01 常勝の誓い
皆様は"奇譚"という言葉をご存知でしょうカ?
信じる心を踏みにじられ、仲間を奪われた孤独な鬼。深い絶望を力に変え、復讐の道を歩む物語。
長きにわたり蹂躙されてきた下位種族。その最底辺から現れた『個』が、既存の秩序を淘汰し、至高の頂へと至る物語。
醜き姿で生を受け、迫害の果てに生きてきた天使。唯一慈愛を注いでくれた恩人の命を助けることができず、終わりなき後悔に囚われる物語。
幾千の夜を越え、あらゆる手段で愛を乞うた吸血鬼の女王。空虚な胸を抱えたまま、永遠の夜を彷徨う物語。
高度文明が極致に達し、すべてがシステムに統制された世界。主導権を奪った人工知能に抗う者たちの叛逆の物語。
学生という仮面を被り、秘密結社の長として国を喰らう。腐った政府を根底から塗り替える物語。
他にも勇者、魔王、傭兵、魔導士などなド......。
奇しき伝説、語り継がれし伝承。人はそれを"奇譚"と呼ブ。
ある者は天を仰ぎ、ある者は泥を這ウ。異なる世界に生きる彼らは、皆一様に、己だけの絶望を抱えていタ。それでも立ち上がる主人公たちの、魂の記録。
さて、これよりお話しするのは、そんなとある世界の片隅で起きた『異世界奇譚』でございまス。
皆様、どうぞ最後までお楽しみくださイーーーーー
漆黒の鉈が、俺の目の前僅か数センチ先を通過した。
遅れて襲った風圧に目を細めながらも、俺は一歩も引かずに踏み込み、あえて前へと進む。
「能力上昇」
戦場に声が響く。全身が青白く輝く。次の瞬間、加速した俺はすでに敵の懐へと踏み込んでいた。
視界を奪われた右目も、力なく垂れ下がる左腕も、今は瑣末なことに過ぎない。目の前の敵ーーー緑色の肌と尖った耳、鋭い爪を持った小柄な生物ーーーを殺すことだけに全神経を注ぐ。
「ああああああああぁぁあああアぁァァァぁッ!」
『ガァアアァアアアアアアアアァァァァァァァ!!』
俺の声に対抗するように、深度4モンスター"小鬼王≪ゴブリンキング≫"は、鋭い牙を剥き出し、凄まじい雄叫びをあげて地を蹴った。
小鬼王の頭上から振り下ろされる漆黒の鉈。虚空に禍々しき暗紫色の軌跡が輝く。
F級探索者ーーー駆け出しの新人に過ぎない俺であれば、いとも容易く屠られていたはずの攻撃。それを紙一重の回避でやり過ごす。視線を逸らすことはおろか、瞬きすることさえ許されない。
奴が放つ無造作な一撃ですら、掠めれば即死。圧倒的格上を前にした、不条理極まる死闘。それは戦いと呼ぶにはあまりに不公平な、生存を懸けた足掻き。
風前の灯火となった俺の命を狙い、死神の軍勢が背後に肉薄する。白一色の世界で、逃げ場のない死の足音がすぐ背後で鳴り響いていた。
戦場を囲む大樹をもなぎ倒さんとする猛吹雪の中、奪われていく体温。吹き荒れる白銀の暴力が、刻一刻と俺の生命の火を凍てつかせていく。
「能力上昇」
背後に迫る死神の指先を振り払うかのように、俺はまた、何度目かも分からぬ技能を起動した。肉体の悲鳴を無視して、ただ奴を殺すためだけに力を絞り出す。
「能力上昇ぉぉぉぉぉぉおォオォ!!」
限界を超えた力により、目から、耳から、鼻から、口から血が噴き出る。
知覚が覚醒し、体感時間が極限まで収束する。
曇天から舞い落ちる雪も、滴る血と汗も、すべてが静止画のように遅滞する世界。その停滞を切り裂き、俺の動きだけが爆発的に加速していく。
「能力上昇」「能力上昇」「能力上昇」「能力上昇」
殺す。目の前の敵を殺す。
右手の大剣を砕けんばかりに握り、常理を超越した神速の一閃を叩き込んだ。
無数の閃光が爆ぜる。
しかし、命という代償を払い、極限を超えてなお、対等。
奴は俺の音速を越える連撃を、同じ速度の刃で完璧に叩き落とした。絶望的なまでの実力差が、再び眼前に立ちはだかる。
「ーーーーーーッッ!!」
愉悦。
視界の先、奴の顔には満面の笑みが貼り付いていた。
命を賭した戦いにも関わらず、そこに恐怖は感じられない。
「あぁぁあああああぁぁぁああ!!」
激しく擦れ合う刀身が鮮烈な火花を撒き散らし、その熱気に当てられた雪の絨毯がみるみる溶け落ちていく。
大気を裂いて下から突き上がる黒鉈を、右手の大剣で強引に叩き落とす。生じた一瞬の隙、がら空きになった胴体へ、俺は渾身の上段蹴りを叩き込んだ。
ごがん、とまるで大型車同士が衝突したような重い衝撃音が周囲の空気を震わせる。
小鬼王の小躯がわずかに後退し、白銀の大地へ深く轍を刻み込む。その顔に刻まれたのは、僅かな驚愕。
剣士ではない俺に、洗練された剣術などない。腕も、足も、頭も、使えるものは全て使う。ただ目の前の怪物を殺すという本能だけが、俺の体を突き動かしていた。
白銀の絨毯を蹴り抜き、一瞬で間合いを詰める。先ほどと同じ軌道、同じ速度で上段蹴りを放――つかに見えた脚を、小鬼王の眼前数センチで強制停止させた。
『!?』
驚愕に歪むその貌を視界の端に捉え、がら空きになった脇腹へ、全霊を込めた大剣を叩き込んだ。
瞬間。
ごく小さく、場違いな異音が響きーーー。
視界の端、見慣れたはずの右腕が、折れた大剣を道連れに宙を舞っていた。
「ーーーーーーぁ」
白銀の世界を朱に染めながら、ゆっくりと弧を描くその残像が、呪いのように鮮明に脳裏へと刻み込まれた。
数日前ーー
「"常勝の誓い"の皆様、ランクアップおめでとうございます!」
数多の探索者が行き交い、熱気に沸く探索都市オルンティア。その中枢に位置する探索者ギルドの喧騒を突き抜けるように、受付嬢さんの快活な声が響き渡った。
「やーっとF級か!子供の面倒見たり、ゴミ拾いしたり......面倒な依頼とはおさらばだな!なぁヒューイ!さっさとモンスター狩りにいこうぜ!」
僕の左隣で足を組み、椅子を揺らさんばかりに騒いでいる金髪の少年――ダンは、隠しきれない興奮を声に乗せていた。
「だめだよダン。このあと3人の新しい装備を見に行くんでしょ?」
「そうよ!!これから私のアクセサリーを見に行くんだから!ね、ヒューイ」
「いや、別にそんな約束してないけど......」
右隣に座っていた赤髪の少女――ロザリオが勢いよく立ち上がり、満面の笑みでこちらを見下ろす。
「あ?ロザリオにアクセサリー?似合わねぇ〜」
「キサマ、コロスゾ」
次の瞬間、二人は取っ組み合いの喧嘩を始めた。なぜか、間に座っている僕を挟んだまま。至近距離で飛び交う怒号と拳に、僕はただ頭を抱えるしかなかった。
僕らは学園の講義で偶然知り合い、卒業後もこうしてパーティを組んでいる。掲げた名は"常勝の誓い"。いささか大層な名前かもしれないが、僕らなりの決意を込めて活動を始めた。
だが、現実はそう甘くはない。G級から始まる探索者の定めとして、一定期間、僕たちは魔物と戦うことすら許されないのだ。課せられたのは街の清掃や露店の手伝いといった、探索者とは名ばかりの雑務。先輩たちは皆一様に『人となりを見るためだ』なんて言うが、その言葉の真偽は、まだ僕には分からない。
半年間、地道に、本当にコツコツと雑用をこなして、ようやくF級への昇格が認められた。……普通は二ヶ月かそこらで上がれるらしい。なぜ僕らがその三倍もかかったかといえば、今なお隣で騒いでいる問題児コンビの不祥事が積み重なったからに他ならない。
「あのーー」
「んなもん戦闘の邪魔だろ。金が勿体ねぇよ」
「はいはい。ダンはその辺で素振りでもしといたら?相変わらず戦いのことしか頭にないのね。そんなんだから昇格に半年もかかったんじゃない」
「あ、あのーー」
「いやいや、ロザリオが清掃で集めた落ち葉を『焼き芋に丁度いい』ってギルドの裏庭で燃やしてボヤ騒ぎを起こしたせいで、余計に一ヶ月延びたんだろ」
「いやいやいや、ダンこそ荷運びの依頼中に『これ、下り坂ならどこまでスピード出るかな』って全速力で突っ込んで、ギルド長に激突したじゃない!」
こほん。
受付嬢さんのわざとらしい咳の響きで、ようやく僕は現実に呼び戻された。どうやら二人のあまりに幼稚な言い争いに、無意識のうちに意識を遠くへ飛ばしていたようだ。……受付嬢さんの笑顔が、いつになく引きつっている。
僕は即座に二人の後頭部を掴み、問答無用で頭を下げさせた。
「すみません。二人とも、これ以上は迷惑になるよ」
僕の一言で、さっきまでの勢いは嘘のように消え失せる。
「ごめんなさい」
「悪かった」
毎日のように馬鹿な喧嘩はするけれど、根は素直なのが彼らの良いところだ。だからこそ、僕は彼らを憎めないでいる。
「……お話、続けても?」
受付嬢さんの引きつった笑顔に、僕らは反射的に居住まいを正した。
「はい、お願いします」
「単刀直入に言います。皆様には、先輩探索者からの指導を受けてもらいます」
「指導、ですか」
「直接話してもらった方が早そうですね。ちょっと待っていてください」
足早に会議室を出ていった彼女が、数分後、一人の男性を連れて戻ってきた。
僕よりも頭半分は高い、百八十センチ超の長身。その人物が部屋に入ってきた瞬間、室内の空気が一変した。
「こんにちは、ハインです」
二十代半ばといったところだろうか。目の前の茶髪の青年は、誰もが好感を抱くような穏やかな笑みを浮かべている。
一見すれば、ただの優しげな人。けれど、『とある事情』で数多の強者を見てきた僕には分かった。その柔和な表情の奥底に、隠しきれない本物の『圧』が潜んでいることを。
「ハインさんはソロでB級まで登り詰めたベテランです。安心して指導を受けてくださいね」
「はは、そんな大した人間じゃありませんよ。ただ、有望な後輩がみすみす命を散らすのを見るのは、寝覚めが悪いですから」
「B級!?」
受付嬢さんがさらりと告げた事実に、ロザリオが驚愕の声を上げた。それもそのはずだ。B級探索者といえば、数百万を数える探索者の中でも上位五%にも満たない、文字通りの選ばれし強者なのだから。
探索者の命は軽い。特にF級に上がりたてのルーキーは、魔物にとって格好の餌食だ。数年前までは死亡率が五割を超えるという惨状だった。
ギルドとしても、未来ある若者の死を座視するわけにはいかない。そうして導入されたのが、この「先輩探索者による指導制度」だった。
強制ではないため、中には拒む者もいるという。だが、"外界"は常識の通じない魔境。独学では限界がある。現役で活躍する先達から直接教えを請える機会は、まさに願ってもない幸運だった。
僕の思考を読み取ったのか、二人は僕と同時に頷き返す。その瞬間的な同調に、僕は思わず頬を緩める。
「分かりました。ありがたく、ご指導を受けさせていただきます。――遅れましたが、僕はヒューイです。それから隣に座るのが、ダンとロザリオです。ハインさん、これからよろしくお願いします」
僕に倣い、緊張した面持ちで向き直る二人。頭を上げると、ハインさんはわずかに驚いた様子を見せていた。
「何か?」
「いや、事前に君たち“常勝の誓い”の話は軽く聞いていたんだけど、探索者にしては珍しいほど丁寧だと思ってね。まるで貴族のお偉い様と話してる気分だよ」
なんてね、と爽やかに笑いながら差し出された右手に、僕は内心で引き攣った笑みを浮かべつつ、握手を交わした。
「それじゃ、明後日。朝の8時にここ集合でいいかな?」
「はい。よろしくお願いします」
いくつかの事務的な話を終えた後、僕らはギルドを後にした。これから始まる新たな日々に、胸の高鳴りを覚えながら。




