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第九十三話~出陣 五~


第九十三話~出陣 五~



 光熹四年・初平三年(百九十二年)



 紀霊と楽就と李豊の勧めによって戦場より離脱した袁術であったが、彼は立ち止まっている。彼は戦場からある程度離れたあとは街道へ向かい進んでいたのだが、やがて分岐点に差し掛かっていた。果たして分岐点の一方を進めば、宛の町へと辿り着くことができる。そしてもう一方の道を進めば、豫洲汝南郡へと向かうことができるのだ。

 さて、なにゆえに袁術が立ち止まっているのかというと、どちらに向かうかを思案していたからである。何ゆえに悩んでいたのか、それは豫洲汝南郡にある汝陽が袁術や袁紹の出身である汝南袁氏の本籍となるからであった。こちらへ向かえば、ほぼ間違いなく袁術を庇護してくれるであろう。しかしその選択をすれば間違いなく宛は陥落し、袁術の基盤となっている南陽郡は失うことになるからだった。だからといって、このまま宛へ戻ったとしても牛輔の軍勢から守り切れるとは思えなかいのもまた事実である。それでなくても前回と今回、立て続けに負けたことで、袁術が抱えていた軍勢の大半は喪失している。仮に宛へ戻り残していた兵を率いて籠城したとしても、まず落城は避けられない。何より、援軍が来る可能性がない籠城など死までの時間を引き延ばしているだけでしかない。そして袁術に、死ぬ気は全くなかった。


「……汝陽へ落ちよう」


 そう決断すると、袁術は汝南郡へと向かう街道へ馬首を向ける。そしてそのまま、馬を駆けさせたのであった。しかしながらもし袁術が宛へと向かうと判断していたならば、彼の行く末は変わっていたかもしれない。しかし汝南郡汝陽へ向かう決断をした以上、論じても仕方がないことであった。





 袁術が汝南郡への街道へ馬首を向けてから数刻ほど経った頃、攴胡赤児の率いる別動隊が街道の分岐点へと到着していた。しかして彼は、ここで進軍を止めてしまう。それは言うまでもなく、袁術がどちらへ向かったのかが分からないからであった。今いるこの場所より近いのは、間違いなく宛である。しかし袁術が宛へと向かわず、汝南郡へと向かう可能性も捨てきれない。汝南郡へ向かうことは力の喪失を意味するが、汝南郡は汝南袁氏の本籍である。しかも汝南郡のさらに東は、袁紹が刺史を務める揚州がある。捲土重来けんどちょうらいを期して、宛を南陽郡から落ち延びあえて向かうこともこれまた考えられるからだ。とは言うものの、長々ながながと考えに耽るわけにもいかない。何せ幾つかの分隊に分けて追撃を試みてみたものの、いまだに袁術を見つけてはいない。さらにここで冗長に時間を食えば、より見つけることが困難になってしまうからであった。


「……よし。宛へと向かう」


 暫く考えたあとで攴胡赤児が進軍先に選んだのは、宛であった。とは言えこれにより袁術は、無事に追撃の手を逃れることに成功したのだった。一方で、宛へと向かった攴胡赤児率いる別動隊であるが、やがて宛の近くまで到着すると驚くべき事実を確認することとなったのである。攴胡赤児が確認した事実、それは宛が彼では落とせないという現実であった。袁術は宛へ向かう筈だと判断した攴胡赤児であり、それだけに宛へ向かうまでは急がせている。何せ宛の町へ入ってしまう前に、袁術を捕らえなければならないからだ。しかしながら、袁術を捕まえることもできず、結局彼は宛へと近づくこととなる。そもそも袁術は、攴胡赤児の予想に反して汝南郡へと向かったのだから当然だった。

 ともあれ宛の近くまで到達してしまった攴胡赤児であり、流石にここまで来てしまうと進軍を慎重にせざるを得ない。彼には宛へどれだけの兵が残っているのかなど、見当がつかないからだ。既に大きな戦を二回続けており、しかもどちらも大きな損害を被っての惨敗であるので、ここにきて宛に多くの兵がいるとは思えない。だからといって、敵の本拠地であった町へ無警戒に近づくなど言語道断である。攴胡赤児も、匈奴とは違うが北方民族の出ゆえ思考が武へ偏りがちであるが、その彼をしても流石にこのまま宛へ向かうのは無謀であると判断できていた。そこで斥候を放ったわけだが、やがて戻ってきた斥候より驚きの事実をもたらされることになったのであった。


「な、何だと! それは、真か!!」

「はい。おびただしい数の旗が、宛に翻っております」

「な、なぜだ! それほどの兵を、袁術が抱えていたというのか!!」


 前述している様に袁術は、立て続けに二度の負け戦を経験している。しかもただの負け戦ではなく、大敗であると言っていい。その様な大敗を経験しているにも関わらず、攴胡赤児自身がひきつれている別動隊どころの騒ぎではない数の兵が駐屯していると言うのだ。その様な報告など、まさに悪夢でしかない。しかしその悪夢だが、そこで終わらなかったのである。さらなる報告が斥候より告げられた攴胡赤児は、驚愕の表情をしていた。彼をしてさらに驚きを齎すこととなった続報、それは宛に翻っている旗の正体である。袁術配下の家臣である張勲や橋蕤や雷薄と陳蘭の旗や、彼らの所属を示す袁家の旗が翻っているのは分かる。しかし彼らの旗など霞んでしまう旗、それは劉旗であった。他にも趙雲や夏候蘭や太史慈や張郃などといった劉逞旗下の将を表す旗がはためいている。さらに言えば、止めとばかりに大将軍の旗すら宛には翻っている。ここまでの事実が揃えば、答えは明白であった。


「りゅ、劉逞が宛にいる、だと!」


 攴胡赤児は、まさかの事態に声を大にして張り上げていたのであった。





 城壁の上から敵となる攴胡赤児率いる隊を見下ろしている劉逞であるが、実は宛へと到着できたのは攴胡赤児が宛の郊外へ到着する少し前のことであった。勿論、先発隊として急ぎ向かわせていた軍勢は既に宛へと到着していたのだが、劉逞が率いる本隊が間に合ったのは袁術に疎まれて宛の守りを任されていた張勲たちのお陰であった。

 袁術の命により牢へと繋がれていた閻象から知恵を借りた張勲と橋蕤は、急ぎ使者を劉逞に対して派遣したのである。果たしてその理由だが、それは閻象から劉逞であれば軍を動かしている筈だと告げられたからだ。その様なことなどあり得るのかと張勲と橋蕤は眉を顰めつつ尋ねたのだが、閻象は間違いないと断言している。どの道、宛に残っている兵数では、主である袁術を恐らく撃破しただろう牛輔の軍勢と渡り合うなど無理な話である。それであるならば、閻象の言葉に賭けてみるのもまた一興というものだ。そう判断した張勲と橋蕤の二人は、独断で閻象を牢から出すと宛を守る将の権限で彼を臨時の軍師としつつ劉逞へ使者を派遣したというわけである。するとその使者は、閻象の考えが的を射ていたことを体験することとなった。それは使者の一行が、進軍している劉逞と鉢合わせたからである。袁家の旗を掲げつつ劉逞の軍勢に近づいた使者の二人、即ち雷薄と陳蘭の二人は、劉逞宛の書状を持参していることを告げる。その直後、彼らは劉逞の元へと向かわされたのであった。


「宛よりの使者だと言ったな」

「はい。こちらをご覧ください」


 正使となる雷薄が掲げている書状を夏候蘭が受け取ると、そのまま劉逞へと差し出す。書状を受け取ると、すぐに中身を確認した。そこには、袁術が既に一敗地に塗れていること。さらには、袁術が激情のままに残った兵の大半を引き連れて出陣したことが記されている。同時に、袁術を救って欲しいとまで記されていたのだ。

 まさかの状況に、劉逞の頭が痛くなる。一戦して負けていること自体はまだ仕方がないとしても、もう一度出陣するという判断をした理由が分からないからだ。普通であれば、宛に籠り援軍を要請する判断をするだろう。劉逞という董卓と相容れない勢力が身近にあるのだから、それはなおさらだ。それであるにも関わらず、袁術は出陣している。しかもその状況で、援軍の要請すらもしていないのだ。その上、袁術自身、決して戦が上手いとは言い切れない。劉逞からしてみれば、負けるために再度出陣したようにしか感じられなかった。


「……はぁ。相分かった。急ぎ向かおう。そなたらには道案内を頼む」

『ははっ!』


 急ぐとなれば、地の利がある者に案内させる方が効率もいい。そう判断した劉逞は、使者の雷薄と陳蘭へ道案内を命じたのだ。さて、彼らがなぜ劉逞からの命を受けたのかと言えば、理由は二つある。一つは劉逞が皇族であり、間違いなく味方だからだ。だがそれ以上に、閻象から言い含められていたからである。使者となった雷薄と陳蘭であるが、出立前に閻象から劉逞より命を受けたら従うようにと言われていたのだ。二人からすれば劉逞がいるだろうと言う閻象の予測は半信半疑なのだが、それでも命令は命令である。取りあえず了承した雷薄と陳蘭は、直後に宛より出立していた。そして正に、閻象から言われた通りとなったのである。だからこそ二人は、反論すらすることなく素直に劉逞の命へ従ったのだった。

 躊躇う様子をほとんど見せずに従った雷薄と陳蘭を見て一瞬だが訝しげになった劉逞ではあったが、今は詮索している時間すら惜しい。取りあえずこの件については棚上げにすると、急いで進軍を再開させたのだ。こうした経緯のお陰もあって劉逞は、攴胡赤児が宛へ到着する前にたどり着けたと言うわけであった。


「常剛様」

「む。儁乂か。そなたには無理をさせた」

「いえ。問題ありません」


 黙って攴胡赤児が率いる軍勢を見つめていた劉逞であったが、声を掛けてきた張郃へ声を掛けた。ここで言う無理というのが何であるのか、それは彼へ先発隊を任せたことにある。何せ今の宛には、碌な兵力が残っていない。その様な宛を守る為には、無理をしてでも兵を送る必要があった。そこで劉逞は、宛から派遣された使者で副使であった陳蘭へ、張郃と共に一足先に宛へと向かうようにと命を出していたのである。命じられた陳蘭としても、不満はない。それどころか寧ろ、望んでいると言っていいだろう。劉逞から命を伝えられた陳蘭は、張郃率いる先発隊と共に宛へひた走ったのだった。やがて到着した宛で、張郃と陳蘭は喜びとともに迎えられている。だがそれは、当然である。先行部隊である張郃の部隊だけでもありがたいのに、皇族として劉逞の本隊が続いていると言うのだ。これならば、いかなる事態が宛を襲おうとも、まず落ちることはないだろう。宛の守りを任された張勲と橋蕤に、そう思わせるには十分であったからだった。

 何はともあれ、張郃の先発隊が張勲と橋蕤と共に守る宛へ劉逞率いる本隊が到着した。実はこの時刻、袁術が汝南郡へ向かうと決める前のことである。だからもし袁術が汝南郡ではなく宛へと向かっていれば、彼は到着した張郃の軍勢と鉢合わせていた筈である。そうなれば、劉逞へ助けを求めることもできたであろう。そればかりか、牛輔への意趣返しも可能であったかもしれない。もっとも、南陽郡太守の地位は解任されるとみて間違いはないだろうが。しかしながら、既に汝南郡へと袁術が向かっている以上、あり得ない話であり考慮しても仕方がないことであった。

別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

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も併せてよろしくお願いします。



ご一読いただき、ありがとうございました。

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