第八十六話~東征 一~
第八十六話~東征 一~
光熹四年・初平三年(百九十二年)
劉逞は、お忍びで高邑の町へ繰り出していた。無論、一人でということもなく、趙雲と夏侯蘭と趙伯と趙翊が付き従っている。もっとも、お忍びということもあるのだろう。彼らの恰好は一様に市井の者と変わらないので、傍目から見れば趙伯という父親と共に行動している家族のようにも見えていた。実は劉逞だが、わりとお忍びで行動することがある。これは皇族という立場からではなく、市井の者と同じ視線で町を回ることで見えてくるものがあるからだ。これもまた、師である盧植の指導であった。何より実際問題として、市井に紛れて町を見聞する際と皇族のというか権力者の立場から見聞する際では、見えてくるものが大分違っている。それこそお互いの対場でしか見えないものや、その立場であるがゆえに見えないものなどがあるのだ。その違いを把握するだけでも、劉逞にとってはかなり得るものがある。そしてこれは、共に行動している趙雲たちにしても同じであった。
こうして高邑の町を市井に紛れて見聞し、時には密かに見分などをしていた劉逞たちであったが、近づく気配があることに気付く。その直後、趙雲たちから警戒の気配が滲み出てきた。しかしその気配も、少しすると大部薄まってくる。その理由は、気配の持ち主を視界に収めたからである。しかして気配の持ち主だが、それは劉逞が抱える密偵部隊を纏める趙燕の補佐を務めている孫軽であった。
「いかがした」
「常剛様、公偉様からの密使が到着しました」
孫軽の言葉に、劉逞は眉を顰めた。朱儁のいる長安で何か問題でも起こったのかと訝しがったからだが、現状では流石に分かるものでもない。ゆえに密使に会い、用件を聞くことにした。急ぎ戻ると、密使との面会に臨む。そこで劉逞は、朱儁だけでなく他にも王允と黄琬と士孫瑞という三名の名が連なる書状を受け取った。即座に目を通して内容を把握すると、劉逞は盧植へと渡す。その後は、次々と家臣たちへと渡されていく。程なくして主要な家臣が書状へ目を通したことを見計らってから、劉逞は口を開いていた。
「その方ら、どう思うか」
「……そうですな……行う価値はあります」
「子幹がそういうのならば、成功する確率は高いとみてよいのか?」
「いえ。このままでは、半々といったところでしょうか」
そんな盧植の言葉に、程昱ら劉逞の軍師たちが頷いていた。なお、この軍師たちの面子だが、以前より一人増えている。その人物とは、張紘であった。徐州広陵郡出身の彼が劉逞に仕官したのは、とある事情が存在していたことによることが大きい。そもそも張紘が高邑にきたのも、ある使節の同行者であったからだ。果たしてその使節を派遣した人物だが、それは陶謙である。彼は反董卓連合にこそ加わらなかったが、立ち位置的には反董卓連合側であった。しかし積極的に協力をしたというわけでもなかったので、いささか距離が空いていたのである。しかしながら劉弁が皇帝となると、陶謙に仕えていた趙昱と王朗が陶謙に対して「改めて王命を奉るべきである」と進言したのだ。陶謙もこの言は良しと考えたらしく、趙昱と王朗をそれぞれ使節の正使と副使に任命した上で劉弁の元へと派遣したのである。このことを劉弁は喜び、劉逞らと相談の上で陶謙を平東将軍に任じていた。また、使者として高邑へ訪れた趙昱と王朗にも陶謙を説得したという功もあって太守の地位が与えられている。もっともこの件については、劉弁の意志というより劉逞からの進言によることが大きいだろう。それというの、先の反董卓連合による戦のせいで、幾つかの郡太守がまだ決まっていなかった郡が幾つかあったからである。そこで徐州出身の張昭から趙昱と王朗の人物像について話を聞いた劉逞が、いわば彼らを陶謙より引き抜いたのだ。しかしそのまま行うと角が立つので、あくまで皇帝である劉弁の命によるものとしたというわけであった。
さてこの陶謙が派遣した使節に同行していた人物、それが張紘である。そして張紘が同行していた理由が、趙昱にあった。実は張紘だが、張昭と同様に張紘の才を買っていた趙昱によって陶謙へ推挙されたことがある。しかしながら張紘は、陶謙の元へは出仕をしなかったのである。このことに陶謙は、張昭の時と同様に気分を害してしまう。これでは張昭の二の舞となることを危ぶんだ趙昱が、彼を徐州から離れさせることにしたのだ。また張紘としても、このまま徐州にいたところで先が暗いことは分かる。何と言っても、張昭という前例があっただけに、なおさらであった。それだけに張紘は趙昱の説得に応じ、使節の一人として高邑へ訪れたというわけである。その後、密かに張昭を通して面会した趙昱から事情を聞かされた劉逞が、二つ返事で張紘の身柄を受け入れたのだ。また、理由はそれだけではない。実は張昭と張紘だが、同じ徐州出身ということもあって顔見知りだったことも受け入れには一役買っていたのだ。親友というほどではないにしても、それなりの付き合いは両者にはある。事実、張昭もいずれは劉逞へ張紘を推挙しようと考えていた節がある。何はともあれ、こういった事情が重なり、張紘は劉逞へ仕えることとなったのであった。
「ふむ。しかし、半々か……もう少し、確率は上げられぬものか?」
書状通り董卓を討てる可能性はあるにしても、その引き換えとして彼らを見捨てたいわけではない。特に朱儁は、劉協の安全を確保する為としてそのまま董卓陣営に留まらせた人物である。あまり付き合いがなかった王允や黄琬、そして二人以上に付き合いがない士孫瑞よりは助けたいという思いが強いのだ。
「……常剛様。寿成殿と文約殿に働いて貰ってはいかがかと」
「子綱。そなたの言う二人だが、涼州で乱を起こした二人のことか?」
「はい。彼らは力を落としてはいますが、それでも一定の力は有しておりましょう。その彼らを取り込むことで、長安で蜂起する子師殿たちの一助となれば……」
子網こと張紘が劉逞に進言した策、それは嘗て涼州にて乱を起こした馬騰と韓遂を取り込むというものであった。確かに彼らは、鎮圧の為に派遣された皇甫嵩を相手にしても早々に鎮圧などされなかったという実績を持っている。その彼らを取り込むことができれば、蜂起したとしても成功の確率は上がるだろう。また彼らを上手く使うことで、涼州にも改めて一定の影響力を行使できるようになると思われた。
「ふむ……悪い話ではないが、それには陛下の大赦が必要となるな。まぁ、よい。どのみち、陛下にもお話しせねばならぬ。その時に提案をしてみるとしよう」
何せ、劉逞に届いた書状だが、同様の内容の書状が劉弁にも届けられている。その旨については劉逞も知っており、だからこそ劉弁へ話を持っていくことにしているのだ。ともあれ劉逞は、劉弁の元を訪れることになる。間もなく劉逞は、皇帝である劉弁と面会を果たしていた。
「常剛。話とは、何だ?」
「はい。陛下。長安からの書状についてにございます」
そこで劉弁も、合点がいった。
前述した様に、彼の元へも長安から届けられた密書状は届いている。しかも先に劉逞が自分の家臣たちと話し合ったように、劉弁も話し合いをしていたのだ。そして得られた結果はというと、これまた劉逞と同じであり、成功確率は半々という代物であった。ただ劉逞と違う点で言うと、劉弁は劉逞の様に成功確率を上げるようなことについてまでは論議を行っていない。正確には行っていないわけではないが、馬騰と韓遂を利用するというような話までは出ていなかったのだ。ともあれ、朱儁らの蜂起自体について反対はなかったこともあり、劉弁は劉逞に対して蜂起の実行させるようにとの命を出す。しかしそこで劉逞より、これまた前述した馬騰と韓遂を利用するという策について提案がされたのだ。しかも劉逞から、両名に対する大赦についても進言を受けたのである。その直後、司徒の种拂や大尉の張温などから反対の意が出る。そこで劉逞は、彼らをも説得しようと口を開きかけたのであるが、その言の葉が口より転がり出ることはない。それと言うのも、劉弁が了承してしまったからであった。
あまりにも呆気なく成功した……というか説得すら必要がなかったことに流石の劉逞も訝しんでしまう。そればかりか、「本当によろしいのですか」と逆に尋ねる始末であった。説得の為に現れた筈の劉逞が、説得相手である筈の劉弁にいいのかと確認しているのだから何とも滑稽な光景だと言えるだろう。しかしながら劉弁からすれば、受け入れるのに何ら問題がないことなのだ。何せ劉弁は、李儒とその上司に当たる董卓に対する恨みが相当に深い。母親である何皇后の命を助ける為に劉弁は、皇帝の退位すらも了承した。それであるに関わらず董卓と李儒は、何皇后を殺している。この恨みを晴らす為には、いかなる艱難辛苦であろうとも受け入れるつもりであったからだ。心うちにそれだけの決意を持っている劉弁であり、嘗て反乱を起こした馬騰と韓遂を大赦するぐらい十分に受け入れられる事案であった。
「常剛、朕が許す。早々に押し進めよ」
「御意」
いささか拍子抜けなところがないわけでもないが、皇帝である劉弁からの許可が得られた以上は策を推し進めることに問題はない。劉逞は、粛々と動き始めたのであった。
一方、洛陽奪還。さらには、劉逞の討伐をも視野に入れて進軍を開始した牛輔を総大将とする遠征軍であるが、こちらは新豊にある掫城へと到着していた。ここで二日ほど休んだあと、さらに東へ進み鄭へと入っていたのである。この地は、弘農郡の函谷関に駐屯する皇甫嵩に対する最前線としても機能している。その為、この地には中郎将の地位にある段煨が任されていたのだ。因みに、もう一つの最前線となる左馮翊の臨晋には遠いが一応は董一族に名を連ねてはいる董越が配置されている。つまり董卓は、この鄭と臨晋の両拠点をもって、董卓は劉逞の軍勢と対峙していたのだ。
さて、話を戻す。
無事に鄭へと到着した遠征軍は、段煨からの出迎えを受ける。そこでこれから行われる戦の前祝いと称して、宴会が催されていた。思い掛けない宴会だっただけに、牛輔以下の遠征軍諸将は喜び勇んで参加している。また、遠征軍における中心的な将だけでなく、末端の兵に至るまで宴会の恩恵に預かっている。これには兵も喜んだことは、言うまでもないことであった。
「忠明よ。歓待、嬉しく思うぞ」
「ははっ」
董卓の娘婿である牛輔から直々に掛けられた言葉を、段煨は畏まって受ける。その様子を見て、牛輔は満足げに頷くのであった。それから数日、十分に英気を養った牛輔らは、函谷関を攻めるべく軍議を開いていた。何せ攻め込むのは、虎牢関と並んで堅牢と名高い函谷関である。しかもこの函谷関だが、実のところ一つだけではなく複数から成り立っているのだ。まずは、名称にもなっている函谷関である。そして、他に潼関と桃林塞がある。この三つの拠点を中心とした領域を指して、函谷関と称しているのだ。一つ一つだけでも高い守備力を持つ施設であり、当然ながらそう簡単に敗れるような代物ではない。ましてや函谷関を守っているのは、漢の名将皇甫嵩である。たとえ一気呵成に攻めたところで、落とせるかどうかはとても怪しかった。
「文和よ。してどう攻める?」
「ここは、じっくりと攻めるべきです」
軍議の冒頭で牛輔に問われた賈詡は、間髪入れずにはっきりとそう答えた。その答えを聞いた牛輔は、いささか不満を表している。確かに函谷関の堅牢さや皇甫嵩の名将ぶりは聞き及んでいる。しかし、率いてきた兵も相当の数である。それだけに牛輔は、目に見える形での功績を欲していた。何せ函谷関と皇甫嵩、どちらも破ればそれこそ比類なき手柄となることは必至だからである。
「むう……他に手はないのか」
「拙速な攻めは、逆に窮地へと陥りかねません」
牛輔の様子から、戦功を欲していることを察した賈詡は、さらなる反対の意見を述べることで逸る牛輔を諭していた。流石の牛輔も、ここまで反対の意を示されては言葉を続けることは難しくなる。それと言うのも、出陣前に董卓から「よく賈詡の言葉を聞くように」と言われていたからだ。それゆえに牛輔も、ここでは不承不承ながらも引き下がる。これで一まずは安心だと胸を撫で下ろす賈詡ではあったが、同時に警戒だけはしておいた方がいいとも判断していた。牛輔の様子から、手柄を得る為には抜け駆けすらしかねないと感じたからである。勿論、総大将なので自ら赴くとは考えづらい。しかしながら、代わりに牛輔の意向を受けたものを密かに派遣しないとも限らない。それで戦果を挙げられればいいが、藪蛇となってはたまらないからであった。
「できれば、短慮はしないでいただきたいものだ」
取りあえず軍議も終わり、参画した将がめいめいの陣へと戻る中、賈詡は独り言のようにそう呟いたのであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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ご一読いただき、ありがとうございました。




