第二章 時間を逆らう少年
朝が来るのが、嫌いだった。
学校ではいじめ。
家では暴力。
母は見て見ぬふりどころか、加担すらしていた。
ご飯の時間になると、母の新しい男がやってくる。
「こんなガキに食わせる金はねぇ」と殴られる。
母は笑っていた。
冷めた目で、それを見ていた。
「おい、飯出てねぇぞ。どうなってんだよ」
「レントン! あんたまた冷凍庫から勝手に食べたでしょ!」
「はぁ? ふざけんな!」
ボコッ――という音が響く。
母が、殴られていた。
けど、それでも笑っていた。
レントンは、静かに立ち上がった。
顔も体も痛かったが、今は関係なかった。
今日は“それ”をやる日だった。
窓の外は、雨だった。
灰色の空が世界を覆っていて、何もかもを濁らせていた。
「……死のう」
ぽつりと、そう呟いた。
それが、一番静かな決意だった。
夜、誰もいない学校の屋上に立った。
足元には薄いコンクリートの縁。
この下には、確実な“終わり”がある。
風が冷たかった。
服の裾がはためいて、涙がにじむ。
もう、いいんだ。
誰にも期待されてない。
生きてる価値なんて、なかった。
目を閉じて、一歩を踏み出そうとしたとき――
「ちょっと待って」
背後から、少女の声がした。
振り向くと、そこにいたのは、白いワンピースを着た少女。
年は、たぶん同じくらい。
だけど、妙に大人びた瞳をしていた。
その手には、一冊のノート。
「……なに? なんでここに……」
「これは夢。あなたが見る最後の夢になる」
少女の言葉は、まっすぐだった。
だけど、現実感がなかった。
「え?」
少女は、静かにノートを開く。
そこには、数えきれないほどの“未来の記録”が並んでいた。
『2031年、世界終焉。全人類消滅。唯一の生存者:レントン・スウィフト』
『再構築の鍵:夢を見なくなった少女。予知者・エレン』
『この夢が覚めたとき、あなたは選ばれる』
「これは、君の未来。わたしの、過去」
少女は、エレンと名乗った。
未来を夢で見て、それをノートに書き続けてきた。
そして今、最後のチャンスとして、この“夢”を見せているという。
「あなたはギフトに目覚める。時間を逆らえる力。それを使って、わたしに会いに来て」
「……それで、何が変わるの?」
「何も変わらないかもしれない。でも……」
少女は、うっすらと笑った。
「君なら、変えられるって、わたし信じたいの」
レントンは答えられなかった。
だけど、妙に納得していた。
この夢の中の少女が、唯一、優しく自分を見てくれた気がした。
次の瞬間、視界がブラックアウトする。
――そして、目が覚めた。
「……夢、か?」
ベッドじゃない。地面だった。
薄汚れた毛布の上。周囲は崩壊した建物と黒い煙。
口の中に鉄の味が広がる。
「ここは……どこ……?」
そのとき、真上から声が聞こえた。
「おおっ、やっと目を覚ましたな! タイムトラベラーのガキ!」
驚いて飛び起きると、目の前に立っていたのは――スーパーマンだった。
赤いマント、破れた全身タイツ。
満面の笑み。けれど、その体はボロボロだった。
「ちょっと、力の使い方ミスっちまってな。時空がズレて着地したっぽいが……まあ、セーフだな!」
「……なに? 君、誰……?」
「俺か? 俺は……スーパーマン!」
「は?」
「うん、嘘だ。正確には“超人体質のギフト持ち”ってやつだ。正式な名前はないが、まぁ、ノリで呼んでくれ」
会話は支離滅裂。
でも、不思議と安心する声だった。
世界の終わりで、ひとりぼっちじゃなかったことが、何より救いだった。
スーパーマンは、自分のギフトについて語った。
「生命力」。
それを他者に分け与えることができる。
ただし、寿命を削って。
「お前が戻ってくるの、ずっと待ってたよ」
スーパーマンは、レントンの肩に手を置いた。
「……これから世界をやり直すんだ。お前の力ならできる。ギフトは、使えば育つ。鍛えれば進化もする」
「進化?」
「そう。お前のギフトは“時間操作”。今は一方通行でも、進化すれば過去も未来も行き来できる」
その言葉に、胸が高鳴る。
自分の力が、そんなことまで――。
「でもな。戻るにはエネルギーが要る。俺の命、そっくり使えば……ギリギリ一度だけ、送れる」
「……待って、君が死ぬってこと?」
「まぁ、そうなるな」
レントンは叫んだ。
「そんなの、ダメだよ! なんでそこまで――!」
「ヒーローだからだよ」
スーパーマンは、笑っていた。
誰にも必要とされなかった少年にとって、
誰かが、無条件に「信じる」と言ってくれることが、どれだけ大きなものだったか。
「さあ、行け。世界を変えるんだ、レントン」
赤い光がレントンを包む。
まるで胎児が産まれる瞬間のような、温かくて、でも痛い力。
「また会おうな、ヒーロー」
彼の声が最後に聞こえた。
そして、レントンは時空の裂け目へと飛び込んだ。