第116話:虚無の王の死、一人の男の産声
1. 奇跡の残光
血の匂いと消毒液の混じった、冷たい医療区。処置台に横たわるユリアの瞳に、不意に、あの「熱」が戻りました。魂を売ったはずの瞳が、今ははっきりと蓮を捉え、潤んでいます。
「……蓮……。やっと、私の……大好きな顔に、戻って……くれた」
「ユリア……? お前、記憶が……」
蓮の声が震えます。ユリアは血に濡れた手で、そっと蓮の頬を撫でました。その温もりは、機械としての彼女には決して出せなかったものでした。
「分かって……いたよ。貴方が……私を道具として、使っていたことも。……怖かったんだよね。私が、貴方を……忘れたままでいるのが。だから……わざと、冷たく……」
「やめろ……。ユリア、もう喋るな……!」
「……お願い、蓮。この先は……非人道的な王様じゃなくて……一人の人として、歩いて。リサたちを……道具じゃなく……一人の女の子として……愛してあげて。……それが、私の……最後の……」
ユリアの手が、力なく滑り落ちました。
2. 剥き出しの懺悔
「あああああぁぁぁぁッ!!」
蓮は、自分の胸を掻きむしり、その場に跪きました。 ユリアは知っていました。自分が利用されていることも、蓮が卑怯な逃げ道として彼女の空虚さに甘えていたことも。すべてを知った上で、彼女は蓮を守るためにその身を盾にしたのです。
(俺は……なんてことをしたんだ)
脳裏に、記憶を失ったユリアを「便利だ」とさえ思ってしまった、悍ましい本音が蘇ります。リサたちの愛から逃げるために、心を失った彼女を盾にし、ぞんざいに扱い、彼女の献身を当然のように受け止めていた自分。
(転生前の俺は、何の色もない無能なゴミだった。……だが、転生した後の俺は、それ以上の……救いようのないクズだ!)
虚無の力を手に入れ、王と呼ばれ、神を殺すと豪語しながら、その実、最も大切な一人の女の心さえ救えず、それどころか自分の保身のために磨り潰した。その事実に、蓮の精神は音を立てて崩壊していきました。
3. 神への祈願
蓮は、ユリアとの全ての記憶を思い出しました。 初めて出会った日の剣の重さ。共に笑い、共に食べた食事。彼女が捧げてくれた、混じりけのない忠誠と愛。それらすべてが、今の蓮にとっては猛毒となって彼を焼き焦がします。
「いらない……! 人類なんて、復讐なんて、神殺しなんて……どうでもいい!!」
蓮は、血の滲む目で虚空を睨みつけました。
「おい、神様……! 聞こえてるんだろ! 俺の魂でも、この世界の残り全部でも、何でもくれてやる……! だから……こいつを救えよ! ユリアを、返せよ!!」
かつてあれほど憎み、否定した「神」という存在に、蓮は額を床に擦り付け、涙を流しながら縋りました。 そこには、冷酷な虚無の王の姿はありませんでした。 ただ一人、愛した少女を失い、自分の過ちに狂い、なりふり構わず奇跡を願う、情けないほどに「人間」な男の姿だけがありました。
4. 零落の虚無
蓮の叫びに、神は答えません。 ただ、医療区の壊れた電灯がチカチカと明滅し、彼の絶望を無慈悲に照らし出すだけです。
「……ユリア……。ごめんな……。俺が、俺が全部悪かった……。目を開けてくれよ……。俺を、叱ってくれよ……」
蓮はユリアの冷たくなっていく体を抱きしめ、子供のように声を上げて泣き続けました。 残り六十九日。




