あの手を取ればよかった?
私は昔から物分かりの良い、所謂“良い子“だった。あまり裕福ではない三人兄弟の長女として生まれ、小さい頃はお姉ちゃんだから我慢しなさい、と言われて育った。別段、それを辛いと思わなかったので、それなりに鈍い子だったのだろう。
母が従兄弟達に対抗して、田舎から都会で教育を受けさせたい、と父親を田舎に残してまで、都会に出てきた時、私は小学6年生だった。
前から夫婦仲の良くなかった両親は、これがきっかけになったのだと思う。週末に父がやってきても家庭内別居状態で、私と弟達は息苦しさを感じていた。そんな状態が続き、すぐ下の弟は、新聞配達やスーパーの棚卸のアルバイトに精を出し、高校の時に免許が取れる年齢になるとバイクを購入した。夏休みには一人でツーリングに出かけ、一人で東京の大学に行くことを決めて、浪人はしたものの浪人生活すら東京の予備校に通うと家を出て行った。一番下の弟は対照的に引きこもりに近い状態で、家と学校の往復のみ、家でも自室に篭って食事と風呂の時ぐらいしか、顔を見ることが無かった。
私はというと、唯一の娘として、母と父の仲をこれ以上悪化させることのない様、あちらにもこちらにも良い顔をして、一人で気疲れしていた。負担をかけないように徒歩で通える高校に通い、試験の成績が悪いと母親に申し訳がないと思って頑張った。国公立大学に入学し、奨学金と授業料免除を受けて通った。にも関わらず、“娘を四年生大学に通わせるなんて“と言われる、と面と向かって母に言われた。
それでも私は、大学の友人に誘われた合コンにも行かず、海外旅行も母親に反対されても文句も言わずに従う娘だった。
何故なのだろう。何故私は母親に逆らうことが出来なかったのだろう。
小学校5年の冬の事だった。私の住んでいた田舎は豪雪地帯では無かったが、その日は、目の前が見えなくなる程の大雪が降っていた。学校帰りに、道を見失わないよう下を向いて歩いていた私は、なぜか、ある一軒の家の玄関前に立っていた。下しか見ず、歩きやすく踏み固められた細い道とも言えない道を歩いていた為、いつの間にか脇道から、除雪した個人の玄関前に気づかぬうちに入ってしまったのだろう。そう思って、引き返そうとしたその時、玄関フードが開いて、住人が出てきてしまった。雪国には玄関の前に温室のような玄関フードを付けている家が多い。吹き積もる雪で玄関ドアが開かなくなるのを防ぐためだ。
現れたその人は、動転する私に微笑むと、寒いから温まっておいで、とそう言って、家の中に招いてくれた。
普通であれば、見ず知らずの人の家に上がり込むことは絶対にしない。しかし、その時の私は、寒さで凍え、雪道を歩くのに疲れていた。玄関フードの内側から流れる温かい空気についふらふらと中に入ってしまった。
重厚なドアを開けると、そこは個人の住宅ではなく、蔵を改装したような薄暗い店舗だった。大小様々な木箱が所狭しと積まれていて、奥の方に1組だけ丸テーブルと椅子が置かれていた。
それ以上中に入るのが躊躇われ立ち止まったままの私に、その人はタオルを差し出し、フードや肩の雪を払ってくれた。
「さあ、座って、お茶をどうぞ。温まりますよ。若い人には珈琲の方が良かったかしら?」
「ありがとう、ございます。」小さな声で答えるのがやっとだった。
その人は、とても上品な老婆で、縦縞の着物をふわりと着こなしていた。小さい時に亡くなった祖母を思い出させた。
通学バッグを床に置こうとすると、手を伸ばされて、手近な飾り棚に置かれる。並んでいるのが木彫りのクマならまだしも、寄せ木細工や塗りの箱なので、違和感がこの上ない。
小さな丸テーブルは朱漆塗りで時代が経って深みのある落ち着いた色合いになっていた。天板の所々に散らされた螺鈿で四季の花が描かれている。白磁の茶器セットの側面には中国風の牛を引いた人物や井戸を覗く子供達の絵柄が染め付けられていた。
『すっごく高そう。』
鑑定を売りにしたテレビ番組でこういう食器に驚くような値段がつけられるのを何度も見たことがある。
目の前に差し出された薄い茶器には綺麗なピンク色の蕾が沈んでいた。
「桜?」
「そう、自家製なのよ。飲んでみて?」
落とさないように怖々伸ばした手に、茶器はほんのりと温かかった。
「熱いとすぐに飲めないでしょう。」その人は柔らかく笑った。
寒さで悴んだ指が茶器にゆっくりと温められて行く。そんな心遣いをありがたく思いながら、私はそのお茶を一口飲んだ。
「甘い。」
白湯のようにも見えるそのお茶には微かな桜の香りと甘みがあった。
「この桜も食べられるんですか?」
そう聞いた私に、その人は柔らかな笑顔のまま頷いた。
ちょっとはしたないかな、と思いながらも、私は茶器の底から蕾を掬い上げ口に入れた。
今まで食べたどんな食べ物よりそれは美味しかった。びっくりする私に、その人は微笑んで、「綺麗な花を咲かせてね。」と言った。蕾を食べたから、ふざけてそう言ったのだろう。
しばらく、他愛の無い話をした後、私は随分と小降りになった雪の中を自宅に帰った。
その後、インフルエンザで学級閉鎖になった事もあり、彼女にお礼を言おうと、あの家を探したけれど、何故か見つける事は出来なかった。
そうして、私は都会に引越してしまい、その不思議な老女と家の事は忘れてしまっていた。
母親の顔色を伺いながらの中学生生活は、それなりに友人達も多く、初恋と言えるものも経験した。親友と思っていた友達にその淡い思いを恋と煽られた末、学級新聞で暴かれた時も、笑って過ごせる位に私の外面は出来上がってしまっていた。
その親友とクラスが別れただけで挨拶もしなくなった、そんな頃、薄い人間関係に、ぼんやりと生きていてもつまらない、と感じ始めていた。
辛うじて、私が執着していたのはアニメの世界で、一押しのキャラクターは桜の枝を武器に戦う剣士だった。桜は、あの吹雪の日から、私の中で特別になっていた。色々なものを桜柄で揃えたし、彼、桜くんを最初に見つけたのもその流れだった。黒地に桜の流水模様の着物を着て、真っ直ぐな長い黒髪を飾り紐で緩やかに括りった品の良い穏やかな佇まい。戦う時のキリリとした表情とちょっと乱暴になる言葉使いのギャップが最高だった。
「ゆっちゃんに桜くんを語らせたら終わりがない。」と友人達に言われるほどにはのめり込んでいた。桜くん達の戦いの舞台になっている京都を訪れる修学旅行がこの時期の私が生きる目標だった。
そして修学旅行が終わってしまい、受験だけが目の前に残った時、私はあの夢を見た。
その夢でも私は気がつくとあの吹雪の日のようにドアの前に立っていた。ただ違うのは、周りは同じような白い世界でも、霧が立ち込め、絡みつくような重苦しさが支配していた点だ。霧がじわじわ迫ってきている、と私は感じた。このドアの向こうにはあの老女がいて、今回もきっと私を助けてくれる、そう信じて、私はドアを思い切り開いた。
そこは薄暗い店舗ではなく、柔らかな月の光が溢れる高級ホテルのスイートルームのような一室だった。月明かりに照らされた窓辺に立っていた人物は、手にしていた本を閉じると、私に向かって手を伸ばした。
「私はあなたをずっと待っていました。」
当然、その人は着物を着た老女ではなく、それこそ、アニメや漫画のキャラクターでしか有り得ない程の美貌を持った青年だった。月の光を集めて紡いだ銀糸の髪は床まで届きそうなぐらいに長かった。夜の闇を集めた双眸が、私をじっと見つめる。私を待っていた、という声は逆らい難い、艶めいた甘さを秘めていた。
「私を・・・?」
こんな人間離れした綺麗な人が、私なんかを待っているはずがない。そう思いながらも、期待してもう一度確かめる。
「ええ、あなたを待っていました。」
そう彼が言ってくれた時、私は自分がまだドアノブを握り締めたまま、入口に立っていると言うことに気が付いた。何故か、背後の迫り来る重苦しい霧は消えていた。
『この人は私の運命の人だ。』手を離して、一歩前に進めば、私は欲しかったものを手にすることが出来る。そう確信したにも関わらず、私はここで、何故か母の事を思い出してしまった。
「でも、お母さんが・・・。」
その言葉が口からこぼれた時、私は泣きたくなった。母が邪魔をしているんじゃない。何かをしようとした時に、勇気を出せない私の心が、母を言い訳に使っているのだ、そう気付いてしまったから。
青年が不思議そうに首を傾げたところで、夢は終わった。「これは咲かないかな?」遠くに小さな声を聞いたような気がして目が覚めた。
その後、私はずっと後悔しながら生きてきた。どうしてあの時、彼の手を取らなかったのだろう。ただの夢であるはずなのに、人生の一大事に決断を誤ったような感覚。あの手を取っていれば、いや、取ろうと一歩前に踏み出してさえいれば、確実に何かが変わったであろう確信。
他人に言えば、夢ごときに何を、と笑われそうだけれど、その後悔を持ち続けて、次に彼に会ったら、絶対に手を取ろうと思いながら生き続けた。
就職し、結婚し、子供も産まれ、そして今、病院のベッドで87年に渡る人生を終えようとしている。
結局、彼は2度と私の前には現れなかった。私は老女からもらった桜の蕾を咲かせ損なったのだろう。咲かなかった蕾はそのまま朽ちてしまうのだろうか。最後の息を吐いた時、目の端に縞柄の着物が見えたような気がした。
「私」が手を伸ばした、別展開の長編の構想もあります。興味をもっていただければ、感想、ポイント、ブックマーク等、頂けると嬉しいです。