第八十一話~兗州争乱~
第八十一話~兗州争乱~
初平元年(百九十年)
大火に見舞われた洛陽を劉逞が落としてみせた頃、兗州においても動きがあった。その動きというのは、兗州刺史である劉岱が兵を起こしたというものである。とは言え、劉逞に対して攻撃を仕掛ける為でも、ましてや董卓に対して攻撃を仕掛ける為でもない。しからば何ゆえに軍を組織したのかというと、黄巾賊残党を排除する為であった。
さて、前にも述べたことだが、兗州泰山郡には青州で兵を越した黄巾賊残党が侵攻している。泰山郡太守に就任している応劭の働きによって、泰山郡を落とすまでには至っていないが、それでも泰山郡東部のうちで三分の一ほどが黄巾賊残党の勢力下に収まっていたのだ。当然だが応劭も、泰山郡に居座っている黄巾賊残党を蹴散らすべく動いている。しかしながらその動きは、功を奏していない。それどころか、徐々にではあるが劣勢へと追い込まれていた。果たしてその理由だが、二つほどある。一つは、反董卓連合にあった。兗州刺史である劉岱を筆頭に、兗州諸侯は軒並み反董卓連合へ参加している。その中にあって応劭は、反董卓連合に参画していない。それは言うまでもなく、黄巾賊残党のせいであった。
その黄巾賊残党だが、最近になって泰山郡への攻勢をより強めている。しかしてその原因こそ、二つ目の理由であった。実は青州刺史の焦和だが、亡くなってしまったのである。より正確に言えば、黄巾賊の手によって討たれてしまったのだ。しかしながら、焦和に軍事的な能力など皆無に等しいので、この結果自体に驚くべきところはない。ここで問題なのは、青州刺史が討たれてしまったことそのものにあった。曲がりなりにも焦和は、青州の最高位にある。その彼が、よりにもよって反乱分子である黄巾賊残党の手によって死を齎されてしまったのだ。これで、敵が勢いづかない筈がない。すると黄巾賊残党は、その勢いに任せたまま泰山郡への兵力を集中させたのだ。これが偶然なのか、それとも意図されたものなのかは分からない。だが結果として、黄巾賊側にとってみればよりよい策となっていたというわけであった。
ことここに至り、自身の力だけでは押し返すどころか泰山郡を蹂躙されかねないと感じ取った応劭は、兗州刺史である劉岱へ援軍を要請したのである。既に反董卓連合から離脱していた劉岱であり、彼は二つ返事で了承していた。劉岱としては、元からそのつもりであったこともあって、応劭よりの援軍要請は正に渡りに船だったからである。無論、反対がなかったわけではない。済北国の相である鮑信や陳留郡の太守である張邈が反董卓連合に参画中であり、兗州諸侯の中で欠けている者が存在する状況では時期尚早だとして東平国の相となる李瓚など一部の者は反対したのだ。しかし、劉岱の強い思惑と、先の反董卓連合で碌に手柄をたてられなかった諸侯などが賛成したことで、その勢いに飲まれる形で無視されてしまう。こうして劉岱が主導し、鮑信と張邈以外の兗州諸侯による泰山郡への援軍が組織されたというわけである。後に、劉岱からの密書が届いた応劭は、手放しで喜んでいた。こうして援軍がいずれ到着することが分かった以上、無理に戦をする必要はないからである。彼はしっかりと守りを固めて、劉岱の軍勢を待ったのであった。
応劭が籠城している牟の近郊に、劉岱が率いる軍勢が到着した。この知らせを受けた黄巾賊残党は、流石にこのまま攻めつつけるのは不味いと判断したようであり、一旦距離を置く。すかさず劉岱は旗下の軍勢を押し出して、牟を守るように軍勢を展開させた。こうして敵から攻められなくなる体制が調うと、牟の門が開いていく。するとそこには、応劭自らが率いる籠城勢が現れた。その軍勢の先頭にいた応劭は、数名の護衛と共に劉岱の軍勢に近づくと劉岱との面会を求める。間もなく案内された応劭は、劉岱と面会したのであった。
「仲瑗殿。よくぞ、泰山で黄巾どもを押し留めてくれていた」
「刺史殿。我は、泰山を預かる太守としての役目を果たしただけにございます」
「だが、そなたが泰山で踏ん張ったからこそ兗州が荒らされることがなかったのだ。刺史として、礼を言うぞ」
「ははっ」
数十万とも百万とも号する青州黄巾賊の主力をたった一郡の軍勢だけで一年、いや下手をすればそれ以上の期間を劣勢な状況の中でしのぎ切ったのである。応劭は誇るでもなく当然のように宣っているが、その事実を鑑みれば彼の有能さが分かるというものであった。なおこの面会のあと、応劭は劉岱の軍勢に合流したのである。しかも、彼は先鋒へと配置される。もっともこの配置は、応劭自身が望んだことであった。
さて、何ゆえに前方を望んだのかというと、今までの意趣返しである。以下に烏合の衆であるとはいえ、黄巾賊はかなりの数を有していたことは前述している。その為、押し返す為に打って出ることはあっても、基本的に応劭は防衛戦を強いられていた。しかし劉岱が援軍を率いていきたことで、漸く反撃へと移ることができる。この機会を逃すものかと応劭は、先鋒を望んだというわけであった。また、申し出を受けた劉岱としても悪い話ではない。言うまでもなく応劭は、黄巾賊残党討伐の軍勢の中で一番、相対する敵との戦を経験している。その経験を生かすという意味でも、応劭を先鋒とするのは望むところであった。
それから数日後、牟県の郊外にて劉岱率いる軍勢と、黄巾賊残党がぶつかったのである。
『掛かれー!』
『おおー!!』
いよいよぶつかった両軍勢であるが、数の上では間違いなく黄巾賊残党の方が上である。しかし兵の質や武装としては、劉岱の軍勢の方が上であった。その為、黄巾賊としては数の利を生かして一気に蹂躙するつもりだったのである。しかし、そのようなことは相対する劉岱も流石にその辺りは読んでいたようで、戦が始まった当初は防衛に徹していたのであった。
そしてこの我慢が、やがて功を奏したのである。半日も経つと、黄巾賊残党に戦が始まった頃の勢いは無くなってしまう。これこそ千載一遇の好機として、劉岱は反撃へと移ることになる。もはやこの反撃をこらえきるだけの力はなかったのか、それとも今迄の雪辱を晴らす機会を得た応劭率いる軍勢の力がすさまじかったのかは分からないが、ついに黄巾賊が崩れ始める。この機会を、逃す理由はない。劉岱は、反撃から攻勢へと移ったのであった。
「進めー! 黄巾賊を駆逐するのだー!!」
劉岱は勢いに乗じて、全軍での追撃を命じていた。しかもただ命じただけでなく、自らも剣を振りかざして追撃を行ったのである。まさか総大将の劉岱が、自ら率先して追撃に出るとは思っていなかったのか、護衛の者が遅れてしまう。しかしすぐに我に返ると、劉岱を追い掛け始めたのであった。
先頭を切って逃げる黄巾賊を追いつくと容赦なく討ち続けた応劭であったが、兗州と斉州との州境近くまで差し掛かると追撃を取り止めていた。勿論、このまま追撃を続行してもいいのだが、彼にとっての目的は黄巾賊を泰山郡から、引いては兗州より駆逐することにある。まだ幾らかの黄巾賊が泰山郡に残っているであろうが、その数は今までとは違って脅威と言えるほどにはないだろう。なればあとは、虱潰しに残党を討っていけばいいだけだからだ。しかし、彼が追撃を停止したのはそればかりではない。それは、軍勢の大将である劉岱が、どう判断するかが分かっていないからだ。このまま州を越えて青州まで追撃するのか、それとも追撃を停めるのかが不明なのである。それゆえに応劭は、勝手に州を超えるような真似はせず、州境近くまでで追撃の手を停めたのであった。
「一まず陣を張れ。この地に留まり、刺史殿の到着を待つ」
「はっ」
応劭の命に従い、陣が張られる。それから暫くすると、後続の軍勢が現れた。しかし驚いたことに、先頭切って軍勢を率いていたのは劉岱だったのである。彼が我武者羅に追撃をしたこともあり、何と先を進んでいた味方に追い付いてしまったのだ。当然ながら追い付かれた彼らも、そのまま劉岱を見送るなどということはしない。総大将の速度に合わせて、追撃を続けたのである。その結果、予定よりも早く州境まで辿り着けたというわけであった。とはいうものの、引き換えに体力を相当消耗している。馬に乗っていた者たちならばまだましではあるが、徒歩の者に至っては心底疲れ切っていたのだ。しかしながら劉岱は、味方の状態を理解できているにも関わらずこのまま追撃を続けると宣言する。この言葉に当初は時期尚早だとして進軍に反対意見を述べた李瓉だけでなく、他の太守の中からも反対する者が出る。彼らは少なくとも疲労が抜けるまでは、進軍を止めるべきだと進言していたのだ。しかしながら劉岱は、彼らの声を黙殺してしまう。それどころか、彼らを臆病者だとなじる始末であった。
「李瓉、この地に残れ。それと、応劭もだ……よいか! 我はこのまま、追撃を続行する! 我と思わんものは、続けぃ!!」
『おぅ!』
劉岱の声に応え、半数以上の太守が追撃に従軍する。そして、待機を命じられた応劭と李瓉は見送ることとなる。しかしながら二人は、このお陰で九死に一生を得ることとなったのであった。
相も変わらず劉岱が先頭を切って追撃し、彼に引っ張られる形で太守たちも続いていた。しかしここで問題なのは、軍勢を引っ張っている劉岱が、秩序だって進軍しているわけではないということにあった。彼の頭の中では、一人でも多くの黄巾賊を討ち破ることしかないからである。仮に軍勢を率いているのが劉逞や曹操や孫堅や劉備などであれば、この様な愚は犯さないだろう。そもそもからして彼らであれば、余程ことでもない限り劉岱のような真似はしないからだ。無論、必要があれば躊躇いなく行いはする。しかし、今回の様な状況であれば、絶対に行わないことは必至であった。この辺りは、戦慣れしている者としていないものとの差が出たのかも知れない。劉逞や劉備は、黄巾の乱以降も漢の辺境とも言える地にあり、異民族との戦に明け暮れていたと言っていい。そして孫堅もまた、黄巾の乱以降も涼州での反乱や荊州南部の反乱鎮圧に駆り出されている。そして曹操は、前に挙げた三人には及ばないまでも、戦というものを知っている。しかし劉岱は、こと戦と言う経験には乏しいのである。黄巾の乱においても、大した手柄を立てたという話もない。しかし、決して無能というわけではない。もし経験というものをある程度でもあれば、活躍できるだけの才覚はある人物であろう。だが、致命的な程に戦の経験が乏しい。そのことが、真面に表れてしまっていたのだ。
「何としても、徹底的に討たねば! 名誉を取り返す為にも!!」
「こ、公山様。お待ちください。このままでは、我らも馬も潰れてしまいます」
その時、一人の太守が劉岱に声を掛ける。その人物は、劉岱によって討たれた橋瑁のあとに東郡太守に任じられた王肱であった。曲がりなりにも彼は、劉岱が推挙した人物である。それなりに信頼していたこともあり、劉岱も歩みを止める。するとその途端、自身の体が言いようのない疲労感に強く襲われてしまう。そして一度でも疲労を自覚してしまうと耐えがたく、今にも崩れそうになっていた。その上、跨っている馬も相当に疲労している。ことここに至り、暴走気味であった劉岱も幾らかでも落ち着くことができたのだった。それだけに、これ以上の進軍は無理だと判断できる。そこで劉岱は、ここで暫しの休息をとることを決めたのだ。これには、分散してしまった軍勢を再結集するという思惑もある。頭に上っていた血が幾許でも下がったことで、冷静な判断もできるようになっていたのだ。しかし彼は、一つだけ大事なことを失念していたのである。それは、劉岱自身が突出してしまったという事実であった。
そう。
彼は意識こそしていなかったが、逃走中とはいえ敵に近づいていたのである。それこそ、近づきするぐらいに。そしてこのたった一つの失念が、劉岱の命運が尽きる引き金となってしまった。陣を張り後続を待つ姿勢を取ったのだが、味方が到着する前に劉岱らは敵である黄巾賊に囲まれてしまったのだ。いや。これも正確ではない。実は敵に囲まれたと言うより、彼らが敵の真っただ中に突っ込んだ形なのだ。そして敵勢である黄巾賊は、数だけは多い。今までは逃げに転じていた彼らであるが、煌びやかでいかにも大将然とした将が少数で留まっていることを知ってしまった。その事実を知ってしまった黄巾賊が、襲わないわけがない。何より敵の数が少ないので、数で襲い掛かれば間違いなく倒せるであろう。そう判断した彼らは、脱兎のごとく逃げる者たちから飢えた狼へと変貌する。文字通り、餓狼のごとく劉岱たちへ襲い掛かったのだ。
数の上で多少の劣勢程度であればどうとでもなるが、数だけは多い黄巾賊の攻撃である。しかも味方は少数しかおらず、この攻撃を劉岱たちが持ち堪えるなどできはしなかった。一人、また一人と討たれていってしまう。そしてついに、黄巾賊の凶刃は劉岱自身をも捕らえたのである。ここに宗族であり、そして兗州刺史でもある劉岱は、誰とも分からない人物の手により討たれたのである。そればかりか身包みも根こそぎ剥がされてしまい、残ったのは切り刻まれ幾多の刃の跡が残された死体だけという有様であった。また、この劉岱死亡が伝わったことで、兗州の軍勢は士気が大いに下がり、代わりに黄巾賊の士気は上がることになる。これにより攻守は逆転し、追撃を続けていた兗州勢は撤退へと移り、敗走を続けていた黄巾賊は逆撃に移ることになったのであった。
『何だと! それは真か!!』
「……はい」
のちに兗州と青州の境近くに駐屯していた応劭と李瓉は、敗走してきた味方の軍勢より話を聞き驚きの声をあげる。そればかりか、総大将の死亡というあまりの知らせに呆けに取られてしまったのである。だが二人はすぐに意識を取り戻すと、逆撃へと転じた黄巾賊を迎撃する為にと出陣したのだ。その後、応劭と李瓉は巧みに軍勢を操ることで勢いに任せて攻め寄せてくる黄巾賊を翻弄して見せる。その結果、黄巾賊に少なくはない犠牲を払わせることに成功し、どうにか兗州への侵攻を食い止めたのである。但し、味方にも相応な犠牲を払うこととなったのであった。
別連載
「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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