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第七十七話~反董卓連合 二十一~


第七十七話~反董卓連合 二十一~



 初平元年(百九十年)



 劉逞は、程昱の進言に目を丸くしていた。いや、劉逞だけではない。趙雲や程普などと言った、いわゆる武官に当たる家臣たちも同様の反応をしていたのだ。しかしながら、程昱と同じ軍師となるとその限りではない。盧植を筆頭に、何と頷いていたのだ。劉逞からしてみたら、そのことが不思議でならない。大谷関に籠る胡軫と楊定を放っておくということは、洛陽の南方に敵を残すこととなりかねないからだ。そのことを程昱に尋ねたのだが、これには先にも上げた通り、武官に当たる者たちも頷くことで賛同の意を示している。すると程昱は、劉逞たちへ自身考えを説明するように伝えるのであった。


「今回の場合、常剛様が進軍を行えば大谷関に籠る胡軫と楊定でしたか。ともあれ、二人の将と彼らが率いる軍勢の後方を遮断する形となります。いかに大谷関という拠点に籠ろうとも、援軍も派遣できなくなる状態を作り上げられては士気が保てなくなるでしょう。その様な事態となれば、大谷関を守り切ることも難しくなります」

「……むぅ」


 確かに、程昱の言う通りの状況になる可能性は高い。士気を保てない状況で後方を遮断され、しかも変わらず大谷関へは袁術の兵が攻め寄せるのだ。これでは、仮に劉逞が籠っていたとしても、大谷関を守り切るとは言い切れないかも知れない。そしてそのような状況へ陥ってしまえば、大谷関に籠る胡軫と楊定の本心は兎も角、現実問題として引かざるを得なくなる。もし前後から挟み撃ちでもされれば、いかに洛陽の南を守る堅牢な大谷関といえども、まず落城の憂き目にあてしまうからだ。これが胡軫だけなら、もしかしたら引くという判断はしないかも知れない。一度は奇襲を成功させ、殆ど勝ちと言っていい戦をやり遂げているからだ。袁術に対して勝ちを収めたことで、相手を侮る可能性がある。しかし楊定がいる為、その辺りの引き際は間違えないと思えたのだ。


「常剛様」

「何だ、子布」

「もしご懸念があるのならば、豫州の軍勢を向かわせればよいかと思われます」

「陳愍王殿か……」


 実は劉逞と陳愍王こと劉寵だが、繋がりがある。それと言うのも、両者の血筋だがともに光武帝劉秀が再興した漢の二代皇帝、明帝劉荘の息子なのだ。つまり同じ父親から分かれた家同士であり、その意味でも皇族として近しい関係を持っているのだ。そして張昭も、そこまで考慮して進言している。流石に劉逞に仕える前までは知らなかったが、仕えることを決めてからはその辺りについてもきちんと調べていたのだ。そして劉逞自身は、勿論そのことを把握している。だからこそ張昭から進言を受けると、考える仕草をしたのだ。


「……いいだろう。陳愍王殿へは我から伝達して向かって貰う。そして我らは、董卓が本陣を置く畢圭苑へ兵を進めるとしよう」

『はっ!』


 とはいえ、勝手に進軍はできない。やはり連合軍である以上、曹操や孫堅などといった諸侯からの同意を得なければならないからだ。すそこで劉逞は、すぐに諸侯を集めて軍議を開くことにした。その席で、轘轅関を攻めた豫州からの軍勢の顛末を伝えてもいる。孔伷の死亡という事態に際し、大抵の諸侯は驚きを隠せない。しかし曹操だけは、顔色を変えていなかった。その理由は、彼もまた轘轅関での顛末は知り得ていたからである。彼がその旨を知ったのは軍議直前であったが、それでも事前に知り得ていたのはさすがであった。そして劉逞も、曹操の様子には気付いている。その態度から、曹操が知り得ていたことを察したのである。やはり侮れないと、劉逞は曹操に対しての思いを抱いていた。

 続いて劉逞は、大谷関を攻めている袁術の現状を隠すことなくありのままに伝えていた。こちらに関して言えば、孫堅が一人冷笑を浮かべていたのである。それには無論、理由が存在していた。それは孫権が南陽に赴いた際に、ある意味で袁術から侮蔑を受けたからである。彼は内心で、名門とはいえあの男ではこの程度かと侮蔑していたのである。その気持ちが、隠しきれず思わず顔に出てしまったのだ。そしてその陰では、一人の男が孫堅とは違う意味で笑みを浮かべていた。その人物とは、袁紹である。彼は袁家の宗主を巡って、袁術と争っている。実は今回の反董卓連合すらも利用して、袁紹は袁家宗主の地位を手にするつもりだったのだ。しかしながら、軍が起きて以降に目立った武功は上げていない。それどころか、河陽津(孟津)での戦いで失態を演じ、さらには虎牢関攻めの際にも敗北している。それゆえに彼は、今回の劉逞が命じた一大攻勢でいかなる武功を挙げてしまうのかと内心では冷や汗をかいていたのだ。しかし、袁術は大谷関攻めで痛撃を受けた上にいまだに攻め落とせていない。しかも話の流れから、豫州からの軍勢が援軍へ向かうという。この有り様は、袁紹と酷似している。それは即ち、袁家宗主の座を巡る争いは振出しに戻ったと言っていい。つまり袁紹が浮かべた笑みの意味とは、実は安堵の笑みであった。

 因みに曹操だが、大谷関のことも知り得ている。しかし、劉逞が対策の案をすでに用意していたことには僅かに驚きを表している。それは小さな変化であったが、この変化にも劉逞は気付くと微かに口角を上げていたのであった。


「して、各々方おのおのがた。異論はあるか? なければ、即座に実行へ移りたいのだが……どうだ?」

『……』

「ござりませんな」


 劉逞が念を押すように諸侯へ問い掛けたが、誰からも応とも否とも返答はない。しかしそれは、短い間でしかなかった。まず、黄巾の乱の頃より親しき関係にあった郭典が了承の意を伝えると、同意するかのように他の諸侯は頷いたからである。こうして諸侯からの賛同を得た劉逞は、幾許かの兵を虎牢関に残すと、董卓の本陣がある畢圭苑へ進軍を再開したのであった。





 さてその頃、大谷関に籠る胡軫と楊定であるが、まだ余裕があったこともあり比較的短時間で劉逞率いる本隊と轘轅関にいた劉寵率いる豫州からの軍勢の動向を知ることとなる。現状が維持されるならば袁術ごときには負けないと考えていた両名であったが、流石に劉寵の軍勢が援軍に現れ、しかも劉逞の軍勢が洛陽に攻めるとなれば話は別である。退路が無くならないうちにと二人は撤退を決めると、大谷関から退去したのだ。しかもその際には、旗をそのまま残していったのである。これにより袁術の軍勢は騙されてしまい、気付いた時には大谷関はもぬけの殻であったという。彼はこの事実を知ると、馬鹿にされたとして怒りを表している。それでも形的には大谷関を落としたと喧伝することで、最低限の面子を保ったつもりであった。

 一方で大谷関から撤退した胡軫と楊定だが、彼らは洛陽へは戻らなかった。ならばどこへ向かったのかというと、弘農郡である。胡軫と楊定は、弘農郡を抜けて長安へと向かったのだ。実は両名に対して、仮に引くことになった場合、情勢によっては洛陽へ戻る必要はないとの指示があったのである。董卓からの命であるが、実際にそのような経路で引くようにと進言したのは李儒である。これはある意味で、弘農王でもある劉弁に対する意趣返しであった。


小賢こざかしいと言いますか何と言いましょうか……」

「そうだな、子幹。何とも、子憎たらしいことだ」


 のちに胡軫と楊定が弘農郡を抜けて撤退したということを知った盧植と劉逞は、その様に述べたという。

 それは余談として、虎牢関を出た劉逞の軍勢は、途中で目立った妨害を受けることもなく畢圭苑に近づいていた。そこで陣を張ると、劉逞は密使を派遣している。その相手だが、やはり皇甫嵩であった。黄巾の乱の頃からの付き合いがあり、ある意味では戦の師とも言える人物である。それだけに皇甫嵩の手強さは、反董卓連合を構成する諸侯の中では誰よりも知っていた。だからこそ劉逞としては、どうにか皇甫嵩をこちらに引き込みたいのである。別に年齢の差を越えた友誼があるからという理由だけで、劉逞は皇甫嵩との戦をできれば避けたかったわけではないのだ。それに、この時点で皇甫嵩を裏切らせることができれば、董卓を討つことがほぼ確実となる。その意味でも、劉逞としては皇甫嵩を味方に引き込みたいと考えていたのだ。しかも今、劉逞にはある意味でかたくなな皇甫嵩の気持ちを動かすだけの手段がある。

 そう。それは、伝国璽という名の手段であった。

 前述したように、劉逞には伝国璽を使って劉弁を押しのけるつもりはない。しかし、利用できるのならば利用させて貰うつもりでもあった。すると伝国璽の効果なのか、それとも皇甫嵩自身の考えがあるのかは分からない。だが、劉逞と皇甫嵩による秘密の会談は、今まで散々さんざん拒否していた事実がなかったかのようにすんなりと実現したのであった。


「お久しゅう、義真殿。よく、応じてくれました」

「……そうですな、常剛様。しかし、本当にございますか?」

「うむ。嘘ではない。実物という名の、証拠もある。それに、例のものを我の元へ届けた者たちも貴殿に会わせよう」


 劉逞の言葉が終わると共に、壁際に控えていた三名が歩み出てくる。夜であり、しかも明かりが乏しいゆえに顔までわからなかった皇甫嵩であったが、これだけ近づけば判別できるようになる。果たしてその顔は、皇甫嵩も見知っていた荀棐と种劭と趙融の三名の顔であった。これでは流石に、反論の仕様がない。それでも言葉を紡ごうとした皇甫嵩は口を動かすが、その口から言葉は出てこなかった。


「…………そうか。そなたたちが、陛下の意向により洛陽より出でていたのか」

「はい、義真様。我ら一同、皇帝陛下からの思いを受けて、常剛様と合流いたしました」


 趙融の言葉へ同意するように、荀棐と种劭が頷く。これではもはや皇甫嵩は、劉逞の言葉に頷くしかない。何といっても彼は、徐栄と同じように漢という国に仕えているという自負を持っている。国とは即ち皇帝であり、伝国璽は皇帝の持つ帝権の象徴であるのだ。その伝国璽を今は劉逞が持っているが、この戦が終わり次第、劉弁へ届けることとなっている。つまるところ、現皇帝である劉協の意志で劉弁に皇帝位が渡されるということとも言える。そうなれば、漢に仕えている皇甫嵩としては皇帝を移譲される劉弁に仕えなければ自身の矜持を狂わせることになる。それだけは、どのような汚名を受けようとも譲れない一線であった。


「承知しました、常剛様。この皇甫義真、常剛様……弘農王様に降りましょう」

「おお! よくぞ決断してくれた義真殿。これで董卓の首は、手中に収めたと同じである」

「ははっ」


 さて皇甫嵩であるが、このまま陣に留まるという選択もあるが、あえて戻ることとなった。それは少しでも、董卓の首を上げる確率を上げる為である。本当は劉逞としても同意しかねるのだが、他ならぬ皇甫嵩自身が強く主張している。これには劉逞も断り切れず、渋々しぶしぶながらも了承したというわけである。しかしながら、ことはそう簡単にはいかなかったのであった。





 皇甫嵩が劉逞に……というか、弘農王である劉弁に降る決断をしたほぼ同時刻、董卓の本陣がある畢圭苑には動きが起きていた。その動きだが、あろうことか董卓の姿が忽然と消えてしまったのである。しかしながら、これには理由があった。そもそもの話なのだが、董卓は畢圭苑にはいなかったのである。ならばつい先ほどまでいた董卓は何だったのかというと、影武者であった。実は董卓だが、影武者を畢圭苑へ残して本人は既に長安へ向けて移動していたのだ。このことは、極一部の者にしか話していない。皇甫嵩は勿論だが、虎牢関より洛陽へ撤退した李蒙も轘轅関を守っていた郭汜と李傕すらも知り得ていなかったのである。もっとも郭汜と李傕だが、彼らは洛陽へ撤退していない。正確には洛陽を掠めるように動き、そのまま長安へと向かったのだ。これは、郭汜と李傕だけでなく賈詡という稀代の某士が同行していたことが大きかった。何と賈詡だが、畢圭苑にいる董卓が影武者に入れ替わっていることを見抜いていたのである。その彼の言葉に従い、郭汜と李傕は軍勢をその様に動かしたのであった。

 そして李蒙が知らされていなかった理由は、徐栄がいたからである。董卓も李儒も、徐栄が本心から董卓に従っていないことは見抜いていた。彼はあくまで董卓が相国だから、従っているに過ぎない。だからこそ秘中の秘とも言える、董卓と影武者の入れ替わりを徐栄に同行している李蒙へ告げるわけにはいかなかったのだ。結果として李蒙は、自身が生き残る為に最善と言える行動をしていたのである。洛陽へ戻ってから密かに事実を知らされた李蒙は、何とも言えない表情を浮かべたという。しかし同時に、敵を騙すには味方からだとも告げられると、納得したのかどうかは別にして彼は頷いたのだ。その李蒙も、影武者の董卓が消えると同時に姿をくらましている。しかし影武者であったとはいえ、董卓が消えたという事実に隠蔽されてしまい、李蒙のことは気にも留められていなかったのであった。

 それはそれとして既に洛陽から長安へと移動をしていた董卓だが、実は一つだけある命を残している。その命というのは、宮殿への焼き討ちであった。いよいよ敗色が濃厚となったあかつきには、宮殿へ火を掛けるようにと指示していたのだ。その密命を果たす為に洛陽には、幾許かの者が洛陽へ残されていたのである。その密命を帯びた者たちが、いよいよ動き始めたのだ。しかしてその切掛けとなったのが、皇甫嵩である。実は皇甫嵩だが、密かに董卓から監視されていたのだ。いかに命に従っているとはいえ、董卓と皇甫嵩の仲は悪い。しかも皇甫嵩は、劉逞との繋がりも太い。その様な人物に対して警戒を行わないほど、董卓は甘くはない。しかもその考えには李儒も同意しており、なおさらに警戒していたのだ。その皇甫嵩が、陣から消えたとの報告がもたらされたのである。これは密命を果たす時だと判断した洛陽に残されていた者と董卓の影武者が、ついに動いたのだった。もっとも、董卓の影武者だが、このまま長安へ向かうので洛陽での宮殿焼き討ちに関わることはないのだが。

 ともあれ洛陽へ残されていた者たちは、次々つぎつぎに宮殿へ火を掛けて回る。そして彼らもまた、一仕事を終えると長安へ向かったのだ。しかし彼らは、最後まで見届けた方がよかったと言えるかも知れない。その理由は、火を付けた彼らにも予想しなかった事態が起きてしまったからだった。それは、宮殿に火をつけてから間もなく起きたことである。何と強い風が、洛陽周辺に吹き始めてしまったのだ。その風に煽られ、宮殿だけを焼き討ちにする筈であった炎は、洛陽の町へと広がりを見せてしまう。あっという間に炎は広がり、宮殿を含めた洛陽の広範囲を焼き尽くす大火へと変貌してしまったのだ。当然だがこの炎は、会談を首尾よく終わらせた劉逞の目にも、そして畢圭苑へと戻っていた皇甫嵩の目にも留まることとなったのであった。


『……ら、洛陽が……燃えている!?』


 奇しくも劉逞と皇甫嵩は、違う場所にいるにも関わらず同じ時分に同じ言葉を紡いでいたのであった。

別連載

「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」

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も併せてよろしくお願いします。



ご一読いただき、ありがとうございました。

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