表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.2 聖女
5/5

05. 定義された世界



選定は滞りなく行われ、

配置は正しく、数も正確に揃っている。

想定外と呼べるほどの誤差は一切なく、

世界は今日も、安定した循環の中にあった。


だから、問題はない。


そう判断するのに、理由はいらない。

記録は常に正しく、

正しさは結果によって証明される。


ただ――

その日の(ページ)だけが、ほんの僅かに重かった。


指先に残る感触。

読み飛ばしてもよいはずの一行に、

わずかな引っかかりがあった。


だが、それも些細なことだ。

予定は崩れていない。

誰かが欠けたわけでも、

誰かが早すぎたわけでもない。


すべては、()()()()()だ。


選ばれなかったものは、

最初から記されていない。

書かれなかったものに、意味はない。


――そう、定義した。


定義してしまえば、

違和感はただの錯覚に成り下がる。

そして記録は閉じられ、

次の頁が、何事もなく開かれる。


世界は順調だ。

今日もまた、正しく進んでいる。


だからこの時は、

振り返る必要などないと――

そう信じていた。




朝の空気は、嫌になるほど澄んでいた。


王都ハインルッツェの外縁区。

訓練場と居住区が隣接したこの区域は、いつも静かだ。

派手さも、緊張感もない。


だからこそ、俺はこの場所を気に入っていた。


「おはようございます、”ロイス”副団長」


背後から声をかけてきたのは、黒縁の大きなメガネをかけた男性ーー”リオネル”だった。

複数の大国からなる審判執行局の審問官。

書類仕事が主だが、最近は俺たちの巡回にも同行している。


「おはよう。今日も早いな」


「ええ。記録をサボっちゃうと後が大変で」


あはは、、、と苦笑しながらズレたメガネを直すその姿は、どこまでも平凡だった。

剣を持たない。

内包する魔素(エーテル)の気配も薄い。

この街に溢れる“普通の人間”の一人。


だからこそ、俺は彼を信用していた。


「今日は特に変わったことは?」


「今のところは。異種族居住区も平常運転です」


「そうか」


その一言で、胸の奥が少しだけ軽くなる。


事件が起きない日。

誰も泣かない日。

それが続くなら、俺が騎士である意味なんて薄れても構わない。


街ゆく人々からの挨拶に返しながら、二人並んで歩く。


「副団長様、今日も素敵ですね」

「髪、光って見えますよ。ほんとに銀みたい」


「……大げさだな」


「平和な証拠ですよ」


リオネルが冗談混じりに言った。


「まぁ、そうだな」


「争いは、起きてからでは遅いですから」


その言葉に、俺は頷いた。


正しい意見だと思った。

疑う理由は、どこにもなかった。


「そういえば副団長」


「ん?」


「先日の件ですが……聖女様の動向、特に問題はなさそうですね」


一瞬だけ、思考が止まる。


「ーーああ。今のところは」


「でしたら、そのまま()()()()で記録しておきます」


「頼む」


リオネルが慣れた手つきで空中にモニターを表示し、記録する。


それだけのやり取りだった。

本当に、それだけ。


そのときの俺は、気にも留めなかった。


この何気ない会話が、

どこへ繋がっていくのかを。




「そこ、甘い!」


鋭い声と同時に、2対の木剣が弾かれた。


「っ……!」


体勢を崩した俺の首元で、”ジーナ”の刃がぴたりと止まる。


「はい、そこまで」


彼女は軽く息を吐き、木剣を肩に担いだ。


「今の動きは悪くないが、最後の踏み込みが遅い。迷いが出てるな」


「……分かってます」


実際、その通りだった。


動ける。

技も出せる。

だが、どこかで踏み切れない。


「まあ、あなたの場合――」


ジーナは俺を見下ろし、ふっと口元を緩めた。


「“これ以上”を知ってるから、ってやつでしょ」


図星だった。


ジーナ=ハリスティン。

女性だけで構成された部隊を率いる銀星近衛隊(シルバー・ステラ)の団長であり、年は俺より少し上。

だが実力も実績も、完全に格上だ。

前髪を綺麗に切りそろえた黒髪のショートカットで、背丈は170センチを超え、その引き締まったスタイルとクールな性格から特に同性の人気が高い。

現に今も、男女問わず周囲からの視線を感じる。


「ジーナ団長でも容赦ないですね」


「団長だからよ。他所の団とはいえ部下を死なせないためには、妥協しない」


そう言い切る目は、強い。


その視線の先に――

別の“強さ”が割り込んできた。


訓練場の空気が、変わる。


ざわめきが途切れ、音が沈む。


「……来たか」


ジーナ団長が小さく呟いた。


門の向こうから、ひとりの男が歩いてくる。


2メートルにも及ぶ身長と岩のように鍛え抜かれた鎧を纏う体。

額の十字の傷跡と鋭い目つきから放たれる存在感。

背には大剣。


場の全員が手を止め、無意識に背筋を正した。


イヴァン=ヴァルフリート。


王都騎士団団長。


ジーナと同じ“団長”の立場にある男。

直属の上司であるが、普段は国王の護衛についており滅多に顔を合わせることはない。


「お疲れ、イヴァン」


ジーナ団長が先に声をかける。


対等だが、軽んじてもいない。


「訓練か」


イヴァン団長は短く応じ、訓練場を見回す。


その視線が――

俺で止まった。


目が合う。


胸の奥が、ひどく静かになる。


「久しいな」


地鳴りのような低い声。


「……お久しぶりです」


答えると、イヴァン団長は一瞬だけ俺の腰元に目を落とした。


木製の双剣。


ほんの一瞬。

だが、その沈黙は妙に長い。


「そうか」


それ以上は何も言わない。


だが、ジーナ団長が一歩踏み出した。


「腕は確かですよ。私のとこでも前線を任せられる」


これ以上ない評価だ。

それも、団長としての正式なもの。


イヴァン団長は彼女を見る。


「……お前がそう言うならな」


それだけ。


肯定も否定もせず、

だが“信頼している”ことだけは伝わる言い方だった。


再び俺に視線を向ける。

龍と対面しているかのような重圧を感じ、頬を汗が伝った。


「相変わらず、あれは使っていないのか」


事実確認のような口調。


「ーーーっ」


一瞬、言葉が詰まる。


「そうか」


短い一言。しかし、そこからははっきりとした落胆が伝わってくる。


それだけ言うと、イヴァン団長は背を向けた。


「エルダーとフェイルーンを呼べ。後で話がある」


その名前に、場がわずかに緊張する。


「了解」


ジーナ団長が即答する。


それ以上言葉を発することはなく、イヴァン団長は去っていった。


残された空気が、ようやく動き出す。


「……団長同士って、大変そうですね」


俺が言うと、ジーナ団長は肩をすくめた。


「大変よ。でも――」


彼女は、去っていく背中を一度だけ見てから、言った。


「あの人は、本物だもの。

認めない理由がない」


その言葉が、胸に残った。足元に転がる双剣に視線が落ちる。


イヴァン=ヴァルフリート。


あの人は、今も大剣を振るっている。

そして俺は――

別の道を選んだ。


この距離が、いつか縮まるのか。

それとも、断ち切られるのか。


その答えは、まだ見えない。






訓練所を出た俺は、裏路地に足を向ける。

表通りの喧騒が嘘のように遠ざかり、湿った空気が肌にまとわりついた。


待ち合わせの時間より、少し早い。

だが――


「律儀だね、ロイス」


頭上から声が落ちてきた。


見上げると、建物と建物を繋ぐ細い影の上に、人影がある。

仮面をつけフードを被った、性別も年齢も判然としない細身の人物。


「お前の方が早いとは珍しいな、”ベルベット”」


「失礼な!約束は破ったことはないよ。信用問題に関わるからな」


軽い調子。

だが、冗談に聞こえないのが、この情報屋の癖だった。


「例の誘拐事件?」


「それも含めて、だね」


ベルベットは指を一本立てた。


「表に出てない。警備隊にも、騎士団にも。……()()()にも」


最後の単語だけ、わずかに間があった。


「正教会?」


「噂レベルだけどね」


わざとらしい素振りで肩をすくめる。


「子供が消えてる。数は少ない。でも、“偏り”がある」


「偏り?」


「説明するほどの材料はないよ。だから――」


仮面の奥から、こちらを見る気配。


「彼女には気をつけた方がいい。生誕祭ももうすぐだし」


それだけ言うと、ベルベットの影が水面のように波打った。


「報酬は?」


「今回はいい。貸しにしておく」


「おい、そっちの方が怖いぞ」


「あはは。すぐに返してもらうよ」


冗談めかした声。


次の瞬間、そこにはもう誰もいなかった。


俺はしばらく、その場に立ち尽くしてから小さく息を吐く。


(……正教会、か)


考えすぎだろう。

奴は、いつも少し大げさだ。


そう自分に言い聞かせて、俺は再び歩き出した。





その瞬間。


空気が――止まった。


風はない。

音もない。


それでも、確かに落ちてきた。


白いものが、視界の中央をゆっくりと横切る。


「……?」


羽だ。


あり得ないほど、静かに。

あり得ないほど、正確に。


まるで、最初からそこに落ちると決められていたかのように。


気づくと俺は反射的に手を伸ばしていた。


指先に触れた瞬間、ぞくりと背筋が粟立つ。


軽い。

だが、妙に()()


ただの羽――のはずだった。


それなのに。


(……違う)


この羽は、落ちてきたのではない。

置かれたのだ。


誰かに。


俺の前に。


そう考えた瞬間、胸の奥が冷える。


周囲を見回すが、路地は変わらず静かだ。

人影も、気配もない。


白すぎる羽根。

汚れも、欠けもない完全な形。


不意に、頭をよぎる。


――“選ばれなかったものは、記されない”。


意味のない連想だ。

そう、切り捨てるべきなのに。


指が、羽を離そうとしなかった。


(……気のせいだ)


口に出さず、そう定義する。


定義してしまえば、

これはただの偶然で、ただの羽だ。


俺はそれを懐にしまい、歩き出す。


背後で、何かが一手進んだ音がした気がしても、

振り返ることは無かった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ