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異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.2 聖女
7/22

07. 刺客

聖教会を後にしてから、そう時間は経っていなかった。


王城の一角――

私的な応接間として使われている部屋は、謁見の間ほどの荘厳さはないが、落ち着いた重みがあった。


磨かれた木の床。

壁には歴代王の肖像画。

窓から差し込む夕暮れの光が、室内を橙色に染めている。


「入れ」


扉越しにかけられた声に応え、静かに中へ入る。


「王都騎士団副団長、ロイス=ヴァルフリート。参りました」


片膝をつき、頭を垂れる。


「楽にせよ」


柔らかな声だった。


顔を上げると、玉座ではなく、簡素な椅子に腰掛けた国王の姿があった。

王冠も外し、肩の力を抜いた様子だ。


ノア=ゼニス・アステリオス国王。あらゆる種族が集うこの王都を代々治めてきた王族である。


隣には、ノア=ステラ・アリス王妃が静かに座っている。


「急に呼び立ててすまないね」


「いえ。お呼びとあらば、いつでも」


「形式張った返答だな」


国王は苦笑し、椅子に深く背を預けた。


「副団長ともなると、息をつく暇もないだろう。最近は特に」


「……はい」


団長の件、誘拐事件、聖女、そして今日の騒動。

一つ一つを口にしていないのに、全てを知っているような言い方だった。


「聖女様の件は、すでに報告を受けている」


国王はそう前置きし、目を伏せた。


「……正直に言おう。わしは、彼女に救われた」


ゆっくりとした口調。


「この国はあの時、確かに滅びかけていた。民も、兵も、そして……情けないが、王であるわし自身もな」


その言葉には、飾り気がなかった。


「だからこそ、聖女を疑う声が上がるたび、胸が痛む。恩人を疑うという行為が、どうにも……な」


「……」


「だが同時に、王として思うのだ。()()に頼りすぎてはいないか、と」


一瞬だけ、国王の視線が鋭くなる。


「そなたはどう思う、ロイス」


突然の問い。


答えを間違えれば、不敬と取られてもおかしくない。

だが、国王の目には“試す”という色より、“聞きたい”という色があるように感じた。


「……私個人の考えを述べるのであれば」


慎重に言葉を選ぶ。


「確かに奇跡は希望になります。縋りたくなるのも分かります。しかし、それだけに依存すれば、人は考えることをやめます」


「ほう」


「考えて行動してこそ人です。守るべきものがある限り、剣を置くわけにはいきません。私は……手に届くもの、この国のために在ります」


国王は、しばらく黙っていた。


やがて、小さく息を吐き、微笑む。


「やはり、そなたは良い騎士だ」


その一言が、胸の奥に落ちた。


「イヴァンとは違う。彼奴は剣で国を支える男だが、そなたは……立ち止まることができる」


「……」


「迷い、考え、それでも剣を取る。そういう者が最後には国を救うのだと、わしは信じている」


信じている。


その言葉を、王が口にする重みを、俺は知っている。


「......生誕祭の護衛の件だが」


話題が切り替わる。


「正式に、そなたに任せたい。聖女本人からの希望でもある」


「光栄です」


「無論、無理はさせぬ。危険と判断すれば即座に退け」


その時、王妃が静かに口を開いた。


「……ロイス殿」


穏やかな声。

だが、どこか母親のような温度を含んでいた。


「どうか、ご自身の命を大切にしてください」


思わず、言葉に詰まる。


「貴方は、守る側の人間でしょう。でも……守られるべき人でもあるのです」


いつの間にか目の前に立つ彼女は、俺の手を両手で包んだ。


「かけがえの無い大切な民の一人。どうか、貴方自身のことも大切にしてください」


一瞬、胸が締め付けられた。


「はい」


それだけ答えるのが精一杯だった。


王妃は微笑み、頷く。


「国王も、私も。貴方を信頼しています」


信頼。


また、その言葉だ。


「……ありがとうございます」


深く、頭を下げる。


「今日はこれでよい。休め」


「はっ」


部屋を辞する直前、国王が背中越しに言った。


「ロイス」


「はい」


「生きて帰れ。そなたの剣は……まだ必要だ」


その言葉を、俺は疑わなかった。





いつの間にか日が沈んでいた。

廊下を折れ、人影のない通路に差し掛かった瞬間だった。


――空気が、沈む。


(……?)


理由は分からない。

だが、背筋を撫でるような嫌な感覚が走った。


反射的に足を止めた、その刹那。


「ッ――!」


視界の端で、銀の線が閃いた。


首を狙った容赦のない一撃。

寸前で身を捻り、刃は制服の襟元を裂くだけに終わる。


距離を取ると、そこに“それ”は立っていた。


白を基調とした軽装の鎧。

装飾は一切なく、実用性だけを突き詰めた造り。


唯一特徴のある――兜。


丸く、先端がわずかに尖った形状。

どこか不自然なほど単純なその意匠は、ロイスの脳裏に一つの連想を呼び起こした。


(……チェスの、歩兵(ポーン)……?)


考える暇はない。


相手は右手に短剣を持ち、すでに次の動作へ移っていた。


踏み込みは鋭い。

だが、狙いは致命部ではない。


腱、関節、目。

こちら動きを削ぐための、洗練された最短の刃筋。


(殺す気は……薄い)


初手の一撃も俺が躱すことを前提にしていたのだろう。


双剣で受け流し、距離を詰める。

だが相手は深追いしない。


一撃。

二撃。


無駄がなく、静かで、研ぎ澄まされている。

すべてが、正確すぎる。


(……測られている)


力ではなく、反応。

技量ではなく、判断。


こちらの動きを“確認”するような戦い方。

常に絶妙な間合いが保たれている。


「――誰の差し金だ」


俺の問いかけに、相手は答えない。


ただ、兜の奥からこちらを見ている“気配”だけがあった。


踏み込み、斬り返す。


刃が鎧を掠め、わずかに体勢が崩れた――その瞬間。


歩兵(ポーン)は即座に距離を切った。


深追いする前に、すでに次の退路を選んでいる。


「待て!」


俺の声に反応し一瞬、こちらを振り返った。


兜の奥から感じる視線には、敵意も殺意もない。

あるのは――評価。


次の瞬間、白い影は回廊の陰へと消えた。


完全に気配が消え、見失う。


(……なんだったんだ、今の)


床に残ったのは、ほんの数滴の血と、

胸の奥に沈殿する、説明のつかない違和感だけだった。


(あの実験絡みか、それとも......)


少なくとも、“個人的な恨み”ではない。


得体の知れない不気味さを感じながらも、俺は双剣を収め、静かに息を整えた。




数日後。

王都中枢区画、合同執務棟。


生誕祭を控え、王直属部門による警備再編会議が行われていた。

騎士団、近衛、警備局――名目上の部署は違えど、いずれも王の名の下に動く同一組織だ。


王妃直属、女性のみで構成された近衛部隊、銀星近衛団(シルバー・ステラ)


武器から日用品まで、王都のあらゆる開発に携わる魔導開発局(エーテル・ファブリカ)


エルダー様率いる回復魔法部隊、白光衛生隊(ヘイロー・メディクス)


その他にも、普段は顔を揃えることのない錚々たる面々が並んでいる。


(開発局がここまで前に出てくるのは珍しいな)


そして、会議室の一角。


俺が座る騎士団の席に、見慣れた背中があった。


イヴァン=ヴァルフリート。

王都騎士団団長。


腕を組み、椅子に深く腰掛けたまま、前方を静かに見据えている。

発言はない。だが、そこにいるだけで場が締まる。


ふと、イヴァン隊長が視線をこちらに向けた。

ほんの一瞬。


言葉はない。

だが――


「余計なことは考えるな」


そう言われた気がして、俺は背筋を正した。


視線はすぐに外れ、再び会議へと戻る。

それ以上、交わることはなかった。


不意に対面に座るジーナ団長と目が合う。

ひらひらと手をふる彼女は、その整った容姿と相まって、それだけで一枚の絵になっていた。


反射的に会釈を返し――そして、固まった。


(怖っ)


ジーナ団長の背後に控える団員たちが、射殺さんばかりの視線でこちらを睨んでいる。

普段から何かと目をかけてもらっている俺の存在が、どうにも気に入らないらしい。


俺の表情から察したのだろう。すまない、と苦笑いで口を動かす彼女に再度頭をさげると、会議室の奥に立つ一人の男に目を留めた。


四十代半ば。

制服は着ていないが、そこにいること自体が身分証のような人物。

壁際に立っているのに、妙に存在感が薄い。


(……視界に引っかからない)


気配を消しているわけではない。

ただ、意識に残らない立ち方をしている。


少しでも気を抜けば、それだけで見失いそうになる。


説明が一段落すると、その男が軽く手を挙げた。


そのままこちらに近づいてくる。


「暗部隊長のフェイルーンだ。形式ばった紹介はいらないだろ」


声は軽い。だが、その一言で空気が締まった。


暗部。イヴァン隊長率いる王都騎士団が表なら、その裏を担う組織。

偵察、諜報、そして非合法領域を含む任務までを請け負う、王の懐刀。


「王都騎士団副団長、ロイス=ヴァルフリートです。本日は、よろしくお願いいたします」


一礼。


フェイルーン隊長は、ほんの一瞬だけこちらを見た。


――正確には、“距離”を測るような目だった。


「真面目だな。嫌いじゃない」


「恐れ入ります」


立ち位置は、丁度()()分離れている。

それなのに、不思議と近い。


(……近い?)


理由は分からない。

ただ、踏み込めば即、刃が届く距離だと無意識に判断していた。


会議は滞りなく進み、やがて解散となる。

人が捌け、部屋に残ったのは二人だけになった。


「ロイス」


フェイルーン隊長が、気軽な調子で声をかける。


「この前の市街地の件。あれ、あんたが対応したんだってな」


「……はい。職務ですので」


「即断即決。余計な被害も出してない」


評価するような口ぶり。


「上も、満足してる」


“上”。


その言葉に、胸の奥で、かすかな違和感が鳴った。


(……?)


だが、理由は掴めない。


「恐縮です」


「謙遜するなよ。君は、ちゃんと“守る側”だ」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で、何かが噛み合わない感覚が生じる。


「……当然です。それが、我々の役目ですから」


「そう」


フェイルーンは頷いた。


「ただな」


一拍。


「この国を守るってのはな、剣を向けてくる相手を斬ることだけじゃない」


言葉自体は穏やかだ。だが、その声色には――


刃を向ける側の覚悟が、滲んでいた。


「……」


「守られる側が、常に守る価値があるとも限らない」


俺は、慎重に言葉を選ぶ。


「王と、この国を信じているからこそ、我々は剣を預かる資格があると、俺は思っています」


フェイルーン隊長は、僅かに目を細めた。


「うん」


どこか、俺を試すような間。


「その答えが出るなら、今は十分だ」


「……?」


「いーや、独り言」


軽く手を振る。


その動作が、妙に洗練されていた。余分な力が一切ない。


(……どこかで、見たような)


だが、記憶には引っかからない。


「あんたは疑わなさすぎる。使う側にとって、それが弱点で、長所だ」


「どちらでしょうか」


「状況次第」


即答だった。


「少なくとも、今は長所だよ」


それ以上、踏み込まなかった。同じ王の下で剣を預かる人間だ。わざわざ疑う理由はない。


「では、失礼いたします」


「おう。また一緒に仕事することもあるだろ」


フェイルーン隊長はそう言って、先に背を向けた。


ばたん、と扉が閉まり、一人残される。




静まり返った部屋。




遅れて、額を汗が伝った。


(……なぜだ)


あの男は、終始軽かった。敵意も悪意も感じなかった。


それなのに――


背中を向けられた瞬間、


ようやく“刃が離れた”ような気がした。


(まさか、考えすぎだ)


だが、その違和感は消えることはなかった。


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