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縁切り鬼  作者: 神崎 司
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郷土資料館の幽霊

 まだ五月だというのに、大分暑い。ちなみに姉の皐月という名前は、旧暦の五月を意味する。五月生まれだからと、単純な理由で付けられたという。かくいう葉月の名前も旧暦の八月から来ている。両親がまともに考えた名前は、弟の星哉だけだ。

 家に帰ると、玄関から続く廊下に、その星哉が立っていた。いや、まるで誰かが帰って来るのを待っていたように、立ち尽くしていた。


「ただいま、どしたの」


「今日は郷土歴史資料館に行ってきたんだ。子供の日は、子供料金が無料になるから」


 普通にそうなんだ、と言いかけて、葉月は弟の様子がいつもと違う事に気付いた。


「あそこ、この辺りで採れた恐竜の化石とかあるから、星哉は好きだよね。何の恐竜が好きなんだっけ?」


 尋ねると、相手はまごついた。それで葉月は確信した。今喋っているのは、弟ではない。


「また、誰かに取り憑かれちゃったか」


 星哉は、いわゆる霊媒(れいばい)体質で、時々浮遊霊の子供なんかが乗り移って喋り出したりする。


 葉月が指摘すると、星哉に憑依(ひょうい)した誰かは頷いた。多分、会話の切り出し方に迷ったのだろう。


「でも、玄関で立ちっぱなしも疲れるから、座って何か飲もうか。何が良い?」


「何でも、この子が好きな物を。身体をお借りした件は申し訳なく思っています。しかし、どうしてもお話したいことがあるのです」


 葉月はあんぐりと口を開けた。明らかに大人の口調だ。星哉に大人の霊が憑依するのは珍しい。

 

 台所でオレンジジュースをグラスに注いで、星哉と自分に出すと、彼はそれをごくごくと飲んだ。憑依した時に水分の取り方が分からなかったのだろうか。いつから取り憑かれていたか不明だが、それなりの長時間だとしたら、無理も無い。そういえば、幽霊は脱水を起こすのだろうか。起こさないなら、羨ましい限りだ。葉月はつらつらと考えながら、彼がジュースを飲み終わるのを待った。

 星哉は、飲み切ったグラスをテーブルの上に置いた。


「このような物を飲んだのは初めてです。不思議な味ですが、美味しいですね。柚子を絞った物に似ている気がします」  


 まさかの、初めて体験するオレンジジュースだったらしい。


「……えっと、いつの時代の人?」  


 葉月は思わず尋ねた。


「あなた方が、江戸時代後期と呼んでいる頃の生まれになります。私は郷土歴史資料館にいたので、そこの展示を読んで知りました」


 郷土歴史資料館の展示は、江戸時代の幽霊が歴史を勉強するのに有用である――と、若干どうでもいい知識を得た葉月は、本題の、彼の正体と目的を聞き出すことにした。何となく生きていた人間は、霊になっても、何となくしか喋れない。これだけはっきり喋れるのだから、それなりの理由がある筈だ。


「私は香取葉月。あなたが今取り憑いているのが弟の星哉。で、あなたは誰? 目的は何?」


 星哉の姿をした誰かは、はっとして居住まいを正した。


「申し遅れました。私は鹿島(かしま)朔太郎(さくたろう)と申します。元は一応武士の家系でしたが、江戸幕府の衰退に伴って生活が苦しくなり、染物屋で生計を立てるようになりました。こう言ってはなんですが、両親ともそれなりに商売の才能のある方でしたので、比較的まともな暮らしをしていました」


 “朔太郎”はそこで一つ、息を漏らした。


「しかし問題もありました。私の妹の“はる”です。あの子はどうやら、私を慕っており、兄妹では結ばれないなら、何処かに逃げようなどと言うのです。私には、全くその気はございませんでしたから、いつも何とかのらりくらりと流してきました。しかしある夜、強引に関係を迫られ、止むを得ず、太刀で刺し殺してしまいました。――ああ、あなたが嫌な気持ちになるのは無理もありません。私もどうしていいか分からず、呆然自失としておりました。しかし、私は家を継ぐ身でしたので、真実を公にすることは恐ろしく、家族も同意見で、妹の死体を土に埋めて隠しました。何せ、身分の高い人間以外は、若くても人が死んだり消えたりするのが当たり前の時代でした。私達は秘密を隠し通したのです。その所為で、死後は罪を購うのに大分時間が掛かりました。それでも最近、ようやくこちら側に、魂だけの身ですが戻って来られました。しかし私を引き寄せたのは、郷土歴史資料館に展示されている、私が妹を刺し殺した太刀だったのです」

 長い話だったが、葉月は事の輪郭をようやく掴み始めた。


「で、星哉がやって来たから、思わず取り憑いちゃったのね」


「そうです。自分では上手く移動できないし、妹が何処にいるのか、いや、存在しているのかも分かりません。今、一番気になっているのは、妹の事です。何となくですが、この子から、はるの気配がしたものですから」


 女の子に関する話だと、今の葉月はどうしてもカナメを思い出してしまう。星哉は直接カナメには会っていないが、葉月と皐月は会っているから、その所為だろうか。いや、自分の考えすぎかもしれない、と葉月は思い直した。


「あなたの妹さんって、銀髪に青い目だったりしました?」


「いえ、いたって普通の外見でしたが」


「遺体は何処に埋めたんですか?」


「林の中の大岩の側に埋めました」


「岩の側ですって」


 葉月は考え込んだ。朔太郎の言う“はる”と“カナメ”は、確かに似ている点もある。少なくとも、江戸時代はこの町の住人だったはずだ。縁切り岩のある辺りも、当時はかなり人里離れた場所だったのかもしれない。しかし本当に確かめるには、本人同士を会わせるしか方法はない。それは葉月一人では荷が重いので、皐月にも相談しようと思った。


「取り敢えず、朔太郎さんは部屋にいてください。姉が帰って来たら、対策を相談します」 



 皐月が塾から帰って来たのを出迎えたのは夕方だった。皐月は家の中をぐるりと見渡すと、何かが家に入り込んでいるのを悟ったのか、その表情を曇らせた。


「お姉ちゃん、気付いてるかもしれないけど、相談があるの」


 葉月は恐る恐る言って、皐月を星哉の部屋に引っ張って行った。


「今、星哉は、鹿島朔太郎という人の霊に取り憑かれてるみたいなの。その人は、自分が殺しちゃった妹を探してて、私はそれがカナメなんじゃないかって気がしてるの」


「葉月は空想が好きねぇ。女の子って、そういうものかしら」


「自分だって、そんなに歳離れてないくせに」 


「そうねぇ。――でもあなた、本当にあの鬼が妹さんだったとして、彼女に会ってどうするつもりなの?」


 皐月が、星哉の中の朔太郎に問うと、彼は大いに困ったようだった。


「分かりません。でも、本当に妹だとすると、鬼に成り果てたのは致し方無かったのでしょう」


「何その言い方!」


 葉月は声を荒げた。妹を殺しておきながら、自分は間違ってはいなかったとでも言いたげだ。生まれた時代が違うと、考え方も違うのだろうか。


「葉月、カナメが霊ではなく鬼になったのには事情がある筈よ。実際に会ったら、どうなるかは分からないわ」


 皐月は冷静だ。怒るという感情がないのかと思うくらいに。


「お姉ちゃんは腹が立たないの!?」


「叫んだり暴れたりするのは、エネルギーを消耗するからしないわ」


 つまり、多少は思う所があるらしい。


「でも、私なりにカナメという鬼について疑問に思うのは、彼女がどうして縁に執着するのかという事ねぇ」


「お姉ちゃんは、カナメがどういう存在か、何処まで知ってるの?」


「推測も空想も大して変わりないけど、この世への恨みで黄泉返った鬼の可能性が高いと思ってるわぁ。だから葉月の勘も、当たっているのかもしれない」


「今更フォローとか、もういいよ。とにかく、会わせてみればいいんでしょ」


 葉月がその場を強引に纏め上げて、縁切り岩に行こうとするのを、皐月は引き止めた。


「夜は人間の時間じゃないわ。明日もまだ休みなんだから、明日にしましょう。星哉には悪いから、他の依代(よりしろ)に移し替えないと駄目ね」



 星哉の憑依騒ぎには慣れっこなので、皐月は自室のおもちゃ箱を物色し始めた。今は、皐月と葉月は同じ部屋で寝ている。誰も人形遊びなどしない年齢だが、この家にはそんな物が沢山ある。この辺りは普通のご家庭とは違うんだろうな、と葉月は思った。

 皐月が取り出したのは、黒いウサギの縫いぐるみだった。シュッとスマートなボディが印象的だ。


「これ、私達が遊んでたのじゃなくて、何かのもらい物だった気がするけど、まあ、いいわね、そんな事」


 皐月がのんびりとした口調で言って、星哉の方に差し出した。朔太郎は星哉から縫いぐるみに移った。喋る機構がないから、身振り手振りで何かを伝えようとする。星哉の身体の方が楽だと言いたいようだった。


「それについては、私達も対策しないといけないのよねぇ。でも星哉は、霊が困ってるならって、お守りも持ってくれないし」


 皐月が珍しく溜め息を吐いた。

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