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異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.2 聖女
15/22

15. 龍狩り

“龍狩り”イヴァン=ヴァルフリート。


王都の外にまで名を轟かせ、幾多の戦場と権力闘争を制してきた名門ヴァルフリート家。その現当主にして、ソロでA級上位探索者にまで登り詰めた男。10代の頃、当時C級だった彼が、A級指定モンスター“蒼龍ラ・ヒュヴェル”を単独討伐した功績は有名で、その際に二つ名を与えられ二階級昇進したことも知られている。


さらに、帝国の「探索者マガジン」では、“キミが思う最強の探索者ランキング”にて、S級探索者“絶対正義”に次ぐ順位で3年連続2位に輝いたこともあった。


そんな男が――今、俺の目の前に立っている。


決戦の場はヴァルフリート家修練場。広大な敷地の屋外に造られた場所で、闘技場に近い構造をしている。頭上には雲ひとつない青空。真上にある太陽が、俺とイヴァンの二人を容赦なく照らしていた。


「あんた、その格好……」


思わず声が漏れる。視線の先には、全身蒼の甲冑で身を包んだイヴァン。頭部には龍を模した兜が鎮座していた。


「これか?久しぶりに着た気がするな。やはり、どの装備よりも一番しっくりくる。そういうお前こそ……懐かしいものを持っているじゃないか」


鎧越しに響く低くくぐもった声。俺は自然と手にした大剣に視線を落とした。


無装飾で鈍色の、ただの剣。だがこれこそ、かつてイヴァンに与えられ、鍛錬で散々振り回してきた相棒の大剣だ。イヴァン曰く、外界で拾ってきたものの、耐久以外の付与効果は一切なし。


「あんたにぶっ壊されたからな……」


横に視線を移すと、あの時破壊された双剣のことを思い出す。

最後にやりあったのは、もう半年以上前。


壁に掛けられたホワイトボードには「99-0」と大きく記されている。

未だに、俺は一度もイヴァンに勝てていない。


ダンに敗れ、奥義の修得も叶わず、自由に使える時間は削られていった。

それでも鍛錬だけは欠かさなかったが、いつの間にか――模擬戦に臨む余裕さえ、俺には残っていなかった。


「ロイス」


思考に沈みかけた俺の耳に、蒼の甲冑越しの低い声が突き刺さる。

イヴァンが背中の大剣を引き抜いた瞬間、空気が悲鳴を上げ、大気そのものが震えた。


「今の俺は、ヴァイス・シャッハの“(ルーク)”でもなければ、王都騎士団長でもない。元A級上位探索者、“龍狩り”イヴァン=ヴァルフリートとして――これからお前を……殺す」


――やってみろ。


握りしめた大剣に全身の力を込める。心の奥で、久しぶりに熱が燃え上がった。


「――受けてみろ、イヴァン!」


その瞬間、俺は駆け出した。





・・・・・・・・


・・・・・


・・・







コト、コトッ。


静かな音を立てて、白い駒が盤上に置かれた。


「チェックメイト」


「……参りました」


言葉とは裏腹に、敗者の声に悔しさはない。


聖宮殿――王宮と中心街を挟み、向かい合うように聳える聖協会本部。その最上階の一室で、二人の女性が向かい合っていた。


椅子に深く腰掛け、退屈そうに頬杖をつくのは聖女、ユディ=ポルガーノ。

数時間後に控えた聖誕祭に備え、背中まで届く金髪は丁寧に編み込まれ、光を含んで艶やかに輝いている。


対するは銀星近衛団(シルバー・ステラ)団長、ジーナ=ハリスティン。

背の高い体躯に無駄のない筋肉を備え、銀色の近衛団装束を着崩すことなく纏っている。飾り気はなく、その佇まい自体が盾であるかのようだった。


「ジーナ……貴方、普段はあれだけ頼りになるのに。こういう遊びは本当に弱いよね」


「す、すみません……どうしても先が読めなくて……」


聖女の視線を正面から受け止めきれず、ジーナは大柄な身体を縮めるようにして視線を逸らす。

部下や市民に向ける凛々しい姿は影を潜め、そこにいるのは年相応の、不器用な女性だった。


「ふふ。でも、今の貴方も可愛らしくて嫌いじゃないよ。――部下たちが見たら、きっと卒倒しちゃう」


「絶対に見せません!私は聖女様の盾。ヴァイス・シャッハの騎士ですから」


そう言って、わざとらしく片膝をつき、聖女の手を取る。


ころころと変わる態度に、ユディは小さく笑った。


彼女は盤上に残された白い塔の駒を手に取り、窓辺へと歩く。


窓の向こうには、聖誕祭当日の王都。

中心街は人で溢れ、色とりどりの装飾と歓声が、遠くまで広がっていた。


聖宮殿と王宮を結ぶこの道を、今日、聖女は護衛を伴って往復する。

その姿を一目見ようと、王都内外から人が集まっている。


「聖女様……?」


不意に黙り込んだユディを案じ、ジーナが声をかける。


「ううん。――楽しみだな、って思っただけ」


ユディは、手の中の塔を静かに見つめた。


「本日は私が護衛を務めます。ロイス=ヴァルフリート副団長の代わりではありますが、必ずお守りします。誰にも、指一本触れさせません」


「ありがとう、ジーナ。……本当に、頼りにしているよ」


その微笑みを真正面から浴び、ジーナは一瞬で赤面する。


「は、はわわ……」


崩れ落ちる彼女をよそに、ユディは窓を開き、バルコニーへ出た。


陽光を受け、黄金の髪が風に揺れる。


眼下には、無数の人々。

そのすべてを見下ろす位置で、聖女は静かに目を細めた。


(本当に楽しみだよ――ロイス君)


待っているのは、騎士か。

それとも、盤上に並べた次の駒か。


恋する少女のような、

そして――狩人のような微笑みが、ユディの唇に浮かんでいた。





・・・・・・・・


・・・・・


・・・






「――シッ!!」


鋭く息を吐き、俺は沈み込んだ姿勢から弾けるように飛び出した。

地面すれすれを滑るように走る。視界が低く、風圧が頬を切り裂く。


そのまま10メートルの距離を瞬時に縮め、踏み込みの勢いをそのまま刃に乗せ、上段から振り下ろす。


だが――


イヴァンは退かない。

むしろ一歩、前へ。


下段から切り上げられた大剣が、地面を砕きながら迫る。踏み込んだ瞬間、大地が悲鳴を上げてひび割れた。


二振りが激突する。


――ギィィィン!!


火花が散り、金属音が空気を引き裂く。


腕が痺れる。押し切れないと判断した瞬間、俺は空中で反時計回りに身を捻り、剣を左手に持ち替えて追撃に入った。


だが、剣先は虚空を裂いただけだった。


次の瞬間、真横から唸りを上げて迫る蒼の刃。


「チッ!」


反射的に仰け反り、刃先を躱す。

そのまま後方へ宙返りし、距離を取った。


戦闘開始から既に5分が経過していた。


ブランクのある大剣が、思うように馴染まない。呼吸が僅かに乱れる。

対してイヴァンは――まるで動じていない。


差は、明確だった。


「おい」


蒼騎士の声が響く。


「その動き……気が散っている。命のやり取りだと、まだ理解していないようだな」


「……うるせえ。もう少し間合いを掴めば――」


「急げ。お前の遊戯に付き合う暇はない」


瞬きをした――その、刹那。


世界が、蒼に塗り潰された。


「――っ!?」


考えるより先に、身体が反応する。

反射的に剣を構えた。


だが――遅い。


轟音にも似た衝撃が全身を貫き、視界が裏返る。


俺の身体は人形のように宙を舞い、数メートル先の壁へと叩きつけられた。


「――ぐ、ぁっ……!」


背中から伝わる激痛に、肺の空気が強制的に吐き出される。

視界が白く弾け、耳鳴りだけが残った。


それでも、倒れるわけにはいかない。

歯を食いしばり、床に手をついて身体を起こそうとした――その瞬間。


殺気。


――真横。


「……っ!?」


いつの間にか、そこにいた。

蒼の甲冑が、すぐ隣に。


「ぁぁぁぁぁっ!!」


理屈は無い。反射だけで剣を振り抜く。


だがイヴァンは、大剣を地面へ突き立て、刃を十字に重ねた。


ガギンッ――!


金属が悲鳴を上げ、衝撃が腕を通して骨へと叩き込まれる。


「……っ、ぐ……!」


力が、入らない。


まるで城壁を素手で殴ったかのような反動。

指が痺れ、感覚が途切れ――俺は、剣を取り落とした。


「――愚か」


その一言と同時に、衝撃。


腹部に深々と蹴りがめり込み、内臓が裏返る感覚に息が潰れた。


「――――っ……!」


声にならない悲鳴すら、喉で押し殺される。


次の瞬間、身体が浮いた。


蹴り上げられたのだと理解するより早く、足場が消える。


上下の感覚が狂い、視界が反転する。

青空と地面が入れ替わり、地面が、急速に遠ざかっていく。


その僅かな時間の中で、蒼の騎士はもう次の動作に入っていた。


地面に突き立てていた大剣を引き抜き、背へと納める。

――それだけで、空気が震える。


そして、跳躍。


一瞬。


俺の視界を、巨大な影が追い越した。


「――っ!?」


認識が追いつく前に、頭部を締め潰すような圧。

骨が軋み、思考が押し潰される。


掴まれた――そう理解した瞬間には、もう遅い。


身体が持ち上がる感覚。

重力が反転し、世界が回転する。


大きく振りかぶられ、


――投げ捨てられた。


視界が地面で埋まり、

次の瞬間、世界そのものが叩きつけられる。


ドン――ッ!!


衝撃が大地を割り、波となって周囲へ走る。

屋敷が軋み、悲鳴のような音を上げて揺れた。


身体の芯に、破壊が直接流し込まれる。


骨が鳴り、内臓がずれ、

――俺の中で、何かが砕けた。


「――っ、が……ぁ……っ」


喉が勝手に痙攣し、胃液が込み上げる。

咳き込むように、えずく。息が、入らない。


呻く俺の前に、影が落ちた。

気配すら感じさせず、イヴァンが地に降り立っていた。


「武器を手放すなと、何度言わせる」


視界の端から、鈍い音。

いつの間にか回収されていた俺の剣が、足元へ投げ返される。


「拾え。――まだ、終わりではないだろう」


その一言で、時間が止まった。


俺は地面に指を食い込ませ、砕けた身体を引きずるようにして起き上がる。

骨の軋む感触を一つずつ確かめる。

折れていない。――動く。


震える手で、剣を掴んだ。


「……当然だ」


喉から零れた声は掠れていたが、意思だけは揺れていない。

ゆっくりと息を吐き、視線を上げる。


「ようやく……身体が温まってきた」


「ならいい。続けるぞ」


言葉が終わる前に、俺は踏み込んだ。


地面を蹴り裂く感触。

肺いっぱいに空気を吸い込み、それを血に、筋肉に叩き込む。


「オオオオオッ!!」


右上段。

全身を賭けた一振りを、叩きつける。


何度目かの鍔迫り合い。

だが、焦りが滲む。


間合いも、動きも、付け入る隙が見当たらない。


(……くそ、強ぇ)


俺が足を止めていた半年。

その間にも、この男は前へ進み続けていた。


力、技、経験。

比べるまでもない。

俺が勝っているものなど、一つもない。


――それでも。


今回は、退かない。


踏み込め。

もっと速く。

もっと、深く。


意識が研ぎ澄まされ、世界が細くなる。

今まで霞んでいた動きが、僅かずつ輪郭を持ち始める。


ここで超えられなければ、

俺は、この先へ行けない。


「う……おおおおおおおお!!」


全身を絞り切り、振り下ろそうとした――その瞬間。


空気が、変わった。


蒼騎士の存在そのものが、膨張する。

圧が、重力となって押し潰しにかかる。


イヴァンが、両手で剣を掲げる。

上段。


隆起した筋肉が、蒼の鎧を内側から軋ませ、悲鳴を上げさせる。

大地が、わずかに沈んだ。


――来る。


(……まずい!)


思考が焼き切れる寸前、判断だけが先に走る。

迎え撃てば、砕かれる。

なら――


俺は、退いた。


刹那。


「ヴァルフリート流奥義――轟雷(ゴウライ)


世界が、落雷に呑まれた。


斬撃が、雷鳴そのものとなって振り下ろされる。

剣先が目と鼻の先を通過し、遅れて解き放たれた衝撃が、嵐となって全身を引き裂いた。


空気が爆ぜ、視界が歪み、皮膚が裂ける。


それでも――


(躱した……!)


一度その身に受けた経験から生まれた勝機。


だが――


砂埃の中で、俺は凍りつく。


イヴァンの剣先が、止まっていた。

地面すれすれで、不自然に。


第六感が、警鐘を鳴らす。


(……嘘だろ)


次の瞬間、イヴァンの体軸が反転する。

沈めた重心が、跳ね上がる。


振り向きざまの切り上げ。


俺の知る“轟雷”には存在しない軌道。

生涯一度も、見たことのない技。


「轟雷・弐式(ニシキ)


蒼の刃が唸り、

雷が――天へ昇った。


地を裂くはずの一撃は軌道を裏切り、

蒼白い光となって奔り、空気そのものを引き裂く。


腹部を――深く、抉られた。


両断は免れた。

だが、それだけだ。


熱いものが一気に溢れ出し、視界の端が赤く滲む。

血が噴き上がり、足元を濡らした。


指から力が抜け、剣が音を立てて転がる。

膝が折れ、地面が近づいた。


感覚が、ひとつずつ剥がれ落ちていく。

痛みも、重さも、熱も――現実味を失い、遠のいていく。


視界が狭まり、闇が滲む。

世界が、静かに――沈んでいった。


(……これが、死――)


そう理解した瞬間、妙な違和感が胸を刺した。


浮かばない。


幼い頃の記憶も、誰かの笑顔も、守りたかったはずのものも。

名前すら曖昧な声さえ、脳裏には何ひとつ現れなかった。


代わりに、底から滲み出してきたのは――


憎しみ。


理屈も理由もない。

ただ、喉に絡みつき、肺を塞ぎ、心臓の鼓動にまとわりつく感情。


聖女が憎い。

すべてを見透かした顔で、命を弄ぶ――その冷酷さが。


イヴァンが憎い。

裏切りながら、なお導こうとする――その傲慢さが。


仲間が憎い。

勝手に期待し、勝手に背負わせてくる――その無責任さが。


そして――


俺自身が、何よりも憎い。


力もないくせに抗い、

覚悟もないくせに届くと信じた――その浅ましさが。


結局、何ひとつ掴めず、

何ひとつ守れないまま、

ここで終わろうとしている――この俺の弱さが。


黒い感情が、心の底の器を突き破る。


どろり、と。

血よりも濃く、闇よりも重く。


心臓より深い場所から溢れ出し、

内側を塗り潰し、

身体の隅々まで――粘つくように、満たしていった。


その瞬間。


閉じかけていた視界に、強引に焦点が引き戻される。


「……ぁ……」


声にならない息が漏れた。


気づけば俺は、裂けた腹を――掴み潰していた。

指が肉に沈み込み、ぬるりとした感触が掌に絡みつく。


次の瞬間。


どくり、と。


押し出されるように血が噴き上がり、指の隙間から溢れ落ちる。

床に滴り、赤黒い水溜まりが広がっていく。


――なのに。


痛みが、ない。


あるはずの激痛も、恐怖も、すべてが遠い。

代わりに胸の奥で煮え滾っていたのは、

ただ一つ。


――殺したい。


思考より先に、喉が動いた。


「イ”ヴァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ン”!!」


声が裂ける。

肺が悲鳴を上げ、喉の奥が焼ける。

それでも止まらない。


血を撒き散らしながら、俺は立ち上がった。


足元がふらつく。

内臓が軋み、身体はとっくに限界を越えているはずなのに――


膝が、折れない。


否。


折れさせない。


理性も、生存本能も、とうに押し潰されていた。

そこに残っていたのは、

血と憎悪だけで立ち上がる――獣じみた意志だった。


殺す。


理由はいらない。

正義も、未来も、もうどうでもよかった。


残っているのは――

目の前の男を、殺すという衝動だけ。


それ以外の思考は、すべて焼き尽くされた。


――だが。


視界の端で、世界が不自然に鈍る。


音が遠ざかり、空気の流れさえ止まったかのように感じる。



低く、深く沈み込み。

突きを放つためだけに、剣を限界まで引き絞った蒼騎士。


それを見た瞬間――


背骨が、凍りついた。


呼吸が詰まり、

足が、動かない。


(……あ)


間に合わない。


「轟雷・参式(サンシキ)


世界が、裂けた。


閃光が視界を焼き、

爆音が鼓膜を引き千切る。


音も光も、痛みさえも――

意味を失った。


次の瞬間。


胸の奥に、冷たい“何か”が突き立った。


呼吸が、止まる。


――ああ。


そう理解したときにはもう、











俺の心臓は、深々と貫かれていた。


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