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異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.2 聖女
19/22

19. 一鬼闘千

「ジーナ」


「はっ」


突如戦場と化した中央通りで、真っ先に動いたのはヴァイス・シャッハ“騎士(ナイト)”ジーナ=ハリスティンだった。


純白の鎧に身を包んだ彼女は、いつの間にか傍らに現れていた、同じく白の装甲に覆われた戦馬へと迷いなく跨がる。


それは生きた馬ではない。

聖女の祝福《盤上ノ遊戯》によって騎士(ナイト)に与えられた、“駒”。


王宮のバルコニーから飛び降りた瞬間、

ジーナと白馬は一体となって地を駆けた。


石畳に深く刻まれる蹄跡。

一歩ごとに速度が跳ね上がる。


その様は、もはや騎乗ではなく一本の矢。


人で埋め尽くされた通りを駆け抜け、上がり続ける速度。


やがて銀の線と化したジーナは、低く身を沈め、

長槍を両手で構え、正面へ突き出す。


その瞬間、彼女の意識が研ぎ澄まされた。


(……相手は王都騎士団副団長、ロイス=ヴァルフリート)


これまで何かと目をかけてきた男の姿が脳裏をよぎる。

剣の握り。足運び。間合い。


才能はある。

剣も、判断も悪くない。


まだまだ伸びる。

だが、今は粗い。


性格は真面目で、嫌いではなかった。

むしろ弟のように感じるほどに気に入っていた。


だからこそ――


(ここで止める。正面から、聖女様の騎士(ナイト)として)


誓いと共に、ジーナの異能が解き放たれた。


「《神速騎士槍ディオス・ランス》!」


踏み込みと同時に、世界が歪む。


槍の突きに限り、距離・慣性・反応速度の概念を短縮する異能。


距離が潰れ、

音が遅れ、

“速度”だけが切り離される。


回避不能。

防御不能。


正面から放たれる、正義の神速。


余波で周囲の建物がひび割れ、逃げ遅れた人々が吹き飛ぶ。


反応が追いついていないのか、ロイスはその場に立ち尽くしたまま。


(……すまない、ロイス)


一瞬だけ、胸の奥が軋んだ。

本来なら、ここで刃を向ける相手ではない。


(だが――)


聖女の名が脳裏をよぎる。


(私は駒だ。使命を優先する)


情を断ち切るように、視線を鋭くする。


(ここで終わらせる)


確信と共に放たれた、全力の一突き。


――仕留めた。


そう確信した、


だが。






「なんだ、この程度か」



ロイスは一歩も動くことなく、大剣の先を寸分狂わず合わせ、完全に止めていた。


「……は?」


白馬ごと、空中で静止する。


時間が止まったかのように、

ジーナの思考だけが遅れていく。


およそ三キロを加速に費やした渾身の一撃。

それが、何気ない一振りと“釣り合っている”。


(馬鹿な!?!?)


神速騎士槍ディオス・ランス》は、正面から敗れたことがない。


技でも。

判断でも。

覚悟でも。


負ける理由など、存在しないはずだった。


呆然とするジーナに、ロイスは淡々と言う。


「あんたらヴァイス・シャッハにも、力の差があるんだな」


黒い瞳が、刺すように向けられる。


「これならイヴァンの方が、よっぽど強い」


そして、追い打ちのように。


「で?これで終わりか。ジーナ=ハリスティン団長」


煽りではない。

事実確認の声音。


それを理解した瞬間、

ジーナの内側で何かが弾けた。


「舐めるなッ!!」


白馬の上から、息もつかせぬ連続の突きが放たれる。

一撃ごとに急所を正確に捉え、その勢いは衰えるどころか、むしろ加速していく。


だが――

そのすべてが、ロイスの大剣に阻まれた。


長槍と大鉈が、音もなく噛み合う。


限界まで重量を削ぎ落とし、速度に特化した槍。

それと同じ速さで振るわれる、ありえない質量の大鉈。


両者の刃が、寸分の狂いもなく連続で衝突する。


「前から、なんとなく思ってた」


ロイスの声は低く、感情の起伏がない。


「あんたの、その無意識に見下す目。正直、うざいんだよ」


攻めない。押し返さない。

ただ、すべてを“受け止める”。


それだけで示される、埋めようのない差。


数十秒が過ぎる。


ジーナの呼吸は次第に荒くなり、

白馬の上で体勢がわずかに揺れ始める。


対するロイスは、

最初から最後まで、何ひとつ変わらない。


「認めたくねえよなぁ」


淡々とした声音。


「軽く仕留めるつもりだったんだろ。

 格の違いを見せつけるだけで済むと」


ジーナの瞳がわずかに揺れる。


「たしかに数時間前まで、俺は、あんたに届かなかった」


その瞬間、ロイスの視線が初めて、真正面からジーナを射抜いた。


逃げ場のない、真っ直ぐな眼。


「でもな」


その一言だけで、空気が重く沈む。


「俺はもう――そこには、いない」


理解できない。

したくない。

だが、身体が理解してしまっている。


槍を握る腕が、微かに震える。


「努力だの、才能だの……そんな話じゃねえ」


ロイスは、止めたままの大剣をわずかに押し返す。


それだけで、ジーナの全身に軋むような圧が走った。


――重い。


だがそれは、単なる力の差ではない。

空気が、空間そのものが、歪んでいる。


息が詰まる。

肺が圧され、骨の内側が鳴る。


そして、違和感に気づいた。


(……声が)


ロイスのものと、どこか噛み合わない。


額の角が、じわりと熱を帯び、

薄暗い黄金色の光が滲み出す。


「今、ぬしが直面している事実こそ、

 この世に蔓延る不条理」


――それは、ロイスの声ではなかった。


重なって響く、もう一つの声。

底なしの闇から滲み出すような響きに、

数え切れない怨嗟が絡みついている。


「ッ……!」


言葉にならない圧が叩きつけられ、ジーナは思わず息を詰めた。

鎧の内側を、冷たい汗が一気に流れ落ちる。


「力ある者は、容赦なく上に立つ。

 力なき者は、ただ従うしかない。

 それが、どれほど理不尽であろうとも――

 それこそが、この世の理だ」


淡々とした断罪。

だが、その言葉は、刃となって胸に突き刺さる。


「……それこそが、ぬしらがやってきたことだ」


近くにいるはずの敵が、ひどく遠く感じられた。


目の前の男のことは知っている。

歴代最年少で王都騎士団副団長に選ばれた才覚――それは確かだった。


だが、それでも“優秀な後進”という認識でしかなかった。

自分やイヴァン達とは、決定的な壁がある。

そう疑いもしなかった。


――それが、どうだ。


外見も、武器も、纏う空気すら。

ほんの数日前に見たロイスとは、まるで別の存在だった。


(……勝てない)


聖女や“正義執行”が放つ、

圧倒的な格上の存在に対峙したときと同じ感覚。


強者(ジーナ)弱者(ロイス)が、強者(ロイス)弱者(ジーナ)へ。


わずか数日の間に、

その立場が――完全に、入れ替わっている。


加えて、そこにあるのは覆ることのない圧倒的な差。


「……ふざ、けるな」


喉の奥から、擦れ切った声がこぼれ落ちた。


怪物だの、化け物だの。

そんな言葉で、この現実を片付けられてたまるか。


――私は。

――私はヴァイス・シャッハだ。


正面から、正々堂々。

誰よりも速く、誰よりも高く。

そうやって“騎士”として剣を磨き、積み上げてきた。


(違う……)


胸の奥で、必死に言い聞かせる。


(私は、まだ負けていない)


ジーナは歯を食いしばり、槍を握り直した。

指先に伝わる微かな震えを、力任せにねじ伏せる。


それは闘志ではなく、

崩れ落ちそうな誇りを繋ぎ止めるための、最後の抵抗だった。


その瞬間、ふと脳裏をよぎった。


――稽古場。

――少し不器用だが、真面目に剣を振る銀髪の青年。


「力任せになるな。前を見るな、相手の“次”を見ろ」


そう言って、背中を叩いた記憶。


(……ロイス)


自然と、その名を呼びかけそうになって、

そこで、はっきりと理解した。


今、目の前に立っているのは、

かつて自分が導いた“部下”ではないということを。


気づいてしまったのだ。


技量の問題じゃない。

異能の差でもない。


――自分はもう、測る側じゃない。


測られる側だと。


ぞくり、と。

背筋を、冷たいものが這い上がった。


「……っ」


喉が詰まり、言葉にならない。


誇りが、音も立てずに崩れ落ちていった。


(ありえない……!

 こんな都合のいい展開が、あるはずがない!)


それでも。


砕けきらなかった、最後の欠片。

僅かに残ったプライドと正義感が、彼女を無理やり立ち上がらせた。


(この男を、聖女様の元に、行かせるわけにはいかない!!)


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


戦闘が始まってから、最も鋭い一突き。

空気を切り裂き、唸りを上げながらロイスへ迫る。


(これで――終われ……!)


その願いは、届かない。


ロイスは、微動だにしなかった。

表情も、呼吸も、何ひとつ変わらない。


静かに、あまりにも静かに、手刀を作る。


次の瞬間。


槍は、横合いから叩き折られた。


「――――ッ!!」


乾いた衝撃だけが走り、

手応えの消えた感触が、遅れてジーナを打つ。


それでも。


切り替えの早さだけは、さすがだった。

反射的に、先端を失った柄を突き出す。


「シッ!」


――並の相手なら、ここで終わっていた。

そう信じてきたし、実際そうだった。


だが。


目の前にいる存在は、

最初から“その枠”にいなかった。


ジーナの敗因は、ただ一つ。


ロイス=ヴァルフリートという男を、

最後の最後まで、測り違えたこと。


「……がっかりだ、ジーナ=ハリスティン」


感情の揺れひとつない声音。


「結局、最後まで――

 “俺を下に見たまま”だったな」


言い切った瞬間、

ロイスの意識はすでに、次の敵へと移っていた。


ジーナの姿はもはや視界にすら入っていない。


そして、淡々と。


「――二人目」


大鉈が、正面から振り下ろされた。







銀の長髪と黒いコートが、風に煽られて靡く。

足元には、砕けた純白の鎧とともに、白目をむいて倒れるジーナの姿があった。


「……こんなものか」


吐き捨てるように言い、ロイスはもう振り返らない。


「次」


その一言で、兵士たちはようやく理解した。

目の前の男は――本気で、聖女を狙っている。


騒然となる戦場の只中を、ロイスは歩き出す。

焦りも、躊躇もない。

まるで最初から、この道を通ると決めていたかのように。


コツ。


コツ。


コツ。


やけに大きく響く足音だけが、場を支配する。


その堂々たる歩みに、兵士たちの足がすくむ。

誰も、剣を構え直すことができない。


――いや、違う。


構えようとする前に、

身体が勝手に退いていた。


まるで、

抗うという選択肢そのものが最初から存在しなかったかのように。


気づけば、兵士たちは道を空けていた。

自らの任務も、誇りも、その場に置き去りにして。


それはさながら、

海が割れるような光景。


ただ一人の男を通すために、

人の群れが、沈黙とともに左右へ退いていく。


そのまま進んでいくと、道の先に一人の人物が立っていた。


純白の鎧。

だがそれは剣を振るう騎士のものではない。

魔法使いのローブを思わせる流線的な意匠で、装甲というより儀式装束に近い。


手にしているのは長い杖。

木製と思しきその杖には、蔦のような彫刻が絡み合い、先端には五色の鉱石が埋め込まれている。

赤、青、緑、黄、白――それぞれが淡く脈打つように輝いていた。


ヴァイス・シャッハ

僧正ビショップ”エルダー=シャルマーク。


聖教会最高責任者。

白光衛生隊(ヘイローメディクス)隊長。

そして、王都随一の魔法使い。


ロイスは歩みを止め、軽く首を傾ける。


「……エルダー。次はあんたか」


エルダーは微笑を浮かべたまま、杖に体重を預ける。


「遠目から見た時にも思いましたが……」


視線が角と大鉈、そして闇を纏うロイスの全身をなぞる。


「随分と様変わりしましたね」

 

一拍置いて、穏やかな声のまま続ける。


「口調も、佇まいも。

 聖宮殿の廊下でお会いした時はもっと真面目で、従順な騎士だったはずですが」


「悪いな。どうやら人の枠から、はみ出しちまった」


低く、掠れたロイスの声が落ちる。

言い訳でも、冗談でもない。

事実を淡々と告げるだけの響きだった。


「それはそれは」


エルダーは目を細め、どこか芝居がかった調子で頷いた。


「……心中、お察ししますよ」


その言葉とは裏腹に、

エルダーの杖が、すっと持ち上がる。


五色の鉱石が一斉に煌めき、空気がひやりと冷える。

魔力の密度が、目に見えるほどに高まっていく。


ロイスは、その様子を一瞥し、鼻で笑った。


「ハッ……」


低く、吐き捨てるような声。


細めた視線が、正面からエルダーを射抜く。


「……嘘くせえ」


言い切ると同時に、足が前へ出る。


「――どけよ、エルダー」


歩みを止める気はない。

ロイスはそのまま、大鉈を構えた。


その瞬間。


「《聖域(サンクチュアリ)》」


エルダーの低い詠唱と同時に、ロイスの周囲が真っ白な光に呑み込まれた。


視界が白む。

音が、遠のく。


――違う。


目眩でも、幻覚でもない。


(……来ねえ)


胸の奥で絶えずざわついていた感覚。

危険を告げるはずの、研ぎ澄まされた第六感が――沈黙している。


(異能を封じる……結界か)


そう、理解した刹那。


背後の気配が、跳ねた。


白い光の縁を裂くように、

一つの影が躍り出る。


短剣。


狙いは首筋。

迷いはなく、殺気すら研ぎ落とされている。


フェイルーン。


王都の裏を取り締まる暗部の長。

ヴァイス・シャッハが一角、“歩兵(ポーン)”。


正面で縛り、

背後から確実に殺す。


(……なるほど)


ロイスは、わずかに口角を上げた。


(悪くはない連携、だがーー)


感覚を奪われた世界で、迫る刃を前に、ロイスは半歩だけ踏み出す。


次の瞬間、

白い光の中で、金属が擦れる音が鳴り響いた。


一閃。


高速で繰り出された横凪の斬撃は、正確無比に対象の首筋を捉え――

空を切った。


「おいおい……まじか!?」


視覚外からの完璧な不意打ちが不発に終わる。


低く身を屈めたロイスの視界の端に、

純白の軽装鎧が映る。


脳裏をよぎるのは、

壁際に立っていた、あの“意識に残らない立ち方”。


「会議ぶりだな、副団長」


軽い声。

戦場には不釣り合いなほど、事務的で、淡々とした響き。


「殺りあうのは二度目だけどな、暗部隊長」


名前を呼ぶ必要すらなかった。


短剣が、音もなく構え直される。

間合いは、あの時と同じ三歩。


――踏み込めば、即、刃が届く距離。


「……守られる側が、常に守る価値があるとは限らない――以前俺に言ったセリフだが、あんたは、どう思う?」


フェイルーンは一瞬、黙った。

その視線が揺れ、答えを探すように彷徨う。


「……」


沈黙を破ったのは、ロイスだった。

大鉈を握り直し、低く吐き出す。


「価値なんて関係ねえ。守るかどうかを決めるのは、俺だ」


短く、冷たく、迷いのない声。

かつての従順な騎士は、もうそこにはいない。


フェイルーンは、ほんの一瞬だけ黙った。


「変わったな、ロイス」


「いや、変わったのは――世界だ」


ロイスは大鉈を握り直す。

握り締める指先に、重力をもねじ伏せるような力が宿る。

大鉈を振り上げるわずかな動きだけで、周囲の空気が震え、視界の白が微かに歪む。


その瞬間。


どろり、と闇が溢れ、聖域の白を塗り潰した。

純白は墨を流し込まれたように歪み、砕け散る。


――エルダーの《聖域》が、消える。


能力制限の感覚が、完全に消失した。


「……なっ!?」

驚きの声を漏らすエルダーは、杖を握り直し、身体を一歩後ろへ引く。


「……うそだろ」

冷静さを装うフェイルーンの声に、わずかに引きつる様子が混じる。


生じた隙。


ロイスは、ためることなく大鉈を突き出した。


瞬間。


「プロテクト!」


青白い粒子が空中に集束し、二人の間に光の壁が展開される。

重い衝撃音と共に、大鉈が弾かれた。


同時に、視界の端で杖を突き出すエルダーの姿が映る。

その周囲に浮かぶ無数の光の矢。


「ホーリーランス!」


詠唱と同時に、至近距離から光の乱射が放たれる。

避ける間も与えぬ、圧倒的な魔法の暴力。


さらに挟み込むように、反対側。


体勢を整え短剣を構えたフェイルーンが、

光の盾を前に突撃する。


実力者同士の連携。


先鋒であるジーナの敗北、そして今の一瞬の攻防――

二人は、すでに理解していた。


――この男は、格上である、と。


「ふん」


だが、


それでもなお、二人の認識は甘かった。


ロイスは、心底くだらなさそうに短く息を吐く。


両手で大鉈を強く握り締め、地を踏み込む。

そのまま、その場で横に回転すると――


まるで意思を宿したかのように、大鉈の血管が脈打ち、刃が異様に伸びていく。


三メートル、四メートル――

常識を踏み越えた、殺戮の刃。


「なっ――」


「っ!」


二人の攻撃が届くよりも、わずかに早く。


伸びきった大鉈が、フェイルーンの胴を光の盾ごと両断した。


それでも、回転は止まらない。


大鉈は空気を切り裂き、降り注ぐ光の矢をことごとく叩き落とす。

その衝撃が、空間ごと揺れるように伝わる。


そのまま、圧倒的な速度でエルダーへ肉薄する。

胸元を捉えた刃先が、鎧を押し裂き、深く抉る。


血飛沫が舞い、光と影の間で赤が瞬く。


エルダーは咄嗟に後方へ跳び、即死は免れた。

しかし、空中での短い時間も息を整えるには足りず、心臓は早鐘を打つ。


その頭上、影が覆い被さる。

世界が圧縮されるかのような気配。


視線を上げれば――


元の長さに戻った大鉈を両手で握り、上段に振りかぶるロイス。

隆起する腕の筋肉。

小刻みに震える刃。


それは、かつての同胞が放った、あの奥義の構え。


「ロイス……貴方は、やはり選定――」


「業雷」


言葉は、最後まで許されなかった。


赤黒いスパークを纏った鉄槌が、エルダーの身体を縦に切り裂く。


轟音。


王都全体が大きく揺れ、ガラスが割れ、城壁の一部が崩れ落ちる。


やがて揺れが収まり、立ちこめていた砂埃が晴れたその場所に――


立っていたのは、ただ一人。

血と闇を纏った鬼人だけだった。


人々のざわめきが、波のように広がっていく。


だがロイスは、

足元に転がる二人の骸に目を向けることもなく、関心を示さなかった。


視線の先にあるのは、ただ一つ。


王宮前。

血と瓦礫の向こうで、変わらぬ笑みを浮かべて立つ聖女。


その姿だけを、真っ直ぐに射抜く。


「――高みの見物は、もう終わりだ」


低く、腹の底から絞り出すような声。


次の瞬間、天を裂く咆哮が轟く。


「すぐにぶっ飛ばしてやるよ……

 ユディ=ポルガーノォォォォォォォッ!!」


それは叫びではなく――

“この世界そのものへの宣告”だった。


ここに来るまで押し殺されていた怨嗟が、

堰を切ったように噴き出す。


ロイスの周囲に、無数の骸が蠢く幻が、

兵士たちの脳裏に焼き付く。


あまりにも濃密な殺意。


息が詰まり、足が震え、

剣を握る手から、力が抜け落ちる。


「……な、何だ、あれは……」


一人の兵士が声を漏らす。

次の瞬間、別の兵士も同じ言葉を繰り返す。

声は震え、嗄れ、誰もが口をつぐむ。


ざわめきが波のように広がる。

互いの顔を見れば、眼の奥に同じ恐怖が宿っている。

理解できない存在が、目の前で現実として暴れている――

それだけで、理性は押し潰される。


力が支配する理不尽な世界において、

その秩序そのものに牙を剥く――

理解の及ばぬ異端の存在。


兵士たちは、ようやくその異質さを肌で感じ取った。

一歩、足を踏み出すことすら躊躇い、

誰もが無言のまま、ただ立ち尽くすしかなかった。


「おい……エルダー様まで、やられたぞ……」


「そ、そんな……フェイルーン様も……」


「……化け物だ……」


士気が、音を立てて崩れていく。


銀星近衛団団長 ジーナ=ハリスティン。

暗部隊長 フェイルーン。

白光衛生隊隊長 エルダー=シャルマーク。


王都が誇る“切り札”が、立て続けに叩き伏せられた事実が、

恐怖となって兵士たちを縛り付ける。


「――どけ」


ロイスの声は、冷え切っていた。


「邪魔する奴は、殺す」


それだけ言い残し、

ロイスは地を蹴った。


先程までの静寂は、完全に消え失せる。


剥き出しになった殺意が、

戦場そのものを塗り潰していく。


咄嗟に前へ出たのは、腕に覚えのある者だけだった。

しかし、その判断こそが誤りだったかのように、彼らは次々と宙へ放り出される。


血と悲鳴を置き去りにしながら、

ロイスはただ前へ進む。


――その先にいる“聖女”だけを、殺すために。


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