表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/145

第八十二話~反董卓連合の終焉~


第八十二話~反董卓連合の終焉~



 初平元年(百九十年)



 兗州刺史、劉岱死す。

 この報告を洛陽で聞いた劉逞は、驚きを隠せないでいた。確かに将としてみれば、劉逞に比べて劉岱は落ちる。また、酸棗においても董卓との戦どころか碌に小競り合いすらも行っていなかったのだから、その意味では戦不慣れであると言っていいだろう。しかしながら今回の相手は、黄巾賊の残党である。これが董卓配下の将に率いられた軍勢であれば、そこまで驚きはしない。だが、今回の相手は数こそ多いものの、まともな将が率いる軍勢ではなく、民衆の反乱分子を主軸とした黄巾賊の残党でしかない。幾ら戦慣れしていないとはいえ、無能でもない劉岱が破れるばかりか討たれてしまうなどとは思ってもみなかったからだ。ただ、不幸中の幸いなのは、黄巾賊による兗州への再侵攻が州境ではばまれたことにある。結果として、青州に閉じ込めることができたからだ。しかしながら、そのことがあったとしても、影響が出ることに間違いない。特に現在、洛陽に駐屯している劉逞たちにしてみると、この影響は無視できないのだ。それゆえに劉逞は、自身の軍師たちを集める。そこで劉岱の死という事態への対応について、頭を捻るのであった。


「常剛様。言わずともお分かりであるとは思いますが……後方こうほうが騒がしいと、士気に影響致しますぞ」

「分かっている子幹。取りあえず、援軍を送ろうと思っている」

「なれば、兗州に関わりのあるお二方を送られてはいかがかと」

「そう、だな。それが無難か……」


 ここで援軍の将候補として名が挙げられたのは、陳留太守の張邈と済北国の相である鮑信である。彼らならば、同じ兗州に関わりがある者として、問題は出ないと思われるからだ。彼らであれば地の利もあるので、その点でも問題はない。だが、全く問題はないのかと言われるとそうではない。どうしても劉逞たちには、兵糧という問題が付きまとっているからだ。しかし今回の場合、あくまで軍勢の一部であり、兵糧を用意できないというわけではない。しかしその代わりとして軍全体を用いての軍事行動は、来年でもならない限り不可能となってしまったのである。とは言え、簡単に軍事行動を起こせないのは董卓も同じである。劉逞を攻める場合、どうしても軍勢の規模を大きくせざるを得ないからだ。ましてや今は、洛陽から長安へ移動した直後であり、大規模の軍事行動を起こせるほどの余裕は流石に董卓にもないのであった。


「それから、常剛様。今回の援軍に関しまして、弘農王様にもお知らせ致しましょう」

「……伯喈よ、それは必要か?」

「はい。あくまで、弘農王様の命としておいた方が、問題は出ないかと」

「しかしそれでは、動きが遅くなる。違うか?」

「その点は、事後承諾でも問題にはならないかと」


 つまり蔡邕は、たとえ形の上だけであっても劉弁の命に従ったという体裁を整えた方がいいと進言したのだ。黄巾賊の兗州への再侵攻を防いだとはいえ、今後に再度侵攻してこないとは限らないので事態は楽観視もできない。かといってここで大規模軍勢を兗州に送ると、劉逞が恣意しいで動かしたと言い出す輩が出てくるかも知れない。その様な事態を防ぐ為、蔡邕は劉弁の命を得るべきだと進言したのだ。

 また、この劉弁の命を得るということは、長安へ移動した董卓に対する牽制にもなる。実質的な距離の問題と兗州との間に劉逞率いる反董卓連合の軍勢が存在しているので情報の伝達は遅れることとなるだろうが、それでもいずれは董卓の耳に入ることとなる。烏滸おこがましくも相国の地位にいる董卓であり、その彼が兗州の刺史が死亡したことを知れば人事介入してくることはまず間違いない。その前に、劉弁の命で兗州へ兵を送り実質的に抑えることで、董卓の介入を防ぐべき考えたわけであった。


「わかった。なれば伯喈、そなたに使者を任せる」

「承知しました」


 蔡邕は、言い出した時点で自分が使者となる気であった。それゆえ、使者を命じられたことは想定内でしかない。蔡邕は、劉逞の命を承諾すると、すぐに洛陽を発つ為の準備を始める為に劉逞の前から辞したのであった。



 蔡邕を送り出したあと、劉逞は反董卓連合の主だった将を集めた。間もなく諸侯が集まる中、最後の人物である袁紹があらわれると、劉逞は彼らに対して兗州で起きていた劉岱率いる軍勢と青州から侵攻した黄巾賊残党との戦の顛末を伝える。そこでは当初、兗州刺史の劉岱が黄巾賊を蹴散らし兗州から青州へ押し返した聞かされたことに喜び、そして間もなく告げられた劉岱の討ち死にしたことを聞いて表情が暗くなった。すると少しの間、この場を沈黙が支配する。だが、それはあくまで僅かの間である。すぐに劉逞へ、問い掛けてきた人物がいた。誰かと言えば、孫堅である。この辺りの切り替えの早さは、戦場多く経験している彼ならではであった。果たして孫堅は、いかなる対応をするのかを問い掛けたわけだが、劉逞はすぐに腹案を述べる。無論それは、前述した弘農王からの命を得ることと、張邈と鮑信に援軍として兗州へ向かって貰うことであった。


『ふむ……承知致しました!』


 劉逞の考えを告げられた直後、張邈と鮑信の両名は了承したのであった。やはり二人とも、内心では黄巾賊による兗州再侵攻を懸念している。だからこそ早急に軍勢を送り兵力を増強しておくことは、悪い話ではないからだ。しかも兗州には、張邈が太守を勤めている陳留郡があり、そして鮑信が相を務めている済北国が存在している。つまり二人からすれば、援軍は寧ろ望むところであったのだ。

 その一方で、劉弁の元へと向かった蔡邕は、無事に高邑へと到着すると面会を求めていた。何といっても劉逞からの使者であり、さらに言えば嘗ては朝廷にも仕えた蔡邕である。ゆえに問題なく、面会は了承されていた。程なくして叶った面会の席で、蔡邑から書状を渡された劉弁は、すぐに中身を読む。一頻ひとしきり目を通したあと、件の書状は种払や荀彧などへ渡されていた。彼らが書状を一取り確認したのを見定めると、劉弁は側近の一人である种払へ問い掛けていたのである。


「穎伯よ。そなたはどう思うか」

「はっ……弘農王様、常剛様の進言に答えてよいかと」


 確かに、劉弁の命と言う形であれば、援軍の大義名分は立つ。何より、劉逞が先んじて動いた形だが、それは別段、劉弁をないがしろにしているわけではない。刺史である劉岱が討たれたという事態に際して兗州に……否。兗州だけに留まらず、近隣の州や郡へと広がりかねない混乱を、早急に抑えてしまおうという思惑があったからだ。

 そのあたりについても書状には触れているし、劉逞の考えも一理ある。ただ、事後承諾という点が気にならないわけではなかった。とはいえ、兗州に発生する可能性がある混乱を防ぐ為には、致し方ない面があるのも事実だと言える。だからこそ种払は、少し考えたあとで、劉逞の申し出に賛同したのである。その後、劉弁は荀彧にも尋ねたが、彼も种払の考えには同意していたのであった。


「そうか。分かった。伯喈よ、常剛の申し出を許可するとしよう」

「ははっ」


 間もなく、正式な書状として兗州への援軍を許可する旨が記された書状を携えた蔡邕が高邑を発つと一路、洛陽へと向かったのである。もっとも、既に張邈と鮑信は軍勢を率いて洛陽を出陣している。そこゆえに、二手に分かれることになった。使者となった蔡邕はそのまま洛陽へと向かうのであるが、同行している者の一人である張郃が幾許かの兵と共に酸棗へと向かったのである。事前に張邈と鮑信が率いる軍勢の進軍経路についての情報は共有されているので、ここで別れたとしても合流は難しくない。事実、張郃は酸棗にて合流を果たしており、正式に劉弁からの命による兗州への援軍である旨が、張邈と鮑信の両名へと告げられたのであった。


『必ずや、弘農王様の命に応えます』


 張邈と鮑信からの返答を聞いた張郃は、一つ頷いたあとで急ぎ洛陽へと向かう。その彼を見送ったあとで、張邈と鮑信は進軍を再開させていた。同時に最前線の泰山郡で黄巾賊の進行を食い止めている応劭と李瓉に対しても、使者を送っている。無論、援軍として行動している旨を伝える為であることは言うまでもない。そして使者から援軍について聞いた応劭と李瓉は、大きな喜びを表していた。それというのも、やはり兗州刺史であった劉岱が討たれてしまったことが大きい為である。やはり総大将が討たれたという事実は、軍勢の士気を大幅に下げていたのだ。しかしながらここで援軍が現れるという事実があれば、下がった士気もまた上がるというものである。また、その援軍が弘農王である劉弁からの命であるとするならば、軍勢の再編にも弾みがつくからだ。あくまで可能性の問題だが、青州へと引いた黄巾賊が、泰山郡以外の兗州の郡へ侵攻するかも知れないからである。そのようなことを防ぐ為にも、生き残った太守たちへ応劭と李瓉は防衛の為の再編を呼び掛けていた。しかしながら彼らは、その提案に乗り気だとは言えなかった。これ以上の損害はごめん被りたいという思いが、如実に表れていたせいである。ただ、彼らも応劭と李瓉の申し出には賛同する点はある。ゆえに軍勢の再編には、表立っての反対を声高に主張していなかったのだ。だが、援軍が存在しているのならば話は別となる。しかもその援軍は洛陽にいる劉逞よりからの援軍であり、しかも弘農王の命を帯びている。この事実があれば、彼らも協力する。いや、協力せざるを得ない。下手な行動をして不興を買えば最悪、劉逞の軍勢が攻めてくるかも知れないからであった。その様な事態となるのが嫌であれば、協力する姿勢を見せる必要がある。事実、援軍の存在が明らかになると、兗州の軍勢の再編はそれまでとは違い、驚くべき速度で行われることになった。これにより青州の黄巾賊だが、動きが鈍ることになったのは言うまでもない。実は応劭と李瓉が懸念したように、黄巾賊の軍勢は平原郡から泰山郡の後方にある済北国の侵攻するつもりであった。この侵攻が成功した場合、泰山郡は孤立することになったであろう。しかし兗州の軍勢再編が進んだことと、張邈と鮑信の軍勢が援軍として迫っていることを知った黄巾賊は、流石に兗州への再侵攻は諦めたのである。しかし代わりという意味なのか、青洲と兗州の境に兵を集めたのである。こうして、兗州と青州の境では、両軍勢による睨み合いが発生することとなったのであった。



 話を少し戻して洛陽にいる劉逞はと言うと、兗州での情勢における情報取集を行わせていた。まずは張邈と鮑信に率いらせた軍勢を送り込んだわけだが、さらなる援軍が必要になる可能性も捨てきれないからだった。そんな劉逞の元へ、使者として劉弁の元を訪れていた蔡邕が戻ってくる。彼より劉弁からの書状を恭しく受領し、書状の中身を確認した。既に、劉弁より援軍の許可が出たということ自体は把握していた劉逞だが、こうして書状と言う形で確認できたことに安心していた。


「これで、大義名分が整った。あとは、我らの動向か」


 既に、董卓の軍勢は長安のある亰兆尹へと引いている。そして劉逞率いる軍勢はと言えば、洛陽のある河南尹ばかりだけでなく、河東郡と弘農郡をも押さえていた。その為、司隷は事実上、二分割された形となっていたのである。その上、反董卓連合自体のまだ正式な発表ではないとはいえ解散も決まっているのだ。無論、一度高邑へ戻る必要がある。あくまで反董卓連合の盟主は、弘農王である劉弁なのだから当然であった。

 そこで劉逞は、副将の程普を自身の代理として洛陽へ残すことにする。また、彼の補佐をする将を数名ほど、残したのだ。彼らに軍勢を預けると、袁紹や袁術などといった諸侯と共に高邑へ戻ったのである。なお、諸侯の軍勢であるが、多数が河南尹に残っていることを記しておく。彼らも一時的とはいえ、程普旗下とされていたのだ。ともあれ、洛陽から高邑へと移動した劉逞たちは、劉弁へいくさ報告を行う。その報告を聞いた劉弁は、諸侯に対するねぎらいの声を掛けたあとで、正式に軍勢の解散を宣言したのであった。これで軍勢は解散という流れになるのだが、その前に劉逞から劉弁への献上する物がある。その物とは言うまでもなく、伝国璽であった。流石にこれには、どよめきが起きる。今さらではあるが、伝国璽は皇帝の証である。その伝国璽が劉弁の元へ届けられたということは、漢における正当な皇帝位は劉弁にあるということに他ならないからであった。


「……そうか。伯和がのう」

「はい。伯和様からの密命を受け、彼らが届けてくださいました」


 劉逞は劉弁へ、劉協に命じられた荀棐と种劭と趙融の働きを伝える。その言葉を聞いた劉弁は、一つ頷いてから口を開いたのである。


「伯和の命を完遂したこと、大儀である」

『ははぁ』


 劉弁からの言葉を賜った荀棐と种劭と趙融の三名は、漸く命を果たせたからであろう。こうべを垂れつつ、感涙を流していたのであった。

別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

https://ncode.syosetu.com/n4583gg/

も併せてよろしくお願いします。



ご一読いただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=711523060&s ツギクルバナー
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ