第126話:救済の機織(はたおり)、泥濘(でいねい)を編む女神
1. 崩落する白紙、未定義の混沌
神という絶対的な理が砕け散り、天界が霧散した後の世界は、静寂ではなく、凄惨な「無」の深淵であった。蓮が漆黒の虚無で切り開き、ユリアを連れ戻した場所は、重力も時間も確立されていない、ただの白紙のキャンバス。
蓮の右腕に宿る虚無は、古い理を「消去」することには長けていても、新しい大地を「創造」する力は持ち合わせていない。足元から瓦解し、次元の端から霧散していく不完全な再構築。蓮は限界を迎え、泥だらけの荒野に膝を突いた。
「……ここまで、なのか。俺たちが掴み取った命を、受け止める場所さえ、この世界には残っていないのか」
抱きかかえたユリアの体温が、不安定な空間に吸い込まれていく。蓮が絶望の淵で天を仰いだその瞬間、漆黒でも黄金でもない、温かな蒼白い光が空を覆った。
2. 第三の特異点、アルマの降臨
「一の虚無、神崎蓮。二の簒奪、アレックス。……そして、三の救済、私……アルマ。……ようやく、私の出番のようね」
混沌の空から静かに舞い降りたのは、三極共同戦線の最後の一人——アルマであった。
彼女はアレックスのように王座を求めず、蓮のように憎悪を糧にもしなかった。ただ、人類が生き残るという唯一の目的のために、静かに牙を研ぎ続けていた「救済」の器。彼女が歩むごとに、崩壊していた空間がパズルのピースを合わせるように静止し、色彩を取り戻していく。
「蓮、貴方が壊した理の破片を、私が繋ぎ合わせる。……これが、私たちが結んだ同盟の、真の終着点よ」
3. 秘匿された権能:『救済の機織』
アルマが両手を広げると、彼女の全身から数億、数兆に及ぶ**「蒼い因果の糸」**が噴き出した。 それは、蓮の虚無に並ぶレベルの特異能力。神が破壊した地上の記憶、人々の魂の残滓、そして蓮が守り抜いた一筋の希望——それら全ての断片を拾い集め、新しい世界の「芯」として縫い合わせていく、究極の再構築能力であった。
一、蓮が切り開いた「虚」の空間に、生存可能な物理法則を定着させる。 二、神の攻撃で消滅した地形を、人々の深層心理からサルベージし、不完全ながらも「大地」として具現化する。 三、神の「滅菌」という定義を、人間が抗い、乗り越えられる「自然」という名の試練へと書き換える。
それは、神が望んだ楽園ではない。アルマという一人の女が、同胞のために紡ぎ出した「生臭く、生きるための居場所」であった。
4. 救済の代償と、不吉な残響
再構築が完了し、不安定な次元の揺らぎが収束していく。アルマの蒼い光が、蓮の漆黒の虚無を包み込み、新たな世界の理を固定した。 だが、その代償は甚大であった。アルマの美しい髪は雪のように白く染まり、その瞳からは全能の輝きが急速に失われていく。
力尽き、蓮の腕の中に崩れ落ちるアルマ。彼女は消え入るような声で、蓮の耳元に唇を寄せた。
「……蓮、一つだけ忘れないで。私が紡いだこの世界は、ただの**『執行猶予』**に過ぎないわ」
「アルマ……? どういう意味だ」
蓮の問いに、アルマは血の混じった微かな笑みを浮かべた。その瞳の奥には、救世主の慈愛ではなく、深淵を覗く者の冷徹な光が宿っていた。
「救済とは、時に残酷な『檻』に姿を変える。私が繋ぎ止めたこの糸の先には、まだ救われていない『別の絶望』が繋がっているの。……次にこの糸が赤く染まり、私が貴方の敵となった時は……迷わず、私を殺しに来なさい」
その言葉を最後に、アルマの意識は闇へと沈んだ。 それは、救われたばかりの新世界に投げ込まれた、あまりにも重く不吉な「予言」であった。
5. 泥濘の上の再誕
荒野のあちこちで、人々が産声のような叫びを上げ始めた。 神のシステムから解放され、自分たちの足で大地を踏みしめる数千、数万の民。 蓮は、腕の中でようやく穏やかに息をするユリアを見つめ、そして背後の仲間たちを振り返った。
アルマが遺した言葉の真意は、まだ誰にも分からない。 だが、三極共同戦線が最後に作り上げたのは、あまりにも不格好で、しかし力強い「明日」であった。
残り、零日。 世界は救済された。 神崎蓮、アレックス、アルマ。三つの伝説が交錯した果てに、ただ一人の男と女の、泥臭い歩みが始まった。




