第161話:泥濘の玉座、あるいは死者への告解
1. 束の間の静寂:壊れた人形たちの抱擁
九日目の朝、ロゴスが降臨させた断罪の秤が空を二分する中、蓮は崩れかけた王城の奥深くで、深い泥の中に沈むような疲労感に包まれていた。
自由意志を奪われ、蓮の思考に同期して動く民たち。その異常な光景の中で、ユリア、そして傍らに寄り添う彼女たちは、微かに残された魂の熱量で蓮を支えていた。彼女たちもまた、神の権能によって「自分の意志で動く」ことは封じられている。しかし、蓮が「誰かに触れてほしい」と無意識に願った時、彼女たちが差し出す手には、強制的な同期を超えた、かつての温もりが宿っているように感じられた。
「……蓮様。どうか、自分を責めないでください。私たちのこの動きが、貴方の思考の反映だとしても……この胸の鼓動だけは、貴方と共にあります」
彼女たちの柔らかな肌の感触、微かな吐息。それが、透明化が進み、存在の輪郭が消えかけている蓮にとって唯一の「生」の拠り所となっていた。だが、その癒やしさえも、外の世界から届く悲鳴の前ではあまりにも脆いものだった。
2. 刃となる信仰:神の代弁者たち
癒やしの時間は、民たちの暴走によって無惨に切り裂かれる。 ヴェスペラによって自由意志を奪われたはずの民たちの中に、歪んだ「信仰」という名の猛毒が広がり始めていた。神々が定義した秩序を「正しい」と盲信し始めた者たちが、蓮を「神に背く偽りの王」として糾弾し始めたのだ。
「王よ! 貴様が神々の不興を買ったから、この世界は色彩を失ったのだ!」 「貴様さえ消えれば、神は再び私たちを愛してくださる!」
意志を奪われているはずの彼らが、なぜ蓮を攻撃できるのか。それは、蓮自身の心の奥底にある「自分さえいなければ、みんなは幸せになれるのではないか」という自虐的な思考が、民たちの行動として増幅・具現化されてしまった結果だった。
狂信者たちが振りかざす刃は、蓮への信仰が裏返った、世界で最も鋭い武器となっていた。彼らは蓮を「守る」ために、「王を犠牲にする」という矛盾した聖戦を繰り広げ、開拓地は味方同士が血を流し合う地獄へと化した。
3. 英雄の独白:英雄の墓標にて
重圧と罪悪感に耐えかねた蓮は、夜陰に乗じて開拓地の隅にある小さな墓地へと足を運んだ。そこには、これまでの戦いで命を落とした、彼が最も信頼していた部下たちが眠っている。
透明になった自身の右腕で、冷たい墓石をなぞる。 周囲に民がいないこの場所でだけ、蓮は「王」の仮面を脱ぎ捨て、一人の脆弱な人間として崩れ落ちた。
「……なぁ、カイル。教えてくれよ。俺は、一体どこで間違えたんだ?」
返事のない墓標に向かって、蓮は溜まりに溜まった愚痴をこぼし始めた。
「王になれば、みんなを救えると思ってた。修行して力を手に入れれば、神様をぶっ飛ばせると思ってた。……でも見てくれよ。俺が何かを願えば、みんなが壊れる。俺が生きようとすれば、信仰が俺を殺しに来る。……もう、疲れたんだ。全部投げ出して、お前たちの隣で眠れたら、どれほど楽だろうな」
かつて自分を信じて死んでいった者たちへの、最低な裏切り。それを分かっていても、言葉を止められなかった。英雄の右腕が、情けなさに震え、涙がセピア色の地面を濡らした。
4. 神々の嘲笑:最高の告白
大天の円卓では、四神がこの「王の醜態」を、これ以上ないご馳走として味わっていた。
「あはは! 見てよ、あの英雄の背中! 死んだ部下の墓に泣き言を言ってるよ。あんなに透明になっちゃって、もうすぐ消えちゃいそうだね!」
「王としての自覚が、逆に彼を内側から腐らせている。素晴らしい。自らの高潔さが、自らを破滅させる猛毒となる。これこそが秩序の極致だ」
ロゴスは、地上に浮かぶ秤を静かに動かした。 蓮が吐き出した「消えてしまいたい」という弱音こそ、ロゴスが待ち望んでいた「秤を動かすための重り」だった。
5. 九日目の終焉:断罪の秤の傾き
蓮が墓地で立ち上がった時、空に浮かぶロゴスの秤が、不吉な音を立てて大きく傾いた。
「王一人の消滅による、世界の保存」
秤の皿が、蓮の足元まで降りてくる。 民たちの狂信的な暴動、彼女たちの悲痛な抱擁、そして死者への弱音。 すべてを天秤にかけられた蓮に、ロゴスの重厚な声が響き渡った。
「神崎蓮。貴様は自ら、自分の価値が『無』であることを認めた。ならば、その言葉通り、すべてを清算し、この世界の図案を元の白紙に戻せ」




