第157話:影祈(えいき)の徒、あるいは共有される痛み
1. 五日目の厄災:記憶の豪雨
空はもはや光を拒絶し、どろりと濁った暗紫色に染まっていた。 五日目の災厄は、空から降り注ぐ記憶の雨。それは水滴ではなく、大天の標本箱から溢れ出した、何万年分もの敗北者たちの末期の記憶、裏切りの痛み、拭えぬ後悔の結晶だった。
雨に打たれた民たちは、自分の名前を忘れ、他人の無惨な死を自分の体験として錯覚し、狂乱の叫びを上げる。
あ、あぁ……俺、殺したんだ……俺が、俺の手で、愛する人を……!
違う! それは君の記憶じゃない! 雨に惑わされるな!!
蓮が必死に叫ぶが、その声も降りしきる不協和音にかき消されていく。修行で得た**白銀の虚無**で雨を弾こうとするが、弾けば弾くほど、その余波が近くにいる民たちの精神を無へと削り取ってしまう。
2. 弱き刺客:影祈の徒の降臨
雨のカーテンを割り、数人の人影が音もなく現れた。 神々が送り込んだ掃除針の進化系――影祈の徒。 彼らは重厚な鎧も、強大な魔力も纏っていない。むしろガリガリに痩せ細り、目元をボロ布で覆った、一見すれば力なき亡者の群れに過ぎなかった。
「……なんだ。こいつら、ちっとも強くないぞ?」
蓮が右腕を構え、警戒を強める。事実、彼らの放つ殺気は希薄で、戦闘力だけで言えば地上の中級冒険者にも劣るだろう。だが、背後で監視を続けていた傲慢が、初めてその顔を屈辱と戦慄に歪めた。
「待て、神崎蓮! 手を出すな! そいつらは……戦うための道具ではない!」
3. 凶悪なる権能:呪いの鏡合わせ
傲慢の制止よりも早く、狂乱したカルトが影祈の徒の一人に掴みかかり、その喉元をナイフで切り裂いた。 本来なら即死。脆弱な刺客の首からは、鮮血が舞うはずだった。
「――っ!? ぐ、あああああ!!」
悲鳴を上げたのは、斬られた刺客ではない。 刺客を攻撃したカルトの喉から、突如として真っ赤な血が噴き出したのだ。
影祈の徒の能力。それは因果の完全同期。 彼らは神の呪いを宿した生贄の器であり、彼らが受けた痛み、傷、そして死は、その場にいる最も守りたい対象や、自分自身へと100%の威力で転写される。
影祈の徒は、自らの喉を指でなぞり、ゆっくりと引き裂いた。 すると、そばにいたユリアが激痛に悶え、その白い首筋に深い切り傷が浮かび上がる。
「ユリア!!」
「あはは……。痛い? 悲しい? でも、これが慈悲だよ」
刺客たちは一切抵抗しない。ただ、薄笑いを浮かべながら自らの体を傷つけ、自らを痛めつける。彼らが自傷するたびに、蓮が守ろうとしている民たちが、ユリアが、そして蓮自身が、物理的に破壊されていく。
4. 神々の晩餐:最高潮の喜劇
大天の円卓。四神はこの光景を、椅子から身を乗り出して見入っていた。
「素晴らしい……! ファンタズム、貴方の発想はやはり天才的だ。英雄に、自分の手を汚さずに、自分を殺させるなんて!」
ヴェスペラが恍惚とした表情でグラスを飲み干す。 地上では、蓮が右腕を振り上げながら、絶望に凍りついていた。殴ればユリアが傷つく。殺せば仲間が死ぬ。かといって放置すれば、影祈の徒たちは笑いながら自決し、周囲の命を道連れにする。
「ねえ、見てよゼテス。あの男、拳を固めたまま震えてる! 自分の力が、愛する者を殺す刃にしかならないと知った瞬間の、あの絶望の色! ああ、最高に美しい布(景色)だわ!」
ゼテスもまた、冷徹な微笑を浮かべて頷く。
「ええ。解決策など、最初から存在しないのです。彼が善であろうとすればするほど、悪意という名の糸が彼を絡め取る。……さあ、蓮。次は誰を殺しますか? 君の正義で」
5. 逃げ場のない地獄
「……っ、ハァ、ハァ……!!」
蓮の目の前で、影祈の徒の一人がゆっくりと、自分の心臓を指で突き刺そうとしていた。 それを止めれば、蓮の腕が折れる。 放置すれば、その場にいる誰かの心臓が止まる。




