第八十九話~出陣 一~
第八十九話~出陣 一~
光熹四年・初平三年(百九十二年)
先鋒を率いる大将同士の一騎打ちは、樊稠の勝利で幕を閉じる。しかしてその知らせは、敵味方分け隔てなく届くこととなった。
「それは真か!」
「はい」
「今こそ好機です。今こそ打って出るべきかと」
「うむ!!」
賈詡の言葉を受けた牛輔は一つ頷いてから立ち上がると、旗下の兵へ総攻撃の命を出したのだ。すると中軍を任されていた李蒙は、命に従いすぐに軍を動かしている。それでなくても李蒙にとってみれば、今回の東征は虎牢関を敵に奪取されたことで味わった不覚に対する名誉挽回の意味合いもある。しかしながらその彼は、今回の戦で先鋒ではなく中軍に回されたことに欝憤を溜めていたのだ。勿論、総大将より出された命である以上、素直に従ってはいる。しかし内心では、忸怩たる思いが渦巻いていた。しかしその思いを、今ならば存分に果たすことができる。また、ここで手柄をあげれば、前述した虎牢関より引いたことに対して臆病者などという陰口を叩いた味方の奴儕に対しても意趣返しができるというものであった。
「進め! 敵の大将の首、必ず取るのだ!!」
『おおー!』
李蒙の意気が乗り移ったかのように兵からは、奮い立つ様な軒昂と言っていい言葉が返ってきたのであった。その一方で、袁術から任された軍勢を率いる李豊の顔色は無論のこと、身に纏う雰囲気も悪かった。それでなくても旗下の兵は、士気がそれほど高くなどないのである。少なくとも、相対している牛輔が率いる軍勢に比べれば間違いなく低かったと言えるだろう。そこに来て、味方の先鋒を任せていた梁綱が討たれたと言う知らせが飛び込んできたのである。その様な情勢下では、李豊の状態もある意味では止むなしといえるものであった。とはいうものの、いつまでも悲観しているわけにもいかない。李豊は自身を奮い立たせると、即座に中軍を任せている楽就へ軍勢を繰り出すように命じていた。何せ先鋒が、敗れてしまっている以上。すぐに手を打たなければ味方の崩壊すら起きかねないからだ。しかしてその思いは、楽就としても同じである。彼は命が届いた直後、すぐに兵とともに前線へと押し出したのだ。無論、命じた李豊もまた牛輔と同様に軍勢を押し出している。これにより両軍は、奇しくも同時期に総攻撃へと移行したのであった。
まるで図ったかのように両軍勢が総攻撃へと移行したのであるが、その顛末は意外に早く分かることとなる。その理由は、李豊率いる軍勢が間もなく押されてしまったからだ。ここでものを言ったのは、やはり士気の高さの違いであった。戦が始まる前から牛輔側の士気が高かったことに加えて、先鋒による勝利という事実が新たに加わったからだ。これによって牛輔の将兵の意気が、李豊の将兵の意気を飲み込んでしまったのである。こうなると、士気が低いほうの兵から崩れ始めていく。それは波紋のように広がっていき、ついには前線の兵から逃亡者が出てくる始末であった。いかに優れた将であったとしても、逃亡を始めた味方を戦場に留めるなどかなり難しい。援軍を命じられた楽就も決して凡将などではないが、しかし彼の力量では逃亡し始めた味方の兵を押し留めるなど無理な話であった。
「これでは、勝つなど無理だ……一旦、下がり総大将と合流する」
「はっ」
このままでは、救援どころの騒ぎではない。そう判断した楽就は、軍勢を後退させる決断をした。同時に李豊へ伝令を出し、合流する旨を伝達させたのだ。さて、その李豊が率いる軍勢はと言うと、流石に本隊ということもあって逃亡する兵などはまだ出ていない。しかし士気はかなり落ちており、そして不安に苛まれていたのである。李豊としても、軍を押し上げながらいかにして士気を立て直そうかと頭を捻っていたのだが、妙案らしい妙案など一向に浮かんでこないでいた。そんな時に現れたのが、前線への援軍を命じた楽就からの伝令だった。訝しげに眉を寄せつつも要件を問いただす李豊へ、伝令は楽就からの言葉を一言一句違えることなく伝える。その知らせを聞いた李豊は、嘆くように天を見たのであった。
「そうか……相分かった。そう伝えよ」
「はっ」
急ぎ伝令が、楽就の元へと戻っていく。少しだけ伝令の後姿を見送った李豊であったが、間もなく視線を切ると今度は味方に目を向けた。そんな彼の顔からは表情が完全に抜けており、まるで面でもつけているかのようである。そのような様相の李豊より、彼らに対して撤退する旨が伝えられる。もはや勝機も逸しており、とてもではないがここから勝ちへと繋がるような手段など思いつかないからだった。
「それは、本気か!」
「無論だ」
「おめおめ、撤退するというのか」
「なれば陳殿、そなたなら勝ちへの手立てがあるというのか? もしあると言われるのならば、我はそなたに従おう」
「…………」
李豊から撤退するという話を聞かされた直後、その真意を問いかけたのは袁術配下の陳紀であった。劣勢であることはわかっているが、それでもまだ兵力はある。なればまだ戦場に留まるべきではないかと考えたわけだが、そんな陳紀であってもこれより逆転し勝てるかと言い切れないのも事実である。それだけに大将の李豊から、前述したような言葉を返されるとは思ってもみなかった陳紀は、言葉に詰まってしまったのだった。
「どうした。ないのか? 沈黙は、肯定ととるぞ」
「…………」
「では、異論はないな。他の者も」
まるで確認するかのように李豊は、陳紀以外の味方に対しても問い掛ける。すると案の定、彼らから反対の意は示されない。陳紀にも言ったように沈黙を了承と取った李豊は、改めて撤退の命が出した。間もなく彼らは、陳紀も含めて撤退の準備を始めたのである。それから暫くした頃、楽就が兵とともに現れた。幸いなことに、彼らが追撃を受けている様子はない。だがその理由は、皮肉にも梁綱のお陰であった。正確に言えば彼のお陰というより、彼の残した兵と言い換えたほうがいいかもしれない。確かに次々と逃亡者が出てきているとはいえ、前線にもそれなりに味方の兵が残っている。その敗残兵を、牛輔旗下の兵らが討ち果たしているのだ。それ分だけ、敵の追撃に遅れが生じているのである。偶然にも楽就は、その恩恵に預かった形であった。ともあれ、今が撤退する絶好の機会であることに間違いはない。楽就との合流を果たしたあと、李豊は急ぎ撤退へと移っていた。また彼は、宛へと使者を派遣して袁術へとことの次第を伝えたのである。本音で言えば伝えたくなどないのだが、このあとに牛輔率いる戦力が宛へ押し寄せるのは火を見るより明らかである。となれば、無防備で敵を迎えるわけにはいかない。そうである以上、伝えないわけにはいかないからであった。
さて、牛輔と袁術の派遣した李豊率いる軍勢とがぶつかった戦場より少し離れたところに、男たちがいた。しかし彼らは何をするでもなく、戦場での様子をじっと観察し続けていたのである。やがて先鋒を任されていた梁綱が敗れ戦の趨勢が明らかになると、数名ほどの人員を残して彼らは離れていった。果たして彼らの正体だが、それは劉逞配下の密偵である。そもそも彼らは、初めから南陽郡にいたわけではない。当初は弘農郡にあって、前線にて情報収集を行っていたのだ。しかし、劉逞の元へ牛輔率いる軍勢が長安から出陣したことが伝わると、彼らに軍勢の動向を探るようにとの命が発せられたのである。その命を受けて彼らは、密かに牛輔の軍勢を付け回して、高邑にいる劉逞へ順次報告していたといった次第であった。この様にして敵の動向について報告を受けていた劉逞は、いよいよ牛輔が南陽郡へ兵を向けたとの報告を受けると、ついに軍勢を動かしたというわけである。何より皇帝へ再就任した劉弁を抑えているので、反董卓連合に参画した者へ対する救援という大義名分には事欠かないからだ。そしていよいよ翌日が出陣という日、劉逞は劉弁の元を訪ねたのであった。
「陛下。我ら、出陣いたします」
「今度こそ、董卓を討つのだ」
今回の出陣だが、南陽郡に侵攻した牛輔率いる軍勢を討ち果たすことが目的ではない。いや、もちろん彼等の撃破も目的ではあるのだが、それはあくまで途中の経過でしかないのだ。真の目的は、董卓勢力の撃滅にある。牛輔の軍勢を討ち、そのまま侵攻を続け目指すのは長安となる。同時に李傕や郭汜と対峙している匈奴に加えて、弘農郡と河東郡からも侵攻を始めるのだ。また、長安においても朱儁と王允によって兵が蜂起することとなっている。また、時を同じくして、馬騰と韓遂が兵を動かす。これにより劉逞は、董卓の勢力を討ち果たす所存であった。
「はっ。必ずや」
「うむ」
その後、劉弁の前より辞した劉逞は、軍勢とともに南陽郡へと進軍を開始したのであった。その一方で袁術はと言うと、李豊の敗戦を知りかなり追い込まれていたのである。劉逞の動きについては全くもって把握してはいない為、すでに彼らの軍勢が南下していることなど知る由もない。それよりも今は、李豊からの報告が大事であった。とはいえ、その内容は信じ難いものでしかない。その心情を現したかのように、袁術は派遣された使者を詰り飛ばしていた。
「負けただと! ふざけるではないわ!! あの田舎者の成り上がりの軍勢に負けるなど、あってはならぬ!」
反董卓連合が結成されていた頃には、敵から散々に敗戦を味あわされていた男の口から出たとは到底思えない言葉だが、彼の中では董卓と主力となる涼州兵の認識などこの程度でしかない。だからこそ負けを味あわされていたのだが、袁術にはそのような認識などなかったのだ。
「こうなれば、我自らが討ち取ってくれん!」
袁術の口から飛び出した発言に、家臣一同が驚愕する。今しがた、ほぼ同数の兵をぶつけておきながら負けを喫したばかりなのだ。それであるにも関わらず、出陣すると言い出したのだからその反応も当然だろう。ましてや、袁術自ら兵を率いてとまで言い出している。これには流石に張勲や橋蕤など数名が反対したのだが、ここでも袁術は強引にことを進めてしまう。反対した者たちを守備と称して宛へ残すと言い渡し、実質排除すると宛に残る軍勢の大半を連れて出陣したのであった。
宛の城壁より張勲や橋蕤らが、袁術が率いている軍勢を見送っていた。しかしてその表情は、とても沈んでいる。その理由は、勝てないだろうという思いからであった。牛輔率いる軍勢は、勝ちに乗じ意気軒高なのは間違いない。それに引き換え見方はと言うと、大将の袁術は別にして旗下の将兵の士気は低いのが傍からでも分かる。だからといって、宛に残っている兵は守るだけで精一杯の数でしかない。追い掛けるなど、とても無理な状況なのだ。
「こうなれば致し方ない。閻象殿に知恵を貸してもらおう」
前述したように袁術に疎まれて牢へ繋がれた閻象であるが、袁術旗下きっての知恵者であることは袁術家臣であれば誰もが知るところである。このような事態に際し、宛に残された彼らは藁にも縋る気持ちで閻象の考えを聞こうと考えたのだ。宛の守備は、張勲や橋蕤に同調して袁術を諫めようとした雷薄と陳蘭に任せると、二人して閻象の元を訪ねて現状を知らせる。その上で、閻象に知恵を借りたのであった。
「……なれば、すぐにでも常剛様へ救援の使者を派遣するべきでしょう」
「貴殿は、前にもそう言っていたな。しかし、今さら間に合うものでもないだろう」
「出陣なされてしまった公路様の救援は賭けの部分がありますが、宛に関しては間に合うかと思われます」
『何だと!』
閻象の口から出たまさかの言葉を聞いて、知恵を借りに来た筈の張勲や橋蕤が揃って驚きの声を上げていたのであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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