の女性すら、怒りに燃える女神のように見えた。


「はっ……ははははははははは!」



無詠唱で放たれた炎弾が、再び空を裂いた。


(――速い)


剣を振るうより先に、第六感が悲鳴を上げる。

ロイスは半歩遅れて身を捻った。


次の瞬間、左肩を灼くような痛みが走った。


「……ッ!」


布と皮鎧が一瞬で焦げ、熱が肉に噛みつく。

完全に避けきれなかった。

たった一拍――だが、それだけで致命傷になり得る。


床に転がるように距離を取ると、焦げた匂いが鼻を突いた。


(削り殺すつもりか)


だが、異変はそれだけじゃない。


ロイスが踏み込むと同時に、次の炎弾が――再度進路を変えた。


「……っ!」


剣の軌道を“読んだ”ように、

炎弾が半円を描いて回り込み、死角から迫る。


(学習している……!?)


ただの乱射じゃない。

俺の剣術、間合い、踏み込みの癖を――見て、覚えている。


ガレノスの高笑いが、天井から降ってくる。


「ホォ……さすがは王都騎士団のNo.2。素晴らしい反応じゃ!だが無駄じゃよ!この炎は、お前の動きを“覚える”!」


――不味い。


このままでは攻めるほどに不利になる。


不意にその場に立ち止まる。


「……ホ?」


怪訝な顔をする老人をよそに、俺は切り替えるように、一瞬だけ呼吸を落とした。


「……騎士団でな」


低く、息を吐く。


「魔法師を殺す訓練は、嫌というほどやらされた」


双剣を鞘に戻す。


「だから知ってる」


「あんたの魔法が“学習する”のなら――考えが追いつく前に、叩き潰せばいい」


次の瞬間、俺は――さっきより速く、踏み込んでいた。





この瞬間、ガレノスの視界から、ロイスが消えた。






・・・・・・・・

・・・・・

・・・






――勝った。


そう、ワシは確信した。


空中に浮かべた無数の炎弾。

空間そのものを焼き尽くすほどの魔素密度。

無詠唱。圧倒的制圧力。

かつてエルダーと渡り合った、この力。


今、目の前の小僧は、完全に呆けている。

短剣を鞘に戻し、棒立ちだ。

恐怖で思考が止まったか、理解が追いつかぬか――どちらにせよ、もう終わり。


(所詮は凡夫。少し腕が立つだけの若造よ)


このワシに挑むなど、身の程を知らぬにも程がある。


そう考えていた、次の瞬間。


小僧の姿が、視界から“消えた”。


(……は?)


理解が、追いつかない。


いや、違う。

消えたのではない。

速すぎて、見えなかった。


背筋に、冷たいものが走る。


(待て、そんな馬鹿な……!)


無詠唱で展開した索敵魔法が、反応を返さない。

魔力感知も、気配遮断の兆しもない。

なのに――


次の瞬間。


足元の大理石が砕ける音が、耳ではなく“腹の奥”に響いた。


ひび割れた床。

踏み込んだ痕。

それを“見た”と認識した時には、もう遅かった。


(――近ッ)


視界の端、いや、もう“目前”。


能面のような表情。

感情の読めない瞳。

引き絞られた左肩。


(……バ、バカな――!?)


反射的に、両腕を顔の前で交差させる。

と、同時に背後に炎弾を展開。


殴られても構わん。

この距離なら、巻き込める。


(耐えれば勝てる……!このワシが、小僧の拳一つで――)


そこまで考えて、しかし脳裏にあり得ない可能性がよぎる。


――対魔法師戦闘。

騎士団で叩き込まれる、

「魔法を撃たせない距離」

「詠唱を許さない間合い」

「防御より先に、思考を破壊する一撃」。


(いや、馬鹿な……!ワシは魔法師じゃぞ!?このワシを――)


そこまでだった。


次の瞬間。


世界が白く弾けた。





・・・・・・・・

・・・・・

・・・






左拳が、脇腹に深く沈み込む感触。

硬い骨を越え、内側を抉る手応え。


「……ッ」


目の前のガレノスの呼吸が、止まった。


間髪入れず、腰を捻る。


爆音。


続けて俺の右の拳が、ガレノスのがら空きの顎を打ち抜いた。


硬い手応え。

歯が砕ける感触が、拳を通して伝わってくる。


ゴキ、バキッ――

明らかに人体から鳴ってはいけない音が響き、老人の身体が軽々と宙へと浮かび上がった。


高く跳ね上がったその身体は、血を撒き散らしながら縦に回転する。

ステンドグラスから差し込む光に照らされ、ぐるぐると回りながら落ちてくる姿は、もはや人の形を保っていなかった。


白目を剥き、砕けた顎は閉じられることなく垂れ下がり、舌がだらりと飛び出している。


同時に、空気が静まった。


天井を覆っていた炎弾が、嘘のように消えていく。


(意識が……落ちたか)


落ちてくる肉塊を見上げながら、俺は腰をわずかに落とす。

踏み込みのために、床を踏みしめ、もう一度左手を引き絞った。


無音。


確実に息の根を止めるため、先ほどよりも力を込めた拳を放ち――


その瞬間だった。


目の前を、白い羽根が舞った。


(……何だ?)


違和感を覚えるより早く、澄んだ声が空間に響く。


招集(コール)選択(チョイス)(ルーク)”」


鈴を転がすような、聞き覚えのある声。


驚愕が胸を突き抜けるが、既に放たれた拳は止まらない。

そのまま、目標へと吸い込まれていく。しかし、


――ガンッ。


返ってきたのは、肉を打った感触ではなかった。


まるで、分厚い城壁を殴りつけたかのような鈍い衝撃。

拳に、はっきりとした反発が走る。


「……は?」


思わず、声が漏れた。


俺の視線の先に立っていたのは、純白の鎧を纏った騎士だった。

顔は兜に覆われ、表情は見えない。

その兜の意匠は、チェスの(ルーク)


俺より頭一つ分は高い巨体の背には、これまた異様なほど大きな剣が背負われている。


人体を容易く破壊するはずの一撃を、ノーガードで受けたにもかかわらず。

その騎士は、微動だにしていなかった。


(……嘘だろ)


拳を打ち込んだ腕が、じんと痺れている。

効いていない。

いや、通ってすらいない。


俺は、この存在を知っている。


聖教会が誇る最高戦力。

その存在すら公には秘匿された、聖女の切り札。


喉の奥が、無意識に鳴った。


「……ヴァイス・シャッハ」


白い騎士は、答えない。


ただ、壁のようにそこに立っていた。

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