第36話:絶対防御の死角と、遠くからの光
1. 屈辱の中の概念観測
剣崎の野営地では、蓮への一方的な蹂躙が続いていた。
治癒師の部下によって、死なない程度に回復させられては、また暴力を振るわれる。その繰り返しは、通常の精神であればとっくに崩壊しているはずの地獄だった。
「おい、Eランク。痛いか?その泣きそうな顔で、お前の『知性』とやらがどれだけ役に立つか見せてみろ」
剣崎は、蓮の頭を足で軽く蹴り、その反応を楽しんでいた。
蓮は、口の中に溜まった血と泥を飲み込み、視線を剣崎の体幹ではなく、その周囲に漂う魔力の揺らぎに固定していた。
(痛みは、純粋な『概念の観測』の精度を上げる。外部からの刺激が、僕の『知性の概念』を感情から切り離す……)
蓮は、自分に蹴りが入れられるたびに、剣崎の魔力がどのように反応するかを冷徹に見つめていた。
剣崎恭吾の『絶対防御』の概念の核。それは、彼が侮蔑や優越感を感じる瞬間に、わずかに緩む性質を持っていた。
(見つけた……。彼の防御は、物理的な盾じゃない。彼の『精神的な高揚』そのものが、防御壁のエネルギー源になっている)
蓮は、部下たちが加える暴行のリズム、剣崎が発する魔力の波長、そして彼らが抱く『快楽の概念』の定義を、一つ一つ脳内に取り込んでいく。
彼が耐えている一秒一秒が、逆転のための設計図を完成させていた。
2. 絶対防御の構造的欠陥
蓮の『強化された知性』は、ついに剣崎の防御における致命的な欠陥を特定した。
剣崎の防御は、彼自身が「自分は強者である」と確信している時にのみ、その強度を最大化する。逆に言えば、彼が「想定外の事態」に直面し、その自信が揺らげば、防御の定義そのものが崩壊する。
そして、もう一つの弱点。
(剣崎は、自身の防御が完璧だと信じ切っているため、外部からの干渉を想定していない。彼の防御は、純粋に彼一人の魔力で完結している)
もし、僕の『概念の操作』が、外部から『精神の安定』や『精度の集中』という別の概念で支援されたなら?
一対一を前提とした彼の防御コスト計算は狂い、一瞬で魔力切れを起こすはずだ。
(あとは、彼女たちが準備を整えるまで、僕が壊れずにいられるかどうかだ……)
3. 荒野を走るリサ
同じ頃、野営地から数キロ離れた荒野を、リサが疾走していた。
彼女は、自身の『獣人の概念』が持つ『速度』と『感知能力』を極限まで解放していた。
(蓮様……待っていて。今、道を作るから!)
リサの鋭い視覚が、剣崎の野営地を取り囲む三層の魔力結界を捉えた。それらはすべて、剣崎の『絶対防御』を補助するための警報装置のようなものだ。
「見えた。あの結界の綻び……あそこなら、フィーネの魔力を通せる」
リサは、情報を持ち帰るため、砂塵を巻き上げることなく、静寂の中で反転した。
4. 届いた安寧の波長
岩陰に戻ったリサの報告を受け、フィーネは深く息を吸い込んだ。
「行きます。蓮様の心へ」
フィーネは両手を組み、自身の『治癒の概念』を、形のない『安寧の波動』へと変換した。セラフィナがその横で、自身の鋭い『剣の気配』を被せ、フィーネの魔力が敵に感知されないように隠蔽する。
野営地で苦痛に耐えていた蓮の意識に、突如として、温かい光のような感覚が流れ込んだ。
それは、フィーネの祈りであり、リサの励ましであり、セラフィナの決意だった。
(……来た)
蓮の瞳に、理性の光が強く戻る。
フィーネたちの支援が届いたことで、蓮の脳内で散らばっていた『復讐のパズル』の最後のピースが埋まった。
蓮は、拘束された左手の中で、極小の魔力を練り上げた。それは攻撃のためではない。仲間たちへ、反撃の合図となる『作戦データ』を送るためのものだ。
「剣崎……。お前の『全盛期』は、今この瞬間で終わりだ」
蓮の呟きは、あまりに小さく、剣崎の耳には届かなかった。しかし、その言葉には、確実な勝利への道筋が込められていた。




