第115話:壊れた部品の拒絶、逃亡の果て
蹂躙と走馬灯
神の影が振り下ろした光の掌が、アヴァロン・ギアの残骸ごと蓮を地べたに叩き伏せた。 肋骨が砕ける音が耳の奥で響き、視界が真っ赤に染まる。
「が、はっ……あ、が……」
追撃の衝撃が加わるたび、意識の混濁の中に「ありもしない景色」が火花のように弾けた。 それは、かつてアヴァロンの市場で、ユリアが不器用そうに花を選んでいた午後の日差し。 それは、訓練の合間に二人で分かち合った、安っぽくて甘いパンの味。 それは、自分を「蓮」と呼び、未来を語っていた彼女の、花が咲くような微笑み。
(……ああ、そうか。俺は、あの日のお前に、ずっと救われていたんだな)
今さら思い出す、あまりにも遅すぎた走馬灯。 目の前の神は、動けない蓮の喉元に、存在そのものを消去する概念の槍を突き立てようとしていた。
心なき身の挺身
「終わりだ。不純物」
神の声が脳内に直接響き、槍が振り下ろされた。 死を覚悟し、蓮が瞳を閉じた、その瞬間だった。
ガキンッ、と。 肉が裂ける音と共に、金属が激突する鋭い音が響いた。
「……え……?」
蓮が目を開けると、そこには信じられない光景があった。 制御ポッドから這い出したはずの、心も記憶も失ったはずのユリアが、折れた剣を掲げ、神の槍をその細い体で受け止めていたのだ。
「……ユリア……? なぜ、お前が……」
彼女に心はない。蓮を愛した記憶もない。 魂は対価として売られ、今はただの部品のはずだ。 だが、ユリアの体は、深紅の血を流しながらも、一歩も引かずに蓮の前に立ち塞がっていた。 彼女の瞳には光はなく、表情も死んだままだ。それでも、肉体そのものが、魂の残り香が、主を守るという本能を放棄することを拒んでいた。
泥濘の再定義
「……王。……避難、を。……私の、損壊率は、無視して……」
途切れ途切れの声。それは命令を遂行する機械のようでありながら、どこか泣きそうな響きを孕んでいた。 神が不快そうに槍を振り上げ、ユリアごと蓮を貫こうとする。
(……黙って見ていられるかよ。俺は、どこまでお前に守らせれば気が済むんだ!)
蓮は、砕けた指を地面に突き立て、枯渇した魔力の底を強引に浚った。 良くなれ。 定義するのは、この瞬間の俺たちの『重さ』と『実体』。
一、存在を、陽炎のように薄く。 二、速度を、雷光のように速く。 三、この絶望を、一時の幻へ。
「……っ!!」
蓮は右腕の虚無を爆発させ、空間の密度を無理やり書き換えた。 神の槍が振り下ろされる直前、蓮は倒れゆくユリアの体を抱き寄せ、漆黒の煙となってその場から消失した。
敗走の荒野
「ハァ……ハァ……ハァ……!!」
アヴァロンの地下へと続く隠し通路。 蓮は、ぐったりと腕の中で動かなくなったユリアを背負い、全力で走り続けた。 背後からは神の圧倒的なプレッシャーが追いかけてくるが、今は振り返る余裕さえない。
(死なせるな。俺を忘れたままでいい。冷たい瞳のままでいい。だから、死ぬな!)
ユリアの体温が、背中越しに冷たくなっていくのが分かる。 魔力はもう一滴も残っていない。足の骨は折れ、一歩踏み出すたびに地獄のような激痛が走る。 それでも蓮は止まらなかった。 王としての矜持も、復讐の誓いも、今はどうでもよかった。 ただ、自分を救うために壊れたこの「部品」を、もう一度だけ動かしたい。その卑怯で、あまりにも人間臭い願いだけが、彼を突き動かしていた。
閉ざされた闇の中で
ようやく辿り着いた、崩落を免れた最深部の医療区。 蓮はユリアを処置台に横たえ、自らも力尽きて床に崩れ落ちた。
「……リサ……セラフィナ……誰か、いないか……」
掠れた声で呼びかけるが、返ってくるのは冷たい静寂だけだ。 神の一撃で、アヴァロンの中枢は壊滅的な打撃を受けていた。
残り七十日。 神殺しの王は、無残に敗北した。 守るべき騎士の心は戻らず、その肉体さえも今、消えようとしている。




