第七十八話~反董卓連合 二十二~
第七十八話~反董卓連合 二十二~
初平元年(百九十年)
本陣から洛陽を見ているのは、劉逞だけではない。反董卓連合の将兵は勿論、畢圭苑に本陣を張っている董卓軍の将兵も、夜の空を赤々と照らす炎に目を奪われていた。しかして、それも仕方がないことだろう。まさか洛陽から火災が発生しただけでなく、かなり広範囲に渡っていると思われるなど、予測していろと言う方が無理だからである。要はあまりにも想定外なことだけに、誰しもが理解するまでに時間が掛かってしまったということであった。無論、いつまでも呆けて眺めているだけなどということはない。いち早く、動き出し始めた者もいる。そしてそれは、反董卓連合の軍勢から出たのであった。
「子龍! 衛統!!」
『……はっ!?』
「その辺りで呆けている者たちの眼を覚まさせろ!」
『ははっ!』
劉逞の命に従い、趙雲と夏侯蘭が誰彼構わず呆けてしまっている者たちを気付かせていく。そして気付かせた者が他の者を気付かせるというふうに少しずつではあるが通常の状態へと回帰させていった。その様子を尻目に劉逞は、趙燕らを呼び寄せる。ほどなくして現れた彼らに対して劉逞は、即座に指示を出している。その指示とは二つあり、一つは皇甫嵩への伝令であった。この状況では、もはや先ほどの密約などに構ってはいられない。彼には早々にでも動いて貰い、一気に勝敗を決する必要があるからだ。そうでもしないことには、洛陽へ短時間で辿り着くなどできる筈などないからである。仮に軍勢を動かして洛陽へ近づこうものなら、幾ら呆気に取られているとはいえども気付きはするだろう。その様な事態となってしまえば十中八九、戦端が開かれてしまうことに相違ない。それでは、洛陽へ向かうどころの話ではなくなる。炎に照らされている洛陽のすぐ近くで、雌雄を決する戦が行われることとなることは必至だった。そしてそうなれば、洛陽は火災によって灰燼に帰す。その様な状況だけは、劉逞としても避けたいのだ。その為にも今すぐ皇甫嵩に動いて貰う必要があり、趙燕にその旨を伝えるべく命じたのだ。その後、趙燕を含む数名の密偵と共に劉逞の前から辞すると、畢圭苑にいる皇甫嵩の元へと向かったのだ。とはいえ、王当などといった密偵はまだ残っている。その彼らに劉逞は、もう一つの指示を出す。それは、洛陽への潜入であった。正直に言って、何が起きて洛陽が燃えるなどという様な事態となっているのか皆目わかっていない。少しでも情報を入手する為に、危険も考えられるが潜入を命じたというわけであった。
指示を出した密偵たちを見送ったあとで劉逞は、周囲に集まってきた家臣にも命を出す。その命とは、共に行動している諸侯への派遣であった。兵の規模は諸侯により違いはあるが、それでも彼らは軍権を握っている。無論、最大兵力は劉逞となるのだが。
ともあれ、彼ら諸侯の手綱を握っておく必要があるのだ。下手に暴走でもされてしまうと、やはり戦端が開いてしまう可能性が高い。特に警戒しているのは、袁紹となる。虎牢関を巡る戦いで兵の総数は減じているが、冀州牧であった韓馥亡き今、劉逞の次に率いている兵数が多いからだ。その上、袁紹は、虎牢関での戦で負った損害を挽回する機会を欲している。火災の混乱をこれ幸いにと思い戦端を開き、洛陽への一番乗りを欲する可能性すらあるのだ。火災が起きていないならばまだいいが、現状起きている大火災を尻目にそのようなことを許せる筈もない。その為にも、袁紹には釘をさす必要があった。しかし、ここで下手な人物を出したところで聞き分けないかも知れない。そこで、家臣を使うことにしたのだった。
「よいな。必ず、抑えてくれ。頼むぞ!」
『はっ!』
こうして自身の家臣の内で主だった者を殆ど使い、彼らを諸侯への伝令と仕立て上げる。その為この場に残るのは、本当の意味で古参と言っていい者たちであった。即ち、幼馴染みとなる趙雲と夏侯蘭、趙雲の兄である趙翊。そして、趙家の当主である趙伯と他にもう一人、盧植となる。つまり、劉逞が幼少の頃より傍にいた者たちであった。
「これで抑えきれるといいが……どう思う? 子幹」
「彼らなら大丈夫、でしょう」
「ああ。そうだ、な」
盧植から返ってきた言葉に頷いたその時、劉逞の元へ三人の人物が来訪する旨が告げられる。その三人とは、曹操と孫堅と劉備であった。因みに伝えてきた人物だが、曹操からは彼のいとことなる曹洪、孫堅からは実子で劉逞と顔見知りとなる孫策、そして劉備からは、劉徳然である。事態が事態だけに、彼らも一族や肉親を伝令役としたようであった。それから間もなく、曹操と孫堅と劉備が本陣に揃う。劉逞としても彼らは当てになる人物なので、三人が揃ったことはとてもありがたかった。
「よくぞ来てくれた、三人とも」
「常剛様、何ゆえに洛陽が燃えているのか」
「分からぬ。分からぬゆえに、洛陽へ人を派遣した」
その言葉に、孫堅は感心したような表情になる。そして曹操と劉備だが、前述の孫堅と違い安堵したような表情を浮かべていたのだ。これは情報というものに対する、三人の関心度の違いと言っていいだろう。勿論、孫堅も情報自体を軽視しているわけではない。だがどうしても、武功の方へと関心が高くなってしまいがちなのだ。その点、曹操と次点で劉備は、功も情報も大事にしている。もっとも以前は劉備も、孫堅と似た感じであった。しかし長らく劉逞と行動を共にしたことで、彼からかなり感化された結果、現在の劉備が出来上がったというわけである。因みに曹操と劉備は、既に洛陽へ人を派遣していることを記しておく。
「そうなりますと、問題は眼前の董卓となりますな」
「そうなる。一応手は打ったが、流石に見えぬ」
「……常剛様、手を打ったとは?」
劉逞の言葉に、曹操は首を傾げて質問をしてくる。それは、声こそ上げてはいないが、劉備と孫堅も同じであった。しかし、揃いも揃ってなぜに三人が首を傾げているのか。それは彼らも、皇甫嵩の秘密会談について把握していなかったせいだ。敵を騙すには味方からというわけでもないが、劉逞は皇甫嵩との会談については味方である諸侯にも漏らさず行っていたのである。ことがことだけに、特に敵へ皇甫嵩の裏切りという情報を漏らすわけにはいかない。ゆえに、極秘に進めていたのだ。ただ、劉逞の中に少しだけだが、諸侯に対して功をひけらかしたいと言う稚気染みた思いがなかったとは言わないが。とは言うものの、よりにもよって董卓が皇甫嵩を警戒していたことで、そのことも意味を失くしてしまったのは皮肉と言えるかも知れない。ただ、そのことについては、劉逞にも皇甫嵩にも知り得ないことであった。
「うむ。実は……義真殿とは話がついている」
『何とっ!』
曹操と劉備と孫堅は、異口同音に驚きの声を上げる。しかし曹操と劉備、そして孫堅とでは驚きの意味合いが違っていた。孫堅は、純粋に驚きである。まさか、畢圭苑に陣を張る軍勢の中で総大将となる董卓に続く第二位の地位である皇甫嵩が、寝返らせることに成功しているという事実に対する驚きであった。その一方で、曹操と劉備だが、皇甫嵩を引き込むことに成功したという事実に対する驚きである。曹操と劉備は、劉逞が皇甫嵩を味方に引き込もうと、色々画策していたことは知っている。しかし、皇甫嵩が漢へ仕えているとし、劉逞からの誘いを頑ななまでに拒んでいたことも知っている。二人とも皇甫嵩の性根については知っているだけに、望みは薄いだろうと考えていたのだ。しかしここで、皇甫嵩への調略が成功しているのだと聞かされたゆえに、その驚きも一入だったのである。
「いま、義真殿へも人を派遣している。最悪、洛陽の状況が分からなくとも、義真殿次第ではこちらも動くことになるだろう」
「そうでしたか……流石です常剛様」
「だが文台殿、我ら側にも問題はありますぞ」
「孟徳殿、それは?」
「うむ。諸侯の暴走だ」
『……あっ!』
曹操の指摘に、劉備も孫堅もその危険性に漸く気付いた。これは前述したことであるが、諸侯の暴走が一番怖い。特に、袁紹の暴走が一番怖い。だからこそ、わざわざ家臣を自らの代理として諸侯に派遣したのだから。
「無論、そちらも手は打っている。我の名代という形で、家臣を派遣した」
『…………ああ、なるほど』
実は三人とも、今まで気付いていなかったのである。劉逞の本陣に残る兵の数はしては、将の数が非常に少ないと言う事実に。だが、劉逞の言葉で気付き、そして同時に納得したのである。とは言え、納得こそしているものの三人の心うちでは違う思いがあった。付き合いが長い劉備は、流石だとただ感心している。次に孫堅だが、流石という思いとよく気付けるものだとの思いがないまぜとなっている。そして曹操はというと、感心したという思いと同じぐらい警戒度が高まっていた。彼は余程近しい者にしか打ち明けてはいないが、自らの手で漢を立て直す。もしくは、漢という国を打ち倒して新たな覇を唱えると言う野望を秘めている。実は王允の計画した暗殺に与したことや今回の反董卓連合自体も、その野望によるところが大きい。つまり董卓の排除ができれば最善、そして失敗したとしても、これから敵になるかも知れない相手を見極めることができる。要するに、自身が死亡でもしない限りはどちらに転んでも損はないという思いがあった。それだけに曹操は、敵に対しても味方に対しても既に手を打っているという劉逞に対して、感心しつつも警戒を強めたのである。
「そなたたちも、軽々に動くことはまかりならぬ。よいな」
まるで釘をさす様に劉逞は、大将として命を出す。無論、そのつもりもない三人は、揃って了承したのであった。なお、劉逞が諸侯へ派遣した彼の家臣は、全員が首尾よく役目をはたしている。もっとも、今劉逞が率いている軍勢の中で袁紹以外の諸侯は、そこまで積極的に動こうとしていなかった。その理由は、状況を掴み切れていないという事実が大きい。だが、やはり懸念したように、袁紹だけは動こうとしていたのである。しかし流石に、劉弁の代理とはいえ事実上の総大将であり皇族でもある劉逞からの命には逆らい難く、彼も渋々ではあるものの、軽挙妄動は差し控えたのである。のちに、報告を聞いた劉逞は、誰の眼もないところで一人大きく安堵していたのは、彼だけの秘密であった。
劉逞が旗下の軍勢を暴走させないようにと四苦八苦している頃、皇甫嵩は皇甫嵩で動いていたのである。当初は洛陽炎上というあまりの事態に呆けていたが、いつまでも呆けているわけがない。彼は気を取り直すと、すぐに将を呼び寄せた。彼が呼び出したのは、甥の皇甫酈と娘婿の射援とその兄である射堅、それから公孫瓚であった。皇甫嵩は自らの軍勢に対する手綱を、甥の皇甫酈と娘婿の兄である射堅に任せ、自身は公孫瓚と射援、それから少数の護衛を引き連れて董卓の天幕へと向かった。既に劉逞へ組したとはいえ、まだ行動を起こすわけにはいかない。しかも洛陽の炎上という、想定すらしていない事態が起きている。ここで怪しい動きを見せるよりは、取りあえず董卓の元へ向かい報告することにしたのだ。しかしながら、いざ董卓がいる天幕へ到着してみれば、兵が右往左往している。そればかりか、顔見知りの将も狼狽えていたのだ。いかに、洛陽で火災が起きているとはいえ、本陣の有り様は異常である。董卓であるのならば、何らかの動きを見せ始めていてもおかしくはないからだ。実は皇甫嵩だが、董卓に対してあまりいい感情は持ち合わせていない。はっきり言えば、嫌っていると言ってよかった。しかしそれでも、将としては評価していたのである。その董卓が何ら動きを見せていないと思われるこの状況に、不信感を覚えない筈がない。そこで皇甫嵩は、顔見知りの将である破虜校尉の鄒靖を捕まえると、やや厳しめに誰何していた。
「何ゆえに、この様ことになっている。相国様はいかがされた!?」
「し、将軍。そ、それが……」
皇甫嵩の様子もあってか、鄒靖は少し言い淀む。その態度に皇甫嵩は、少し苛立ちながらも改めて問い掛けていた。董卓はどこにいるのかと。すると、少し躊躇ってから趨勢は言葉を続けたのであった。
「しょ、相国様が見当たりませぬ。そればかりだけでなく、幾人かの者も見当たらぬのです!」
『……何だとっ!!』
鄒靖から聞かされた意外としか言いようがない返答を聞き、皇甫嵩だけでなく同行していた公孫瓚と射援も共に驚きの声を上げたのであった。
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「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」
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