婚約者が「愛しているなら共に死んでくれ」とナイフを構えて突進してきた。後半
言われてみれば、この十年はひたすら鍛錬の日々だったように思う……。
でも、さすがに王国で十本の指に入るなんて誇張しすぎじゃないかしら。他の人達も多少は体を鍛えているでしょうし。
やっぱり皆、実力を隠しているのでは?
きっとそうだわ。
トーマス様も実はそれなりに鍛錬しているけど、今のはすごく力を抜いてくれたのよ。自分の婚約者を本気で刺そうと思うわけない。
まだ仰向けに倒れたままのトーマス様に目をやった。
「トーマス様、さっきは私を愛するあまりすごく手加減してくれたのですよね? だから、魔力も全く引き出さずに突進してきてくれたのですよね?」
「……君を愛しているのはその通りだけど、魔力とか何を言っているのか全然分からない」
分からないって、魔力は戦闘の基本なのに。どこまでしらばっくれるつもり?
「だからですね、本気で攻撃を仕掛ける時は魔力をこうやって」
と私が内なる魔力を引き出したその時、初めてヴェネッサ先生の表情に焦りの色が浮かんだ。
「シャノンお嬢様! ここではなりません!」
キィ――――――ン!
魔力を体に纏うために外に出すと、微弱ではあるけれどその波動が周囲に拡散されるらしい。もちろん、微弱なので多少なりとも心得があれば害はないに等しい。
私の魔力の波動が部屋を駆け巡った直後、心の底からやめておけばよかったと後悔した。
……周りでは貴族達のほぼ全員が気絶して床に倒れこんでいた。
大変なことに! 夜会そのものを制圧してしまった……!
当然ながらトーマス様も意識を失っている。立っているのは数人の体格のいい男性貴族だけで、もう私は彼らに尋ねるしかなかった。
「……私の魔力、もしかして結構危険ですか?」
「はい……、私は騎士団にも所属していますが、シャノン様のそれは、まるで怪物です……」
体を小刻みに震えさせながら一人が答えると、他の人達も同意するようにコクコクと頷いた。
……間違いない、私の戦闘力は群を抜いているんだわ。
ヴェネッサ先生がやれやれといった感じで周囲を見回す。
「ですから言ったでしょう。シャノンお嬢様は元の素質が違いますし、練度も並外れています」
「ずっと鍛錬ばかりしていると思ったら……、そんなにですか?」
「ええ、普通の人は毎日まだ暗いうちから山中を走ったりしませんし、一日何時間も魔力を錬ったりしません、実は。本当はお兄様やお姉様も、そんなことは一切やっておられません」
「どれだけ騙しているんですか……。……お兄様方、私と喧嘩になりそうになったらすぐに逃げていくわけですよ」
……ヴェネッサ先生、本当に私をどうするつもりだったんだろう。
私からの抗議の眼差しを受けて、彼女は窓際まで移動してこちらに背を向ける。やがて過去を振り返るように語りはじめた。
「シャノンお嬢様を騙し騙し鍛えるのも、そろそろ限界だと思っていました。いいでしょう、最初からお話しします」
今より十年前、ヴェネッサ先生は騎士団で若くして出世したものの、日々の激務に追われて疲れ果てていた。どこか静かな所で野菜でも育てつつゆっくりと暮らしたい、そう考えるほどに。
そんな折、町で偶然見かけたのが幼き日の私だった。
先生は一目で私の素質を見抜き、惚れこんだのだという。すぐに騎士団を退職して伯爵家に入りこむと、野菜を育てる代わりに私を育て出したそうな。自らが培った戦闘技術を注ぎこみ、最強の貴族とするために。
「……貴族で最強である意味はあるのですか?」
「あるでしょう、他所の家ともめた時などシャノンお嬢様がお一人出ていけば一発解決ですよ。お嬢様の戦闘力は並の使い手千人相当、すなわち一騎当千であることを私が保証します」
窓際で振り返ったヴェネッサ先生は誇らしげに胸を張った。
まるで丹精込めて作った野菜を自慢するみたいだわ……。よくこんなに好き勝手に育成できたわね。
「お父様やお母様はどうして反対しなかったのでしょう……」
「先ほどの一騎当千の話をしたら、ぜひにも! と言われましたね」
くっ、家ぐるみだったとは。
話を終えたヴェネッサ先生は部屋の出口へと歩いていく。
「ともかくシャノンお嬢様は自信を持ってください。あなたは私の最高傑作です」
「これから戦争に行くような言い方はやめてください……。屋敷に戻られるのですか?」
「いいえ、戻るのは騎士団に、です。充分に休んだのでそろそろ復帰します。いずれどこかの戦場でお会いしましょう、シャノンお嬢様」
「だから、戦争には行きませんって……」
扉を開けて先生はそそくさと退出した。
……発覚したから早々に逃げたわね。
とんでもない家庭教師だったわ。一人前の淑女になるはずが、完全に戦士として育成されていたなんて。
思い返してみれば、これまで他の令嬢方と話が噛み合わないことがしばしばあった。私は全然普通じゃなかったのね……。
「これじゃ結婚相手も見つからないかもしれないわ……」
そう呟くと足元で何か動く気配が。
意識を取り戻したトーマス様が私のドレスにしがみついていた。(ナイフは危険なので先に遠くに蹴っておいた)
「つ、強い君も素敵だ……。僕と、結婚しよう……」
「ごめんなさい、あなただけはもう絶対にないです」
……待って、私ゆえにこんな人を引き寄せたの?
だとしたら、前途多難だわ……。
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