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第九十話~出陣 二~


第九十話~出陣 二~



 光熹四年・初平三年(百九十二年)



 宛より出陣した袁術の様子は、意気軒高と言っていいだろう。これからの戦において、牛輔の軍勢を討ち果たさんという思いが発露している為であった。それだけに袁術が率いている将兵との士気の差が大きく、その様はいっそ滑稽に見えたのである。しかも袁術自身は、そのことに気付いている節がない。その理由は、内心で彼が別のことに囚われているからであった。


「あのような田舎者に身の程を分からせてやるには、やはり正面から叩き潰すのがいいだろう……」


 まだ干戈を交えるどころか敵の姿すらも確認していないにも関わらず袁術は、既に勝てる気でいたのである。それどころか彼の関心は、既に勝利を収めたあとのことにまで至っていたのだ。これが自信の表れなのか、それともただの自惚うぬぼれなのか。その様なことなど、今さら論じるまでもない話だと言えた。


「まずは、斥候を出すとしよう。相手の所在が正確に分からなければ、叩き潰すことも不可能だからな」


 ここで袁術は。一度軍勢を停止させる。それから改めて、斥候を派遣することにした。そして斥候が戻るまでの間、彼は休憩もかねて軍勢を停止させたのである。すると袁術は、が仮の陣を構築させる。ここまでならばまだよかったのだが、何と袁術はくつろぎ始めたのだ。果たしてその姿を見る限り、彼が本当に軍勢を率いる大将なのかと疑いの目を向けてしまうほどであったという。確かに、周囲には敵がいるとは思えない。だからといって戦を控えているこの状況下で、そこまで気を抜いていいというものでもなかった。その様子に、家臣たちの士気が下がっていくこととなる。しかしながら袁術は、そのことに気付く様子がない。もっとも、気付いていれば最初から、幾ら何でも彼が今見せているような素振りなどしなかった筈だ。

 何はともあれ、何とも言えない空気が漂い始めてしまったのだが、そこに斥候を命じた一人の男が現れる。その彼の口から出た言葉は、敵の所在についてであった。斥候の彼がもたらした情報によれば、牛輔率いる軍勢は一直線に宛へ向けて邁進している。しかも敵である牛輔が率いる軍勢の先には、袁術が率いている軍勢がいると言うのだ。斥候からその話を聞いた袁術は、声を張り上げたのであった。


「この場にて迎え撃つぞ!」


 袁術の様子に士気が下がってしまったとはいえ、彼らもそこは将である。敵がいることが分かって、腑抜けているなどといったことなどない。彼らは、気を引き締めると敵を迎撃するべく動き始めたのであった。

 その一方で牛輔の軍勢はというと、既に袁術率いる軍勢の動きなど把握していた。その上で、袁術の軍勢へ向けて進軍していたのである。つまり牛輔の動きは偶然の産物といった代物ではなく、明確な意思のもとで袁術の軍勢に向けて進んでいたということに他ならなかった。何せ宛に籠られた場合、いささか面倒なことになりかねない。だからこそ牛輔は、いかにして相手を城外へ釣り出す為の手立てを賈詡へ講じるようにと申し付けていたのだ。それだけに、袁術が出陣したとの報告を聞いて思わず彼は自身の耳を疑っていたのである。それだけ、袁術の出陣は牛輔にとって意外なことだったからである。これが、先の李豊との戦が接戦の末であったと言うならばまだ分からなくもない。しかし実際は、牛輔側の圧勝であった。それだからこそ牛輔は、袁術は宛に籠るのではないかとも思ったのである。何せ袁術には、一族の袁紹という当てがあるからだ。それゆえに賈詡へ策を講じるようにと申し渡していたのだが、よもや敵からその前提条件を覆してきたのである。これこそ、千載一遇の好機と言って間違いなかった。


「文和。討ち果たすぞ」

「はっ」


 それから暫くのち、牛輔の軍勢と袁術の軍勢は同じ戦場へと足を踏み入れたのであった。





 牛輔と袁術の軍勢が対峙すること半月、今までは小競り合いぐらいしか起きていなかった。しかしそれは、いずれ起きる全面対決のいわば前座に過ぎない。対峙する日が経つ連れ、徐々にではあるが戦の機運というものが高ぶってきていたからだ。そしてついに、彼らは先端を開いてしまう。どちらが先に手を出したなど、もはや些細なことでしかなかった。理由は何であれ、一度でも大規模な戦闘が始まればもはや止めることなど難しい。寧ろここで止めるより、勢いを借りて攻勢に出たほうがより良い結果が得られるかもしれない。少なくとも、牛輔の軍師を務めている賈詡は判断した。無論、勢いに任せてという点において不安はある。だが勝負には時というものがあり、今がその時ではないかと彼は思えたのである。それゆえに賈詡は、総大将の牛輔へこのまま全面攻勢へ移るべきであと進言した。進言を受けた牛輔は悩むそぶりを見せたが、今さら止めるなど難しいことぐらいは彼でもわかる。だからこそ牛輔は、賈詡の進言を受け入れたのであった。


「全軍、突撃!!」

『おおー!』


 鬨の声と共に牛輔の軍勢は、戦場へと殺到したのであった。

 しかして相対している袁術はと言えば、いきなり始まってしまった戦に狼狽えていたのである。あくまで仮にではあるが、この場に閻象がいれば賈詡と似たような進言を判断までの差はあるかもしれないが、それでも袁術へとしていたであろう。しかしながら、現実に閻象はいない。彼は宛にあって囚われの身であり、現在この戦場にはいないのだ。しかしながら、人が皆無というわけでもない。事実、袁術へ一人の家臣が進言をしている。果たしてその者だが、紀霊であった。


「喝っ!」


 いきなり始まってしまった戦闘、しかも大規模な様相に狼狽えている袁術へ静かに近づくと紀霊は一言、声を張り上げていた。既に喧噪渦巻き始めている戦場にあって、紀霊の言葉はその喧騒に負けず袁術へと届く。そのお陰もあって袁術は、狼狽から脱却したのであった。


「公路様。気をお静めください」

「あ、ああ。そ、そうだな」

「して、ご命令を」

「え? あ、うむ。す、すぐに迎撃せよ。必ずや、討ち果たせ」

「御意」


 一度命さえ出てしまえば、あとは行動に移すだけである。ただ惜しむらくは、時間差であった。いきなり始まってしまったことに対して状況を把握できていなかったのは、どちらの軍勢の総大将も同じである。しかし、既に攻勢へと移ってしまっている牛輔の軍勢に対して、袁術の軍勢は漸く反撃へと舵をきったのだ。この差は致命傷とまではいわないが、袁術側にとってかなり分が悪いといっていい。それでも紀霊を筆頭とした袁術の将は、劣勢をまずは立て直す為に兵を鼓舞して反撃へと移っていく。すると袁術の軍勢は、たとえ一時であるにしても、互角までとはいかなくともそれに近い状況にまで持ち直して見せたのだ。しかしながら、彼らの奮戦もそこまでとなる。その理由は、賈詡の取った次なる一手であった。敵の動きから、当初の混乱より立ち直りを見せているのではと推察した彼は、即座に前線の樊稠へ指示を出す。同時に、李蒙へも指示を出していた。指示を受けて李蒙は、すぐに出陣して一隊を率いると戦場を大きく回り込んでいく。そして彼と彼の率いる一隊は、袁術勢の側面へと現れたのである。そして敵前線からの攻勢を凌ぐことに注力していた袁術勢は、李蒙の軍勢に気付ける余裕はなかった。それは正に賈詡の指摘した通り状況であり、李蒙もしきりに感心してしまう。しかし、いつまでも感心などしている場合などではない。すぐに意識を切り替えると、李蒙は時の声を上げて袁術の軍勢に横殴りとばかりに突貫したのだった。この一撃は袁術側にとって予想すらしていないまさかの横撃であり、流石に支えきれるものではない。しかも李蒙は、奇襲を掛けた袁術の軍勢を突き抜けてしまっている。その為、袁術勢は完全に二分されてしまう。そしてこの事態を、待ちかねていた男がいる。しかしてその者は、樊稠であった。


「正に、軍師殿の言われた通り。者ども、押し出せ!」

『おおー!!』


 樊稠の号令一下、前線の攻勢をさらに強めたのだ。ところでなにゆえに樊稠はすぐ行動へと移れたのか、それは前述した賈詡からもたらされた指示こそ、李蒙による奇襲だったのである。しかもその指示には、敵が混乱したら間髪入れずに押し出すようにともあったのだ。だからこそ樊稠は、即座に攻勢へと出られたのであった。

 その一方で袁術の軍勢はと言えば、混乱の坩堝と化していた。それでなくても、後方で味方が分断されてしまったのである。そこにきて、まるでこの事態を読んでいたかのように攻勢を強めてくる牛輔の先鋒。この状況では、不安を抱かないほうが難しかった。しかもその不安は、あっという間に伝播してしまう。そこに追い打ちをかけるように、再び後方より聞こえてくる剣劇の音であった。この結果、前後を挟まれてしまったかのような感覚に襲われた兵に、士気を保つだけの気概は存在していなかったのである。前線の兵から一人、また一人と逃げ出していく。その様は、水が手よりこぼれていくかのようであった。


「も、もう駄目じゃ!」


 どこの誰かも分からない者が上げたひと言、それが止めとなる。ついに士気を保つことができなくなり、袁術勢の前線は崩壊したのだ。袁術の将は逃亡を始めた兵を押し留めようとするが、そこに漬け込む様に樊稠の軍勢が襲い掛かってくる。この状況下で逃亡を始めた味方の掌握と敵勢への対処など、稀代の名将と呼ばれるような者がいたとしても難しいだろう。無論、袁術旗下の将も、無能というわけではない。しかし流石に、稀代の名将と同等の働きができるほどではない。結局、敵への対処も味方の掌握もままならないまま、袁術の最前線は崩壊したのだった。その後、樊稠と李蒙の軍勢は合流すると、そのまま敵への攻撃を強めていく。事実上、前線が崩壊したことで味方を大きく失った袁術の軍勢に、樊稠と李蒙の攻勢を押し留めることは難しかった。


「公路様! お引きください!!」

「し、しかしだな……」


 一度は劣勢から盛り返しただけに、袁術は引くことを躊躇ってしまった。しかし、前と今では状況が変わっている。ここから盛り返すなど、とてもではないができると思えない。だからこそ袁術へ撤退を進言した紀霊は、強硬手段へと出る。彼は手にしていた愛用の武器である三尖刀の柄で、袁術が乗る馬の尻を叩いたのだ。次の瞬間、袁術の乗る馬は、背に主人を乗せながら狂ったように走り出す。その馬が向かう先は、東であった。


「これでよい。あとは、我らが踏ん張るまでよ!」

『うむ』


 紀霊はそう言いつつ、視線を向けた。彼が視線を向けた先には二人の将がおり、紀霊の言葉に返答したのは彼らである。果たしてその二人だが、李豊と楽就であった。袁術より軍勢を預けられながらも、先の戦で負けてしまった二人である。ここで袁術の撤退を成功させることで、前回の負け戦の汚名を返上する気であった。そして彼らの働きによって袁術は、無事に戦場より脱したのであった。

別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

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も併せてよろしくお願いします。



ご一読いただき、ありがとうございました。

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