表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.2 聖女
17/22

17. 業を背負う

胸を貫いた一撃は、向こう側の壁が覗くほどの大穴を穿っていた。

ロイスの身体がわずかに揺れ、膝から崩れ落ちる。


――終わった。


イヴァンはそう判断した。

だが、胸の奥が、ほんのわずかに軋む。


目的のためとはいえ、手にかけたのは愛弟子であり、義子だった存在だ。

その事実に、イヴァンの表情が一瞬だけ強張る。


それでも、選んだのは己だ。


実子(ダン)を選び、

義子(ロイス)を切り捨てた。


今さら迷うな。

今さら正義を装うな。


お前は偽善者だ。


イヴァンは、自身をそう切り捨てるように思考を断ち、

腕に跳ねた血を乱暴に拭うと、踵を返した。


向かう先は、聖女たちの待つ地獄。

それが自ら選んだ道だ。


その一歩を踏み出した、その時だった。




「イヴァン。もう一度だ、構えろ」


あり得ない。

聞こえるはずのない声。


イヴァンは、思わず目を見開いた。


「どうした?」


背後から、間の抜けた声が飛んでくる。


「まるで幽霊でも見たような顔だな」


その言葉に、思わず振り返る。


そこに立っていたのは、ロイスだった。


先ほどまで確かに、死んでいたはずの男。

軽口を叩くその様子は、あまりにも“いつも通り”で、

一瞬、錯覚かと思うほどだった。


だが――違う。


その身に纏う空気は、先ほどまでのロイスとは決定的に異なっていた。

重く、濁り、粘つくようにまとわりつく赤黒い気配。

吸い込めば肺の奥が腐り、触れれば精神ごと引きずり込まれそうな、

生者の領域を逸脱した“何か”の圧が、確かにそこに立っている。


「……誰だ」


思考より先に、言葉が零れた。


「あ?何言ってんだイヴァン。ボケるにはまだ早えぞ」


返ってきた声は、あまりにも聞き慣れたものだった。

軽口の調子も、語尾の癖も、間違いなく――かつてのロイスのものだ。


あり得ない。


イヴァンの両手には、はっきりと残っている。

胸を貫いた感触。肉を裂き、骨を砕き、命を断ったあの手応え。

あれは幻ではない。自分は確かに、ロイスを殺した。


その“業”を、この先一生背負う覚悟も、すでに固めていた。


だが。


目の前の男は、何事もなかったかのように立っている。

血に濡れた衣服こそ赤黒く染まっているが、破れた箇所から覗く肌には、傷一つ残っていない。


そして――


否応なく視線を引きつけるのは、額から生えた一本の角だった。

暗い黄金色に鈍く輝くそれは、ヒトであることを捨てた証のように見える。


対峙した瞬間に理解してしまった。


“格”が違う。


さきほどまでのロイスとは、存在の段階が一つ――いや、それ以上に隔たっている。


器は確かにロイスのものだ。

だが、その内側にあるのは、黒く濁った、別の何か。


「……悪魔に、魂でも売ったか」


吐き捨てるような言葉に応じるかのように、闇が蠢いた。

ロイスの足元から、背後から、影が立ち上がり、まるで王に傅く臣下のように揺らめく。


「悪魔だぁ?」


ロイスは肩をすくめ、嗤った。


「確かに、そぉかもなぁ。聖女サマに魂を売ったあんたにだけは、言われたくねえけど。クハハ」


そのまま、何の警戒も見せずに地面へ視線を落とす。

転がっていた大剣を拾い上げ、頭を掻きながら、ゆっくりと壁際へ向かった。


そこにあるのは、風化し文字も掠れたホワイトボード。

ロイスはペンを取り、掠れた字で迷いなく数字を書き込む。


「さっきの負けで……100―0、か。とうとう三桁になっちまったな」


戦場とは思えぬほど、落ち着いた声。

感慨深げに呟くその姿に、隙は一切ない。

――いや、隙という概念そのものが、そこには存在していなかった。


銀の長髪が揺れるたび、赤黒い気配が粘つく霧のように滲み出す。

音もなく、熱もなく、ただ確実に空間を侵食していくそれは、

生き物の呼吸とは異なる“何か”の鼓動を感じさせた。


嵐の前の静けさ。

そう形容するには、あまりにも不自然。


まるで、世界のほうが息を殺し、

“それ”が動くのを待っているかのような間合いの中で、

イヴァンは踏み出せずにいた。


互いに沈黙したまま、数秒が過ぎた。


やがてロイスは、ふいに視線を落とした。

その先にあるのは、手にした大剣。


にびいろの、ただ頑丈なだけの剣。

先ほどの激闘を経ても、刃こぼれ一つない見慣れた代物だ。


ロイスはそれを、何の前触れもなく振りかぶった。


次の瞬間、剣先が大地へ突き立てられる。

正確には、大地に蠢く、黒い闇へと。


「……?」


思わず、イヴァンの眉がわずかに寄った。


攻撃でも、防御でもない。ただ――突き刺しただけ。


だが。


視線の先で、異変が起きる。


ロイスが、ゆっくりと剣を引き抜いた。

その動作に呼応するかのように、刃の形が歪み、うねるように変容していく。


大剣だったはずのそれは、もはや別物へと変容する。


持ち手こそ変わらないが、刃は膨らみ、幅を増す。峰や平には血管のような網目が浮き出ており、そこを血のような赤が蠢く。

刃そのものが呼吸しているかのように、どくり、どくりと律動を刻み、振れるたびに空気が歪む。


切刃は欠け、荒れ、鋭さも統制も失っている。

だが、だからこそ――いや、そうであるからこそ、手にした者の精神を削ぎ、目にした者に生理的な恐怖を刻みつける凶悪さだけが際立っていた。


「……」


言葉を失うイヴァンの前で、ロイスは歩き出した。


包帯だらけの身体。

血に濡れた衣服。

手には異形の大鉈。


そして、その足元から、背後から、闇が這い寄るように蠢いている。


赤黒いオーラを纏いながら、笑みを浮かべて迫ってくるその姿は、

もはや人ではない。


鬼人。


その言葉が、脳裏をよぎった瞬間。


ロイスは、イヴァンの正面で立ち止まった。

目と鼻の先。逃げ場のない距離。


空気が、張り詰める。

呼吸一つで、均衡が崩れそうなほどに。


イヴァンは、呼吸を整えた。


視線は決して外さない。

だが、足先にかかる重心が、無意識にわずか後ろへずれる。

剣を握る手に、ほんのわずかだけ力が入る。


目の前に立つ存在――

それは、もはや知っているロイスではなかった。


空気が重く、粘るように絡みつく。

胸にかかる圧迫感が、思考の隅まで静かに押し寄せる。

一歩でも判断を誤れば、すべてが終わる――その現実だけが、鮮明にわかる。


周囲の音がわずかに遠のき、風の揺れまで異様に鋭敏に感じられる。

心臓が高鳴るというより、世界の“間”そのものが緊張で張り詰めているかのようだ。


緊張が、極限まで静かに、しかし確実に全身を覆った。


「ーーっ!」


短く、鋭く、全身の力を込めた声が、空気を震わせる。


先に動いたのはイヴァン。

先手必勝――右横から、迷いのない斬撃。


ロイスは、首をわずかに傾ける。


刃はかすめる。紙一重――ほんの数センチの差で、空を切った。

光の軌跡が目の端をかすめ、反射神経が警鐘を鳴らす。


本来なら、ここで隙が生まれる。大剣を振り抜いた直後に必ず訪れる、数瞬の硬直。

だが、ロイスは微動だにせず踏み込まない。


再び、首を傾ける。刃の軌跡が、かつて通った場所を追いかけるかのようにかすめて通過する。


速い――いや、ただの速度ではない。刃の重心、振り出す角度、呼吸の僅かな揺らぎまでもが読まれている。

紙一重の間合いで、空気が鋭く震えた。


ロイスは半歩下がる。ほんのわずかの距離、数センチの差。それだけで攻撃は届かず、だがその瞬間、緊張は戦場全体に重く垂れこめた。


剣の軌道が、まるでこちらの動きを読んでいるかのように重なる。


「あんた……」


低く、笑いを含んだ声。


「なんか、やってんな」


イヴァンは答えない。

間合いを詰め、さらに斬り込む。


その動きに、淀みはない。

一太刀が終わる前に、次の一太刀が完成している。



ーーイヴァン=ヴァルフリートの異能、《反慣性(アンチイナーシャ)》。


本来、物体が動き出す、あるいは止まる際には、必ず慣性による抵抗が生じる。


だがこの異能は、使用者の意思によってその“慣性”そのものを無視する。


全力で振り抜いた剣を、一切の反動なく止めて切り返す。


体勢を立て直す動作を根本から削除する能力。


ゆえに、攻撃は途切れない。

連撃は連鎖し、完結しない。


先ほどの《轟雷》連続使用も、

その性質を最大限に活かしたものだった。



――それでも。


ロイスの視界からイヴァンの剣が消えることはなかった。


刃の起点。

重心の移動。

踏み込みの癖。


全てが、見えている。


死の淵から舞い戻ったその瞬間から、

世界の“間”が、異様なほど澄んでいた。


ロイス自身、理由は分からない。


だが一つだけ確かなことがある。


この距離では当たらない。


(攻撃の間に間がねえ。……何かしらの異能だな)


刃を追いながらロイスは冷静に測る。


(チッ……今まで、手ぇ抜いてやがったってことかよ)


一瞬、苛立ちが胸を掠める。

だが、それもすぐに霧散した。


(ま、いい。そこまで追い詰めたってことだ)


今は気にする必要がない。


思考の合間にも、イヴァンの攻撃は加速を続ける。

一太刀が終わる前に次が来る。

全ての技が連なり、途切れることなく完結しない。


大剣では本来あり得ない連撃。

重さに速度が上乗せされ、破壊力は指数関数的に膨れ上がる。


縦に、横に。

まるで蒼き龍が空を泳ぐかのように、斬撃が戦場を蹂躙する。


やがて、その勢いのままに。

ついに、ロイスの胴と頭を両断――


「――足りねぇなぁ」


裂かれたはずの空間から、声がした。


「もっとだ!もっと全力を出せ!!」


鬼が、愉しげに嗤う。


「全部だ。全部出し切れ。空っぽになった瞬間、あんたは狩人じゃなく餌になる」


瞬間。


「!?」


音もなく、鬼人の大鉈が真下から現れイヴァンの大剣を弾き上げた。



「「ーーーーーー」」



下から振り抜いた体勢のロイス。

不意を突かれたイヴァン。


二人の視線が交差し、

世界が一瞬、静止する。


次の動作に入ろうとしたイヴァンよりも早く。


赤黒いオーラを纏った大鉈が、蒼龍の鎧を確かに捉えた。


「~~~ッ!」


鎧を砕き脇腹へと突き刺さる大鉈に、イヴァンは思わず苦悶の声を漏らした。


「……クハッ」


嗤ったのは、ロイス。

あのイヴァンと――否、それ以上に渡り合っているという事実が、愉悦となって胸を満たす。


闇が嗤う。

死に近づく者を、祝福するかのように。


鬼が嗤う。

あらゆる業を喰らい、糧とするこの狂った男を、愛おしむかのように。


ずっと、強さを欲していた。

力さえあれば、と。

挫折するたび、歯を噛み締めながら思い続けてきた。


それが今や、すべて思うがまま。


戦場は支配下にあり、届かぬものは何ひとつない。


この全能感。

この高揚。


これこそが、天に選ばれし存在。


“選定者”。


堪えきれず、ロイスの器から黒がごぼり、と溢れ出す。


「ク……クハ、ハは……ハはははははッ!」


加速する斬撃が、イヴァンに反撃の余地を与えない。


「ずるいよなぁ……あんたらは。

 いつも、こんな景色を独り占めしてたんだな……クハハ、堪んねえな、全く!」


歪んだ笑みを浮かべ、ロイスは吼える。


「……最ッッッッッッ高だなァ!!」


一撃一撃が必殺。

それは、まるで死神の鎌。


大鉈が振るわれるたび、蒼の鎧に新たな傷が刻まれ、確実に命を削り取っていく。

先程受けた意趣返しのように、斬撃は止むことを知らない。


やがて――


ピシッ、と。


嫌な音が戦場に響いた。

蒼の鎧全体に細かな亀裂が走り、ついに頭部を覆っていた龍の角が、根元から折れる。


「クハハハハはハハハははハハハハハハハはッッッ!

 いいぞ……いいぞぉイヴァァァン!

 やっと“狩れる”ところまで降りてきたなぁ!!」


嘲笑と共に、攻撃はなおも続く。


闇が骸の形を取り、イヴァンの足元から絡みつく。

戦場の至る所から、怨嗟の声が湧き上がった。


――死。


そのイメージが、明確な輪郭を持って迫る。


ロイスの放つ赤黒いオーラがさらに濃くなり、手にする大鉈がそれに応じて脈動する。

浮き出た血管がどくどくと脈打ち、刀身は膨張するように大きくなっていく。


ニヤリ。


三日月のように、唇の端が吊り上がった。


その表情を目の当たりにし、イヴァンは距離を引き剥がすように奥義を叩き込んだ。


「――っ!轟雷」


至近距離で炸裂する轟音。

視界を焼く閃光と共に、上段からの叩き斬り。


だが、


もはや鬼人(ロイス)は、瞬き一つしない。


紙一重でそれを躱し、無表情のまま大鉈を振りかぶる。


「ようやく、底が見えたな」


一閃。


闇を纏った横薙ぎが、イヴァンを象徴する蒼き龍の鎧を――完全に砕いた。


「……引き出された技は、切り札じゃねえ」


砕かれた鎧の断片が宙を舞う。


「終わりだ、イヴァン」


大の字で後方へと吹き飛びながら、

イヴァンの血に濡れた瞳が、晴天を映していた。





・・・・・・・・

・・・・・

・・・







初めは、探索者になるつもりなどなかった。

いずれ実家を継ぐ――その前提のもと両親の教えに従い、目標も持たぬまま剣術だけを磨く日々。


その日もいつもと変わらず鍛錬をしていた。

鉄格子の向こうから、同い年ほどの少女がこちらをじっと見ているのに気づく。


「ねえ、どうしてそんなにつまらなそうな顔をしているの?」


「そういう顔なんだ。別につまらなくなんかない」


「うっそだー!じゃあさ、私がもっと面白いこと、見つけてあげる!」


それが、後に妻となる彼女との最初の会話だった。


それからというもの、毎日のように手を引かれ街へ連れ出された。

両親も、感情のない人形のようだった俺を心配していたのだろう。鍛錬の時間が減っても、何も言わなかった。それどころか彼女を気に入り、大層可愛がっていた。


逢瀬を重ねるうちに、彼女の笑顔に惹かれていった。

成人と同時に結婚し、やがてダンが生まれる。

使用人たちと共に過ごす、穏やかで満ち足りた日々。


――だが、ある日。


突如として流行した、正体不明の病がすべてを壊した。


原因不明の伝染病。

作物は育たず、満足な食事も取れない。薬も手に入らない。


そして、ついに――妻を助けることができなかった。


後に現れた聖女によって解毒剤は作られ、病は収束した。

だが、亡くなった妻は戻らない。


何も、できなかった。


外界のどこかにあるという万能薬を探しに行こうとした。

だが、探索者でないことを理由にギルドに止められた。


それが、一つ目の“業”。



世界に名を轟かせれば、妻は天国からでも俺を見つけられるかもしれない。

そして、二度と同じ悲劇を起こさぬためにも。


そう考えた俺は、その日のうちに探索者登録をした。

以降は、何者かに取り憑かれたかのように依頼を受け続けた。


周囲の制止を振り切り、ソロで高難易度領域へと踏み込む日々。

朝から晩まで外界に潜り、満身創痍で帰宅しては泥のように眠る。


その頃の俺には、息子であるダンのことを考える余裕などなかった。


気づけばA級探索者になっていた。

だが、そこに達成感はなく、誇りもなかった。ただ、依頼をこなしていただけだ。


ある日、ギルドのフロントで依頼書に目を通していると、受付嬢たちのざわめきが耳に入った。

どうやら、あるパーティーから緊急信号が届いたらしい。


場所は深度3領域、霊脈ノ森。

B級パーティーですら容易に近づけない高難易度領域だ。


皆が互いに視線を逸らし、責任を押しつけ合っている様子に理由もなく腹が立った。

詳細を聞き、そのまま一人で救援へ向かう。


背後で、人と関わろうとしなかった俺が自ら救援に向かったことに驚く声が上がっていたが、無視した。


現場に着くと、そこには大量の虎猿に囲まれた、一人の少年がいた。


周囲には、仲間のものと思しき装備が散乱している。

間に合わなかったのだと、胸の奥が重くなった。


きっと、この少年も俺と同じように、業に囚われて生きていくのだろう。

そう、勝手に憐れんだ。


だが、目を見て話した瞬間、考えが覆された。


奥底に膨大な闇を抱えながらも、理性でそれを抑え込み蓋をしている。

――生きることを、諦めていなかった。


比べて自分はどうだ。

思考を放棄し、ただ惰性で生きているだけ。


目の前の少年と自分を重ね、幼稚さに耐えきれなくなった俺は、柄にもなく叱咤し、そのまま家に連れ帰った。


それからの日々は、久しぶりに充実していた。


正直に言えば、ロイスに剣術の才能はさほどなかった。

だが、決して折れない意志があった。


教えたことを朝から晩まで反復し、何度倒れても立ち上がる。

その姿は、確かに成長していた。


いずれダンを交え、三人で依頼を受ける。

――そんな未来も悪くない。


久しぶりに空を見上げ、自然と頬が緩んだ。


だが、俺はまたしても見落としていた。


ロイスが、奥義である轟雷を覚えられないことに悩んでいたこと。

学園に行くまで、ほとんど言葉を交わさなくなったダンが、家を出て別の場所で探索者を目指そうとしていたこと。


そんなある日、帰宅したダンに講師として付けていたロイスが、模擬戦で敗北した。


責めるつもりなどなかった。

だが、どう声をかければいいのか分からなかった。


その沈黙が、いつの間にか二人との距離を作っていた。


声をかける機会を探り続ける日々。

次にダンが帰ってきた時には、必ず話そうと決めた――その矢先。


探索者として初めて外界に向かったダンが、帰ってこないという知らせをギルドから受けた。


イレギュラーに巻き込まれ、消息不明。

嫌な予感が、全身を駆け抜けた。


現場に駆けつけると、そこには初心者用領域とは思えないほどの、凄惨な戦闘の痕跡が残されていた。


豪雪の中、必死に探した。

だが、ダンを含むパーティーメンバーの姿は、どこにもなかった。


またしても、俺は何もできなかった。


これが、二つ目の“業”。



それからしばらく経った、ある日のことだ。

聖女が唐突に、俺に声をかけてきた。


彼女は言った。

ダンを、助ける方法があるのだと。


もう一度あの声を聞きたい。

会って、謝りたい。


天に向かって何度もそう願っていた俺は、その言葉に縋りついた。

藁にもすがる思いで、聖女の示す道を選んだ。


自分が何をしているのかは、分かっていた。

それが非人道的であることも、聖教会が決して清廉な組織ではないことも、百も承知だった。


誰に何を言われようが、言い返す資格などない。

正しいなどと、思ってもいない。


それでも――

ほんのわずかでも、息子(ダン)が生きている可能性が残っているのなら。

俺には、そこにしがみつく以外の選択肢がなかった。


そうして俺が手に入れたのは、救いではなく、


三つ目の“業”だった。



妻を失い、息子を失い。

そして――つい先ほど、義子(ロイス)すらもこの手で殺した。


守れたものは何一つない。


天国へ行った妻が、どこからでも俺を見つけられるようにと、

ただそれだけを理由に、上を目指し続けた。


積み上げた勝利。

積み上げた屍。


その果てに手元に残ったのは、空っぽの現実だけだった。


間違いだらけの人生だった。

選ぶたびに遅く、気づくたびに手遅れで。

後悔以外、何一つ残らなかった。


それでも。


それでも、ここで負けるわけにはいかない。


――あの声が、まだ耳に残っている。


「結局あなた、戦ってる時が一番楽しそうな顔してたわね」


「でも私は、そんなあなたの表情が大好きだった」


「だから、私がどこからでも見つけられるように、この先もずっと」




「最強でいなさい」


全戦全勝。

それだけが、俺に残された唯一の存在証明。


亡き妻に――

そして、もう届くことのない家族に向けた、最後の祈りなのだから。





・・・・・・・・


・・・・・


・・・





イヴァンは両目を見開いた。

自身の血に染まり、赤く霞んだ空が視界いっぱいに広がる。


それでも。


(……空は、青いな)


ロイスの一撃に吹き飛ばされ、身体が後方へと崩れ落ちていく。

今にも消えかけた命の炎。


その芯に、薪がくべられる。


「――《業炎(ヘルフレイム)龍鎧(ドラゴンアーマー)》」


掠れるような、ほとんど独り言に近い声。


次の瞬間、空を埋め尽くすほどの青白い粒子が顕現した。


驚愕に目を見張るロイス。

その視線の先で、イヴァンの身体が――



業火に包まれる。






風が、吹き始めた。

王都の上空を、灰色の雲が静かに覆っていく。


王宮に掲げられた、獅子と二本の剣を刻んだ旗が、大きく軋むように靡いた。


「……おや?」


最初に異変へ気づいたのは、白光衛生隊(ヘイロー・メディクス)隊長エルダー=シャルマークだった。


一般人には決して察知できないほど微細な、しかし確かな違和感。

例えるなら、空気がほんのわずかに薄くなったかのような、説明しがたい息苦しさ。


発光(ライト)。ふむ、これは……」


試しに指先へ光を集める。

だが、何も起こらない。


魔法が発動しない。

それは、エルダーの長い人生において、ただの一度も経験したことのない現象だった。


怪訝そうに首を傾げた、その瞬間――

王都全域が、一斉に暗転した。


「おい、魔法が出ないぞ!」


「服の体温調節機能が消えてる!どうしてだ!?」


生誕祭を控え、人で溢れ返っていた中心街に、ざわめきが波紋のように広がっていく。


すでに準備を終え、王宮内で待機していた残りのヴァイスシャッハたちも、同様に混乱していた。


「おい……外との通信が、全部切れてるな」


「聖女様!これは一体、何が起きているのですか!?」


静まり返った中で、聖女は淡々と告げる。


「王都中の魔素(エーテル)が……全部、消えているね」


――魔力生成元素。

通称、魔素(エーテル)


大気中に存在する元素の一つで、その性質の多くはいまだ解明されていない。

だが魔法の行使には不可欠であり、さらにかの有名な発明家"エーテレッテ"の功績によって、電力や水力に代わる新たなエネルギー源として文明を支える存在となった。


この王都においても、生活基盤のほぼすべては魔素に依存している。


にもかかわらず――

その魔素が、王都全域から一瞬で消失した。


そして、追い打ちをかけるように。


空から、雨が降り始める。


重なる異常事態に、民衆の不安は恐怖へと変わり、街全体がざわめきに包まれていった。


「……大丈夫」


そんな中で。


聖女ただ一人が、窓から曇天を見上げ、穏やかに微笑んだ。


「すぐに、元に戻るよ」






「……おいおい、まじか」


イヴァンの底を引き出し、勝利を確信していたロイスの視界に、信じ難い光景が映り込む。


世界を満たし始めたのは、無数の青白い粒子。

魔素(エーテル)――魔法を発動するために必要な、根源のエネルギー。


その密度、その規模。

先日、聖教会地下でガレノスと相対した際に目にした光景など、比べものにならない。


空間そのものが、輝いている。


否、集められている。


青白い光は散ることなく、渦を描きながら一点へと収束していく。

その中心に立つのは、ただ一人。


イヴァン。


やがて、世界に溢れていたすべての光が、

吸い込まれるように彼のもとへ消えていった。




ロイスの根源が闇であるなら、イヴァンのそれは"炎"だった。


冷静沈着、泰然自若。

幼少より、その言葉が自然と当てはまるほどにイヴァンは大人びていた。探索者となってから今日に至るまで、一度として敗北を喫したことはない。ただ黙々と己を鍛え上げ続けてきた。


多くの業を背負った男は、無意識のうちに自らへ枷をかけていた。

闘うことの楽しさから、目を逸らし続けるために。


いつしか忘れ去られ、消えかけていた小さな炎。

それは蝋燭の先ほどにも満たない、か細いものだった。


だが今。


ロイスという教え子であり、かつてない強敵との戦闘によって、その炎は一気に膨れ上がり――

ついに、全身を焦がした。


イヴァンの身体が燃え上がる。

赤ではなく、青。


炎の色は温度によって変わる。

赤から黄、白へ。

そして一万度を超えた先で、炎は青へと至る。


やがて青い炎は暴れることなく、ゆっくりとイヴァンの周囲へと収束していった。失われた鎧に代わるように形を成し、"龍"の姿へと変容する。


先ほどの鎧には存在しなかった尾。

そして、翼。


それらすべてが、炎によって再現されていた。


さらに――イヴァンは宙に浮かんでいる。


異能か、魔法か、あるいはーー。

その判別すら意味を失うほど自然に、彼は空中に佇んでいた。


「ーーーー」


炎と共に、圧が増していく。

その重さに、選定者へと至ったロイスでさえ思わず唾を飲み込む。


一瞬、自分と同じ領域に立ったのかと錯覚した。

だが見上げた先から伝わってくるのは、紛れもないイヴァン自身の力。


ヒトの身でありながら、人外の域へと踏み込んでいる。


龍と鬼。


まるでとある奇譚の一幕のように、二体の怪物が静かに対峙していた。




ぽつ、ぽつと。


上空を覆う曇天から雨が落ち始め、やがてそれは一気に豪雨へと変わった。

だが、その雨がイヴァンに触れることはない。


青く燃え盛る炎。

そのあまりにも高い温度によって、降り注ぐ雨は触れる端から蒸発していく。


イヴァンの周囲から、白い蒸気が立ち昇った。


龍人の瞳が、地上の鬼人を捉える。

次の瞬間、指を閉じた拳を、頭上へと真っ直ぐに突き上げた。


筋肉が膨張する。

それを起点に、龍が(とぐろ)を巻くかのように雲が渦を描き始める。


空そのものが、引き寄せられている。


「……まさか」


ロイスの喉から、掠れた声が零れた。


ヴァルフリート流奥義。

“轟雷”。


その構えと、あまりにも酷似していた。


「ロイス」


イヴァンが名を呼ぶと同時に、周囲を覆っていた炎が消えていく。

その光景に、一瞬だけ安堵しかけ――すぐに、それが誤りだと悟った。


消えたのではない。

すべてが、一点へと収束している。


凝縮の先。

天へと掲げられたその手の一点に、炎も熱も圧も押し込められていく。

密度だけが、常識を無視して跳ね上がっていた。


「これが、俺の()だ」


静かに、だが逃げ場のない声音で告げる。


「――超えてみろ」


圧が膨れ上がる。

空は唸り、天候は雷雨へと変じる。勢いを増した大粒の雨が、容赦なくロイスの顔を打ちつけた。


思わず顔を顰め、目を細めるロイス。

それとは対照的に、イヴァンの目は見開かれる。


「我が研ぎ澄まし雷よ――」


低く、確かな詠唱。それは、天を震わすほどの力を解き放つ前触れ。


「この世に顕現し、咆哮を轟かせ。そしてすべてを無へと還せ――」


一瞬の静寂。


「―― 轟雷・零式(ゼロ)


空が、爆ぜた。


青く燃え上がる腕をイヴァンが振り下ろした刹那、耳を引き裂く爆音が王都全体を揺さぶる。


それは、まるで巨龍の咆哮。


轟雷に、業火の蒼炎が絡み合い、

巨大な“龍”の形を成した斬撃が、地上の一点へと牙を剥く。


意識を奪い、

周囲ごと蹂躙し、

痕跡すら残さず消し飛ばす――

正真正銘、大自然そのものの暴力。


……そのはずだった。


龍人(イヴァン)が見下ろす先が、

鬼人(ロイス)でなければ。




空一帯を青白く染め上げるほどの衝撃に晒されながらも、

ロイスの顔には少年のような笑みが張り付いていた。


それは侮りでも、諦観でもない。

ただ、敵として――いや、一度は殺された相手としてなお、純粋に感嘆していた。


それでこそ、イヴァン=ヴァルフリート。

自分が越えるべき存在だ、と。


瞬間、ロイスの角が崩れ、闇が霧散する。

呼応するように大鉈の異形も解け、手に残ったのは、いつもの無骨な大剣。


それでも、ロイスは一切動じない。

雨に打たれながらも、前を見据えたまま、大剣を上段へと掲げる。


幾千、幾万と繰り返してきた動作。

かつて一度も成し得なかった、ヴァルフリート流奥義。


――なぜだろう。失敗する気がしない。


「ありがとう」


零れ落ちたのは、確かな感謝だった。

誰に向けたものか、その答えを本人はまだ知らない。


そして、無駄のない自然な踏み込み。

ロイスは大剣を振り下ろす。



「"業"雷」



地上に稲妻が走った。


轟音と共に跳ね上がった雷は、空から降り注ぐ蒼龍と真正面から衝突する。

雷と炎が噛み合い、空間が悲鳴を上げた。


拮抗。


押し合う力の奔流が、その場に留まり続ける。

蒼炎は雷を焼き、雷は蒼炎を裂く。

どちらも譲らず、ただ破壊だけが積み重なっていく。


やがて、変化が起きた。


雷が、散らない。


ロイスの大剣を媒介に、雷は一点へと収束し始める。

龍の内部へ、絡みつくように、飲み込まれていく。


蒼龍が雷を呑み込む。


一瞬、勝敗が決したかのように見えた。


だが次の瞬間。


龍の動きが、わずかに鈍った。


「……捕まえた」


ロイスが呟く。


吸収された雷は消えていなかった。

龍の内部で、形を保ったまま暴れていた。


次いで起こったのは、反発。


蒼龍の内部から雷が逆流し、流れを捻じ曲げる。

前へ進もうとする力と、内側から突き返す力が衝突し――


蒼龍が、弾かれた。


軌道が崩れ、進行方向が反転する。


「!?」


巨体が引き戻され、まるで自らの尾を噛むように旋回する蒼龍。

その先にいるのは、宙に佇むイヴァン。


ロイスは左手を突き出し、拳を握る。


「イヴァン――あんたの業は、俺が背負ってやる」


雷鳴に掻き消されながらも、確かに向けられた言葉。


「……そして、終わらせる」


蒼龍が、主である龍人へとその矛先を変える。


イヴァンは一瞬だけ目を見開き、

そして、静かに構えを解いた。


口元が、わずかに緩む。


唸りを上げ、龍が主を呑み込み、焼き尽くす。


それでも勢いは止まらない。

雷と業火を纏ったまま、蒼龍は天へと駆け上り――


曇天の空を、真っ二つに裂いた。





雲が消え去り、青空が戻る。


その下で、全身を黒く焦がしたイヴァンが、音もなく地へと落ちていった。


A級上位探索者。

王都騎士団長。

聖女の盾、ヴァイスシャッハ「(ルーク)」。

ヴァルフリート現当主。


数多の肩書を背負い、王都最強と謳われた男は――激闘の果てに、ここで倒れた。


ロイスはその最期を、ただ黙って見届ける。


そして壁に掛けられたホワイトボードへ歩み寄り、静かに数字を書き加えた。


踵を返し、出口に辿り着いたところで一度だけ振り返る。

倒れ伏すイヴァンに向け、深く、深く頭を下げた。




100―1。


それは、ロイスが初めて刻んだ白星。


そして、名を継ぐ者が、名を超えた瞬間だった。


勝者の沈黙が、戦場を満たす。

残響する雷鳴のように、誰の目にも刻まれる一撃。


勝者は、静かにその場を後にした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ