異世界へのクーポン ~20円引き期限付~
新聞の中に時折入っている。
知らぬ間に家のポストに入れられている。
スーパーや外食系のアプリにいつの間にかついてくる。
「クーポン(付きのチラシ)」
中身はほぼ食べ物関係。特定のメニューを頼むと割引しますよというアレだ。割引額も大抵50~100円。中には10~20円という思わず「ショボ」とつぶやいてしまうものまである。
だが、私はこのクーポンというのが嫌いじゃない。ハッキリ言って好きだ。
なぜか。それはクーポンが私にとって「未知の世界に通じる扉の鍵」になるからだ。
世の中には数え切れないほどの種類の食べ物がある。だが、実際食べるものはと言うとあまり種類がない。いつもお決まりのメニューばかり食べている。店に入って何十種類というメニューがあっても頼むのはいつも決まっている。
メニューに100種類以上の料理名が並んでいても、目を向けるのはいつも頼むもの、良く聞く定番。その他はただの文字でしかない。
そんな私に「ちょっと私を指名(注文)してみない?」と声をかけてくる。それがクーポン。
「●●を××円引き」と書かれたそれは私にとって未知の料理へのパスポート。
腹は減っているが特に食べたいものがない。ちょうどクーポンがあるからこれでも頼んでみるか。
興味はあるけど……わざわざ頼むのは……ああ、そう言えばクーポンがあった。10円引き。
それをきっかけに口にし、以後すっかり私のお気に入りとなった料理がどれだけあったか。
雪印パーラーのロイヤルバニラアイス。エッセイ「おひとり おのぼり 札幌行き」でも書いたが、観光案内についていた10%オフクーポンがなければおそらく注文せず終わっただろう。そこから各種パフェに範囲を広げ、今では札幌に行く目的の1つになっている。
ドリア。新聞の折り込みチラシに某ファミレスの50円引きクーポンがなければ、今でもドリアという料理を知らないままだったろう。「なんだ。ホワイトシューかけ御飯か」と後頭部に蹴りを入れられそうな第一印象だったが、食べ終わる頃にはすっかりお気に入り。今ではファミレスや洋食の店に入るとドリアはないかとメニューを探る。家の冷蔵庫には冷凍ドリアを常備している。
この2つほど極端ではないが、豚肉と卵のオイスター炒め、イカチリソース、大根餅、子供の頃食べたはずだがすっかり味を忘れていたパンケーキ(ホットケーキ)、てんやの天丼、マクドナルドの月見バーガー、ロッテリアの絶品チーズバーガー、店舗に入るきっかけになった珈琲館。などなど。
ちなみに大根餅。メニューにある店が少ない。美味しいのに美味しいのに美味しいのに(大事なことなので3度書きました)。と嘆いていたら2022年12月。中華ファミレスのバーミヤンのメニューに大根餅登場。今まで一部店舗限定メニューだったのが見事全店舗メニューに昇格。偉いぞバーミヤン。ただ、まだお試し期間らしく頼むとしばらくして注文用タブレットに「大根餅、おいしかったですか?」とアンケートが表示される。春になったらメニューから消えないことを祈ろう。
食べ物以外では岩盤浴。ただ熱い床に寝っ転がっているだけだがなかなか気持ちよい。はまると言うほどではないが、ちょっと余裕のあるときはやっても良いかなという気持ちになった。実際、その後はクーポンなしでもたまにやる。
ドクターフィッシュ。足を突っ込むと寄ってきては足の古い角質を食べてくれるという魚たち。くすぐったいかと思ったがそれほどでもない。足の指を思いっきり開くと、指の間に首を突っ込んではツンツンしてくれる。けっこう気持ちよくて癖になる。クーポンを使ったのは某スーパー銭湯のイベントで、数回やった後姿を消したが、出先で見つけるとよほど急ぎでない限りやるようになった。
アーチェリー。観光客向けのお遊びで10メートルほど先の的に当てるというだけだが、実際やってみると思っていたのとけっこう違う。例えお遊び程度でも頭の中のイメージがかなり変わる。小説家のなろうの書き手なら、素人相手のお遊び体験だろうといろいろ貪欲にやっておくべきだと思った。実際、料理でも音楽でも何かの製造でも、読者より深い知識、体験があるというのは大きな大きな武器になる。
私にとってクーポンは正に新たなる道に続く扉の鍵。その気のない背中を優しくひと押ししてくれる手だ。
だが、残念ながら世の中にはクーポンを鼻で笑う人が存在する。10円引きのクーポンを出したら店員に鼻で笑われた。クーポンとは違うが商品と交換出来る優待券を使う客を陰で「優待乞食」などと言われる。優待券と引き換えに商品を手に入れ、金は一切払わないかららしい。
クーポンを使う人はビンボ臭いと思う人がいるらしい。残念と言うより哀しい。
この手のクーポンはやはり食べ物が多い。が、そもそもクーポンの対象となるのはどんなメニューだろう。クーポンを手にやってきた人が口にして「まずい」となったらイメージダウン、逆効果だ。
つまりクーポンが発行されるメニューとは自信のあるメニュー。食べてくれればきっと美味しさをわかってくれるはずと言うお店のオススメメニューだ。店から周囲のまだ見ぬ人達に向けてのラブレターみたいなものだ。
その自信作を皆に口にしてもらいたい、そのきっかけになればという方法の1つとして選ばれたクーポンを笑うことは、そのメニューを笑うことも同然である。それはクーポンを手に訪れた客のみならず、そのメニューを作り出し、調整し、採用し店に出すまでたゆまない努力を続けたメニュー開発者、調理人に対する侮辱である。
クーポンが好きな私だが、手にしたクーポンを使いまくっているかというとそうでもない。実際に使うのはほんのわずかだ。使うタイミングがなかったのもある。使うにはちょっとハードルが高いのもある。ピザのクーポンなど1人暮らしの私には使いづらい。
それだからこそクーポンを使うタイミングを得るというのは正に運命の時。神の導き。
私にとってクーポンとは、目の前にありながら決して踏み出すことのなかった世界へ背中を押してくれるチケットなのだ。
例えその中身が「20円引き」であったとしても。