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異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.1 選別
4/5

04. 白銀に種は蒔かれた

凍てつく風が鋭利な刃物のように頬を切り裂き、睫毛に張りついた氷が、瞬きのたびに音を立てた。だが、その寒さは均等ではない。足を踏み出す場所によって、温度が微かに異なる。


視界は、どこまでも白い。


そこには、後輩であるヒューイたちの身を案じ、彼らが向かったとされる深部へと急ぐ二人の男女の姿があった。


「……おかしい」


カイルが、凍りついた前髪を乱暴にかき上げる。

吐き出した息は瞬時に白く凍り、視界の端で粉雪となって砕けた。


「ここは深度1だろ。なのに、空気が……重すぎる。魔素の濃度が、明らかに異常だ」


足元の雪を踏みしめるたび、「ギュッ、ギュッ」と嫌な音が響く。

新雪の下に潜む硬い氷層が、まるで地面そのものが軋んでいるかのような錯覚を与えていた。


その隣で、リーザは胸元に手を当てていた。

銀の指輪がはめられた指先が、祈るように震えている。


「胸騒ぎが、止まらないの」


声はかすれ、風に攫われそうになる。


「昨日……あの子たち、あんなに笑ってたのに。ヒューイくんも、ダンくんも、ロザリオちゃんも……」


昨日、ギルドの門出で手渡した最高級の回復薬。

不安そうにしながらも、期待に満ちた瞳で受け取ってくれた、あの瞬間。


――嫌な想像が、頭から離れない。


「一秒でも早く、合流しないと……」


その予感は、最悪の形で現実となった。


二人の足が、同時に止まる。


雪原の一角が、異様な色で汚れていた。

白銀を侵食する、乾ききらない赤黒い染み。


「……っ」


リーザが、反射的に口元を押さえた。


雪の中央に横たわっていたのは――

人の形をした、“モノ”。


「……は?」


言葉にならない声が、カイルの喉から漏れた。


それは、黒い軽装を纏い、昨日までヒューイたちを導いていたはずの男の成れの果てだった。


「……ハイン、さん……?」


両腕は、根元から存在していない。

無理やり引き千切られたような断面が、雪に埋もれていた。


愛用していたはずの長槍は、数メートル先で飴細工のようにへし折られ、無惨に散らばっている。


白目を剥いたまま固まったその顔は、

“戦い”ではなく、“蹂躙”の末路を雄弁に物語っていた。


「嘘だろ……」


カイルの声が、凍えた空気に溶ける。


「B級探索者だぞ……? こんな……」


彼がいたという安心感が、音を立てて崩れ落ちる。


――この平原は、安全ではない。


その時だった。


ぞわり、と。

肌を撫でる寒気とは別の、“視線”を感じた。


「……いる」


カイルが低く呟く。


雪煙の向こう。

平原の中央に、何かが立っていた。


最初は、小鬼(ゴブリン)だと思った。


緑がかった肌。

醜悪な顔つき。

人より小柄な体躯。


深度1では、最弱に分類されるモンスター。

臆病で、数でしか勝負できない、取るに足らない存在。


だが――


「……一匹、だけ?」


リーザの声が震える。


そいつは逃げない。

仲間を呼ぶ様子もない。


ただ、返り血を浴びたまま、獲物を見る獣のような目でこちらを見ていた。


「……おい」


カイルが短剣の柄に手をかける。


「待って、カイル!」


リーザが叫ぶ。


「ヒューイくんなら……こんな時、絶対に一人で突っ込んだりしない……!何かおかしい!お願い、落ち着いて――」


だが、その声は届かなかった。


小鬼が、ゆっくりと口元に手を運ぶ。


握られていたのは――

黒い手袋の、切れ端。


「……まさか……」


リーザの声が、悲鳴に変わる前に。


小鬼は、嗤った。


その瞬間、空気が爆ぜた。


見えない重圧が冷風と化し、平原全体を押し潰す。

呼吸が、できない。


「……下がれ!!」


カイルが叫び、前に出る。


「俺が、引きつける!!」


飛び出したカイルの短剣が、確かに“当たった”。


鈍い感触。

肉を裂く手応え。


「……やれる!」


その瞬間だった。


小鬼の姿が、消えた。




「――がっ……!」


カイルの体が、宙を舞った。


何が起きたのか理解する前に、彼は雪原に叩きつけられる。

骨が軋む音が、はっきりと聞こえた。


「カイル!!」


リーザが弓を構える。


「きゃあぁぁぁあっ!」


だが、矢は放たれる前に、叩き落とされた。


見えない衝撃。

圧倒的な速度。


「――逃げ……」


カイルの声は、途中で途切れた。


血飛沫が舞う。


リーザの視界が、真っ赤に染まる。


そして――




すべてが、静止した。





風の音が、消える。

雪が、止まる。


代わりに響いたのは――

ギギッ……ギギギ……と、石が擦れ合うような音。


吹雪の奥から、白い“何か”が現れた。


人の形をしている。

だが、肌も髪も、纏う衣服も、すべてが石膏の質感だった。


「ーーーーーー」


その存在が指を掲げた瞬間、

カイルとリーザの肉体が、音を立てて白く変わっていく。


叫びは、もう上がらない。


やがて二人は、あと数センチで触れ合う距離を保ったまま、

完全な“静止”として固定された。




「……相変わらず完璧ですね」


背後で、穏やかな声がした。


いつの間にか立っていたハインが、静かに手袋を嵌め直す。


纏う服はいつの間にか白い司祭服へと変わっていた。


「彼らは救われました。恐怖も、迷いも、未来への不安も──この時すべて“停止”したのですから」


ハインはそう言いながら、石像となった二人の表情を、その“完成度”を確かめるように視線を走らせ、ほんの一瞬だけ、眉を寄せた。

  

「さて。次は、どこに向かいましょうか」


ハインは誰に向けるでもなく呟き、白銀の平原に背を向けた。

その足取りには、仲間を失った後輩への哀悼も、教え子を死地へ導いたという自覚も、――一人の少年がそこで命を落とした“重さ”すら存在しなかった。


ほんの一瞬だけ、彼は振り返る。そこは、つい先ほどまでヒューイが立っていた場所。


「彼が生きていれば……あなた方は、もう少しだけ運命を先延ばしできたでしょう」


それが人の死を悼む言葉なのか、それとも計画の順序を思案する声だったのか、吹雪は何ひとつ答えを残さず、すべてを白に塗り潰した。


ハインと白い何かの姿はやがて雪煙の向こうへ溶け、平原には、動かぬ二つの像と、名もなき絶望だけが残された。


その日、白銀の平原に蒔かれたのは種ではなく、二度と元には戻らない“運命”であった。

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