第135話:簒奪者の再誕、あるいは黄金の墓標
空が、重い。 アルマが紡いだ偽りの蒼穹が剥がれ落ちた後、そこにあったのは、どろりとした泥のような暗黒だった。だが、その闇を裂いて降りてきたのは、光だった。 救いなど微塵も感じさせない、冷酷で、全てを塗り潰すような、どぎつい黄金の輝き。
「……あ、ああ……」
逃げ遅れた開拓民の一人が、空から降り注ぐ黄金の粒子に触れた瞬間、その場で動きを止めた。悲鳴さえ上げられず、その体は瞬時にして硬質な金の像へと変質する。恐怖の表情を浮かべたまま固定された、生きた彫像。
「アレックス……地獄に堕ちてもなお、自分の標本箱が欲しいのかよ」
俺は、吐き気がするほど甘い金属の匂いに喉を焼かれながら、折れたガイウスの剣を構え直した。 空に浮かぶ巨大な黄金の腕。それはアレックスの残留思念が、新世界の「簒奪」という定義を糧に肥大化した、呪いの権現だ。
「蓮様、いけません! 右腕が……!!」
背後でユリアが叫ぶ。 俺の右腕は、今や肩から胸元にかけて、真っ黒な亀裂のような痣に食い荒らされていた。虚無を使いすぎた代償。俺自身が、俺という存在の輪郭を「消去」し始めている。 感覚はない。ただ、凍りつくような冷たさが、心臓の一歩手前まで迫っている。
「リサ、フィーネ! セラフィナ! 早くユリアとアルマを連れて方舟の中へ行け!!」
「嫌だよ!! 蓮を一人にするなんて、そんなの、最初から死んだ方がマシだよ!!」
リサが獣の牙を剥き出しにし、俺の前に飛び出そうとする。だが、空から降りてくる黄金の圧力は、彼女の強靭な脚を地面に縫い付け、一歩も動くことを許さない。
「論理的に……不可能です、蓮さん。この黄金の侵食速度では、方舟に逃げ込む前に、私たち全員が『定義』を書き換えられてしまう」
セラフィナが、ひび割れた眼鏡を落とし、絶望に震える声で告げる。 フィーネは必死に結界を張ろうとしているが、彼女が放つ祈りの光さえ、黄金の粒子に触れたそばから結晶化し、砂となって崩れ落ちていく。
「……あ、ぅ……」
その時、俺の足元で、意識を失っていたアルマが微かに身悶えた。 彼女の真っ白になった髪が、泥だらけの地面に広がる。彼女は、血を吐きながら、俺の脛に細い指をかけた。
「……蓮。……アレックスを……止めて……」
「わかってる。そのために、俺は立ってるんだ」
「いいえ……、ただ斬るだけじゃ、ダメ。彼は、この世界の『欠陥』そのものと繋がってしまった。……彼を倒せば、この世界という舞台装置ごと、全てが崩落する」
アルマの瞳が、僅かに開く。そこには、かつての救世主としての輝きはなく、全ての因果を読み解いた者の、底知れぬ虚無が宿っていた。
「……解決策は、一つだけ。……誰か一人が、この崩壊しつつある世界の『新しい神』……いや、**『生け贄の核』**になるしかない」
アルマの言葉に、俺の心臓が大きく跳ねた。 生け贄。それは、神がかつて行っていた、最も合理的で、最も残酷な管理。
「私が……なるわ。……もともと、私は死んでいるはずの女。……私の糸で、もう一度だけ、この世界を縫い綴じて……」
「ふざけるな!!」
俺はアルマの言葉を遮り、吠えた。 また誰かが犠牲になり、誰かの命の上に成り立つ平和。そんなものは、神が支配していたあの日々と何一つ変わらない。
「アルマ、お前はもう十分に糸を引いた。……これ以上、お前に何もさせやしない」
俺は、右腕の虚無を全開放した。 黒い炎が、黄金の粒子を焼き払い、俺の周囲数メートルだけ、色を取り戻す。 だが、その代償として、俺の右腕の肉がボロボロと崩れ、黒い霧となって消えていく。
「蓮様!!」
ユリアが這うようにして俺に近づき、俺の左手を握りしめた。 彼女の体は、アルマの糸を失ったことで、透き通るほどに薄くなっている。
「……蓮様、私……怖くありません。……貴方と一緒にいられるなら、このまま黄金に変わっても、砂になっても……」
「ユリア。……お前は、飯を食って、笑って、これから何十年も生きるんだ」
俺は、彼女に背を向けた。 目の前には、天から降り注ぐ黄金の裁き。 俺は、折れた剣を捨てた。 剣なんて、もう必要ない。 俺自身が、この世界の「不純物」として、アレックスの簒奪ごと、自分という存在を、この因果の理から「消去」してやる。
「カイル! セラフィナ! あとは頼んだぞ!!」
俺は、地面を蹴った。 重力に逆らい、黄金の腕に向かって、真っ黒な閃光となって突き進む。
俺の視界の中で、かつての記憶が走馬灯のように駆け抜ける。 クズだった前世。 道具として接したあいつらの顔。 そして、最後に俺を愛してくれた、ユリアの温もり。
「定義なんて、いらねえよ……。……俺と一緒に、地獄まで付き合え、アレックス!!」
俺の右腕が、黄金の腕に触れた。 瞬間、世界が白黒反転し、凄まじい衝撃が魂を揺さぶる。




