第159話:ゼテスの法、あるいは秩序という名の監獄
1. 七日目の静寂:黄金の幾何学、絶対的な戒律
六日間にわたる阿鼻叫喚が極致に達した時、空に刻まれた不協和音の亀裂から、冷徹な黄金の光が格子状に降り注いだ。秩序の神ゼテスが下した七日目の災厄――「絶対戒律・完璧なる図案」の発動である。
開拓地の地上には、目に見える光の網目が張り巡らされ、人々の行動はすべて神が定義する「正しい動作」に限定された。歩く角度、呼吸の回数、瞬きのタイミング。それらから僅かでも逸脱すれば、神の秩序を乱す不純物として、全身を焼く激痛が走る。
人々は動くことさえ許されぬ、生きた彫像へと変えられた。絶望を叫ぶことも、涙を流すことさえも「無駄な動き」として戒律に抵触する。開拓地は美しくも悍ましい、神の「死の標本箱」へと完成されつつあった。
2. 影祈の徒:死の連動
この身動きすらままならぬ極限の秩序の中で、神勢力の刺客である「影祈の徒」たちだけは、神に許された「破壊の動作」を続けていた。彼らは流れるような優雅な所作で、自らの指先を眼窩へと突き立てようとする。
因果の完全同期。彼らが光を失えば、神の戒律に従い静止しているユリアや民たちの瞳も、物理的に砕け散る。
蓮は右腕の「白銀の虚無」を抑え込み、自分自身の肉体を虚無の膜で覆うことで戒律の網を強引に無効化していた。だが、彼が刺客に一歩近づこうとするたび、その「不自然な移動」の反動が、同期しているユリアの肉体へ凄まじい衝撃となって跳ね返る。
「……あ、……ぁ……」
ユリアの目から血の涙がこぼれる。蓮が彼女を救おうと動くたび、彼女が傷つく。神の秩序とは、英雄の善意を、愛する者を屠る刃へと変換する残酷なシステムであった。
3. 神々の品評:無力なる不純物
大天の円卓では、ゼテスが満足げに自らの傑作を眺めていた。
ゼテス:「見なさい。これこそが調和です。不規則に蠢いていた虫たちが、ようやく私の図案に従い、静止した。彼が動けば愛する者が壊れ、動かねば民が死ぬ。どちらを選んでも、この布の美しさは損なわれません」
ロゴス:「審判は既に下っている。あの男に、選択肢など最初から与えられていないのだ。自らの無力を噛み締め、自己の定義を喪失して消えるのが、不純物の末路よ」
ヴェスペラとファンタズムも、その様子を酒の肴にしながら、絶望の深さを競い合うようにあざ笑う。彼らにとって、蓮が流す血も涙も、すべては「より良い不協和音」を作るための素材に過ぎなかった。
4. 傲慢の咆哮:ストーキング・データの限界
背後でその光景を見ていた傲慢は、自らのプライドがズタズタに切り裂かれるのを感じていた。監視し続けてきた「神崎 蓮」という男が、こんな姑息な法に縛られ、膝をつこうとしている。
「神崎蓮! 貴様、それでも私に勝った男か! 神が法を押し付けるなら、貴様はその上を行く『理不尽』になれと言っているだろうが!!」
傲慢は変質させた「憤怒」の力を、蓮ではなく、自分自身の周囲の「戒律の網」へと叩きつけた。自らが傷つくことも厭わず、神の法を無理やり抉じ開け、蓮に「思考の隙間」を作り出す。
「……傲慢……お前……」
「黙れ! 勘違いするな、貴様が絶望して消えれば、私の復讐は完遂されん! 貴様は私の目の前で、私の手によって、最高の絶望の中で死なねばならんのだ!!」
5. 虚無の変質、あるいは自己否定の先へ
傲慢の捨て身の介入により、蓮の脳内に僅かな空白が生まれた。目の前で自らを傷つけようとする影祈の徒。同期して血を流すユリア。あざ笑う神々。
蓮は、自分の右腕に宿る白銀の輝きを見つめた。これまでは「敵を消す」ために使ってきた力。だが、それでは救えない。
「……そうか。消すべきなのは、敵じゃない」
蓮は、ユリアを、そして民たちを一人ずつ否定するのではなく、この「同期している因果そのもの」を、自らの存在を削ってまで「無価値なもの」として上書きする決断を下した。
白銀の虚無が、蓮の体から溢れ出し、周囲の民たちを包み込む。それは守護ではない。彼らをこの世界の因果から一時的に切り離す、存在の抹消に等しい禁忌の術式。
「……苦しいけど、耐えてくれ。俺が、全部引き受ける」
蓮の右腕が、白銀を通り越して「透明」に透け始めた。神の法に逆らい、因果の泥沼を一身に背負う。七日目の夜、英雄は自らを「世界の異物」へと変容させることで、絶望の図案に風穴を開けようとしていた。




