第九十九話~司隷侵攻 三~
第九十九話~司隷侵攻 三~
光熹四年・初平三年(百九十二年)
董旻の軍勢と馬騰と韓遂の連合勢が対峙する戦場に現れた第三の勢力、その勢力を率いているのは劉逞に他ならなかった。彼は戦場へと到着すると間もなく、自身の旗である劉旗を掲げている。この旗を見て馬騰と韓遂は、大いに喜びを表していた。確かに現れることとはなってはいたものの、本当に劉逞の軍勢が到着するのかまでは確信を得られていなかったからである。しかし、こうして劉旗を掲げる軍勢が現れた以上、疑う余地などない。馬騰と韓遂の両名は、援軍が現れたことを声高に主張したのであった。
「彼の軍勢は、我らの味方なり!」
「もはや、董家の者など敵にあらず!」
『全軍、突撃ー!!』
『おおー!』
馬騰と韓遂の号令一下、彼らが率いる軍勢が突撃を開始する。そして命じた馬騰と韓遂もまた、自ら得物を持って董旻の軍勢へ、突撃を開始したのであった。一方で董旻であるが、混乱していると言っていいだろう。それでなくても、予想外の軍勢が現れたのだ。それに加えて、馬騰と韓遂の軍勢から彼らの味方であるとの話が流れてきている。事実、馬騰と韓遂が全軍で突撃を遂行したところ見ると、強間違いではないのだと思われた。それだけでも厄介なことに加えて、新たに表れた軍勢は劉旗を掲げている。現状、長安周辺でこれだけの規模がある軍勢を率いていて、かつ劉の名を冠する者など存在していない筈だからである。少なくとも、董旻は把握していない。しかし現実に、劉旗を掲げる軍勢が存在している。このことも、董旻が率いる軍勢の混乱具合に拍車を掛けていた。
「一体全体、誰の軍勢なのだ!」
思わず漏らした董旻の言葉こそ彼の、いや彼が率いる軍勢が持つ心情を表していると言ってよかった。するとその時、董旻の視線の先にある第三の軍勢の先頭付近にいる男の腕が上がった様に見える。そして次の瞬間、腕が降りおろされたのと同時にとてもよく通る声が戦場に響き渡ったのであった。
「全軍、突撃! 董旻の軍勢を、蹴散らすのだ!」
『おおー!!』
軍勢の先頭にいた男、劉逞の命が発せられた。その直後、旗下の兵が劉逞の両脇を駈け抜けていく。無論、彼らが向かう先にいるのは董旻が率いる軍勢であった。そもそも董旻の軍勢は、正面に展開している馬騰と韓遂の軍勢へ攻勢を仕掛ける為の布陣をしている。その様な布陣をしている軍勢の脇に、劉逞の軍勢が現れたというわけである。しかも劉逞は、馬騰と韓遂の軍勢が突撃を仕掛けた時分に合わせる形で攻勢を掛けてきているのだ。また、それだけではない。こちらはほぼ偶然なのだが、劉逞の軍勢が現れたのはちょうど董旻旗下の軍勢の側面である。つまり劉逞の軍勢は、董旻の軍勢に対して側面からの一撃を仕掛けた形であった。それでなくても董旻は、軍勢の一部を長安の様子が不明であったという理由もあって、軍勢の一部を分けていたのだ。そこにきて、自らが率いている軍勢よりも間違いなく兵数が多い軍勢から、側面よりの攻撃を受けたのである。しかも、正面に陣取る馬騰と韓遂の連合勢からの攻勢も受けている状態なのだ。とてもではないが、支えきれるものなどではなかった。
まず劉逞率いる軍勢から側面からの攻撃を受けた董旻の軍勢は、あっという間に食い破られて分断されてしまう。そこに、馬騰と韓遂が率いる軍勢が、勢いのままに正面から突撃してきたのだ。元々、董旻の軍勢は、馬騰と韓遂の連合勢に対して少し多い兵数を当てることでこれを撃破。若しくは、最悪でも凌ぐつもりだったのだ。しかしながらその目論見は、もはや崩れてしまっている。完全に敵の方の兵数が、味方の兵数を大きく上回ってしまった状態だからだ。しかも、旗下の軍勢を分断されてしまったことで、撤退すらも厳しい状況へと追いやられている。だからと言って、このまま戦場に留まり続ける方がいいとも思えなかった。
「……郿城へ、ひけー!」
ここにきて董旻の行動は、最初に戻った。
そもそも劉逞の軍勢が現れる直前まで董旻の頭の中では、馬騰と韓遂の軍勢を打ち破ることができれば儲けもの。できれば、敵軍勢を突破して郿城へ向かうことを考えていたのだ。その考えは、劉逞の軍勢が登場したことでかなり厳しくなったと言っていいだろう。しかしながら、郿城へ向かうという結末自体に破綻をきたしているわけではないのもまた事実である。それゆえに董旻は、最初に考えた通り郿城への撤退命令を出したのであった。無論、簡単に撤退などできる筈もない。ましてや、味方を分断させられているのだ。少なくとも、馬騰と韓遂と相対していた前線の部隊は、諦めざるを得ないだろう。それでも、半数以上が生き残ることができる。そして生き残った軍勢が郿城に籠城すれば、敵の目を引き付けることができる。その隙に、女子供は落ち延びさえるなりすればいいと模索していたのである。しかしながら、その目論見が果たされることはなかった。
董旻の軍勢を見事に分断した劉逞の軍勢は、どうにかして後方へ引こうとしている董旻が率いる本隊へ食らいついたのである。あまりにも見事な運用に、引く途中であった董旻が思わず感心してしまったぐらいだった。とは言え、敵を称賛している暇など存在しない。それでも誰が率いているのかと思い、旗印に視線を向ける。しかし彼は、こちらへと迫ってくる軍勢の中にある旗を認め、顔を引き攣らせたのであった。
「呂……呂だと!」
そう。
董旻は、呂布の旗印を見掛けたのだ。いや。他にも、張遼を示す旗や高順を示す旗が翻っている。ことここに至り董旻は、戦場に現れた第三の軍勢を率いているのが誰であるのかを理解したのだ。天下広しとは言え、彼らを家臣としている人物などただの一人しかいないからである。
「じ、常剛様!? ど、どうして彼の御仁が長安にいるのだ!」
これが、冀州の地にある何処かであればここまで驚きはしない。しかしながらここは司隷、しかも司隷の西にある長安なのだ。董旻からしてみれば、どのようにしてこの場に現れたのかが皆目見当がつかないのである。そもそも鄭にて皇甫嵩と、臨晋にて孫堅と対峙しているのである。少なくとも董卓を含めて董一族の元には、両戦線が突破されたなどと言う話は届いていない。だが実際には、劉逞が長安へ現れている。いかにして彼と彼が率いる軍勢が現れたのか皆目見当がつかないのだ。だからこそ、董旻は驚愕したのである。そしてこの驚きに費やしてしまった時間が、彼の運命を分けることとなる。ついに董旻の元へ、敵の軍勢が到達してしまったからであった。
「そこにいるは、名のある将とお見受けする。我が名は張文遠、お相手願おう」
「……我は董叔穎。申し出、お受けしよう」
「ほう。大師殿の弟御か、相手にとって不足なし」
『いざ!』
張遼と董旻は、お互いに得物を構える。暫く間、互いに睨み合っていたかと思うと、ついに動き出した。先手を切ったのは、意外なことに董旻である。彼は馬を駆けさせると、手にしていた柳葉刀にて切り付けていた。しかし張遼は巧みに避けると、手にした戟を振り回す。その攻撃は直撃するかと思われたが、董旻が柳葉刀を持つ手と反対側の手に持つ鉤鑲の盾の部位にて受け止める。さらには、盾の上下にある鉤の部位にて絡め取ろうとした為、張遼はすぐに手元へ引き戻しことなきを得た。思いのほか董旻が戦いなれていると感じた張遼は、不敵な笑みを浮かべる。それから戟を振りかぶると、董旻へ叩きつけた。咄嗟に先ほどと同じように鉤鑲の盾の部位で受け止めようするものの、先ほどまでとは違い重い一撃であり、とてもではないが受け止められそうにないと即座に判断した董旻は、どうにかして受け流そうと試みる。しかしてその試みは成功したが、代償を払うこととなった。張遼の一撃があまりにも重かった為か、盾の部位が損傷してしまったのである。そればかりか、鉤鑲を持っていた手に痛みをも覚えてしまったのだ。手か腕かは分からないが、骨にヒビでも入っているのではないかと思われた。この状態では、相手の攻撃を受け止めるどころか受け流すことすらも難しい。それでも董旻は、手に怪我を負っていることを隠す為に痛みをこらえつつ鉤鑲を構えていた。しかしながらそれは、小さくとも動きの不自然さを生んでしまう。そして張遼ほどの男が、不自然な動作を見逃す筈もなかった。彼は微かに高角を上げると、鉤鑲へ向けて薙ぎ払う様に戟を振り回したのである。地面に立っている状態であればしゃがむなりして避けることができたかも知れないが、今は馬上である。とてもではないが、大きく避けるような動きを取ることはできなかった。仕方なしに董旻は、鉤鑲の盾の部分で受け流そうとする。しかし残念ながら、董旻の思う様にはいかなかった。力の籠った一撃の重さに、盾で受けることが精一杯だったのだ。すると当然、董旻は痛みに襲われてしまう。堪えたくてもこらえきれない痛みに襲われてしまった彼は、不覚にも馬上から滑り落ちてしまった。どうにか寸でのところで受け身を取ったことで地面に叩きつけられる事態だけは避けられたものの、その代わりに強かに痛めつけられた鉤鑲を持つ腕は完全に骨が折れてしまう。こうなっては、獲物を持っているだけでも精一杯である。しかし董旻は、腕を痛めてしまったという事実を隠す為に、あえて鉤鑲を持つ手で構えたのであった。
その一方で張遼はと言うと、今の一撃から完全に手応えを感じている。董旻の状態は良くてヒビ、最悪は折れていることに間違いない。そう確信した張遼は、容赦ない攻めを加える。何と張遼自身も馬から降りると、戟を振り回して乱撃をくらわしたのである。怪我など負っていない通常の状態でも対処が難しいような乱撃であり、ましてや怪我を負った状態の董旻では受け止めきれるものではない。一度でもまともに受け止めでもしようものなら、とてもではないが受け止め切れる様な生易しい攻撃などではないからだ。その様な状況で次々と攻撃を与えられた董旻の意識は、痛みからかついには途絶えてしまったのだった。
足元に倒れ込んでいる董旻を、張遼は見下ろしていた。やがて一歩近づくと、張遼は肩に抱える。実は先ほどの乱撃だが、全て戟の柄によって行われたものであった。刃の部位ではなかったとはいえ、そのような乱撃を加えられては骨の折れた個所からの痛みも重なり意識を保つことが難しい。それゆえに董旻は、意識を保てなかったのだ。その様な董旻を肩に抱えつつ張遼は、董旻を捕らえたことを高らかに宣言した。
「敵将、捕らえたり!」
この宣言が事実上の止めとなり、董旻の軍勢はついに降伏したのであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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