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異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.2 聖女
12/22

12. 王は影を選ばず

視界が、白に塗り潰された。


上下の感覚が失われ、内臓が浮き上がる。

床も天井も消え、ただ光の中に放り出されたような感覚。


(……っ)


数秒か、それとも瞬き一つ分か。

やがて光が薄れ、輪郭が世界を取り戻す。


ようやく視力が戻ったベルベットは、息を呑んだ。


「……ここは」


視界いっぱいに広がる、巨大な円形の大広間。

見上げるほどに高い天井には、修道服を纏った女性が描かれた壮麗なステンドグラス。

虹色の光が差し込み、床の大理石を淡く染めている。


記憶に、新しい場所。


「聖教会……?」


喉から零れた声は、広間に小さく反響した。


「正解。()()()()()だね、情報屋さん」


軽やかな、しかしハッキリとした声。


ベルベットが振り返ると、いつの間にか設えられた豪奢な玉座があり、その上に、白黒の修道服姿の少女が腰掛けていた。


聖女ユディ=ポルガーノ。


先程までロイス越しに地下で対峙していたはずの存在が、

まるで最初からここにいたかのような顔で微笑んでいる。


「なんで……」


言葉を失ったまま、ベルベットの視線がゆっくりと動く。


玉座の、前。


誰一人、立っている者はいなかった。


王が、跪いている。

誇り高きはずの背を折り、床に膝をついている。


王妃も同じ。長髪を地べたに垂らし膝をつく。


白光衛生隊隊長(エルダー)は、祈る姿勢のまま静かに膝をつき。


王都騎士団団長(イヴァン)は、剣を床に置き、片膝を折っている。


銀星近衛団団長(ジーナ)もまた、怪物と称される槍を立てたまま、無言で跪いていた。


武も。

血も。

信仰も。


この場ではすべてが等しく、同じ高さで配置されている。


(……跪いて、いる……?)


助けを求めたはずの王が。

疑念を向けたはずの権力者たちが。


あらゆる点で上に立つはずの実力者が。


誰一人、逆らう様子もなく、

まるで当然のように、玉座を背にこうべを垂れている。


懸念は、その一点にとどまらなかった。


(……並びが、おかしい)


距離。

位置。

向き。


すべてが、意図をもって「置かれている」。


(……盤面)


ベルベットの背筋を、冷たいものが這った。


その瞬間を、まるで待ち構えていたかのように。


聖女が、ぱちん、と軽やかに手を叩いた。


乾いた音が、広間にやけに大きく響く。


「お、気づいた?」


声は弾んでいる。

まるで、かくれんぼで見つかった子どもに向けるような調子だった。


「さすがだね、情報屋さん」


聖女は玉座に腰掛けたまま足をばたつかせ、楽しそうに身を乗り出す。

肘を膝に置いて頬杖をつき、興味深そうにベルベットを覗き込む。


その視線には、警戒も敵意もない。

あるのは――観察と、愉悦。


ベルベットの視線が、跪く者たちへ向いていることに気づくと、

聖女はくすりと笑い、ゆっくりと広間を見渡した。


「綺麗な並びでしょ?」


まるで自慢の盤面を見せるかのように、指先で円を描く。


聖女は、満足そうに一つ息を吐いた。


「さて」


軽く手を叩き、空気を切り替える。


「種明かしはここまで」

「そろそろ――ゲームを終わらせよっか」


その言葉に、ベルベットの肩がわずかに強張る。


「……終わらせる?」


問い返す声は低く、掠れていた。


聖女は小首を傾げ、困ったような、しかしどこか楽しげな顔をする。


「うん」

「君、もう“役目”は全部果たしたから」


その言い方が、不自然なほど断定的だった。


迷いがない。

予測でも、推測でもない。


(……まるで実際に見てきたような言い方)


「ここから先はね」


聖女は玉座の肘掛けに指を滑らせながら、淡々と告げる。


「盤の外にいる駒は、邪魔なんだ」


にこり、と。

無邪気そのものの笑みで。


「"祝福"――《盤上(ばんじょう)遊戯(ゆうぎ)》」


その言葉が落ちた瞬間。


跪く者たちの足元に、白い光が敷かれた。

その光は円を描き、それぞれの膝元から静かに立ち上っていく。


やがて光は、人の輪郭をなぞり始める。


骨格に沿い、筋をなぞり、

呼吸の間に――形が組み上がっていく。


純白の鎧。


金属でありながら、硬さを主張しない。

装飾は削ぎ落とされ、威圧もない。


あるのはただ、

「ここに立つべき駒」だと示すための形。


鎧は身を覆うというより、人を包み込んで役を固定するように組み上がっていった。


肩、胸、腕、脚。

一つずつ嵌められるたび、

個人の癖や感情が、音もなく押し込められていく。


最後に、兜。


それだけが、明確に異なっていた。


王には、十字を戴いた王冠の兜。

高く、重く、盤の中央に据えられる存在ーーキング。


妃には、クイーンの兜。

王冠よりも高く鋭い頂を持ち、

盤上で最も自由に、最も広く振る舞う駒の象徴。


聖職者には、斜めに割れた頭部を持つ兜。

祈りと理を象るその形は、

盤を斜めに貫く司祭の駒――ビショップ。


暗部には、質素な兜。

装飾も象徴もない、駒の中で最も小さな形。

だだ、前へ進むためだけに作られた、ポーン。


槍騎士には、跳躍する馬の兜。

角ばった面構成と流線が交錯し、

常識外の軌道で盤を駆ける、ナイトの象徴。


そして、記憶に新しい姿。


剣騎士には、石塔を模した兜。

四角く、重く、崩れない。

鉄壁の城塞――ルーク。


誰一人、顔を上げない。

誰一人、役割を疑わない。

そこにいたのは、人ではなく、

聖女の祝福によって配置された、盤上の駒だった。



喉の奥が、ひりつく。


「……ヴァイス・シャッハ……!」


思わず零れた名に、聖女はぱっと表情を輝かせた。


「正解!」


ぱちん、ともう一度、手を叩く。


「いいねえ。やっぱり察しが早い子は好きだよ」

「説明が楽で助かる」


まるで、評価でも下すような口ぶり。


ベルベットは、歯を食いしばる。

爪が、床を掻いた。


(……いつからだ)


疑問が、怒りより先に浮かぶ。


その心を、聖女は当然のように拾い上げた。


「最初から、だよ」


首を傾げ、悪びれもせず。


「君に依頼を出したのも」

「研究室の場所を“うっかり”漏らしたのも」

「ロイス君に近づかせたのも」


指を折りながら、ゆっくり数える。


「ぜーんぶ、この盤面を完成させるため」


空中に、指先で線を引く。

見えない盤上に、駒を並べるように。


「証拠を集めて」

「他に当てがなくなって」

「最後に、王様のところへ行く」


聖女は、ベルベットを見る。


「そこまで含めて――予定通り」


楽しそうに、心底楽しそうに。


「君、すごく綺麗に動いてくれたよ」

「私の《盤上ノ遊戯》にとって、最高のピースだった」


言葉は褒めているのに、その声音ははっきりと告げていた。


――最初から、選択肢なんてなかったと。


理解が追いつかない。


盤面。

駒。

役目。


頭では言葉をなぞれているのに、それが現実だと結びつかない。


(……何だ、これ)


逃げるべきだと分かっている。

危険だという警鐘も鳴っている。


――なのに、身体が動かない。


呆然と立ち尽くすベルベットへ、

白騎士たちが、一斉に歩み寄った。


その瞬間。


ベルベットの視界に、わずかな違和感が走る。


(……空気が、重い?)


肌に触れる圧が、さっきまでと違う。

息が、ほんの少し吸いづらい。


視線を巡らせても、誰もいない。

跪く者たちの列は崩れていない。

盤面は、静止したままだ。


――なのに。


距離感だけが、狂っている。


背後が、近すぎる。


影位相(シャドウフェイズ)!」


反射的に叫び、足元へ意識を落とす。

影に沈む感覚は、何度も身体に刻み込んできた逃走の起点だ。


……その、はずだった。


沈まない。


影が、応えない。


「っ……!?」


その瞬間、理解が遅れて追いつく。


(違う……消されたんじゃない)


影は、最初から“使えなくなっている”。


聖域(サンクチュアリ)


淡々とした声が、広間に落ちた。


エルダーが一歩、前に出ている。

祈るように組まれた指。

その足元から、白い光が静かに広がっていた。


「私の異能だ。一定時間、対象の異能を封じる」


説明口調なのに、そこに誇示はない。

ただ事実を告げているだけの声音。


兜の奥から、視線がベルベットを捉える。


「今の君は、無力だ」


影が、完全に消えた。


床に落ちていたはずの黒が、光に押し流されるように跡形もなく薄れていく。


(……知らなかった)


エルダーの異能。

記録にも、噂にも、確証はなかった。


(隠してた……意図的に)


その考えに至った瞬間。


――背後で、空気が動いた。


「悪いね」


間の抜けた声が、すぐ隣から差し込んだ。


いつの間に。

どこから。


振り向こうとした、その刹那。


「仕事なんでさ。恨まないでくれよ」


暗部隊長フェイルーンが、肩をすくめる。


次いで、空気が消えた。


一撃目――正面。


重い衝撃が、胸を正確に打ち抜く。

無駄がない。殺しに来ていない。

ただ、動きを止めるための一打。


身体が浮く。


二撃目――横。


風を裂く音と共に、槍の柄が肋を叩いた。

ジーナ。

力は抑えられている。それでも、怪物じみた膂力が容赦なく骨を揺らす。


「ぐっっ!」


三撃目――背後。


剣が、振るわれた。


イヴァンの一閃は、

反撃の起点になり得る筋肉と関節だけを、正確に潰す。


「があっっ!?」


誰も、畳みかけない。

誰も、焦らない。


まるで最初から決められていた順番を、

淡々となぞっているだけ。


最後に――何もないはずの位置から衝撃が襲いかかる。


視界が弾ける。


フェイルーンの一撃。


存在を消したまま、

間合いに入り、

逃げ道を完全に潰した、締めの一打。


「あああああああっ!!」


衝撃が、重なった。

抗う間もなく、身体は宙へと放り出される。


視界が大きく揺れ、天地が反転する。

迫る床が滲み、焦点が合わない。


次の瞬間、顔面を打ち抜くような衝撃。


鈍い音と共に、仮面に亀裂が走った。

細く、しかし確かなひびが、中心から広がっていく。


ぱき、と乾いた音。


続く一撃で、仮面は耐えきれず砕け散った。


白い破片が宙を舞い、床に落ち、静かに転がる。


――沈黙。



玉座の上で、聖女が身を乗り出す。


まるで――

ずっとこの瞬間を待ち続けていたかのように。


「……あ」


小さく、息を零し。


「うん。やっぱり、そうなるよね」


その声には、驚きも迷いもなかった。

ただ、結果を確認しただけの響き。


「この局面――ここまで、全部見えてた」


微笑みは、変わらない。


砕け散った仮面の下。

ベルベットの素顔が、盤上にさらされる。


――王手。


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