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異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.1 英雄
2/2

02. 常勝の誓い

F級探索者に昇格して二日後。


まだ日が出てまもない早朝に、僕たちは街の外縁部に集まっていた。


「やーっと戦えるぜ!おいヒューイ、見ろよこの胸当て。最新モデルだぜ。くっそカッケェだろ!」


ダンが朝日を反射する防具を叩き、快哉を叫ぶ。金の短髪を揺らして得意げに笑うその姿は、まるで新しい玩具を買い与えられた子供のようだ。


「はぁ……全く、ダンってば子供なんだから。そんな重苦しいだけの鉄板、肩が凝るだけよ」


「んだと?ロザリオはこの良さが分からねぇのか」


「はいはい、かっこいいかっこいい。それより見てよこのイヤリング!かわいいでしょ?」


ロザリオが赤髪をかき揚げ、耳元で揺れる青い石を誇らしげに見せる。昨日、二人で探索に必要なものを見て回っている時に買わされたものだ。……まあまあの値段がした。


「お前、これから外界に行くんだぞ?そんな飾り気いらねぇだろ」


「デリカシーのかけらもないわね。これでも商人の娘よ?身だしなみを整えるのは当然じゃない。それに、こういう小物一つで動きが変わったりするのよ。あなたの筋肉脳じゃ理解できないでしょうけどね」


「誰が筋肉脳だ!お前こそそんなヒラヒラした軽装でモンスターにぶっ飛ばされてもしらねぇぞ!」


探索者として初めての"外界"。浮き足立つ二人の声を背に、僕は目の前のとあるものを見つめていた。


"扉"。


それは、どこにでもあるドアノブがついただけの、シンプルな扉。なんのデザインもなく、普通のもの。


しかし、そこからは肌を指すような異様な圧が漏れ出している。


扉時代ドア・エイジ


はるか昔、突如として世界各地に出現したこの扉。当時の人々は皆その先に楽園を思い浮かべて潜っていったが、現実は無常だった。物理法則すら異なる未知の領域。当初、人類は銃火器や科学技術で挑んだものの、異常な環境とモンスターと呼ばれる原生生物の前になすすべもなく淘汰されたのだ。


しかし、絶望の時代を経て、攻略の光は見え始める。

生還した極小数の者たちが、外界に満ちる未知の粒子"魔素(エーテル)"を発見したのだ。この魔素(エーテル)を体内に取り込み適応した人間は、身体能力を爆発的に底上げし、さらには"異能"と呼ばれる超常の力を発現させていった。


以来、世界は一変した。


異能を始めとした個々の力がそのまま権力となる新たな社会階級が形成され、外界の開拓は国家事業として、多国籍組織"探索者組合(ギルド)"が統括するようになったのである。


今、この世界は僕たちが生活する"内界"と、怪物が蠢く"外界"に二分されている。


基本的には一般人の都合は固く禁じられているが、今回は指導役であるハインさんの提案もあり、比較的危険度の低い領域を探索することになった。現れるモンスターも、僕たちの実力であれば十分に討伐できるはずだ。


「いい、二人とも。今回向かうのは"深度"1。ギルドが定めた最も安全なエリアよ」


ロザリオが人差し指を立てて、釘を刺すように二人の顔を覗き込んだ。


「わーってるよ。……でもまあ、いずれはその先、もっと深いところまでいくんだよな」


ダンが大剣の柄に軽く触れ、扉の奥を見据える。


「もちろん。でも焦りは禁物。ギルドが定義する深度っていうのは、単なる距離じゃないもの」


(生存難易度を示す"絶対的な壁")


ロザリオの言葉に、僕は頭の中でギルドの教本を思い返した。


* 深度1(安寧の扉):一般の探索者が活動するエリア。魔素も薄く、身体能力の向上を実感できる「恵みの場」。

* 深度2(選別の扉):F〜Eランクの主戦場。ここからモンスターの生態が狂暴化する。

* 深度3(境界の扉):C〜Bランク向け。中級者でさえ数分で命を落とすこともある。

* 深度4(絶望の扉):Aランクのみが立ち入りを許される領域。物理法則が崩壊しており、酸素の代わりに猛毒の魔素が満ちているなどの様々な外的要因が侵入者を拒む。

* 深度5(神葬の扉):人類未到達、あるいは生存記録なし。


また、モンスターにつけられた危険度も同じく”深度”と呼ばれ、これに比例する。数年前、深度4モンスター"蒼龍"がとあるA級探索者によって討伐され、世間を騒がせたことは記憶に新しい。


ちらりと隣に並ぶ、ダンの顔を覗く。同じことを考えていたのか、彼は複雑な表情をわずかに見せるも、すぐに切り替えるように力強く頷いた。


「俺たちも、すぐに行くぞ」


「……行こう。三人で」


現在も偉業として語り継がれるあの光景。画面越しにそのニュースを見たとき、僕は一人の探索者として胸を熱くし、いつか自分もあの高みへ、と願わずにはいられなかった。




・・・・・・・・

・・・・・

・・・




「おーい、お前ら!」


少しずつ通行人が増え、ギルド前が活気づき始めた頃。背後から弾んだ声に呼び止められた。

振り返ると、そこには二十代半ばの男女が立っていた。馴染みのある顔に、僕は自然と背筋を伸ばしてお辞儀をする。


「カイルさん! リーザさん!」


ロザリオがぱっと顔を輝かせ、二人のもとへ駆け寄った。


二人は僕たちが探索者を始めたばかりの頃から何かと気にかけてくれている、頼れる兄貴分と姉貴分だ。まだ若手ながら、既にD級にまで到達している実力者でもある。


二人が繋いだ手、その薬指にお揃いの指輪が光っているのが見えた。確か、近々結婚を考えていると聞いていたけれど、本当に仲が良い。


「噂は聞いてるぜ! F級昇格、本当におめでとうな!」


「おめでとう、ヒューイくん、ダンくん、ロザリオちゃん。はい、これ……大したものじゃないんだけど、お祝いよ」


リーザさんが穏やかに微笑み、懐から三本の試験管を取り出した。手渡されたそれを、僕は反射的に受け取る。透明なガラスの中で、鮮やかな青の液体が美しく波打っていた。


「えっ……これって、最高級の回復薬ポーションじゃないですか!?」


一本で僕たちの報酬数ヶ月分は飛ぶ代物だ。驚愕する僕たちを尻目に、カイルさんは「へへん」と誇らしげに鼻を鳴らした。


「これから活躍する後輩への、ささやかな餞別ってことで。まあ、お前らなら大丈夫だと思うけど、念には念をだ!」


カイルさんは快活に笑うと、ダンの金の短髪をくしゃくしゃと乱暴に撫で回した。


「ちょ、やめてくださいよカイルさん!」


「ははは! お前ら、これから初探索だろ? 俺たちも同じ区域に向かう予定なんだ。向こうで会えたらよろしくな!」


二人は仲睦まじく肩を並べると、片手を上げて僕たちの横をすり抜けていく。そのまま迷いのない足取りで、ゲートの向こう側へと消えていった。


「……本当に、いい人たちだよな」


僕は去っていく二人の背中に深くお辞儀をした後、預かった瓶を一人ひとりに手渡した。掌に残るポーションの微かな熱は、二人の温かな優しさそのもののようだった。





・・・・・・・・

・・・・・

・・・




「私が最後ですね。お待たせしてしまってすみません」


時刻は午前八時を回る頃。活気づく広場を割るようにして、黒色の軽装に身を包んだハインさんがやってきた。

無駄を一切省いたその姿は、洗練された強者の機能美を体現しているようだったが、一つだけ、彼の装備には奇妙なこだわりがあった。

彼は、季節や場所に関わらず、常に指先までを覆う厚手の黒い手袋を嵌めているのだ。

重厚な長槍を握るその手元は、どれだけ激しく動いても、決して素肌が晒されることはない。


「おい、見ろよあれ、ハインじゃないか?」


「B級のトップランカーが、なんでこんな場所に……」


周囲の探索者たちが道を開け、畏怖の混じったざわめきが波紋のように広がっていく。

その圧倒的な存在感に、広場の空気は一変し、張り詰めた緊張感に支配された。


「ごほん」


ハインさんが短く咳払いをすると、喧騒がぴたりと凪いだ。

彼は手袋を嵌めた手で、慣れた手つきを槍の石突きを整える。そして僕たちに向かって、年上の兄のような柔らかく穏やかな微笑みを向けた。


「さて、予定の時間になりました。早速向かうとしましょうか。準備はいいですか、皆さん」


その凛とした問いかけに、僕たちは力強く頷いた。


扉の前で、ハインさんがふと僕の隣に並んだ。前を向いたまま口を開く。


「君の家のことは聞いていますよ」


「ーーーっ」


その言葉に、僕は思わず息を止めた。


「……今は、ただのヒューイです」


僕が視線を落として答えると、ハインさんは黒い手袋に包まれた手で、優しく僕の肩を叩いた。分厚い生地越しでも、彼の体温は驚くほど冷たく感じられた。


「家柄や適性なんて、扉の向こう側では意味を成しません。あそこにあるのは己の力だけ。君が何を捨てて、何を得ようとしているのか……今回の探索で、じっくり見せてください」


そう言って、彼は年上の兄のような、どこか物憂げで深い微笑みを浮かべた。力んだ肩の力が自然に抜ける。


「はい!よろしくお願いします、ハインさん」


僕は真っ直ぐに彼の瞳を見返した。


僕の力が、この世界に通用することを証明したい。そんな僕の決意を、ハインさんは試すような、あるいは慈しむような眼差しで受け止めていた。


「いい返事です。期待していますよ、()()()()さん」


ハインさんは満足げに頷くと、広場の中心にぽつんと佇む、古びたシンプルな扉へと歩み寄った。壁も何もなく、ただそこにあるだけの扉。そのドアノブに彼が手をかける。


「目的地は深度1領域――『エーテル大平原』。私が責任を持って、君たちを案内しましょう」


ハインさんが扉を押し開け、僕たちは真っ白な光の向こう側へと足を踏み入れた。内界の乾燥した空気が遠のき、湿気を含む魔素の粒子が肌を刺す。


冷たい空気の中で始まったこの旅が、単なる初探索で終わらない過酷な運命であることを、この時の僕はまだ知る由もなかった。




・・・・・・・・

・・・・・

・・・




扉を抜けた先に広がっていたのは、視界のすべてを白く染め上げる銀世界だった。


“エーテル大平原”


ギルドが定めた難易度は深度1。初心者向けの安全な領域として推奨されているが、ここは日付ではなく場所(区画)によって四季が固定されているという、極めて特殊な環境だ。

この特性ゆえに、平原では季節限定の農作物や特産品が一年を通じて収穫できる。扉の付近には、素材を狙う探索者だけでなく、商談に励む商人や、肥沃な大地を耕す農家たちの姿も多く、外界とは思えないほどの活気に溢れていた。また、出現するモンスターも深度1~2程度の比較的弱い個体のみであるため、牧畜さえも盛んに行われている。もちろんギルドが認めたものだけであるが。


「……さむっ。ねぇダン、その金ピカの防具貸しなさいよ。それだけ厚ければ断熱効果くらいあるでしょ」


「はあ?お前がそんな薄着で来るからだろうが。自業自得だ」


「動きやすさ重視って言いなさいよ!それに、いくら冬区画だからって、八月の真夏日にここまでの極寒だなんて思わないじゃない!」


赤髪を震わせ、自身の肩を抱きしめるロザリオに、僕は苦笑しながら鞄の奥に忍ばせていた予備の上着を差し出した。


「ほらロザリオ、これ着て。念のために持ってきてよかったよ」


「ありがと!さっすがヒューイ、用意周到じゃん!愛してる!」


「安い愛だな、おい」


「ヒューイ、前から言ってるがお前はこいつを甘やかしすぎだぞ?」


ダンが呆れたように鼻を鳴らす。そんな僕たちのやり取りを、ハインさんは少し後ろから、黒い手袋を嵌めた手を顎に添えて眺めていた。


「仲が良いのは結構ですが、気を引き締めてください。ここは内界の冬よりも遥かに厳しい。いくら深度1とはいえ魔素(エーテル)の干渉がある以上、油断は禁物です」


ハインさんの冷静な声が、浮ついた空気を引き締める。


真っ白な雪原に、僕たちの足跡が刻まれていく。足首まで埋まる雪の感触を確かめながら、僕は腰の剣に手をかけた。この穏やかな雪景色のどこかに、僕たちの初陣となる獲物が潜んでいる。


ざく、ざく。


雪を踏みしめながら歩くこと数分。先頭を歩いていたハインさんが、不意に立ち止まった。


「みなさん、止まってください」


その声に、知らずのうちに拳に力が入る。いよいよ常勝の誓いとしての初戦闘だ。


「それでは、ここは皆に任せてもいいでしょうか」


「余裕!」


ハインさんの問いかけに、ダンが真っ先に返事すると背負っていた大剣を引き抜いた。学園時代からずば抜けた剣術の成績を誇る彼の相棒である。ちなみに一度触らせてもらった時には重くて持ち上げるのがやっとだった。


「来るわよ!総員、戦闘準備!」


ロザリオの鋭い声が響いた。商人の娘として磨かれた彼女の鋭敏な感覚が、雪煙の向こうから迫る殺気をいち早く捉えていた。


ダンの金の短髪が冷たい風に煽られて揺れる。彼は身の丈ほどもある大剣を正眼に構え、雪を踏み抜いた。


その隣で僕は静かに呼吸を整える。真紅の瞳が白一色の視界の中で標的を冷静に追う。


直後、雪を蹴立てて姿を現したのは、巨躯を誇る深度1モンスター、突猪トッシシだ。白い剛毛を逆立てたその化け物は、獲物を確信したように低い咆哮を上げ、自慢の硬い頭部を突き出して猛進してきた。


「右っっ!!」


ロザリオが最適な射線を瞬時に見抜く。彼女が弓を引き絞り、解き放たれた一本の矢が空気を震わせた。矢は突猪の右前脚を正確に抉り、雪が赤く染まる。


『ぷぎいいいいいいいいいいいい』


激痛に咆哮を上げた突猪の軌道が、強引に右へと逸らされた。


「ーーおおぉぉッ!」


その隙を逃さず、ダンが咆哮と共に踏み込んだ。剛の力を大剣に乗せ、逸れた突進の衝撃を真正面から受け止める。凄まじい衝撃音が響き、ダンの足元の雪が円状に吹き飛んだ。


「ぐっっ!止まれっッッ!!」


ダンが大剣を跳ね除けるように押し返すと、突猪の巨大が強引に仰け反らされた。


生じる隙。


間髪入れず、ロザリオが二の矢を放つ。


今度は突猪の片目を潰し、その動きを完全に止めさせた。


「ヒューイ!」


能力上昇(ブースト)


ロザリオの快活な檄に応える代わりに、僕は自身の()()を発動させた。


肺の奥深くまで冷たい魔素を流し込み、細胞一つひとつを強制的に活性化させる。血管を駆け巡る熱い奔流が、僕の身体能力を劇的に引き上げた。


雪を蹴った瞬間、視界が加速し、僕は一筋の黒い影と化した。


「はぁッ!」


加速の勢いをすべて乗せ、手にした短剣が突猪の眉間へと吸い込まれる。物理限界を無視して突如として現れた速度に、魔物は反応することさえ許されない。


鋭い肉撃音が響き、剣先が突猪の脳天を正確に貫いた。巨躯は激しく雪を散らしながら地面に叩きつけられ、二度と動くことはなかった。


「しゃあぁぁぁ! やったぜヒューイ!」


ガッツポーズを決めたダンが満面の笑みで駆け寄り、左手を高く掲げた。僕はその手に力強くハイタッチを交わす。


「あー! ずるい、私も!」


木の上から飛び降りたロザリオも、赤髪を揺らしながら駆け寄ってくる。


なんだかんだと仲の良い二人を眺めていると、とん、と優しく背中を叩かれた。


「お疲れ様。素晴らしい連携でした」


背後で見守っていたハインさんが、穏やかな笑みを浮かべていた。


「驚きました。既にE級、いや、もしかするとD級の実力にまで届いているんじゃないでしょうか」


B級探索者であるハインさんからの高い評価に、僕たちの顔に自然と笑みが溢れる。


「ロザリオさんは、敵が臨戦態勢に入る頃には既に準備を終え、寸分狂わぬアシストをしていました。商人の娘らしい、戦況を見極める素晴らしい眼です。ダンさんは……その身のこなし、もしかして()()()()()()()()の剣術ではありませんか?」


「……ああ」


不意に家名を当てられたダンが、小さく返事して視線を逸らした。ハインさんは納得したように頷く。


「なるほど、道理で。キレのある、文句なしの一撃でした」


ハインさんは満足げに頷くと、最後に僕へと視線を向けた。その黒い手袋を嵌めた指先が、僕が構えていた短剣の軌道をなぞるように動く。


「そしてヒューイさん。君のその異能……驚きました。ただ身体を強化するだけでなく、魔素の燃焼効率が極めて高い。一瞬の爆発力なら、既に新人という枠を大きく踏み越えていますよ」


「ありがとうございます」


「君のその力は、どんな華やかな魔法よりも実戦的で、そして……美しい」


ハインさんは年上の兄のような、慈愛に満ちた眼差しで僕を見つめました。かつて「無能」と蔑まれ認められなかった僕の力を、この人は「美しい」と言ってくれた。その言葉は、冷え切った冬の空気の中で、僕の胸を熱く焦がした。


「総じてバランスの取れた、非常にいいパーティです。しっかりと経験を積めば、すぐに私のことなんて追い抜いてしまうでしょうね」


そう締めくくり、ハインさんは慈しむような笑顔を向けた。

自信がないわけではなかった。けれど、初めての外界での戦闘に、僕たちは自覚していた以上に緊張していたらしい。ハインさんの言葉に、力んでいた両手の指先がようやく解けていくのを感じた。


冷たい空気の中で、僕たちは自分たちの輝かしい未来を確信していた。


その後、しばらく探索が進み。


「おい、……冗談だろ」


ダンの押し殺したような声に、一行の足が止まった。『エーテル大平原』の冬区画、そのなだらかな丘を越えた先にある氷結した湖のほとり。そこに、深度一の平原には到底似つかわしくない威容が鎮座していた。

全長十メートルはあろうかという巨躯。雪よりもなお白い鱗に覆われたその姿は、伝説の龍を思わせるほどに神々しく、そして禍々しい。白龍蛇プラチナムサーペント。深度2の主とも呼ばれるその魔物は、額に埋め込まれた巨大な蒼い宝石を鈍く光らせ、侵入者たちを冷徹な眼差しで射貫いた。


「深度2の……。なんでこんな浅瀬に……!」


ロザリオが震える手で弓を握りしめる。商人の娘としての直感が、目の前の存在が自分たちの手に負える相手ではないと告げていた。僕もまた、真紅の瞳を細め、剣の柄を握る手に力を込める。空気が凍り付くような重圧が、三人の肺を圧迫した。


「下がっていてください。これは君たちの手には余ります」


静かな、しかし有無を言わせぬ響きを伴って、ハインさんが前に出た。彼は背負っていた長槍を滑らかに引き抜くと、流れるような動作で中段に構える。


「丁度良いですね。B級探索者の戦い方……その目に焼き付けておいてください」


直後、白龍蛇(プラチナムサーペント)が動いた。巨体に似合わぬ神速。大鎌のような尾が空気を切り裂き、ハインさんの頭上へと振り下ろされる。地面が爆ぜ、氷の礫が舞い散った。


だが、そこにハインさんの姿はない。


「遅いですね」


ハインの声が、白龍蛇の真横から響いた。いつの間にか懐に潜り込んでいた彼は、槍の石突きで地面を軽く叩くと、独楽のように旋回。その遠心力を乗せた一突きが、白龍蛇の鋼のような鱗を容易く貫いた。


『ジュラアアアアアアアアアアアアアアアァァァ!?』


凄まじい咆哮。白龍蛇は狂乱し、額の宝石を輝かせた。周囲の魔素が急速に集束し、氷の嵐が吹き荒れる。だが、ハインさんはその嵐の中を、まるで散歩でもするかのように優雅な足取りで進んでいく。


「無駄です」


ハインさんの槍が、舞い散る氷の刃をすべて叩き落とす。正確無比。無駄のない最小限の動き。


僕たちは言葉を失い、ただその背中を見つめていた。これが探索者の頂の世界。自分たちが目指すべき、圧倒的な実力の壁。


『ジュラアアアア!!』


白龍蛇が最後の一撃とばかりに、大口を開けて飛びかかった。その牙には致死の毒が滴っている。しかしーーー


「終わりです」


ハインさんの瞳が鋭く細められた。彼が槍を力強く踏み込むと、周囲の空気が一変した。全身の魔素が槍の穂先に集中し、眩い閃光となって解き放たれる。


閃光は白龍蛇の開かれた口内を通り抜け、後頭部へと突き抜けた。


沈黙。


巨木が倒れるような音を立てて、白龍蛇の巨体が雪原に沈んだ。額の宝石は輝きを失い、霧散していく。


「……すげぇ」


ダンが呆然と呟いた。ロザリオは息を呑み、僕はその光景を網膜に焼き付けていた。


ハインさんは槍を鮮やかに一回転させて背に収めると、何事もなかったかのように爽やかな笑顔で振り返った。


「さあ、今のうちに素材を回収しましょう。この宝石は高値で売れますからね。君たちの装備を新調する足しにしてください」


その優しさに、三人は心からの尊敬を込めて頷いた。





・・・・・・・・

・・・・・

・・・




白龍蛇との激闘——いや、ハインさんによる一方的な蹂躙を目の当たりにした後、僕たち一行は平原の冬区画でも特に見晴らしの良い丘に野営地を設営した。


「さあ、今日はもう休みましょう。初めての外界で、君たちは本当によくやりましたよ」


ハインさんの穏やかな声に促され、三人は温かいスープを囲んでいた。焚き火の爆ぜる音が、しんと静まり返った雪原に心地よく響く。


「……ねえ、さっきのハインさんの槍、凄かったね」


ロザリオが膝を抱え、焚き火の光を瞳に反射させながら呟いた。


「あんなに大きな蛇を、まるで踊るみたいに倒しちゃうなんて。私、もっと練習しなきゃ。商人の娘が趣味で弓を引いてるなんて、もう言わせないんだから」


「全くだ。俺も、……あれには驚いた」


ダンが悔しげに、しかし清々しい表情で大剣の鞘を撫でる。


僕は一人、暗闇の向こうを見つめていた。


「ああ。僕も、もっと力を引き出せるはず」


無意識のうちに拳に力が入る。


「ははは、君たちは向上心の塊ですね。大丈夫、私が保証します。君たちは必ず『常勝』の名の通り、誰も届かない場所へ行けます」


見回りから帰ってきたハインさんが優しく微笑み、三人の肩を叩く。その掌の温もりに、確かな絆と信頼を噛み締める。


「よし、明日はもっと奥まで行こう! カイルさんとリーザさんを驚かせてやるんだから!」


ロザリオの快活な宣言を合図に、三人はテントへと潜り込んだ。カイルさんたちからもらった高級な回復薬は、お守りのようにそれぞれの枕元に置かれている。


夜が更け、焚き火が炭火へと変わる頃。


三人の穏やかな寝息がテントの中に満ちていた。夢の中の彼らは、きっと深度5の向こう側、まだ誰も見たことのない景色を駆けていたに違いない。




・・・・・・・・

・・・・・

・・・




翌朝。


テントを片付け、見回りに行っていたハインさんと合流するために周辺を歩いていた僕たちは、その光景を前にして、思考のすべてを停止させた。


「は?」


最初に漏れたのは、誰の口から出たのかもわからない、掠れた声だった。

辺りには、それまでの外界の清涼な空気とは程遠い、鼻を突くような腐肉の異臭が漂っている。

視界に飛び込んできたのは、白銀の平原にぶちまけられた、どす黒い赤の飛沫。美しかった雪景色は、暴力的なまでの色彩によって無慈悲に塗り潰されていた。


「ーーーーーーーーーーーーーーは?」


二度目の声は、悲鳴にすらならなかった。


そこに横たわっていたのは、変わり果てた姿となったハインさんの()()だった。


昨日まで僕たちの前で軽やかに槍を振るっていた、あの凛々しいB級探索者の面影はどこにもない。

手袋に包まれていたはずの両腕はあらぬ方向へ折れ曲がり、その先は無残に失われている。

誇り高く前を見据えていた顔は、何か巨大な力に蹂躙されたかのようにひどく歪み、焦点の合わない瞳は、ただ虚空を仰いで白く濁っていた。


「嘘……だろ……?ハイン、さん……?」


ダンの震える声が、静寂に沈んだ雪原に虚しく響く。

ロザリオはあまりの衝撃に言葉を失い、膝から崩れ落ちて口元を両手で覆った。

つい数時間前まで、彼は僕たちに「輝かしい未来」を語ってくれていたはずだ。

その彼が、なぜ。

これほどまでの実力者を、たった一晩で、これほどまでに無残に食い千切れる存在が、この深度1の平原にいるというのか。

絶望が、冷たい冬の風と共に僕たちの背筋を駆け抜けた。


この瞬間、僕たちの「常勝」の夢は、一瞬にして鮮血の奈落へと突き落とされた。

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