第九話~広宗攻防戦 二~
第九話~広宗攻防戦 二~
光和七年(百八十四年)
駐屯していた広陽郡を出た劉逞は、幽州へ移動した時と同じ道筋で鉅鹿郡へと向かった。そして途中の常山国において、少しの間だけだが休息を挟んだところも同じであった。幽州へ向かった時と違う点、それは目的地である。以前は広宗の近辺から出立であったが、今回は広宗ではなく董卓が駐屯している広平であった。
その広平へと辿り着いた劉逞は、董卓と面会した。しかしながら董卓の表情は、愁いを帯びていると言っていい。その理由は、思わぬ負け戦となったことに他ならなかった。その件に関して同情の念も起きるが、劉逞はあえて何も言わない。しかしそれは董卓を気遣ったのではなく、盧植や趙伯から言われたからであった。
流石に若い劉逞では、この辺りの機微がまだ分からない。というか、理解しきれていないのだ。その点を考慮した両名が、下手な同情は厳禁だと先に釘を刺した形である。しかし劉逞は、先も言ったように若い。できるだけ表情に出していないつもりでも、完全に隠しきれてはいないのだ。当然ながら董卓も劉逞の様子に気付いていたが、彼は十分に大人である。彼の傍に控えている二人の大人となる盧植と劉伯の気づかいを汲んで、何も言わずに黙ったままであった。
何はともあれ、表向きは恙なく兵権を引き継いだ劉逞は、まず曲周へ韓当を派遣している。そして彼の補佐として、一人の将を付けた。その者は、朱霊という人物である。この朱霊だが、実は甘陵国出身であった。しかも彼自身、末席とはいえ軍に所属していたのである。その彼が何ゆえに劉逞の家臣となっているのかというと、甘陵国の開放に原因を求められた。
黄巾賊により国主である劉忠が捕らえられ、そして甘陵国内はその黄巾賊によって荒らされた。そのような甘陵国へと現れた劉逞は、二月と掛からずに黄巾賊を蹴散らしている。そればかりか、捕らえられていた劉忠をも助け出していた。
確かに劉逞の陣営には、各地の太守や刺史などが求めた盧植という優秀な人物が軍師として従軍して居る。その点を考慮したとしても、劉逞の挙げた戦功は大きい。しかもその後、彼は甘陵王の代理として甘陵国内の鎮定に邁進しているのだ。そのような彼に対する感謝の思いもあって、朱霊は劉逞の軍勢に参画したのである。その後、援軍として派遣された幽州での戦で朱霊は功を挙げており、その功績を鑑みて劉逞は彼を将として抜擢したのであった。
話を戻し、曲周の戦力を増強した劉逞だが、そこで終わりとはならない。さらに彼は、張角がいる広宗を牽制しつつ、別動隊を組織して安平国へ派遣していたからだ。しかし何ゆえにわざわざ別動隊を組織してまで兵を派遣したのかというと、それは安平国の黄巾賊勢力が激減していたからである。だが安平国の黄巾賊がなぜに勢力を激減させたのかというと、理由は二つあった。
まず一つめだが、これは劉逞の初陣でもある常山国内の戦で兵力を減らされたことにある。しかしながら、それ以上に大きな理由があった。それこそが、もう一つの理由である。しかもこの理由は、皮肉なことに免職させられた董卓に求められた。
それはまだ、彼が広宗を包囲していた頃の話である。董卓は、安平国を奪還するべく家臣の李粛に命じて攻めさせたのだ。主君からの命を受けて安平国へと攻め込んだ李粛は、巧みな用兵で黄巾賊を翻弄し追いつめていた。
これは安平国を拠点とした黄巾賊の中に、彼らを纏め上げるだけの力量を持った者がいなかったせいでもある。しかも李粛から与えられた損害は、劉逞との戦で負けた時よりも大規模である。それでなくとも常山国での負け戦で求心力を失っていた安平国の黄巾賊は、相次ぐ兵の逃亡も相まって大いに兵力を減らしていたのだ。
実際、もう少しの時間があれば、安平国は李粛によって解放されていたかも知れない。それぐらい、安平国内にいる黄巾賊は追い詰められていたのだ。しかし残念なことに、目的を達する前に董卓の免職事案が発生してしまう。それにより安平国での戦も中止せざるを得なくなり、結果として安平国の開放が頓挫した形であった。
安平国の黄巾賊は、これで一息入れることができたと言える。だがしかし、兵力が減っていることに変わりはない。このような好機を、盧植が見逃す筈もなかった。
「安平国への派遣だと?」
「は。常剛様も知っておられます通り、安平国内における黄巾勢力は著しく力を落としております」
「それは、一応耳にしている」
「だからこそ、駆逐する好機と思われます」
前述した通り、安平国内の状況については、劉逞も報告は受けている。だが今は、広宗に籠る張角らへの対処の方が先だと彼は考えていたのだ。しかしながら、軍師でもある盧植からの進言であれば話は別であった。
「……いいだろう、子幹。安平国へ、兵を差し向けよう」
「はっ」
ここに、安平国への派兵が決まったのだった。
さてこの別動隊を率いる将となったのが、幼馴染となる趙雲と夏侯蘭である。劉逞より呼び出され命を受けた二人は、武者震いに体を震わせていた。
意気衝天の心持で出陣した趙雲と夏侯蘭は、安平国へ到達する。その後、二人は趙燕が付けた彼の配下が齎した情報を下地にして次々と安平国内に居る黄巾賊を打ち破っていった。それは正に怒濤の快進撃であり、李粛によって追い詰められていたことを考慮に入れたとしても、凄まじいものがあった。何せ趙雲と夏侯蘭の二人は、安平国へ攻め込んでから一月も掛からずして国内の黄巾勢力を駆逐してしまったのである。こうなると、安平国内だけでなく広宗を本拠として構えている黄巾賊の士気にも影響が出てしまう。そこで彼らを率いる張角らは一層の引き締めを図ったが、それで動揺が完全に抑えられるわけもなかった。
「機だな……進軍する!」
趙燕からの知らせを受けて劉逞は、間髪入れずに広平から出陣する。曲周にいて広宗を牽制していた韓当らの兵と合流すると、いよいよ広宗へと進軍した。まさかこうもいきなり攻め込んでくるとは予想していなかったこともあり、彼ら張兄弟を含めた黄巾賊の動揺は大きかった。
黄巾側からすれば、安平国が陥落したかも知れないのである。そのことが気に掛かり、なおさら効率のいい迎撃ができていないのだ。しかも劉逞率いる軍勢に次々と打ち破られてしまったこともあり、張角は再び広宗に籠る選択をしていた。
こうして広宗を包囲した劉逞であったが、すぐに攻めることはしない。彼は包囲した広宗に圧力を掛けつつも、戦力の集中を図ったのである。要は、安平国に派遣した趙雲と夏侯蘭を待ったのである。やがて両名が合流したことで全兵力が調うと、いよいよ広宗攻めを開始したのであった。
劉逞は盧植からの進言通り、雲梯を使用して広宗へ攻勢を仕掛ける。しかしながら、広宗に籠る黄巾賊を率いているのは張角と張宝と張梁の兄弟である。当然ながら旗下の兵も、黄巾賊としては精鋭となる。その彼らが必死に防衛したこともあって、一戦では黄巾賊を決定的な状況に追い込めるまではできなかった。
それでも諦めず、劉逞は繰り返して攻め続ける。そのお陰もあって味方が優勢な状況にするまではできたのだが、勝利を掴むまでは到達できないでいた。しかしながら味方が優勢という状況なのだから、盧植の進言が悪いというわけではない。寧ろ、攻め手としては的を射ていると言っていいだろう。だが、勝ち切れていない事実は曲げようがなかったのであった。
広宗を包囲してより一月ほど経過したが、いまだに広宗を落とせないでいた。
幾度かはいいところまで押し込んだこともあるが、どうしても詰めの一歩には届かず撃破できないのである。あと一手、恐らくあと一手あれば落とせる気がしているだけに歯痒い思いがあった。それだけに、劉逞の内心では忸怩たる思いがある。彼は気分転換も兼ねて自陣のはずれに向かうと、そこから味方の攻撃をはね返し続ける広宗を忌ま忌ましく睨んでいた。するとその時、彼はふとあることに気付く。それは、敵味方共に城壁での攻防戦に集中しているという事実であった。
雲梯を中心とした攻城戦であることを考えれば、それは当然である。防衛側とすれば、城壁を越えられてしまえば城壁内に雪崩れ込まれてしまうので勝ち目がないからだ。逆に言えば、そこを守りきれれば負けないということになる。だからこそ張角ら兄弟は、城壁の防衛に集中していたのであった。
「……待てよ。と、いうことは、だ……やってみるか。子幹を呼べ」
「はっ」
劉逞の命を受けて伝令が走り、間もなく盧植が現れる。そこで彼は、広宗を見ていてつい先ほど気付いたことを伝える。同時に劉逞は、その時点で思い付いた考えを盧植に伝えていた。
ここで劉逞が盧植へ相談したのは、攻め手の分散になる。現状、城壁を越えることに集中しているが決め手に欠けていることは前述した。そこで黄巾賊の視点と兵力を分散させる為に、攻勢の主軸としている雲梯を使う以外の攻めを盧植へ持ち掛けたのである。しかしてその方法だが、衝車を使った城門への攻めであった。
現状、敵も味方も戦の焦点が城壁に集中している。そこで、あえて今はあまり力を入れていない城門への攻撃をも提案したのだ。ここで防衛する場所がいきなり増えれば、敵に混乱が生じるかも知れない。もし混乱しなくても、防衛の手は分ける必要があるのは間違いなかった。
この提案には軍師たる盧植も賛同したので、すぐに実行されたのであった。
城門を打ち破る為の衝車が用意されると、韓当に預けられる。彼は劉逞より命じられると、広宗の城門へと急ぐと衝車を使って攻め始めた。ここにきて急に城門への攻めを行う兵が増やされたことで、黄巾側に大きく動揺が走ったのである。それというのも、実はこの頃、張角が病に倒れていたからである。しかも大病であり、もはや殆ど意識がない状況にあったのだ。無論、そのことは敵味方問わずに隠されている。彼の代わりに防衛を指揮しているは、次男の張宝であった。
その張宝だが、城門を守る為に弟の張梁を派遣したのである。その為、戦況を持ち直したかと思われた。たが、城門を守る為に兵を分けたことが裏目に出てしまう。城壁を守る為とは言え敵兵が減ったという隙を突いて、張郃が城壁の一部を攻略したのだ。
このことが伝播すると、広宗の城門を守っている黄巾賊の士気が下がってしまう。正にその時、衝車を使っていた韓当が城門を打ち破ったのである。城壁と城門という防衛の重要拠点が双方とも攻略したと報告された劉逞は、全軍総攻撃を命じたのだった。
総大将となる劉逞から出た総攻撃の命を受け、劉備も突撃を命じる。先頭を切ったのは、張飛であった。彼の強さは、幽州における戦でも十分に発揮されている。そしてそれは、この広宗でも例外ではなかった。彼は群がってくる黄巾賊を、鎧袖一触とばかりに蹴散らしてく。そしてついには、一人の男と対峙したのであった。
「我は張益徳! 木人に非ずば、名乗るがいい!」
「吠えるな! 我こそ人公将軍よ!」
「何? はん。弟なぞに用は無い、張角はどうした」
「ふん、貴様ら下賤の者に教える必要などないわ!!」
張梁は先手必勝とばかりに張飛に対して槍を振るったが、彼は手にした矛で張梁の槍を無造作に跳ね上げる。その返しの一撃に体勢を崩しただけでなく、手が痺れて武器を取り落してしまった。慌てて張梁は得物を拾おうとしたが、張飛はすぐに自身の持つ矛を振るうと張梁の胸に一撃を叩き込む。すると彼は、実に呆気なく絶命してしまった。
ただの一撃で張梁が討たれたと知った黄巾賊は、酷く動揺する。そればかりか、一気に士気までもが落ちてしまったのだ。そこにきて、劉逞へ知られたくないことが知られてしまう。それは、張角の容体であった。この情報を聞いた盧植は、劉逞へ情報の拡散を提案する。劉逞も許可を出したので、敵味方問わず張角の状態が知れ渡ってしまった。
既に城門も破られ、城壁も一部は攻略された。しかも、張梁はただの一撃で討ち取られている。その上、張角は明日をも知れない。もはや黄巾賊が士気を保つことは難しく、事実上、広宗の攻防戦は終焉を迎えたのであった。
遂に広宗を落とした劉逞は、今や意識もなく床にある張角を討つ。その後、張角の首をはねる。併せて、張飛が討った張梁の首をもはねていた。
なお、二人の首であるが、すぐに洛陽へ送られていたのである。しかしながら次兄の張宝については、行方がようとして知れないでいた。恐らく逃亡したと思われたが、それはそれで失態と言える。だがそれでも、黄巾賊を率いていた張角と末弟の張梁の首を挙げたことは大きかった。
その為か、張角と張梁の首が洛陽へ届けられると、朝廷は改元の詔を発したのである。それに伴い年号は、光和から中平へ変更されたのであった。
因みに、広宗から逃げ遂せた張宝であるが、趙燕らが足跡だけはかろうじて補足していたので完全に見逃してしまったわけではない。しかし現状分かっていることは、張宝が広宗から見て北の方向へ逃げたということだけであった。
連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
併せてよろしくお願いします。
ご一読いただき、ありがとうございました。