第165話:神の酒杯、あるいは偽りの断頭台
1. 静寂の戦場
崩壊した神域の最上層には、ただ冷たい風だけが吹き抜ける。蓮の手元に残ったのは、ファンタズムを消滅させたという確かな手応えだけだ。色を失った空間のあちこちに、神々の権能が霧散した残滓が漂っている。
蓮は右腕を下ろし、深く息を吐き出した。
「……終わったな。案外、脆いものだった」
その言葉に、背後に控えていたユリアが静かに頷く。彼女の持つ剣からも白銀の光が収まり、勝利の余韻が周囲を包み込んでいく。
「はい、蓮様。これでもう、私たちが織りなす明日を邪魔する者はおりません」
「フン、神と崇められていた割には退屈な末路だったな。蒐集家の女も、私の傲慢の前ではただの石くれに等しかった」
傲慢は腕を組み、かつて神々が座していた空っぽの椅子を見下ろした。彼らは疑いもしなかった。自分たちが今、最も嫌悪すべき「神の嘘」の中に立たされているということを。
2. 真なる大天の光景
だが、蓮たちが立っている場所から遥か高み、物理的な距離を超越した次元の果てに、真の「大天」は存在していた。
そこは黄金の輝きに満ちた、果てしなく広がる楽園だ。蓮たちが破壊したはずの円卓は無傷のまま、そこには四神が平然と居座っている。
「あはは! 見てよ、あの満足げな顔! まさか僕の編み上げた『舞台』に、あそこまで綺麗にハマってくれるなんて思わなかったよ」
道化の神ファンタズムは、自らの偽物が消滅した光景を空中の中継モニターを見るように眺めながら、腹を抱えて笑った。彼の手に握られているのは、虹色の液体が満たされた美しいクリスタルグラスだ。
「……五月蝿いぞ、ファンタズム。少しは静かに酒を愉しめないのか」
断罪の秤を持つ神が、琥珀色の重厚な液体を口に含み、喉を鳴らした。彼らの瞳には、先ほどまで演じていた恐怖も動揺も欠片も存在しない。
3. 神という種族の嗜好
彼ら「カミ」という種族にとって、下界の不純物たちが神域を侵そうとする行為は、脅威ですらない。それは、千年に一度熟成されるかどうかという、極上の「余興」に過ぎなかった。
カミは酒を愛する種族である。
彼らが飲むのは、単なる果実酒ではない。知的生命体が抱く「絶望」「歓喜」「確信」といった強烈な感情を抽出し、神域の法で発酵させた概念酒だ。今、蓮たちが抱いている「神を倒した」という強烈な達成感は、彼らにとって最高級の肴となっていた。
ヴェスペラは銀河のように渦巻く酒を揺らし、蕩けるような溜息を漏らす。
「いいわ……本当に美味しい。あの神崎蓮という男が勝利を確信し、その魂が輝けば輝くほど、この酒は甘美な香りを放つわ。もっとよ、もっと私たちを愉しませて」
4. 終わりなき遊戯の予感
彼らは嘲笑することすら、今はもうやめていた。ただ純粋に、これから不純物たちが「真実」という絶望に叩き落とされる瞬間の味を想像し、冷静に、かつ貪欲にグラスを傾けている。
「……さて。次はどんな『絶望の彩り』を加えようか。まだ彼らには、この階段の本当の長さすら教えていないのだから」
ファンタズムは新しく酒を注ぎ、空中に浮かぶ蓮たちの姿に向かって、静かに祝杯を挙げた。
何も知らない蓮たちは、偽りの勝利を抱いたまま、さらに深い神の深淵へと足を進めていく。




