第八十五話~長安での策謀~
第八十五話~長安での策謀~
光熹四年・初平三年(百九十二年)
年も変わり翌年に入るも、郭汜と李傕の軍勢は匈奴との国境地域に駐屯し続けていた。また、李儒によって秘密裏に後詰の役目を担っていた李粛であったが、思いのほか軍の派遣が長期に渡ったことで隠し通すことが難しくなってしまう。そこで李粛の軍勢も、正式な援軍として郭汜と李傕の軍勢に合流していた。これによって、長安近郊にあった董卓の軍勢だが幾許かでも兵数を減らしてしまうこととなる。それは同時に、長安にありながらも董卓に反抗的な思いを持つ者たちの動きを活性化させることへと繋がっていた。この動きの中心となったのは、王允と朱儁である。特に王允は、前に失敗した暗殺の雪辱を果たそうと並々ならぬ決意をもって水面下での動きを進めていたのである。しかしながら、先の董卓暗殺未遂と同じ手はもはや通用しないと考えていた。その上、董卓は、前述した様にいつも長安にいるわけではない。寧ろ、長安にいる時間より建築途中の城へ滞在している時間の方が多いのだ。しかも彼が万歳塢(郿城)と名付けたその城には、董卓一族の者も多く入っている。つまり一族で固められており、それだけに切り崩すことも難しいのであった。
「さて、いかにしたものか……」
長安の片隅にある屋敷、そこは中々に荒れた建築物であった。人が住んでいるのかも分からないその屋敷の一角に、なぜだが数名が顔を合わせていたのである。先程の言葉は、そのうちの一人が漏らしたものであった。しかしてその言葉を漏らした人物だが、先に上げた朱儁である。だが、この場にいるのは朱儁一人だけではない。他にも、三名ほどがその場に居合わせていた。果たしてその三名とは、王允と黄琬と士孫瑞であった。
さて王允は兎も角として黄琬だが、彼は王允の友人である。しかも嘗ては、豫州刺史の地位にあった人物なのだ。のちに董卓が朝廷の実権を握ると招かれ、司徒へと就任することとなる。しかもそれだけに留まらず、さらには大尉へ就任していた。しかしながら、黄琬が長安への移動に反対したことで董卓の不興を買って大尉を罷免されている。しかし長安移動後には、光禄大夫へと復帰していたのであった。
また、士孫瑞であるが、彼の家は代々学者を輩出している。それだけでなく、本人もまた博学多才な人物である。そしてこの頃は、司徒解任後に暫くしてから尚書令となっていた王允の部下として尚書僕射を務めていたのだ。
「そうよな、公偉殿。まだ完成してはいないとはいえ、あの城に籠られてはいささか厄介だ」
「うむ。正にその通りよ、子師殿。何せ董卓は、城の完成が近づけば近づくほどに長安に居ないことの方が多くなっている。最近では、いつであった?」
「確か新年の挨拶ではなかったかのう」
実は董卓だが、あまり長安に訪れてはいない。だが、それでよく押さえられていると感じるかも知れないが、現実には押さえられているのである。その理由は、李儒の存在があった。あまり長安へ顔出さない董卓に代わり、彼が睨みを利かせているのである。洛陽から長安へと移動する際に伝国璽を流出させてしまうという思いも掛けない下手を打った李儒であったが、それでも彼は董卓が見込んだ男なのだ。一族と共に万歳塢に籠りがちとなった董卓に成り代わり、微に入り細に入り手を打っていたのである。無論、いかに有能であろうとも彼だけでは、流石に難しかったであろう。しかし李儒の補佐として、賈詡が的確に助けていたのだ。いわばこの二頭体制によって、長安は董卓に牛耳られていたのであった。
しかしながら前述した様に、匈奴の侵攻があったことで少なからず兵力を辺境へと振り分けなければならなくなった。これにより、漸く王允たちが動く余地が生まれたというわけなのである。とは言うものの、彼らが大胆に動けるのかと言われるとそうでもない。まだまだ長安の近くには軍勢が駐屯しているからだ。董卓を暗殺するにしろ、兵を起こすにしてもこの軍勢がいる限り成功はおぼつかないと言っていいだろう。いや、もしかしたら暗殺自体は可能であるかもしれない。しかしその直後には、駐屯している軍勢によって討ち取られることは火を見るより明らかであった。
「……急いてはことを仕損じるとも申します。ここは、静かにそして慎重に運ぶべきでありましょう」
「君栄。少なくとも、長安近郊に駐屯している兵の数が減らなければ、難しいか……」
「子琰様。その通りにございます」
士孫瑞の言葉に、王允と黄琬。それから言葉を発しなかった朱儁は、同意するしかない。彼らも少ずつ動き、何か事があればある程度の兵力を動かせるぐらいには準備を調えている。しかしそれだけでの兵では、駐屯している軍勢と対抗できるわけではないのだ。この状況で事を起こしたところで犬死にしかならない。彼らは再び伝国璽を得て再び皇帝の名乗りを上げた劉弁の役に立ち、さらには董卓によって皇帝へと祭り上げられた劉協を救いたいのであって、犬死にをしたいわけではないのだ。それだからこそ、慎重さが求められたのである。しかしながらこの慎重さが、結果として彼らに福音を齎すことになるとは、この時点では思いもよらないことであった。
このように水面下で不協和音を奏でる長安であったのだが、それから間もなくするとさる話が持ち上がっていた。果たしてその話とは、遠征である。董卓の娘婿である牛輔を総大将とした軍勢であり、遠征先は東であった。そしてこの軍勢を率いる牛輔の他に張済と張繍、李蒙に樊稠などと言った名が連なっており錚々たる面子であると言えるであろう。また、軍師として賈詡も同行することとなっていたのだ。なお、率いる軍勢であるが、長安近郊に駐屯していた軍勢が主力となる。実は長安の近郊に軍勢が駐屯していた理由だが、そもそもはこの為でもあったのだ。
「これぞ、好機以外の何ものでもない!」
「うむ。匈奴と隣接する辺境に赴いている軍勢に、此度の東征軍。これで、長安に残る兵数は、かなり減った。これならば、成功の目が出てくると言うものだ」
声を押さえつつも、意気込みを露にする王允。その王允に、同意を示す朱儁である。しかしそんな二人に、黄琬の挙げた一言が冷や水を浴びせたのである。その一言とは、どうやって董卓を討つかであった。それと言うのも、つい最近の話となるのだが、董卓が新たな居城として建築していた万歳塢が完成の運びとなっていたからだ。巨大というほどではないが、その堅牢さは朱儁をして唸らせたぐらいである。この城に籠り抵抗されては、例え敵の兵数が少なくとも簡単には落城はしないであろうと。
そのような城に籠られては、手持ちの兵数では如何ともしがたいのだ。ましてや相手となる董卓は、名うての戦上手である。真面に干戈を交えたところで、勝利を得ることはまずできないことは言うまでもないことだった。
「……ここは陛下に協力していただきましょう」
少し考えたあとで、今まで黙っていた士孫瑞が一言述べていた。因みに彼の言う陛下とは、劉弁ではなく劉協のことである。それは兎も角、王允たちは士孫瑞へ彼の漏らし言葉の意味を尋ねる。その問いに頷いてから士孫瑞は、自身の考えを三人へと告げたのだった。
さて、彼の言う劉協の協力だが、それは病気になって貰うというものである。勿論、本当に病に掛かって貰うわけではない。あくまで、仮病である。但し、それなりの重篤さは必要であった。何せこの劉協が患う仮病こそが、策の決めたとなるからだった。
「君栄よ。陛下の仮病が肝とは、いかなる仕儀だ?」
「はい。恐れ多くも陛下には、病となっていただきます。当然ですが、いずれは完治致します。そうなれば、いかな董卓といえ快癒祝いとして長安へ訪れないわけには参りますまい。そこを狙えば、よいのです」
『むぅ……』
確かに士孫瑞の言う通り、劉協の快癒の祝いと言うならば、いかに完成した城に籠っているような状態となっている董卓としても出こざるを得ない。しかも邪魔になる兵は、相当数が前線へと出払っている。これならば、朱儁が動かせる兵だけでも勝機は出てくるというもの。しかし、問題がないないわけではない。それは、長安へ兵が戻ってくるという事態である。もし彼らが戻ってきてしまえば、いかに朱儁とは言え討たれてしまうだろう。仮に董卓肝いりの城である万歳塢へ逃げ込めたとしても、守り切れるかは正直に言えば怪しいところである。何せその様な事態となった場合に攻め込んでくるのは、董卓配下の将兵なのだ。王允たちに比べれば、彼らの方が万歳塢の構造に詳しいと考えて間違いないからだ。
「これは我らだけでは、難しい。ここは高邑におられる皇帝陛下、それと常剛様にもお力を貸してもらわねばならぬ」
国境に展開している郭汜と李傕と李粛が率いる軍勢、それと洛陽奪還、劉逞の討伐を称して東征を開始した牛輔を大将とする軍勢。この二つの軍勢を、戦場にて足止めするなり撃滅するなりして貰わねばならないからだ。
『うむ。確かに』
王允の言葉に、朱儁と黄琬と士孫瑞は揃って頷いていた。幸いなことに、朱儁は劉逞と繋がっている。その縁を頼れば、連絡を付けることはそこまで難しいことではないのだ。とは言え、この計画は劉協の協力が絶対に必要となることは言うまでもない。早速にでも彼らは、就任している役職を利用して事前に人払いをした上で劉協との面会にこぎつけていた。
「何用か、子師よ」
「陛下。臣より伏してお願いの儀がございます」
「願いだと? 申してみよ」
「はっ。誠に申し上げにくいことなのですが、病となっていただきたいのです」
「……その方、頭は大丈夫か? 何であれば、我が医師を派遣してもよいぞ」
確かに、家臣からいきなり病になれと言われた劉協の言葉も分からなくはない。普通に、頭がおかしいのではと考えてしまっても不思議はないからだ。そして王允だが、劉協への言葉に言葉が足りなかったことに思い至る。慌てて、何ゆえにそのようなことを言い出したのかについて説明をする。当初は訝しげに話を聞いていた劉協であったが、話を聞いていくうちに前のめりになっていく。やがて最後まで聞き終えると、大きく頷いて協力する旨を伝えていた。
「よかろう。して、いつまでに朕は病となればいいのだ?」
想像以上に協力的な態度に、意外だった王允のほうが若干引き気味である。まさかここまで親身になってくれるとは、想像の埒外であったからだ。とは言うものの、劉峡が協力的なのは王允としてもありがたい話でしかない。それゆえに王允は、そのまま話を続けていた。
「……えっと、ゴホン。その件つきましては、高邑と連絡を付けておきたく思います」
「高邑? 高邑と言うと……ああ! 兄上と常剛か!!」
「はい。間もなく長安近郊より、兵力が出払います。その兵力をくぎ付けにしていただきたく思いますので」
「分かった。兄上と常剛より連絡があり次第、人知れず朕にも伝えよ」
「はっ」
その後、無事に劉協の協力を取り付けられたことを王允から伝えられた朱儁は、連絡役として劉逞より付けられていた密偵へ書状を預けて高邑へと送り出したのであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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