第九十四話~出陣 六~
第九十四話~出陣 六~
光熹四年・初平三年(百九十二年)
袁術を追って宛に到着してみれば、そこには劉逞率いる軍勢が到着していた。などという事態に際し、攴胡赤児は頭を抱えざるを得なかった。劉逞自身が兵を率いているとなれば、かなりの大軍であろうことが予測される。少なくとも、現在率いている兵の数ぐらいでは対抗どころか相手にすらならないことなど容易に想像できた。しかも、いつ劉逞の兵が宛から出てくるかも分からない。この場所にこのまま滞在を続けていては、全滅する未来すらあり得るかも知れないのだ。
「いかがなさいます?」
「……あ? こうなれば、引くしかないだろう」
一瞬、何を尋ねられたのか理解できなかった攴胡赤児であったが、間もなく理解すると不機嫌さを隠そうともしないで撤退する旨を伝えた。そもそも彼には、負けが目に見えている戦で命を掛ける気などないのである。確かに牛輔から優遇されてはいるが、別段彼に忠誠を誓っているわけでもない。仮に牛輔の負けが濃厚となれば、さっさと彼から離脱して故郷にでも戻るだろう。いや。それどころか、牛輔を殺して自分の身が助かるように動くかもしれない。現時点では協力している理由も、牛輔との関係を続けていればいい目を見ることができるからでしかないのであった。
兎にも角にも、兵を引くという決断を攴胡赤児がした正にその時、宛へ門が開いていく。するとそこには、多数の兵が奇麗に整列していた。そればかりか間もなく門が開ききると同時に、兵たちが動き始めたのである。遠目にも自身が率いている兵数よりも多いと感じた攴胡赤児は、尻に帆を掛けて誰よりも早く逃げ出したのだ。その様な彼の動きに気付いた兵が、慌ててあとを追っていく。劉逞から命じられて宛より兵を動かした朱霊であったが、その様子を見て兵の行進を止めていた。何せあまりに素早い逃げっぷりであり、朱霊としても内心で呆れていいのかそれとも褒めていいのか判別がつかないでいるぐらいだ。ともあれ、敵を除くという劉逞よりの命を達成したので、朱霊は兵の進軍を止め劉逞へ報告を行う。同時に彼は、攴胡赤児のあまりも素早い逃げ様に、もしかしたら敵の罠ではないかとも警戒をして、斥候を放ちながら待機したのであった。
宛の城壁の上から攴胡赤児の逃げ様を見ていた劉逞の元へ、朱霊からの報告が来た。その内容を見て、劉逞は苦笑を浮かべてしまう。城壁の上から見ていただけに、攴胡赤児の行動が間違いなく撤退だと判断できていたのである。そこに朱霊から、罠を疑っているという報告があったので思わず苦笑を浮かべてしまったというわけであった。
「それに罠を疑うこと自体は、悪いことでもないからな」
『確かに』
張郃の他にも太史慈や盧植などといった将が集っており、彼らは劉逞の漏らした言葉に相槌を打つ。彼らも朱霊からの報告には目を通していたので、劉逞の漏らした言葉の意味を理解できたからだ。事態を楽観視するより、臆病と他者から言われても、慎重な方がいいからである。
「このまま、警戒を続けますか?」
「そう、だな」
確かに撤退というか逃げたというか、ともあれ視界の範囲から敵兵の姿は消えた。だが、完全に敵が消えたのかと言われればそうとは言い切れないのもまた事実である。どの道、一両日中には進軍を再開させる気なのだ。何より劉逞の存在も、攴胡赤児が牛輔の元へ戻れば伝わってしまう。だが、それまでは情報が伝わらないに越したことはないのだ。その後、朱霊は劉逞からの命を受けて宛周辺の警戒を行うことになる。しかしながら、その警戒網に敵兵の存在が認知されることはなかったのであった。
その一方で宛近郊から撤退という名の事実上の逃走を図った攴胡赤児はと言うと、牛輔の元へと向かっていたのである。このまま故郷にまで向かってもいいのだが、流石に距離がありすぎる。何より近くに多数の兵を率いている味方がいるのだから、ひとまずはそちらへ向かうのは当然の判断であった。
「お! お、待ちください!!」
するとその時、どうにか追いついた味方の一人が、攴胡赤児を呼び止める。このまま牛輔の元まで向かおうかと考えていた攴胡赤児であったが、呼び止められたことで単騎にて戻ることもどうかとの考えに至る。幸いにして追撃を掛けられている気配も感じないこともあってか、彼は馬の足を緩めることにする。そこれから間もなく立ち止まると、後方からくるはずの味方を待つことにした。すると徐々に兵たちも現れ始め、当初率いていた兵の八割ほどが合流したのだ。その旨を確認すると、攴胡赤児は再び牛輔の元へ向かう為に出発したのである。その際、攴胡赤児は、後方へははぐれた味方の兵の探索を含めた斥候を放ちつつも、牛輔へは第一報と言う形で使者を先行させて報告を届けさせている。もっとも、どちらの動きも攴胡赤児の考えではなく、助言を受けたからであった。
間もなくして牛輔が率いている本隊と合流した攴胡赤児は、牛輔に面会する。そこで改めて、自身の口から報告していた。攴胡赤児が派遣した使者からの報告が先にあったとはいえ、本人から改めて聞く事実に牛輔は衝撃を受けている。しかしその衝撃は一瞬でしかなく、次の瞬間に彼は笑みを浮かべていたのだ。牛輔が笑みを浮かべた理由、それは劉逞を引き摺り出せたと考えたからである。何せこのまま、ことが上手く推移して洛陽を再び董卓の勢力範囲としても、そこで終わりではない。最終的には、冀州にまで遠征を続けなければならない。しかし、今ならばこの南陽郡で決着をつけることができるからであった。
「そうか、そうか! 劉逞が出張ってきたか!! ここで雌雄を決してくれるわ!」
哄笑とも言えるような笑い声を、牛輔はあげていたのであった。
攴胡赤児が宛の近郊より兵を引いてから数日後、劉逞が軍を率いて出陣した。どうして出陣が当初予定していた日程から伸びていたのかというと、軍の再編をしていたからである。なにゆえに軍の再編を行ったのかというと、張勲や橋蕤や閻象。さらには雷薄や陳蘭など宛に残っていた元袁家の将が、劉逞の旗下に入ることを望んだためであった。だが彼らが、どうして劉逞と共に行動することを望んだのか。それは、袁術の行動と行方が判明したからであった。
牛輔との戦に大敗を喫した袁術が、再起をかけて本拠と言える汝南郡汝陽へ向かったことは前述した。もっとも、袁術の判断が必ずしも愚かというわけでもない。あの時点で彼は、劉逞の軍勢が宛にまで到達していることは知らなかったのだから間違いとは言い切れないのだ。しかしながら、宛へ残されていた張勲たちからすれば見捨てられたのと同じである。それでなくても、宛に残されていた彼らは、無理にでも戦おうとした袁術に対して失望感を味わっていたのだ。そこにきて、見捨てられたと取れる仕打ちである。これには流石に、彼らも愛想がついたのだ。そこで彼らが新たに選んだ主君というのが、劉逞である。そもそも劉逞は、戦上手として名を馳せている。しかも皇帝に再就任した劉弁からの信頼も厚く、しかも事実上の宰相と言っていい大将軍に就任している。その上、皇族の一人である。これだけの存在が身近にいるのだから、彼らが劉逞を新たな主君として選ぶと言うのも不思議はない判断であった。
彼らからの申し出を受けた劉逞だが、拒否することなく受け入れている。率いる将兵が増えることは、味方にとっても悪いことではない。しかも張勲たちは、地の利を得ている。南陽郡宛へ到着したばかりの劉逞からすれば、彼らの存在は実にありがたいのだ。こうして彼らを旗下の勢力として引き入れた劉逞だが、それで終わりということにはならない。再編を行う必要があり、その分だけ遅れてしまったというわけであった。そして牛輔たちはというと、宛から劉逞が出陣したとの報告が入るとこちらもすぐに行動へと移っている。彼が先鋒に任じたのは、楊定である。先の戦いで李豊を討ち取ったという功績を汲んでの抜擢であった。
こうして行動を起こした両軍勢は、やがて相対することとなる。ともに兵数が多いこともあるからかそれとも偶然かは分からないが、遭遇したのは涅陽の近郊となる。対峙した両軍勢だが、戦端を開くのにそう時間は掛からなかった。牛輔側としては二戦連続で勝利を収めており、このままの勢いに乗って勝利を得たいと考えていたからである。その一方で劉逞はどうなのかと言えば、こちらも早期に勝利を得たいと考えていたのだ。軍の再編があって予定外に宛で時間を取られてしまったということもあるのだが、それ以上に時間を掛けたくはないと言う思いがあるからだ。何せ今回の出陣は、董卓打倒も考慮に入れた作戦である。既に朱儁へは密使を出しているので、劉逞が牛輔に手間取って遅れるわけにはいかない。つまり、長安にて兵を挙げることとなる朱儁や王允、さらには協力している劉協と時期をうまく合わせる必要があるからであった。
さて劉逞の先鋒だが、朱霊と崔琰が務めている。こういった場合、普通は降伏したと言っても大して変わりはしない袁術に所属していた張勲などが任されることが多い。しかしながら、彼らが先方へと回されない理由が存在していた。それは、兵の数である。二回の敗戦、しかも二度目の敗戦は、大将の袁術の身すら危うい結果であった。そういった理由もあってか、袁術の兵はその殆どが宛へと戻ってくることなどなかった。それでなくても袁術が出陣した際に兵の大半を率いて出陣しており、宛に残っていた兵は少ない。このような理由が重なったこともあって、張勲たちが率いている兵はそう多くはないのである。そのような彼らに対し、先鋒を任せることは難しかった。そこで朱霊と崔琰が、先鋒を任されているのである。因みに張勲たち元袁術旗下の将兵だが遊軍扱いであった。
話を戻し、朱霊と崔琰を相手にした楊定であるが、そこは抜擢されただけはあると言えるだろう。彼は朱霊と崔琰が率いる先鋒を相手にしながら、一歩も引かなかったのだ。とはいえ、将兵共に劉逞に軍勢に所属している将兵は多い。それゆえに楊定は、戦いを優位に進めることはできていないでいる。しかし、それだけでも立派ではあった。だが、彼らの踏ん張りもそこまでであった。その理由は、楊定へ対して奇襲を掛けた軍勢がいたからである。その数は決して多いと言うほどではなかったが、楊定にとって予想外の攻撃であることに変わりはない。その為、指揮系統が混乱してしまったのだ。その様に生まれた隙を見逃すほど、朱霊と崔琰も甘い将ではない。二人は混乱を助長させるという意味合いもあり、即座に突撃したのだ。指揮系統の乱れに加えて、相対していた敵からの突撃である。流石にこの状況下では、混乱から回復させることは難しい。そのことを証明するかのように、それから間もなく楊定が率いていた先鋒は、崩されてしまった。なお、楊定へ奇襲を仕掛けた兵の正体だが、橋蕤が率いる兵である。彼らは元袁術配下で謀臣とされる李業の進言もあって、遊軍という立場を利用して伏兵となっていたのだ。そして前述したように、敵先鋒へ奇襲を仕掛けたと言うわけである。この攻撃が事実上、楊定率いる先鋒を打ち破る決め手となり瓦解したのだ。これには、牛輔も驚きを見せる。まさか、こうも短時間で先鋒が破られるとは思ってもみなかったからだ。しかし、軍師である賈詡の手腕によって、ことなきを得ることができた。彼は王方を投入することで、先鋒が瓦解することを避けたのである。しかし、先鋒が破られた事実ことによる劣勢は変わり様がない。何せ兵数では、牛輔が率いている兵数より劉逞が率いている兵数の方が多いからである。それゆえに賈詡は、現状を打開する策をまだ味方が受けている損害が小さいうちに牛輔へ進言したのであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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