第59話:凍れる忠誠と、虚無の番人たち
水晶の森
色のない世界を、四つの影が疾走する。
「悠久の狭間」は、どこまでも続く墓標のようだった。数え切れないほどの「排除された者たち」が、水晶の中に閉じ込められている。
中には、歴史から消された英雄や、神に牙を剥いた魔王と思われる存在もいた。だが、今の蓮たちに彼らを気に留める余裕はない。
「近いです……! 匂いが、強くなってる!」
リサが叫ぶ。彼女の感覚は、この無の世界で唯一の道標だった。
蓮は、漆黒の義手『虚空の右腕』を握りしめながら走った。右腕が、周囲の空間に満ちる「停滞の概念」に共鳴し、微かに震えている。この腕の素材となった「神殺しの兵器」もまた、かつてここに封印されていた同類だからだろうか。
「見えた……!」
リサが足を止めた。
その先には、他のものより一際巨大で、冷たい輝きを放つ水晶の柱がそびえ立っていた。
硝子の中の叫び
蓮は、息を呑んでその柱を見上げた。
透明な水晶の奥深くに、彼女はいた。
女騎士ユリア。
彼女は、蓮たちを逃がすために管理者に向かっていった、あの瞬間の姿で固まっていた。
剣を構え、美しい銀髪をなびかせ、その表情は恐怖ではなく、蓮の安否を気遣う悲痛な叫びの形をしていた。
口は動かない。声も届かない。だが、蓮には聞こえる気がした。
『神崎殿、逃げて』と。
「ユリア……」
蓮は、震える左手を水晶の表面に当てた。冷たい。絶対零度よりも冷たく、魂が凍りつきそうだ。
「待たせたな。……迎えに来たぞ」
セラフィナが涙を堪えて敬礼し、フィーネが祈るように手を組む。
ようやく、辿り着いた。
だが、この世界が、囚人をやすやすと返すはずがなかった。
虚無の番人、再臨
ズズズ……と、空間が重く歪んだ。
ユリアの柱を取り囲むように、空間に三つの黒い穴が空いた。
そこから音もなく現れたのは、かつて第31話でユリアを奪った、あの銀色の鎧の怪物たち――『概念管理者』だった。
ただし、今回は以前とは気配が違った。彼らの鎧はより鋭利に進化し、背後には光輪のような魔力炉が回転している。
『侵入者を検知。コード:アビス・イーター』
無機質な機械音声が空間に響く。
『対象は、システムの根幹を脅かすウィルスと認定。封印ではなく、完全消滅を推奨する』
三体の管理者が、同時に掌を向けた。
そこから放たれたのは、ユリアを封印した時の「時間の檻」ではない。物質、空間、概念、その全てを無に帰す「消滅の黒光」だった。
Eランクの進化
「させない!」
セラフィナとリサが前に出ようとする。
だが、それより速く、蓮が動いた。
「下がっていろ」
蓮は、漆黒の右腕を無造作に振るった。
ドォォォォン!!
三方から迫っていた「消滅の光」が、蓮の周囲で見えない壁に衝突し、霧散した。
いや、霧散したのではない。蓮の右腕が放つ「虚空」の重力場に飲み込まれ、圧縮されて消えたのだ。
『攻撃の消失を確認。再解析……不能』
管理者たちの動きが一瞬止まる。彼らのデータベースには、「Eランクのゴミ」が神の兵器を装備しているというイレギュラーは存在しない。
蓮は、ゆっくりと管理者たちに歩み寄った。
かつては手も足も出ず、仲間を犠牲にして逃げるしかなかった相手。絶対的な絶望の象徴。
だが、今の蓮の瞳に、恐怖は微塵もなかった。
狩る者、狩られる者
「久しぶりだな、ガラクタども」
蓮は、右手の義手をカチリと鳴らした。
「前は世話になったな。おかげで僕は、右腕と大切な仲間を失った」
蓮の全身から、ドス黒い魔力が噴き出し、灰色の世界を侵食していく。
「だが、感謝もしているよ。お前たちが僕から全てを奪ったおかげで……僕は、神すら喰らう『怪物』になれた」
蓮が地面を蹴る。その速度は、リサの支援なしでも視認できない領域に達していた。
『迎撃行動――』
管理者が反応するより速く、蓮の漆黒の爪が、一体目の顔面を鷲掴みにしていた。
「まずは一体。ユリアの味わった孤独の分だ」
「良く、なれ」
蓮の能力が、破壊の方向へと反転して発動する。
メキメキメキッ!
絶対硬度を誇る管理者の鎧が、蓮の手の中で泥のようにひしゃげ、内部の回路ごと握り潰されていく。
かつての逃亡劇は終わった。




