第三章 世界を救う馬鹿
「ワハハハハハハ!」
爆笑しながら壁をぶち破り、煙の中から現れる男。
赤いマント、青い全身タイツ、胸には手描きの「S」の文字。
「おう、タイムトラベラーのガキか! よし、世界救うぞ!」
あの日のあの登場は、後にも先にも彼の全人生で一番“ヒーローらしい瞬間”だったかもしれない。
そして、それ以外のほとんどは、笑えないほどバカで、惨めで、くだらなくて――
それでも、本人はずっと笑っていた。
◆
彼の本名は、神谷 悠。
日本生まれ、日本育ち。異国の地で、なぜかスーパーマンを名乗る変な日本人。
「正義の味方になりたかっただけなんだよなぁ。昔から」
子供の頃は、いじめられっ子だった。
ちょっと太ってて、声が高くて、漫画が好きで、正義の味方に憧れてた。
でも現実は、殴られて、笑われて、見下されて、無視される日々。
そんな彼にとっての救いは、テレビに映るヒーローたちだった。
仮面を被り、悪を倒し、誰かを守る。
「俺も、ああなりたいなあ……」
「世界、救ってみたいなあ……」
その気持ちは、やがて冗談になり、そして現実から消えていった。
誰もが言う。
「正義じゃメシは食えない」
「いい人ぶるなよ、ダサいぞ」
「現実を見ろよ」
現実は、世界を救おうとするやつを、嘲笑う。
◆
彼が異能力――ギフトに目覚めたのは、24歳のとき。
ブラック企業で毎日朝5時まで働かされ、過労で倒れ、意識が朦朧としたとき。
“倒れたその瞬間、なぜか翌日の朝にワープしていた。”
気がつけば、体は超人的に頑丈になっていた。
事故に遭っても平気。高所から落ちても擦り傷だけ。
そして、一週間後。
彼は確信する。
「おれ、スーパーマンになったんじゃね?」
そこからが彼の始まりだった。
赤いマントを自作し、Sマークをガムテで作り、世界を巡る旅に出た。
彼のギフトは「生命力」。
その力を使えば、傷ついた人を癒すことができる。
ただし、“自分の命”を分け与えることで。
だから、彼は何度も死にかけた。
肺が潰れたこともあった。
肝臓が機能しなくなった夜もあった。
でも、彼は笑っていた。
「いいんだよ。どうせ余ってるから、俺の命なんて」
◆
それでも、誰も彼をヒーローと呼ばなかった。
どんなに命を削っても、どんなに人を助けても、彼はただの“変な日本人”だった。
貧乏で、無職で、頭がおかしい。
けれど彼は、止まらなかった。
「笑われるのは慣れてるんだ。子供の頃から、ずっとそうだったからな」
だからこそ、本当に困ってる人間を見つけたときだけは、本気で笑える。
自分の命が、誰かの希望になるなら、惜しくはない。
「俺は、馬鹿だからさ。いつだって“誰かのヒーロー”でいたいのよ」
◆
そんな彼が、あの“終わりの日”に立ち会うことになったのは偶然だった。
2031年5月13日。
世界は、黒く染まっていた。
人が狂い、殺し合い、都市が崩壊し、希望が燃え尽きていく。
すべては、ひとりの異能者――アザゼルの仕業だった。
触れるだけで、人の悪意を増幅させ、互いを殺し合わせる。
その狂気の中、神谷 悠は、まだ諦めていなかった。
「まだ……誰か、生きてるはずだろ……」
彼の体はもう限界だった。
命を与えすぎて、髪は抜け落ち、骨はきしみ、心臓も弱っていた。
けれど、その足で、まだ倒れた人を助けていた。
そのとき、出会ったのがレントンだった。
「……まだ、生きてるのか」
「誰、ですか……?」
「俺は……ヒーローだ」
死にかけたレントンを抱え、命を吹き込む。
自分の“全部”を注いで、彼を生かす。
そして、こう言った。
「お前のギフトは時間。進化すれば、過去に戻れる」
レントンは震えていた。
世界が終わった重みを、その目に宿していた。
だからこそ、彼に賭けた。
命を全部、託した。
「ヒーローってのはな、笑って死ぬ馬鹿のことを言うんだよ」
そして、スーパーマンは、世界の終わりに消えていった。
誰にも知られず。
誰にも感謝されず。
ただ一人の少年の中に、“希望”だけを残して。
◆
「――あの日、誰にも言えなかったけど」
レントンは、ノートの最後のページに書いていた。
スーパーマンは、僕にとって、本物のヒーローだった。