第八十話~反董卓連合 二十四~
第八十話~反董卓連合 二十四~
初平元年(百九十年)
休戦という形で手を打った劉逞と皇甫嵩は、洛陽で起きている火災に対処するという目的を完遂する為に行動を起こした。とは言え、一日どころか僅か半日前まで対峙していた両軍勢である。そのような者たちが、幾ら同じ目的があるとはいえ蟠りもなく動くことができるのかと言われると難しいと言わざるを得なかった。そこで劉逞と皇甫嵩は、両軍勢の主要な人物がいる本陣は一つにして、軍勢自体は幾つもの小集団に分けることにしたのである。果たして軍勢を幾つかに分けた理由だが、それは言うまでもなく洛陽の広さにあると言えるだろう。洛陽は、伊達に漢の首都ではないのだ。そもそも洛陽には、数が判明しているだけでも五十万は住んでいたとされている。その上、黄巾の乱や続く争乱から逃れた民が、首都ならば安全であろうという安易な考えから流れ込んでいたことを考慮すると、今や倍の百万は居てもおかしくはなかった。その様な多人数を受け入れている洛陽が狭い筈もなく、人を回せなければならない場所はそれこそ幾らでもある。とてもではないが、纏まって行動していては有効な手を打てるはずもないのだ。もっとも、洛陽の住人の一部は董卓の命によって移動がされているので、実際には百万もいないであろう。それでもなお、かなりの住人がいることは間違いなかった。
ともあれ行動を共にした劉逞と皇甫嵩が行ったことはといえば、主に二つである。一つは言うまでもなく、消火であった。しかしながら、既に広範囲に渡って火災が広がりを見せており、今さらに水を持ってきて掛けたとしても文字通り焼け石に水でしかない。そこで彼らが行ったこととは、現代風に言えば破壊消防であった。先に述べた様に、もう水を掛けたぐらいでは鎮火に持っていくことは難しい。それだけの勢いが、火災にはあったからだ。そのような時に劉逞と皇甫嵩、それぞれが抱える軍師たちから進言される。それが、破壊消防なのだ。そして事態がひっ迫しているということもあり、これ以上は燃え広がらないことを優先させなければならない。それゆえに、劉逞も皇甫嵩もお互いに頷きあうと許可したのであった。
この時に行った鎮火の手段としては、火災が起きている区画より一区画分だけ開けた場所を破壊することで、これ以上の類焼を防ぐというものである。また、実際に燃えている炎に対しても、焼け石に水の状態に近いとはいえ水を掛けている。これは火災の広がりを遅くし、その間に少しでも破棄する領域を広げるべきだという進言が破壊消防の一件と合わせて進言されたことによっていた。
また彼らは、火災の鎮火に併せる形で住民の避難をも行っている。これは人命救助という理由もあるが、それ以上に彼らの存在自体が消火活動の邪魔でしかなかったからだ。火災現場近くを統制も取れていない集団に右往左往されてしまうと、動きを阻害されてしまう。かといって、邪魔だからと言って端から殺してしまえば、余計な混乱と恨みが増すばかりである。それどころか、自身たちの命を守る為にとやけになって劉逞と皇甫嵩旗下の兵に攻撃をしてくる可能性すらある。そのようなことにでもなってしまえば、劉逞と皇甫嵩の名声は勿論、反董卓連合を組織する切掛けであった弘農王劉弁や皇帝劉協の名にも類が及びかねない。そのような事態だけは何としても避けなければならず、たとえ面倒であろうとも悪名が広がるようなことは避けなければならなかった。
『よいな! この命を守らぬ者は、そっ首、刎ねてくれるぞ!!』
劉逞と皇甫嵩は揃って声を張り上げるだけでなく、洛陽の地図が置かれている机の角を手にした得物でお互いが切り裂いたという。その脅しとも取れる行動のお陰もあってか、両者の命は守られ乱暴狼藉による被害はかなり押さえられていた。勿論、皆無というわけではない。幾ら言い聞かせていようがはたまた脅して見せようが、この手のことを行う者はいるからだ。しかし、彼らはのちに後悔することになる。その理由は言うまでもない、宣言通りにその首を刎ねられたからであった。
先のことは一まず置いておくとして、破壊を主眼に置いた鎮火作業だが、一応の効果を得ていた。その証拠におよそ洛陽全体の五分の三から三分の二を燃やした時点で、大体は鎮火されたからである。しかしながら燃えた町の規模が規模であり、しかも完全に鎮火したとはまだ言い切れないでいる。事実、まだ火が残っているところもあるからだ。とは言うもののたいして火が大きいわけでもなく、これであれば水を掛ければ消火には十分であった。なお被害としては十分に大火災であったが、彼に手を打たなければ洛陽全体が炎の海に沈んでいたのは間違いなかった。
燃え尽くすかのような大火災もほぼ鎮火を迎えた洛陽、そこに劉逞と皇甫嵩の姿があった。無論、彼ら二人だけではない。他に幾人もの姿が、そこにあった。彼らが集っているのは、宮殿の一角である。しかして宮殿に、昔日の姿はない。火災によって殆どが燃え尽きて瓦礫の山となっているからだ。しかしながら、僅かにではあるが火の洗礼を免れた建物もある。劉逞や皇甫嵩たちが集っている建物も、その幸運にも延焼を免れた建物の一つであった。そもそも今回の火災、発火元は宮殿である。既に洛陽より脱出していた董卓に変わり影武者を務めていた者たちなどが脱出する際に火付けを行ったことが原因であった。そもそも火付けを行った者たちだが、宮殿を焼き尽くすつもりだったのである。それこそが、董卓の命であったがゆえだ。しかしながらその火災も、火付けを行った者たちの予想をはるかに超える広がりを見せたことで未曽有の大火災となってしまったということが洛陽大火災の顛末であったのだ。
「これが、あの荘厳であった宮殿であるのか……」
「…………」
劉逞の隣にいる皇甫嵩は、嘗ての宮殿跡地をしばらく眺めたあとで一言漏らした。すると、まるで自身の言葉を切っ掛けとしたかのように膝から崩れてしまう。その後は、両の眼より涙をあふれさせているばかりか、嗚咽を漏らし始めていた。その一方で劉逞の様に、皇甫嵩たちの様な反応を示していない者たちもいる。その者たちの共通点は、皇甫嵩たちと違って朝廷に出仕した経験が少ないことにあった。無論、彼らとて漢に仕える者である以上、宮殿が焼け落ちてしまったことを悼む気持ちはある。しかし皇甫嵩の様に、そこまでの思い入れがないこともまた事実であった。
因みに皇甫嵩の様に中央に長く出仕した者たちの中でも、反応は二つに分かれていたことを記しておく。それは皇甫嵩のような反応を見せているものと、彼ほどには悲しみに溢れていない者たちであった。前者に関しては年嵩の者に多く、後者に関しては比較的年齢が若い者たちに多かった。
話を戻し、嗚咽を漏らしながら膝より崩れた皇甫嵩の隣では劉逞が立ち尽くしていた。本当は気遣おうとしたのであるが、なぜかその様なことはしない方がいいように思えてしまったからだ。しかしてそれは、間違いではない。皇甫嵩は変わり果てた宮殿を見て過去に思いを馳せつつも、その一方で自身の中で整理をしていたからである。ここで気遣われては、寧ろ余計なお世話だと反発しかねなかったからだ。
「……申し訳ありません、常剛様。取り乱してしまいました」
「いや、気にすることはない」
先に述べた様に、劉逞には皇甫嵩ほどの思いれもない。それゆえに、当たり障りのない返答に留めていたのである。するとその時、皇甫嵩は頭を下げつつ拱手をした。
「それと、常剛様。この宮殿と洛陽の惨状を見、かつ董卓の現状を鑑み、改めて決断いたしました。我……いえ、我らは常剛様に、ひいては弘農王様に降伏致します」
「……分かった。弘農王様に成り代わり、そなたらの降伏受け入れよう」
劉逞や皇甫嵩は勿論、諸将や兵士も洛陽の大火災に対処した間柄である。緊急時ということで、少し前まで敵同士ながらも共に同じ目的の為に行動したこともあって、今さら再び対立するのも忍びないという思いがある。しかしながらそれ以上に、皇甫嵩が軍権を掌握した軍勢にはある思いがあった。それは、本来の総大将である董卓に見捨てられ切り捨てられたという事実であった。元から劉逞は、洛陽の大火災に対処する一方で、長安に忍ばせている密偵からの情報を精査させていたのだ。また、彼らばかりではない。劉逞は、既に味方となっている長安の朱儁へ密かに接触を図り、彼らにも情報を集めさせていた。しかしてその情報であるが、つい先日に届いていたのである。そこに記されていたのは、長安にて確認された董卓の存在であった。しかも、そればかりではない。今回、発生した洛陽の大火災の原因が董卓にあることの発見であった。正確には李儒の策であるのだが、承認した時点で董卓の責任であると言えるだろう。すると劉逞は、反董卓連合に所属する諸侯は勿論、皇甫嵩たちにも情報を提供したのだ。これには、敵味方問わずに驚きを隠せないでいる。特に皇甫嵩以下の将兵には、驚愕の話であった。いかなる理由があろうとも、董卓は総大将である。しかも相国の地位にあり、皇帝を除き最上位にあるのだ。その彼に切り捨てられたという事実が、董卓ひいては劉協の為に戦おうという思いを打ち消してしまったのだ。因みに他にも、劉逞同様に情報収集を行っているのだが、彼らの元へはまだ情報は届いていなかったのである。つまり彼らに先んじて劉逞から情報を齎されたことで、彼らは二重に驚いていた。なお情報収集を行っていた面子だが、皇甫嵩や曹操や劉備、それと袁紹というか彼の配下となる郭図や許攸などといった者たちであった。
何はともあれ、漢の首都である洛陽を落としたことで一応の区切りがついたと言える。本来であれば、このまま長安まで兵を進めるべきなのであるが、そうはいかない実情があった。それは、兵糧の不足である。一両日中に無くなるなどといったことは絶対にないが、残念なことに季節は冬へ近づいている。遠からず、軍を動かすことが難しくなるのは必至であった。しかしながら、今ならばまだ諸侯へ残った兵糧を渡し、それぞれの拠点へ戻ることは可能なのである。ゆえにこのまま軍勢を洛陽近郊へ駐屯して年を越えるか、それとも軍勢を解散させるかの判断をする必要があった。しかしここで、問題が一つある。あくまで劉逞は総大将の代理であり、本当の意味での総大将は劉弁であるということだ。彼が反董卓連合の大義名分であるがゆえに、軍勢の扱いを勝手にするわけにはいかないのである。そのようなことをしてしまえば、自身たちを自身たちの手によって否定することとなってしまうからであった。
「致し方ない。ここは、弘農王様へ使者を出して、事情を説明しなければならぬ」
「そうなりますな」
「我が行くことができればいいのだが、そういうわけにもいかぬであろう」
『当然です!!』
劉逞の言葉に、一同が揃って突っ込みを入れていた。確かに、劉逞が赴くのがある意味では一番手っ取り早いと言えるかも知れない。しかも劉逞であれば、とても早く弘農王の元へ向かうことができるのだ。実際問題として、現状において劉弁の元まで一番早く到着できる人物など二人しかいないのである。その人物とは劉逞、そして呂布であった。いかに多数の人材を集めた軍勢であるとはいえ、こと早さに関して言えば彼らを超えることはできない。その理由は、二人が所有する愛馬にあった。
それというのも劉逞と呂布は、汗血馬を所有しているのである。良馬と呼ばれる馬であれば、曹操や孫堅など幾人かの者が所有している。しかし彼らの所有する良馬であっても、劉逞と呂布が愛馬としている一日で一千里を走り抜けるとまで言われた汗血馬には叶わないからだ。
「奉先、行ってくれるか?」
「承知致しました、常剛様」
呂布の跨る馬、雷閃の持つ能力を十全に発揮させるとなると、どうしても単騎による行動となってしまう。雷閃が名馬であるが為に、追随することが可能な他に馬がいないからである。単騎などという十分に危険な役目となるが、呂布はそのことに気付いていながらもおくびにも出さず即座に了承していたのであった。
その後、間もなくして出立した呂布はというと、ひたすらに劉弁の元へとひた走ったのである。本気の呂布と雷閃という汗血馬による旅程の為か、それとも命を果たすという決意からか異様とも取れるような雰囲気を放つ呂布を察したからなのかは分からないが、呂布と雷閃が道中で誰かに襲われるなどといったことはなかった。兎にも角にも、こうして無事に劉弁の元へと辿り着くと、呂布は劉弁との面会に臨む。その席で、携えた劉逞からの書状を渡していた。渡された書状に目を通したことで事情を把握した劉弁であるが、董卓を逃してしまったことに対して苛立ちを隠せないでいたのである。しかしながらその直後、荀彧や种払などによって滔々と事態の説明と共に説得を受けることになる。これには劉弁も説得され、いささかの不満を残しつつも劉逞からの書状にて提案されていた件を了承したのである。これによりおよそ一年以上に渡った劉弁による董卓の暗殺と諸侯による反董卓連合という動きは、一応の終結を見ることとなったのであった。
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「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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