第184話:概念の葬列、あるいは新世の産声
1. 神域の機能不全
ファンタズムが天空で狂ったように指を鳴らし、世界そのものを書き換えようとする。彼女の権能は、対象の存在理由を「道化」に変え、操り人形にすることだ。しかし、彼女が紡ぐ「言葉」は、蓮たちが地上に張り巡らせた物理的な濾過網によって、ただの無意味な音波へと還元されていく。
「……あは、は? 私の声が、届かない? 私の世界が、作れない!?」
少女の姿をした神の顔から、ついに余裕が消え失せた。 神とは、法によって世界を統治するシステムである。だが、ミディアムの住人たちが「神を必要としない生活」を完成させたことで、この領域における神の法は、未定義のバグと同義になっていた。
2. 人の知恵、神の檻
蓮は右腕を静かに突き出した。 そこから溢れ出したのは、破壊の閃光ではない。街の地下にある貯水池の脈、そして巨大な石造りの回廊と共鳴する、絶対的な「空白」の波だ。
「……ヴェスペラ殿。お前が蒐集してきた英雄たちの魂。それらもこの地では、ただの過去のデータに過ぎない。消去させてもらう」
蓮が放った虚無は、ヴェスペラが召喚した守護騎士たちを物理的に叩き伏せるのではない。彼らをこの世界に繋ぎ止めている「神の定義」そのものを削り取っていく。 騎士たちは悲鳴を上げる暇もなく、まるで色褪せた写真が風に舞うように、静かに消滅していった。
「私の……私の愛した記憶たちが! 汚らわしい不純物の腕に、飲み込まれていく……!」
ヴェスペラの絶叫は、誰にも届かない。彼女の背後では、傲慢が漆黒の炎を纏い、残された天使兵たちを物理的な力で蹂躙していた。
3. 傲慢とユリアの共演
「蓮! こいつらの首は私が預かる。貴様はさっさと、その小娘を塵にしろ!」
傲慢は魔力を一切使わず、純粋な膂力と、神の法を無視する負の意志だけで、天使たちの光の翼を次々と引き千切っていく。 その横では、ユリアが断絶の剣を振るっていた。彼女の剣筋には、蓮が授けた「存在の隙間を突く知恵」が宿っている。
「私たちの明日は、貴方たちの酒の肴にはさせない。……消えなさい、偽りの光!」
ユリアの刃が、ヴェスペラの喉元をかすめる。神の体は傷つくはずがないという常識は、この地の物理法則によって書き換えられていた。黄金の血が、ミディアムの土へと滴り落ちる。
4. 救済の証明:ガルの叫び
広場の一角で、若者ガルは崩れゆく神域の残滓を見上げていた。 彼は恐怖を感じていなかった。自分たちが数年かけて掘った井戸、積み上げたレンガ、そして蓮から学んだ知恵。それらが、今まさに目の前で神という絶対的な存在を圧倒しているという事実に、震えるような歓喜を覚えた。
「……見ろ! 神様が、俺たちの土に膝を突いてるぞ!」
ガルの叫びは、避難していた住人たちの心に火をつけた。 人々はもはや祈らなかった。自分たちが作った街が神を拒絶している。その事実に確信を持ち、彼らは自分たちの手にある農具や工具を、勝利の証として高く掲げた。
5. 終焉の宣告
蓮は、空中でふらつくファンタズムの眼前に、一瞬で距離を詰めた。 右腕の虚無が、彼女の小さな喉元を捉える。
「……さあ、最後だ。お前の言う酒の味。自分自身の消滅という絶望を、じっくりと味わうがいい」
「……待って、蓮くん! 私、まだ……私は、ただ、楽しく……っ」
ファンタズムの嘆願が完遂されることはなかった。 蓮が右腕に込めたのは、ミディアムの住人たちが流した汗と、長い忍耐、そして神の監視を潜り抜けた全ての知恵の集大成だ。
「デリート」
静かな呟きと共に、白銀と透明が混ざり合った虚無が爆発した。 ファンタズムの存在そのものが、因果の糸を解かれるように分解され、ミディアムの空へと溶けていく。 大天の法は完全に崩壊し、境界世界を支配していた神の光は、夜明けの太陽に焼かれる霧のように消え去った。




