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異世界奇譚  作者: ツチノコ太郎
ep.2 聖女
11/22

11. 影は王に至る

「はあっ……はあっ……」


喉が焼けるように痛む。

肺が限界まで膨らみ、空気を吐き出すたびに胸の奥が軋んだ。


夜が街にしがみついている時間帯。

王都を覆う闇は重く、東の空が白み始めるには、まだ早すぎる頃。


ベルベットは影の中を滑るように――いや、半ば逃げるように走っていた。

足音はない。石畳を蹴る感触すら影が飲み込んでいく。

それでも、荒い呼吸だけは誤魔化せず、胸の内側で生々しく響いていた。


屋根の連なり。

絡み合う路地。

夜空へ突き刺さる尖塔。


すべてが黒と藍の境界に沈む中、

ベルベットの影だけが異様なほど濃く、長く、足元にまとわりついている。


(……結局、何も出来なかった)


胸の奥に沈んでいた言葉が、静かに浮かび上がる。


脳裏をよぎるのは、少し前の光景。


白騎士との戦闘。

圧倒的な力の差。

そして――敗北したロイス。


宿へ運び込んだ、血に濡れた身体。

息はある。脈も安定している。

だがその姿は、誰が見ても「完敗」だった。


――なのに。


(……おかしい)


治療をしながら、違和感は確信へと変わっていった。


骨は折られていない。

致命的な内臓損傷も、意図的に避けられている。

筋繊維は断たれているが、回復を阻害する裂き方ではない。


斬撃の深さ。

打撃の角度。

出血量の調整。


どれもが、“生かす”ための選択だった。


(殺す気なんて、最初からなかった)


いや、それだけじゃない。


(……治療される前提で、やってる)


背筋に冷たいものが走る。


白騎士は、強すぎる。

だからこそ、どこを斬れば、どこを外せば、

どれだけ痛めつければ“後で立ち上がれるか”を知っている。


(手加減?.......いや違う)


ベルベットは歯を食いしばる。


(……治療しやすいように、殴ってた)


ロイスの言動。

戦場で見た、白騎士の無駄のなさ。

そして、聖女が笑いながら口にした名前。


(ルーク)


(王都騎士団長……イヴァン=ヴァルフリート)


影の中を走りながら、奥歯を強く噛みしめる。

悔しさと怒りが、呼吸と一緒に胸の奥で渦を巻いた。


(ロイスには「合図があるまで待て」って言われてた)


だから待った。

踏み出したい衝動を、何度も飲み込んだ。

信じるって、そういうことだと思ったから。


(……なのに)


結果はこれだ。


呼ばれず。

追いつけず。

敗北の後処理だけを任されて、血まみれの身体を抱えて戻る。


(頼られなかった、か)


その言葉は、思った以上に深く胸に沈んだ。


怒りでも、悲しみでもない。

ただ、置いていかれたという感覚。


ベルベットは足を止め、王都の外れに迫る王宮の外壁を見上げた。


冷たく、無機質な石。

だが、その向こうに――

すべての元凶と、答えがあることだけは、はっきり分かっていた。


(……逃げるのは、ここまでだ)


影が、足元で静かに揺れる。


夜は、まだ終わらない。






王宮正門。


白い石で組まれた巨大な門扉の前に、数名の警備兵が配置されている。

槍を持ち、鎧に身を包み、形式だけは整っている――が、その視線はどこか緩い。

夜明け前という時間帯が、警戒心を鈍らせていた。


たいまつの炎が揺れ、石畳に長い影を落とす。


「……あの、交代まであとどれくらいでしょうか?」


門の脇で、若い兵が欠伸混じりに訊ねる。


「もう少しだな。東が白むまで」


年嵩の兵は空を見上げ、低く息を吐いた。


「しかし最近、妙に静かだな」


「嵐の前、ってやつじゃないですか?」


「縁起でもないこと言うな」


若い兵は笑いながらも、声を落とす。


「……でも、実際そうじゃないですか。この前の騒ぎも、まだ片付いたって話は聞きませんし」


「"子供攫い"の件か」


年嵩の兵はそう言って、周囲を一度だけ見回した。

他に耳を傾ける者がいないのを確かめてから、声を落とす。


「ああいうのは、俺たち下っ端が首突っ込む話じゃない」


「ですよねぇ……」


若い兵は槍を持ち直し、石畳を軽く蹴る。


「騎士団の上の方も、最近ピリピリしてるって聞きました。団長が直々に動いてるとか」


「イヴァン様か」


その名を口にした瞬間、年嵩の兵の背筋がわずかに伸びる。


「近寄りがたいお方だな。厳しいが、公平だ。あの人がいる限り、騎士団は崩れん」


「ですよね。無駄な私情を挟まない、っていうか……城みたいな人ですよね」


「感情がないわけじゃない。ただ、前線に立って背中で語るタイプだ」


若い兵は、少し考えてから頷いた。


「……だから強い、ですか」


たいまつの火が揺れ、二人の影が石畳に長く伸びる。


「強い、というなら」


年嵩の兵が、ふと思い出したように続ける。


銀星近衛団(シルバー・ステラ)の団長――ジーナ様も、別格だぞ」


「ああ、あの女性だけの部隊の」


若い兵の声が、わずかに弾む。


「噂、すごいですよね。全員が近衛騎士級で、しかも忠誠心が異常に高いって。......皆さん美人ですし」


「確かに皆容姿に優れているが、女だけ、などと侮れる相手じゃない」


年嵩の兵は、苦笑にも似た息を吐いた。


「特にジーナ様は……槍使いとしては、もはや怪物だ。一度だけ演習で見たことがある」


「どうでした?」


「ありゃあ、人の形をしているだけの災害だ」


「災害!?」


即答だった。


「全部が化け物じみているが、特に速さが異常だった。技の出から終わりまで何一つ見えなかった」


若い兵は思わず喉を鳴らす。


「そんな人が、王の側にいるって考えると……そりゃ、王宮も堅いはずですよね」


「堅い、はずだ」


年嵩の兵は、そう言いながらも、どこか含みのある調子だった。


「だがな。どれだけ強い駒が揃っていても、盤そのものが歪んでいれば――」


言葉を切り、首を振る。


「……いや、今のは忘れろ」


「……?」


若い兵が首を傾げた、その瞬間。


たいまつの影が、ほんの一瞬だけ、不自然に揺れた。


だが、誰もそれに気づかない。


会話は途切れ、夜明け前の静寂が戻る。


その影の境目に、ベルベットは身を滑り込ませた。


足音を殺す。

呼吸を落とす。

衣擦れ一つ立てないよう、重心を低く保つ。


魔法でも技能でもない。

長年、命のやり取りを続ける中で身体に染みついた純然たる技術だ。


次の瞬間、影への同化を発動する。


輪郭が曖昧になり、色が抜け、身体が背景へと沈んでいく。

存在そのものが、夜の一部へと変わっていく。


二つを重ねたことで、ベルベットの姿は――

まるで最初からそこにいなかったかのように、世界から消えた。


(……相変わらずザルだな)


胸の内で、乾いた皮肉を零す。

この国の心臓部とも言える王宮の正門が、この程度の緩さで成り立っている事実に、笑いすら込み上げる。


影のまま、ベルベットは門を越えた。





城内は、複雑に入り組んだ回廊が幾重にも重なる迷宮だ。


だが、ベルベットの足取りに迷いはない。


角を曲がる前に巡回兵が来ることを知っている。

視線が交錯する寸前、壁際の彫刻が落とす影へ身を寄せる。

兵の足音が通り過ぎるのを、数えた呼吸の回数で判断する。


隠し通路。

壁の装飾に紛れたわずかな段差。

踏み込みの角度を誤れば、石が沈み、警報が鳴る床。


(ここ、三拍待ち)


内部で機構が噛み合う、微かな金属音。

それを確認してから、音もなく通過する。


見張りの癖。

眠気が差す時刻。

夜間巡回の微妙な乱れ。


すべて、これまで請け負ってきた仕事の中で掴み取った情報だ。


(王宮の構造が頭に入ってない情報屋なんて、信用できないでしょ)


自嘲気味に思いながらも、動きに一切の無駄はない。

影のように、あるいは影よりも静かに奥へと進む。


そのまま進むこと十数分、やがて、空気が変わった。


重く、澄み切った圧。

権力と静寂が同時に滞留する、特有の気配。


王の私室、その前。


豪奢な扉。

王家の紋章が彫り込まれ、金の装飾が抑えめに施されている。


だが――


結界はない。

罠もない。

警備の気配すら、ここにはない。


(この国で一番無防備な場所、ってのも……皮肉だよね)


王という存在が、どれほど「守られている前提」で生きているかを、雄弁に物語っている。


影への同化を解除する。

輪郭が戻り、体温が戻り、世界に再び自分の存在を刻み込む。


ベルベットは一度だけ、深く息を吸うと、扉を開けた。




室内には、一人の男がいた。


重厚な書机の向こう、椅子に腰掛けたまま、分厚い資料に目を通している。

白い髭は胸元まで豊かに垂れ、年相応の皺は刻まれているが――

その背中から滲むものは、衰えではない。


張り詰めた空気。

長年、人の上に立ち続けた者だけが纏う圧。


ノア=ゼニス・アステリオス。


王は侵入者の存在を咎めることもなく、

扉の開閉音すら無かったかのように、淡々と紙をめくった。


「……情報屋か」


顔も上げず、低く落ちる声。

静かだが、よく通る。


「こんな時間に、ずいぶん急だな」


「急じゃなきゃ、こんな時間に来ない」


ベルベットは扉を背にしたまま、肩をすくめる。

仮面の奥で目を細め、王の反応を探った。


「依頼の件。犯人、割れたよ」


一切の前置きは省いた。


その一言で、王の指が止まる。

だが、それだけだ。


ゆっくりと顔を上げたノアの目には、確かに関心が浮かんでいた。

しかし――驚きはない。


「ほう」


短い相槌。

それ以上でも以下でもない。


(……反応、薄いな)


「で?」


促すような、軽い一言。

まるで、続きを知っているかのような口ぶり。


ベルベットは一瞬だけ黙り込み、それから懐に手を入れた。

取り出したのは、小型の録音機。


金属の冷たさが、指先に伝わる。


「証拠もある。聞けば分かる」


そう言って、机の上に置く。

再生ボタンを押した。


――聖教会地下。

――ガレノスと聖女の会話。


歪んだ信仰。

選別という名の虐殺。

王都の裏で進められていた、あまりにも生々しい真実。


王の私室に、この国の闇がそのまま流れ込む。


ベルベットは王の表情を逃さず観察した。


眉の動き。

視線の揺れ。

呼吸の変化。


しかし――


怒りもない。

動揺もない。

否定も、拒絶もない。


ただ、沈黙。


(……やっぱり、おかしい)


録音が終わる。

室内に、妙に重たい静けさが落ちた。


「……」


王は、何も言わない。


「聖教会は黒」


ベルベットが、はっきりと言葉を置く。


魔導開発局(エーテル・ファブリカ)局長のガレノスは確定。あと、王都騎士団副団長のロイスが言ってた」


一拍置いて、続ける。


「騎士団長――イヴァンも、噛んでる可能性が高い」


それでも、ノア王は動かない。


資料に視線を落とし、机に肘をつく。

指を組み、ほんのわずかに考える素振りを見せてから。


「……そうか」


感情の温度が、どこにもない。


(沈黙、か)


ベルベットの背に、じっとりと嫌な汗が滲む。

ここまで揃った証拠を前にして、なお迷いがない。


「今すぐ動くべきだ」


声に、苛立ちが混じる。


銀星近衛団(シルバー・ステラ)でも何でもいい。部隊を出して聖教会を押さえろ。証拠も、人も、全部ある」


「……」


返事はない。


「なあ、ノア王」


気づけば、呼び方が崩れていた。


「聞いてる?」


しばらくして、王がようやく口を開く。


「情報屋」


名を呼ばない。

それが、距離を示していた。


「ワシはお前の仕事ぶりを、高く評価している」


「……」


ベルベットは眉をひそめる。


「知っとるだろうが王都には暗部もある」


王は立ち上がらず、静かに続けた。


「いくら暗部隊長(フェイルーン)らが優秀とはいえ、内部の人間では扱いづらい。だから、お前のような“外”の人間を使った」


視線が、ベルベットに向く。


「対等な取引としてな」


「で?」


ベルベットは間髪入れず一歩、机に近づいた。


「結論は?」


ノア王は、そこで初めて立ち上がった。


背筋を伸ばし、老いた身体に似合わぬ威圧を放つ。


「王都を繁栄させるためなら」


低く、断言する。


「必要とあらば、手段は選ばん」


その瞬間。


ノア王の瞳が、黄金に輝いた。

その光に重なるように、彼の視界の奥に浮かび上がる。


王冠を戴いた、チェスの王ーー()()()()()


(……あ)


理解が追いつくより早く、床が光を帯びる。


「盤を進めるには、駒が欠けることもある」


魔方陣が、私室の床を這うように広がった。

細かな光の線が石の継ぎ目をなぞり、まるで盤上に罫線を引くかのように走っていく。


「犠牲の出ない統治など、幻想に過ぎない」


淡々としたその声音に、怒りも迷いもない。

そこにあったのは、長い時間をかけて磨り減らされた“確信”だけだった。


「っ!?」


床が抜け落ちる感覚。

足元の重力が反転し、内臓が持ち上がる。

視界が歪み、上下の感覚が消えていく。


ノア王は、揺れる空間を意に介することなく、ただ静かに告げた。


「王命・配置(チェック)――“聖教会”」


その言葉を合図に、世界が裏返る。


白。


音も、重さも、距離も失われ――

ベルベットの視界は、完全な白に塗り潰された。



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