第39話:錆びついた凶器と、砕け散る虚像
1. ゴミ以下の反撃
泥濘の中で、蓮はよろめきながら一歩を踏み出した。
左手に握られたのは、錆びて刃こぼれした、ただの剣の残骸。本来ならスライム一匹すら倒せないであろう、正真正銘の『ゴミ』だ。
対する剣崎恭吾は、黄金の魔力を纏った聖剣を構え、余裕の笑みを浮かべていた。
「ハッ、傑作だな。右腕を失って、バランスも取れない左手で、その鉄屑を振り回す気か? Eランクのゴミがお似合いだ」
剣崎の言葉は正しい。蓮の動きはぎこちなく、重心は定まっていない。右肩の幻肢痛が、存在しない腕で剣を握れと叫び続けている。
だが、蓮の瞳だけは、剣崎を見ていなかった。彼は、錆びついた剣の『概念』に、自身のドス黒い魔力を注ぎ込んでいた。
(この剣はゴミだ。だからこそ、お前を殺すのに相応しい)
蓮は、自身の能力『ゴミを良くする』を発動させた。しかし、それはかつてのような「修復」や「強化」といった綺麗なものではない。
彼は、その鉄屑に染み付いた『無念』や『廃棄』という負の概念を増幅させ、鋭利な『呪詛の牙』へと変質させた。
美しさなど欠片もない。ただ触れるもの全てを腐らせ、食い破るためだけの、汚泥のような凶器が完成した。
2. 絶対防御の慢心
「死ね、ゴミ!」
剣崎が一歩踏み込み、聖剣を振り下ろす。
蓮はそれを避けない。避けるだけの脚力も残っていない。
その代わり、彼は自身の解析データを脳内で展開した。
(フィーネさん、今だ……!)
遠く離れた岩陰から、フィーネの『安寧の概念』が、蓮の乱れる精神を無理やり固定する。恐怖も、痛みも、絶望すらも凍結させ、ただ「目の前の敵を貫く」という一点に集中させる。
剣崎の聖剣が蓮の肩を切り裂く直前、剣崎の周囲に展開されていた『絶対防御』の障壁が、微かに揺らいだ。
それは、蓮が解析した通り、剣崎が「勝利を確信し、相手を見下した瞬間」に生じる、無意識の魔力緩和だった。
剣崎にとって、目の前の蓮は敵ですらない。ただのサンドバッグだ。その慢心が、最強の盾に針の穴ほどの隙間を作った。
3. 概念の侵食
「食い破れ……!」
蓮は、血まみれの左手で、錆びついた凶器を突き出した。
狙いは剣崎の心臓ではなく、彼の魔力の供給源である『絶対防御の概念核』そのもの。
リサが命がけで破壊した結界の綻び。セラフィナが遠隔で送った『一意の概念』による軌道修正。そして、蓮が抱える『喪失の絶望』という莫大なエネルギー。
全てが、その錆びた切っ先に集約された。
カキン、という硬質な音はしなかった。
ジュッ、と肉が焼けるような、異質な音が響く。
「あ……?」
剣崎の動きが止まった。
彼の『絶対防御』の障壁に、蓮の錆びた剣が突き刺さっていた。弾かれるはずの剣が、まるで強酸が金属を溶かすように、金色の障壁をどす黒く侵食していく。
「な、なんだ……これ……俺の防御が……!」
剣崎が目を見開く。彼のプライドそのものである防御が、Eランクのゴミによって汚され、穴を空けられていく。
蓮は、歯が砕けるほど食いしばり、全身全霊でそのゴミを押し込んだ。
「お前のその綺麗な概念は……僕の泥だらけの復讐には、勝てないんだよ!」
4. 虚像の崩壊
パリン、と軽い音がして、剣崎の『絶対防御』が砕け散った。
それは物理的な破壊ではなく、彼が信じていた「自分は無敵の勇者である」という幻想の崩壊音でもあった。
勢いを増した蓮の錆びた剣は、そのまま剣崎の左太腿へと深々と突き刺さった。
「ぎゃあああああああっ!」
剣崎が、聞いたこともないような甲高い悲鳴を上げて転倒する。
彼の足から、どす黒い呪詛が広がり、傷口を腐らせていく。
「痛いか……? 剣崎」
蓮は、剣の柄から手を離さず、そのまま剣崎の上にのしかかった。片腕のない身体で、血と泥にまみれながら、かつての光の勇者を見下ろす。
「僕の右腕は、もっと痛かったぞ。ユリアが消えた痛みは、こんなものじゃない」
蓮は、刺さった剣を、肉の中でゆっくりと回した。
「や、やめろ!俺は勇者だぞ!Eランクごときが!」
剣崎が涙目で叫ぶ。その姿には、先ほどまでの威厳も、カリスマ性も欠片もなかった。ただの、痛みに怯える暴力的な男がそこにいた。
周囲で戦っていた部下たちも、その異様な光景に動きを止めた。無敵のリーダーが、泥水の中で悲鳴を上げている。
蓮は、冷え切った瞳で告げた。
「勇者ごっこは終わりだ。ここからは、ただの人間として……地獄を這いずり回れ」
復讐の第一撃は、あまりにも残酷で、救いのない形で成し遂げられた。




