07. 刺客
聖教会を後にしてから、そう時間は経っていなかった。
王城の一角――
私的な応接間として使われている部屋は、謁見の間ほどの荘厳さはないが、落ち着いた重みがあった。
磨かれた木の床。
壁には歴代王の肖像画。
窓から差し込む夕暮れの光が、室内を橙色に染めている。
「入れ」
扉越しにかけられた声に応え、静かに中へ入る。
「王都騎士団副団長、ロイス=ヴァルフリート。参りました」
片膝をつき、頭を垂れる。
「楽にせよ」
柔らかな声だった。
顔を上げると、玉座ではなく、簡素な椅子に腰掛けた国王の姿があった。
王冠も外し、肩の力を抜いた様子だ。
ノア=ゼニス・アステリオス国王。あらゆる種族が集うこの王都を代々治めてきた王族である。
隣には、ノア=ステラ・アリス王妃が静かに座っている。
「急に呼び立ててすまないね」
「いえ。お呼びとあらば、いつでも」
「形式張った返答だな」
国王は苦笑し、椅子に深く背を預けた。
「副団長ともなると、息をつく暇もないだろう。最近は特に」
「……はい」
団長の件、誘拐事件、聖女、そして今日の騒動。
一つ一つを口にしていないのに、全てを知っているような言い方だった。
「聖女様の件は、すでに報告を受けている」
国王はそう前置きし、目を伏せた。
「……正直に言おう。わしは、彼女に救われた」
ゆっくりとした口調。
「この国はあの時、確かに滅びかけていた。民も、兵も、そして……情けないが、王であるわし自身もな」
その言葉には、飾り気がなかった。
「だからこそ、聖女を疑う声が上がるたび、胸が痛む。恩人を疑うという行為が、どうにも……な」
「……」
「だが同時に、王として思うのだ。奇跡に頼りすぎてはいないか、と」
一瞬だけ、国王の視線が鋭くなる。
「そなたはどう思う、ロイス」
突然の問い。
答えを間違えれば、不敬と取られてもおかしくない。
だが、国王の目には“試す”という色より、“聞きたい”という色があるように感じた。
「……私個人の考えを述べるのであれば」
慎重に言葉を選ぶ。
「確かに奇跡は希望になります。縋りたくなるのも分かります。しかし、それだけに依存すれば、人は考えることをやめます」
「ほう」
「考えて行動してこそ人です。守るべきものがある限り、剣を置くわけにはいきません。私は……手に届くもの、この国のために在ります」
国王は、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐き、微笑む。
「やはり、そなたは良い騎士だ」
その一言が、胸の奥に落ちた。
「イヴァンとは違う。彼奴は剣で国を支える男だが、そなたは……立ち止まることができる」
「……」
「迷い、考え、それでも剣を取る。そういう者が最後には国を救うのだと、わしは信じている」
信じている。
その言葉を、王が口にする重みを、俺は知っている。
「......生誕祭の護衛の件だが」
話題が切り替わる。
「正式に、そなたに任せたい。聖女本人からの希望でもある」
「光栄です」
「無論、無理はさせぬ。危険と判断すれば即座に退け」
その時、王妃が静かに口を開いた。
「……ロイス殿」
穏やかな声。
だが、どこか母親のような温度を含んでいた。
「どうか、ご自身の命を大切にしてください」
思わず、言葉に詰まる。
「貴方は、守る側の人間でしょう。でも……守られるべき人でもあるのです」
いつの間にか目の前に立つ彼女は、俺の手を両手で包んだ。
「かけがえの無い大切な民の一人。どうか、貴方自身のことも大切にしてください」
一瞬、胸が締め付けられた。
「はい」
それだけ答えるのが精一杯だった。
王妃は微笑み、頷く。
「国王も、私も。貴方を信頼しています」
信頼。
また、その言葉だ。
「……ありがとうございます」
深く、頭を下げる。
「今日はこれでよい。休め」
「はっ」
部屋を辞する直前、国王が背中越しに言った。
「ロイス」
「はい」
「生きて帰れ。そなたの剣は……まだ必要だ」
その言葉を、俺は疑わなかった。
いつの間にか日が沈んでいた。
廊下を折れ、人影のない通路に差し掛かった瞬間だった。
――空気が、沈む。
(……?)
理由は分からない。
だが、背筋を撫でるような嫌な感覚が走った。
反射的に足を止めた、その刹那。
「ッ――!」
視界の端で、銀の線が閃いた。
首を狙った容赦のない一撃。
寸前で身を捻り、刃は制服の襟元を裂くだけに終わる。
距離を取ると、そこに“それ”は立っていた。
白を基調とした軽装の鎧。
装飾は一切なく、実用性だけを突き詰めた造り。
唯一特徴のある――兜。
丸く、先端がわずかに尖った形状。
どこか不自然なほど単純なその意匠は、ロイスの脳裏に一つの連想を呼び起こした。
(……チェスの、歩兵……?)
考える暇はない。
相手は右手に短剣を持ち、すでに次の動作へ移っていた。
踏み込みは鋭い。
だが、狙いは致命部ではない。
腱、関節、目。
こちら動きを削ぐための、洗練された最短の刃筋。
(殺す気は……薄い)
初手の一撃も俺が躱すことを前提にしていたのだろう。
双剣で受け流し、距離を詰める。
だが相手は深追いしない。
一撃。
二撃。
無駄がなく、静かで、研ぎ澄まされている。
すべてが、正確すぎる。
(……測られている)
力ではなく、反応。
技量ではなく、判断。
こちらの動きを“確認”するような戦い方。
常に絶妙な間合いが保たれている。
「――誰の差し金だ」
俺の問いかけに、相手は答えない。
ただ、兜の奥からこちらを見ている“気配”だけがあった。
踏み込み、斬り返す。
刃が鎧を掠め、わずかに体勢が崩れた――その瞬間。
歩兵は即座に距離を切った。
深追いする前に、すでに次の退路を選んでいる。
「待て!」
俺の声に反応し一瞬、こちらを振り返った。
兜の奥から感じる視線には、敵意も殺意もない。
あるのは――評価。
次の瞬間、白い影は回廊の陰へと消えた。
完全に気配が消え、見失う。
(……なんだったんだ、今の)
床に残ったのは、ほんの数滴の血と、
胸の奥に沈殿する、説明のつかない違和感だけだった。
(あの実験絡みか、それとも......)
少なくとも、“個人的な恨み”ではない。
得体の知れない不気味さを感じながらも、俺は双剣を収め、静かに息を整えた。
数日後。
王都中枢区画、合同執務棟。
生誕祭を控え、王直属部門による警備再編会議が行われていた。
騎士団、近衛、警備局――名目上の部署は違えど、いずれも王の名の下に動く同一組織だ。
王妃直属、女性のみで構成された近衛部隊、銀星近衛団。
武器から日用品まで、王都のあらゆる開発に携わる魔導開発局。
エルダー様率いる回復魔法部隊、白光衛生隊。
その他にも、普段は顔を揃えることのない錚々たる面々が並んでいる。
(開発局がここまで前に出てくるのは珍しいな)
そして、会議室の一角。
俺が座る騎士団の席に、見慣れた背中があった。
イヴァン=ヴァルフリート。
王都騎士団団長。
腕を組み、椅子に深く腰掛けたまま、前方を静かに見据えている。
発言はない。だが、そこにいるだけで場が締まる。
ふと、イヴァン隊長が視線をこちらに向けた。
ほんの一瞬。
言葉はない。
だが――
「余計なことは考えるな」
そう言われた気がして、俺は背筋を正した。
視線はすぐに外れ、再び会議へと戻る。
それ以上、交わることはなかった。
不意に対面に座るジーナ団長と目が合う。
ひらひらと手をふる彼女は、その整った容姿と相まって、それだけで一枚の絵になっていた。
反射的に会釈を返し――そして、固まった。
(怖っ)
ジーナ団長の背後に控える団員たちが、射殺さんばかりの視線でこちらを睨んでいる。
普段から何かと目をかけてもらっている俺の存在が、どうにも気に入らないらしい。
俺の表情から察したのだろう。すまない、と苦笑いで口を動かす彼女に再度頭をさげると、会議室の奥に立つ一人の男に目を留めた。
四十代半ば。
制服は着ていないが、そこにいること自体が身分証のような人物。
壁際に立っているのに、妙に存在感が薄い。
(……視界に引っかからない)
気配を消しているわけではない。
ただ、意識に残らない立ち方をしている。
少しでも気を抜けば、それだけで見失いそうになる。
説明が一段落すると、その男が軽く手を挙げた。
そのままこちらに近づいてくる。
「暗部隊長のフェイルーンだ。形式ばった紹介はいらないだろ」
声は軽い。だが、その一言で空気が締まった。
暗部。イヴァン隊長率いる王都騎士団が表なら、その裏を担う組織。
偵察、諜報、そして非合法領域を含む任務までを請け負う、王の懐刀。
「王都騎士団副団長、ロイス=ヴァルフリートです。本日は、よろしくお願いいたします」
一礼。
フェイルーン隊長は、ほんの一瞬だけこちらを見た。
――正確には、“距離”を測るような目だった。
「真面目だな。嫌いじゃない」
「恐れ入ります」
立ち位置は、丁度三歩分離れている。
それなのに、不思議と近い。
(……近い?)
理由は分からない。
ただ、踏み込めば即、刃が届く距離だと無意識に判断していた。
会議は滞りなく進み、やがて解散となる。
人が捌け、部屋に残ったのは二人だけになった。
「ロイス」
フェイルーン隊長が、気軽な調子で声をかける。
「この前の市街地の件。あれ、あんたが対応したんだってな」
「……はい。職務ですので」
「即断即決。余計な被害も出してない」
評価するような口ぶり。
「上も、満足してる」
“上”。
その言葉に、胸の奥で、かすかな違和感が鳴った。
(……?)
だが、理由は掴めない。
「恐縮です」
「謙遜するなよ。君は、ちゃんと“守る側”だ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で、何かが噛み合わない感覚が生じる。
「……当然です。それが、我々の役目ですから」
「そう」
フェイルーンは頷いた。
「ただな」
一拍。
「この国を守るってのはな、剣を向けてくる相手を斬ることだけじゃない」
言葉自体は穏やかだ。だが、その声色には――
刃を向ける側の覚悟が、滲んでいた。
「……」
「守られる側が、常に守る価値があるとも限らない」
俺は、慎重に言葉を選ぶ。
「王と、この国を信じているからこそ、我々は剣を預かる資格があると、俺は思っています」
フェイルーン隊長は、僅かに目を細めた。
「うん」
どこか、俺を試すような間。
「その答えが出るなら、今は十分だ」
「……?」
「いーや、独り言」
軽く手を振る。
その動作が、妙に洗練されていた。余分な力が一切ない。
(……どこかで、見たような)
だが、記憶には引っかからない。
「あんたは疑わなさすぎる。使う側にとって、それが弱点で、長所だ」
「どちらでしょうか」
「状況次第」
即答だった。
「少なくとも、今は長所だよ」
それ以上、踏み込まなかった。同じ王の下で剣を預かる人間だ。わざわざ疑う理由はない。
「では、失礼いたします」
「おう。また一緒に仕事することもあるだろ」
フェイルーン隊長はそう言って、先に背を向けた。
ばたん、と扉が閉まり、一人残される。
静まり返った部屋。
遅れて、額を汗が伝った。
(……なぜだ)
あの男は、終始軽かった。敵意も悪意も感じなかった。
それなのに――
背中を向けられた瞬間、
ようやく“刃が離れた”ような気がした。
(まさか、考えすぎだ)
だが、その違和感は消えることはなかった。




