19. 一鬼闘千
「ジーナ」
「はっ」
突如戦場と化した中央通りで、真っ先に動いたのはヴァイス・シャッハ“騎士”ジーナ=ハリスティンだった。
純白の鎧に身を包んだ彼女は、いつの間にか傍らに現れていた、同じく白の装甲に覆われた戦馬へと迷いなく跨がる。
それは生きた馬ではない。
聖女の祝福《盤上ノ遊戯》によって騎士に与えられた、“駒”。
王宮のバルコニーから飛び降りた瞬間、
ジーナと白馬は一体となって地を駆けた。
石畳に深く刻まれる蹄跡。
一歩ごとに速度が跳ね上がる。
その様は、もはや騎乗ではなく一本の矢。
人で埋め尽くされた通りを駆け抜け、上がり続ける速度。
やがて銀の線と化したジーナは、低く身を沈め、
長槍を両手で構え、正面へ突き出す。
その瞬間、彼女の意識が研ぎ澄まされた。
(……相手は王都騎士団副団長、ロイス=ヴァルフリート)
これまで何かと目をかけてきた男の姿が脳裏をよぎる。
剣の握り。足運び。間合い。
才能はある。
剣も、判断も悪くない。
まだまだ伸びる。
だが、今は粗い。
性格は真面目で、嫌いではなかった。
むしろ弟のように感じるほどに気に入っていた。
だからこそ――
(ここで止める。正面から、聖女様の騎士として)
誓いと共に、ジーナの異能が解き放たれた。
「《神速騎士槍》!」
踏み込みと同時に、世界が歪む。
槍の突きに限り、距離・慣性・反応速度の概念を短縮する異能。
距離が潰れ、
音が遅れ、
“速度”だけが切り離される。
回避不能。
防御不能。
正面から放たれる、正義の神速。
余波で周囲の建物がひび割れ、逃げ遅れた人々が吹き飛ぶ。
反応が追いついていないのか、ロイスはその場に立ち尽くしたまま。
(……すまない、ロイス)
一瞬だけ、胸の奥が軋んだ。
本来なら、ここで刃を向ける相手ではない。
(だが――)
聖女の名が脳裏をよぎる。
(私は駒だ。使命を優先する)
情を断ち切るように、視線を鋭くする。
(ここで終わらせる)
確信と共に放たれた、全力の一突き。
――仕留めた。
そう確信した、
だが。
「なんだ、この程度か」
ロイスは一歩も動くことなく、大剣の先を寸分狂わず合わせ、完全に止めていた。
「……は?」
白馬ごと、空中で静止する。
時間が止まったかのように、
ジーナの思考だけが遅れていく。
およそ三キロを加速に費やした渾身の一撃。
それが、何気ない一振りと“釣り合っている”。
(馬鹿な!?!?)
《神速騎士槍》は、正面から敗れたことがない。
技でも。
判断でも。
覚悟でも。
負ける理由など、存在しないはずだった。
呆然とするジーナに、ロイスは淡々と言う。
「あんたらヴァイス・シャッハにも、力の差があるんだな」
黒い瞳が、刺すように向けられる。
「これならイヴァンの方が、よっぽど強い」
そして、追い打ちのように。
「で?これで終わりか。ジーナ=ハリスティン団長」
煽りではない。
事実確認の声音。
それを理解した瞬間、
ジーナの内側で何かが弾けた。
「舐めるなッ!!」
白馬の上から、息もつかせぬ連続の突きが放たれる。
一撃ごとに急所を正確に捉え、その勢いは衰えるどころか、むしろ加速していく。
だが――
そのすべてが、ロイスの大剣に阻まれた。
長槍と大鉈が、音もなく噛み合う。
限界まで重量を削ぎ落とし、速度に特化した槍。
それと同じ速さで振るわれる、ありえない質量の大鉈。
両者の刃が、寸分の狂いもなく連続で衝突する。
「前から、なんとなく思ってた」
ロイスの声は低く、感情の起伏がない。
「あんたの、その無意識に見下す目。正直、うざいんだよ」
攻めない。押し返さない。
ただ、すべてを“受け止める”。
それだけで示される、埋めようのない差。
数十秒が過ぎる。
ジーナの呼吸は次第に荒くなり、
白馬の上で体勢がわずかに揺れ始める。
対するロイスは、
最初から最後まで、何ひとつ変わらない。
「認めたくねえよなぁ」
淡々とした声音。
「軽く仕留めるつもりだったんだろ。
格の違いを見せつけるだけで済むと」
ジーナの瞳がわずかに揺れる。
「たしかに数時間前まで、俺は、あんたに届かなかった」
その瞬間、ロイスの視線が初めて、真正面からジーナを射抜いた。
逃げ場のない、真っ直ぐな眼。
「でもな」
その一言だけで、空気が重く沈む。
「俺はもう――そこには、いない」
理解できない。
したくない。
だが、身体が理解してしまっている。
槍を握る腕が、微かに震える。
「努力だの、才能だの……そんな話じゃねえ」
ロイスは、止めたままの大剣をわずかに押し返す。
それだけで、ジーナの全身に軋むような圧が走った。
――重い。
だがそれは、単なる力の差ではない。
空気が、空間そのものが、歪んでいる。
息が詰まる。
肺が圧され、骨の内側が鳴る。
そして、違和感に気づいた。
(……声が)
ロイスのものと、どこか噛み合わない。
額の角が、じわりと熱を帯び、
薄暗い黄金色の光が滲み出す。
「今、ぬしが直面している事実こそ、
この世に蔓延る不条理」
――それは、ロイスの声ではなかった。
重なって響く、もう一つの声。
底なしの闇から滲み出すような響きに、
数え切れない怨嗟が絡みついている。
「ッ……!」
言葉にならない圧が叩きつけられ、ジーナは思わず息を詰めた。
鎧の内側を、冷たい汗が一気に流れ落ちる。
「力ある者は、容赦なく上に立つ。
力なき者は、ただ従うしかない。
それが、どれほど理不尽であろうとも――
それこそが、この世の理だ」
淡々とした断罪。
だが、その言葉は、刃となって胸に突き刺さる。
「……それこそが、ぬしらがやってきたことだ」
近くにいるはずの敵が、ひどく遠く感じられた。
目の前の男のことは知っている。
歴代最年少で王都騎士団副団長に選ばれた才覚――それは確かだった。
だが、それでも“優秀な後進”という認識でしかなかった。
自分やイヴァン達とは、決定的な壁がある。
そう疑いもしなかった。
――それが、どうだ。
外見も、武器も、纏う空気すら。
ほんの数日前に見たロイスとは、まるで別の存在だった。
(……勝てない)
聖女や“正義執行”が放つ、
圧倒的な格上の存在に対峙したときと同じ感覚。
強者と弱者が、強者と弱者へ。
わずか数日の間に、
その立場が――完全に、入れ替わっている。
加えて、そこにあるのは覆ることのない圧倒的な差。
「……ふざ、けるな」
喉の奥から、擦れ切った声がこぼれ落ちた。
怪物だの、化け物だの。
そんな言葉で、この現実を片付けられてたまるか。
――私は。
――私はヴァイス・シャッハだ。
正面から、正々堂々。
誰よりも速く、誰よりも高く。
そうやって“騎士”として剣を磨き、積み上げてきた。
(違う……)
胸の奥で、必死に言い聞かせる。
(私は、まだ負けていない)
ジーナは歯を食いしばり、槍を握り直した。
指先に伝わる微かな震えを、力任せにねじ伏せる。
それは闘志ではなく、
崩れ落ちそうな誇りを繋ぎ止めるための、最後の抵抗だった。
その瞬間、ふと脳裏をよぎった。
――稽古場。
――少し不器用だが、真面目に剣を振る銀髪の青年。
「力任せになるな。前を見るな、相手の“次”を見ろ」
そう言って、背中を叩いた記憶。
(……ロイス)
自然と、その名を呼びかけそうになって、
そこで、はっきりと理解した。
今、目の前に立っているのは、
かつて自分が導いた“部下”ではないということを。
気づいてしまったのだ。
技量の問題じゃない。
異能の差でもない。
――自分はもう、測る側じゃない。
測られる側だと。
ぞくり、と。
背筋を、冷たいものが這い上がった。
「……っ」
喉が詰まり、言葉にならない。
誇りが、音も立てずに崩れ落ちていった。
(ありえない……!
こんな都合のいい展開が、あるはずがない!)
それでも。
砕けきらなかった、最後の欠片。
僅かに残ったプライドと正義感が、彼女を無理やり立ち上がらせた。
(この男を、聖女様の元に、行かせるわけにはいかない!!)
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
戦闘が始まってから、最も鋭い一突き。
空気を切り裂き、唸りを上げながらロイスへ迫る。
(これで――終われ……!)
その願いは、届かない。
ロイスは、微動だにしなかった。
表情も、呼吸も、何ひとつ変わらない。
静かに、あまりにも静かに、手刀を作る。
次の瞬間。
槍は、横合いから叩き折られた。
「――――ッ!!」
乾いた衝撃だけが走り、
手応えの消えた感触が、遅れてジーナを打つ。
それでも。
切り替えの早さだけは、さすがだった。
反射的に、先端を失った柄を突き出す。
「シッ!」
――並の相手なら、ここで終わっていた。
そう信じてきたし、実際そうだった。
だが。
目の前にいる存在は、
最初から“その枠”にいなかった。
ジーナの敗因は、ただ一つ。
ロイス=ヴァルフリートという男を、
最後の最後まで、測り違えたこと。
「……がっかりだ、ジーナ=ハリスティン」
感情の揺れひとつない声音。
「結局、最後まで――
“俺を下に見たまま”だったな」
言い切った瞬間、
ロイスの意識はすでに、次の敵へと移っていた。
ジーナの姿はもはや視界にすら入っていない。
そして、淡々と。
「――二人目」
大鉈が、正面から振り下ろされた。
銀の長髪と黒いコートが、風に煽られて靡く。
足元には、砕けた純白の鎧とともに、白目をむいて倒れるジーナの姿があった。
「……こんなものか」
吐き捨てるように言い、ロイスはもう振り返らない。
「次」
その一言で、兵士たちはようやく理解した。
目の前の男は――本気で、聖女を狙っている。
騒然となる戦場の只中を、ロイスは歩き出す。
焦りも、躊躇もない。
まるで最初から、この道を通ると決めていたかのように。
コツ。
コツ。
コツ。
やけに大きく響く足音だけが、場を支配する。
その堂々たる歩みに、兵士たちの足がすくむ。
誰も、剣を構え直すことができない。
――いや、違う。
構えようとする前に、
身体が勝手に退いていた。
まるで、
抗うという選択肢そのものが最初から存在しなかったかのように。
気づけば、兵士たちは道を空けていた。
自らの任務も、誇りも、その場に置き去りにして。
それはさながら、
海が割れるような光景。
ただ一人の男を通すために、
人の群れが、沈黙とともに左右へ退いていく。
そのまま進んでいくと、道の先に一人の人物が立っていた。
純白の鎧。
だがそれは剣を振るう騎士のものではない。
魔法使いのローブを思わせる流線的な意匠で、装甲というより儀式装束に近い。
手にしているのは長い杖。
木製と思しきその杖には、蔦のような彫刻が絡み合い、先端には五色の鉱石が埋め込まれている。
赤、青、緑、黄、白――それぞれが淡く脈打つように輝いていた。
ヴァイス・シャッハ
“僧正”エルダー=シャルマーク。
聖教会最高責任者。
白光衛生隊隊長。
そして、王都随一の魔法使い。
ロイスは歩みを止め、軽く首を傾ける。
「……エルダー。次はあんたか」
エルダーは微笑を浮かべたまま、杖に体重を預ける。
「遠目から見た時にも思いましたが……」
視線が角と大鉈、そして闇を纏うロイスの全身をなぞる。
「随分と様変わりしましたね」
一拍置いて、穏やかな声のまま続ける。
「口調も、佇まいも。
聖宮殿の廊下でお会いした時はもっと真面目で、従順な騎士だったはずですが」
「悪いな。どうやら人の枠から、はみ出しちまった」
低く、掠れたロイスの声が落ちる。
言い訳でも、冗談でもない。
事実を淡々と告げるだけの響きだった。
「それはそれは」
エルダーは目を細め、どこか芝居がかった調子で頷いた。
「……心中、お察ししますよ」
その言葉とは裏腹に、
エルダーの杖が、すっと持ち上がる。
五色の鉱石が一斉に煌めき、空気がひやりと冷える。
魔力の密度が、目に見えるほどに高まっていく。
ロイスは、その様子を一瞥し、鼻で笑った。
「ハッ……」
低く、吐き捨てるような声。
細めた視線が、正面からエルダーを射抜く。
「……嘘くせえ」
言い切ると同時に、足が前へ出る。
「――どけよ、エルダー」
歩みを止める気はない。
ロイスはそのまま、大鉈を構えた。
その瞬間。
「《聖域》」
エルダーの低い詠唱と同時に、ロイスの周囲が真っ白な光に呑み込まれた。
視界が白む。
音が、遠のく。
――違う。
目眩でも、幻覚でもない。
(……来ねえ)
胸の奥で絶えずざわついていた感覚。
危険を告げるはずの、研ぎ澄まされた第六感が――沈黙している。
(異能を封じる……結界か)
そう、理解した刹那。
背後の気配が、跳ねた。
白い光の縁を裂くように、
一つの影が躍り出る。
短剣。
狙いは首筋。
迷いはなく、殺気すら研ぎ落とされている。
フェイルーン。
王都の裏を取り締まる暗部の長。
ヴァイス・シャッハが一角、“歩兵”。
正面で縛り、
背後から確実に殺す。
(……なるほど)
ロイスは、わずかに口角を上げた。
(悪くはない連携、だがーー)
感覚を奪われた世界で、迫る刃を前に、ロイスは半歩だけ踏み出す。
次の瞬間、
白い光の中で、金属が擦れる音が鳴り響いた。
一閃。
高速で繰り出された横凪の斬撃は、正確無比に対象の首筋を捉え――
空を切った。
「おいおい……まじか!?」
視覚外からの完璧な不意打ちが不発に終わる。
低く身を屈めたロイスの視界の端に、
純白の軽装鎧が映る。
脳裏をよぎるのは、
壁際に立っていた、あの“意識に残らない立ち方”。
「会議ぶりだな、副団長」
軽い声。
戦場には不釣り合いなほど、事務的で、淡々とした響き。
「殺りあうのは二度目だけどな、暗部隊長」
名前を呼ぶ必要すらなかった。
短剣が、音もなく構え直される。
間合いは、あの時と同じ三歩。
――踏み込めば、即、刃が届く距離。
「……守られる側が、常に守る価値があるとは限らない――以前俺に言ったセリフだが、あんたは、どう思う?」
フェイルーンは一瞬、黙った。
その視線が揺れ、答えを探すように彷徨う。
「……」
沈黙を破ったのは、ロイスだった。
大鉈を握り直し、低く吐き出す。
「価値なんて関係ねえ。守るかどうかを決めるのは、俺だ」
短く、冷たく、迷いのない声。
かつての従順な騎士は、もうそこにはいない。
フェイルーンは、ほんの一瞬だけ黙った。
「変わったな、ロイス」
「いや、変わったのは――世界だ」
ロイスは大鉈を握り直す。
握り締める指先に、重力をもねじ伏せるような力が宿る。
大鉈を振り上げるわずかな動きだけで、周囲の空気が震え、視界の白が微かに歪む。
その瞬間。
どろり、と闇が溢れ、聖域の白を塗り潰した。
純白は墨を流し込まれたように歪み、砕け散る。
――エルダーの《聖域》が、消える。
能力制限の感覚が、完全に消失した。
「……なっ!?」
驚きの声を漏らすエルダーは、杖を握り直し、身体を一歩後ろへ引く。
「……うそだろ」
冷静さを装うフェイルーンの声に、わずかに引きつる様子が混じる。
生じた隙。
ロイスは、ためることなく大鉈を突き出した。
瞬間。
「プロテクト!」
青白い粒子が空中に集束し、二人の間に光の壁が展開される。
重い衝撃音と共に、大鉈が弾かれた。
同時に、視界の端で杖を突き出すエルダーの姿が映る。
その周囲に浮かぶ無数の光の矢。
「ホーリーランス!」
詠唱と同時に、至近距離から光の乱射が放たれる。
避ける間も与えぬ、圧倒的な魔法の暴力。
さらに挟み込むように、反対側。
体勢を整え短剣を構えたフェイルーンが、
光の盾を前に突撃する。
実力者同士の連携。
先鋒であるジーナの敗北、そして今の一瞬の攻防――
二人は、すでに理解していた。
――この男は、格上である、と。
「ふん」
だが、
それでもなお、二人の認識は甘かった。
ロイスは、心底くだらなさそうに短く息を吐く。
両手で大鉈を強く握り締め、地を踏み込む。
そのまま、その場で横に回転すると――
まるで意思を宿したかのように、大鉈の血管が脈打ち、刃が異様に伸びていく。
三メートル、四メートル――
常識を踏み越えた、殺戮の刃。
「なっ――」
「っ!」
二人の攻撃が届くよりも、わずかに早く。
伸びきった大鉈が、フェイルーンの胴を光の盾ごと両断した。
それでも、回転は止まらない。
大鉈は空気を切り裂き、降り注ぐ光の矢をことごとく叩き落とす。
その衝撃が、空間ごと揺れるように伝わる。
そのまま、圧倒的な速度でエルダーへ肉薄する。
胸元を捉えた刃先が、鎧を押し裂き、深く抉る。
血飛沫が舞い、光と影の間で赤が瞬く。
エルダーは咄嗟に後方へ跳び、即死は免れた。
しかし、空中での短い時間も息を整えるには足りず、心臓は早鐘を打つ。
その頭上、影が覆い被さる。
世界が圧縮されるかのような気配。
視線を上げれば――
元の長さに戻った大鉈を両手で握り、上段に振りかぶるロイス。
隆起する腕の筋肉。
小刻みに震える刃。
それは、かつての同胞が放った、あの奥義の構え。
「ロイス……貴方は、やはり選定――」
「業雷」
言葉は、最後まで許されなかった。
赤黒いスパークを纏った鉄槌が、エルダーの身体を縦に切り裂く。
轟音。
王都全体が大きく揺れ、ガラスが割れ、城壁の一部が崩れ落ちる。
やがて揺れが収まり、立ちこめていた砂埃が晴れたその場所に――
立っていたのは、ただ一人。
血と闇を纏った鬼人だけだった。
人々のざわめきが、波のように広がっていく。
だがロイスは、
足元に転がる二人の骸に目を向けることもなく、関心を示さなかった。
視線の先にあるのは、ただ一つ。
王宮前。
血と瓦礫の向こうで、変わらぬ笑みを浮かべて立つ聖女。
その姿だけを、真っ直ぐに射抜く。
「――高みの見物は、もう終わりだ」
低く、腹の底から絞り出すような声。
次の瞬間、天を裂く咆哮が轟く。
「すぐにぶっ飛ばしてやるよ……
ユディ=ポルガーノォォォォォォォッ!!」
それは叫びではなく――
“この世界そのものへの宣告”だった。
ここに来るまで押し殺されていた怨嗟が、
堰を切ったように噴き出す。
ロイスの周囲に、無数の骸が蠢く幻が、
兵士たちの脳裏に焼き付く。
あまりにも濃密な殺意。
息が詰まり、足が震え、
剣を握る手から、力が抜け落ちる。
「……な、何だ、あれは……」
一人の兵士が声を漏らす。
次の瞬間、別の兵士も同じ言葉を繰り返す。
声は震え、嗄れ、誰もが口をつぐむ。
ざわめきが波のように広がる。
互いの顔を見れば、眼の奥に同じ恐怖が宿っている。
理解できない存在が、目の前で現実として暴れている――
それだけで、理性は押し潰される。
力が支配する理不尽な世界において、
その秩序そのものに牙を剥く――
理解の及ばぬ異端の存在。
兵士たちは、ようやくその異質さを肌で感じ取った。
一歩、足を踏み出すことすら躊躇い、
誰もが無言のまま、ただ立ち尽くすしかなかった。
「おい……エルダー様まで、やられたぞ……」
「そ、そんな……フェイルーン様も……」
「……化け物だ……」
士気が、音を立てて崩れていく。
銀星近衛団団長 ジーナ=ハリスティン。
暗部隊長 フェイルーン。
白光衛生隊隊長 エルダー=シャルマーク。
王都が誇る“切り札”が、立て続けに叩き伏せられた事実が、
恐怖となって兵士たちを縛り付ける。
「――どけ」
ロイスの声は、冷え切っていた。
「邪魔する奴は、殺す」
それだけ言い残し、
ロイスは地を蹴った。
先程までの静寂は、完全に消え失せる。
剥き出しになった殺意が、
戦場そのものを塗り潰していく。
咄嗟に前へ出たのは、腕に覚えのある者だけだった。
しかし、その判断こそが誤りだったかのように、彼らは次々と宙へ放り出される。
血と悲鳴を置き去りにしながら、
ロイスはただ前へ進む。
――その先にいる“聖女”だけを、殺すために。




