第167話:神の慈悲、あるいは最悪の条件
1. 虚構の少女
光の門の向こう側、贅を尽くした酒宴の中心で、一際異彩を放つ影があった。 それは、先ほどまで蓮が戦っていた長身の道化師ではない。椅子の上にちょこんと座り、短い足を揺らしながら巨大な杯を煽る、幼い少女の姿だ。
人形のように整った顔立ちに、残酷な知性を宿した瞳。彼女こそが、道化の神ファンタズムの真の姿であった。
「あはは! そんなに怖い顔しないでよ、蓮くん。僕、今は戦う気なんて全然ないんだから」
少女の姿をしたファンタズムは、口元に溜まった酒を指で拭い、艶然と笑う。
「今の君たちは、達成感という最高のスパイスが効いていて、とっても美味しそう。でもね、今のままじゃ『メインディッシュ』にするには少しボリュームが足りないんだ。だから、提案があるんだよ」
2. 禁断の対価
ファンタズムは椅子から飛び降りると、無防備に蓮の目の前まで歩み寄った。
「君たちがもっと強く、もっと輝く存在になれるように、僕たちが『投資』してあげる。望むなら、どんな要求でも聞いてあげるよ。失った仲間を蘇らせる? それとも、僕たち神の体を好きにしてみたい? ……ねえ、そんな性的な要求でも、僕はこの姿だし、案外楽しめると思うよ?」
少女は自らの衣服の端を少し持ち上げ、小馬鹿にするような視線を蓮に向けた。その言葉は、神崎蓮という男が積み上げてきた全ての怒りと誇りを、土足で踏みにじるような侮蔑に満ちている。
「……ふざけるな。俺たちの人生を、仲間たちの命を酒の肴にした挙句、今度はそんなふざけた取引をしようっていうのか!」
蓮の右腕から白銀の虚無が溢れ出す。隣に立つユリアもまた、怒りに震えながら剣の柄を強く握りしめた。
「貴方たちは、どこまで人を、魂を弄べば気が済むのですか……!」
二人の殺気が神域を震わせる。しかし、神々はそれを心地よい音楽でも聴くかのように、静かに酒を啜り続けていた。
3. 傲慢の静止
今にも蓮がファンタズムの首を跳ね飛ばそうとしたその時、重厚な手触りが彼の肩を強く押さえつけた。
「……待て、蓮。ここは引け」
「傲慢!? 何を言ってるんだ、こいつらが何を言ったか聞いてなかったのか!」
蓮が振り返ると、そこにはいつになく冷徹な、そしてどす黒い怨念と悲哀を瞳に宿した傲慢が立っていた。 蓮は一瞬、その視線の鋭さに息を呑む。それは、かつて蓮自身が傲慢に向けたものと同じ、地獄を見た者の瞳だった。
「蓮。貴様がどれほど強いかは、この私が一番よく知っている。……私の同胞、七大罪の仲間たちが貴様一人に蹂躙され、私以外の全員が命を奪われたあの時、私は貴様を呪い、そしてその力を認めた」
傲慢の言葉には、鉄のような重みがあった。彼はかつて仲間を皆殺しにされ、ただ一人生き残った屈辱と絶望を知っている。その彼だからこそ、目の前の神々が放つ「次元の違う絶望」を冷静に見極めていた。
「だが、あの時の貴様の力をもってしても、今のこいつらには届かん。……仲間を失う痛みを、私は二度と味わいたくない。ここで無駄死にするのは、復讐ですらない、ただの自死だ」
傲慢は蓮の肩を掴む手に力を込め、神々の酒宴を見据える。
「あはは! さすがは生き残り。物分かりがいいね、元・七大罪くん」
少女の姿をしたファンタズムは、空になったグラスを放り出し、退屈そうに指を鳴らした。
「そうだよ、蓮くん。君の仲間が死んだのは君が強かったからだけど、君たちがここで死ぬのは、君が弱すぎるからだ。そんなの、お酒の肴にもならないよ」
少女は蓮のすぐ目の前まで浮遊してくると、その幼い指先で蓮の頬をなぞった。
「要求を聞いてあげるって言ったのは本当だよ。僕たちをもっと楽しませてくれるなら、君の右腕をさらに異質にしてもいいし、その隣にいる可愛い女の子に、神の加護をたっぷりと注いであげてもいい。……それとも、やっぱり僕の体が目的かな?」
「……いい加減にしろ」
蓮は低く唸り、傲慢の手を振り払った。しかし、その瞳からは先ほどの短慮な殺気は消えていた。 傲慢が仲間の命を代償に得たその教訓を、無視することはできなかった。
「……いいだろう。お前たちのその汚らわしい『投資』とやら、全て受け取ってやる」
蓮は神々を一人一人睨みつけ、決然と告げる。
「俺を強くしろ。お前たちが飲み干す酒を、すべて毒液に変えてやる。……お前たちの喉元を掻き切るその日まで、俺は死んでも死なない」
「あはは、最高! 合意成立だね!」




