第146話:織り成される不条理、剥がれ落ちた聖女の仮面
世界の真理:不協和音の織り、あるいは理不尽の箱庭
この世界の構造を、我々が知る球体や平面といった単純な概念で推し量ることはできない。 この世界は多層的不協和音織と呼ばれる、幾重にも重なった「意味の布」によって構成されている。
天の上には「大天」が存在し、そこには人の論理が一切通じない理不尽の化身たる神々が君臨している。彼らにとって、地上に蠢く命は愛でる対象ですらない。ただ、世界という布を織り続けるための「糸」に過ぎないのだ。
だが、全ての神が冷酷というわけでもない。中には、糸が千切れることを嘆き、不器用な愛で布の綻びを繕おうとする慈悲深き神も僅かながら存在する。しかし、その慈悲さえも、上位の神々が描く残酷な図案の前では、ただの気休めに過ぎないのがこの世の理であった。
1. 傲慢なる裁定
「……ふん、情けない男だ」
傲慢は、泥の中に沈み、完全に意識を失った蓮を見下ろして鼻で笑った。 アレックスという簒奪者を、かつての同胞たちの力ごと「二度目の死」へと叩き落とした最強の罪。彼は、ユリアという女一人のために、世界を天秤にかけてまで泣き叫んだ蓮の「身勝手さ」に免じて、その命を繋ぎ止めた。
「男がみっともなく喚くなと言ったはずだ。貴様のその執着、傲慢さだけは……私が認めてやろう」
傲慢は踵を返し、一歩ずつ、静かにその場に佇むアルマへと歩み寄る。 足跡が刻まれるたび、漆黒の魔力が周囲の空間を威圧し、アルマが編み上げた秩序を物理的に削り取っていく。
2. アルマの告白:奪われ続けた運命の果て
傲慢の突きつけた問いに対し、アルマは表情一つ変えなかった。 光を失った瞳。だが、その唇が紡いだ言葉は、これまでの全ての戦いを嘲笑うかのような冷徹さを帯びていた。
「……敵か、味方か。そんな小さな枠組みで私を測らないで」
アルマは瓦礫から立ち上がり、自分の細い指先を見つめる。 その指先には、もはや救世主の輝きなど残っていない。
「私はこれまで、あまりにも多くのものを神々に奪われ続けてきたわ。家、家族、声、そして人間としての尊厳……。けれど、最後に奪われたものは、それら全てを合わせても足りないほど、私にとって大きく、代えがたいものだった」
彼女の言葉に、傲慢は眉を動かした。アルマが語るのは、神に捧げた自己犠牲の美談ではない。もっと根源的で、どろりとした執念の響きだ。
「私が最後に奪われたのは、『愛する者と共に老い、終わりを迎えるという、たった一度きりの未来』。神々は私の時間を奪い、永遠という名の孤独を押し付けたのよ」
3. テストの終焉と、真の目的
アルマは、気絶した蓮と、彼を抱きかかえるユリアに視線を向けた。 そこには、かつての慈愛に満ちた聖女の面影はなく、ただ目的のために手段を選ばない「執行者」の貌があった。
「私はね、確かめたかったの。この理不尽な世界を、神々が定めた結末を、力ずくで書き換えられる『不純物』が本物かどうかを。……だから、アレックスの暴走も、貴方たちの苦悩も、全ては私が見極めるためのテストだった」
彼女は悪びれる様子もなく、平然と言い放つ。 傲慢の指先が、怒りに触れて黒紫の雷鳴を放つが、アルマはそれを無視して言葉を続けた。
「蓮は合格よ。彼は世界を捨ててでも、自分の愛を貫く傲慢さを手に入れた。そして貴方、傲慢。貴方のその力も、私が失った『未来』を奪い返すためには不可欠なもの」
アルマの指先から、今までとは全く異なる、血のように赤い、けれどどこか神々しい糸が伸びる。 それは地脈を超え、空の亀裂を超え、この世界のさらに上層にある**「大天の心臓」**へと繋がっていた。
「さあ、始めましょう。私の奪われた物を取り返す、最後の略奪を。……貴方たちには、そのための『剣』になってもらうわ」
アルマが微笑む。 それは、いかなる悪魔よりも不敵で、いかなる神よりも傲慢な、救世主の真の覚悟であった。




