第七十五話~反董卓連合 十九~
第七十五話~反董卓連合 十九~
初平元年(百九十年)
李蒙が兵を率いて虎牢関の裏手へと到着した頃、もはや門は突破される直前であった。それというのも、少し前に数少ない守備兵を纏め上げていた将が討たれてしまったが為である。その将を討った人物というのが、典韋であった。彼は元々、張邈の下で司馬を務めている趙寵の配下である。そもそも典韋は、豪傑として知られていた。ある人物の敵討ちに感銘し、実際にその人物を討ち取っている。その際、討ち取った人物の仲間とも戦っているが、逆に返り討ちにして脱出に成功していたからだ。また、軍勢に参加した際も、軍の中で誰も持ち上げることができなかった牙門旗を、たった一人でもち上げるなど話題に事欠かない。その様な経緯もあって、彼は今回の襲撃を行う少し前に趙寵から張邈へ推挙されていたのだ。その典韋が、偶然か故意かは別にして、守備兵を纏めていた将を弓で討ち果たしたというわけである。これにより、それまでは曲がりなりにも将がいたことでかろうじて門が破られることを防いでいたのだが、その将が討たれてしまったことで統率に乱れが生じてしまったのである。そこに生まれた隙を、見つけた人物がいる。果たしてその人物というのが、曹操であった。
曹操は指揮に乱れが生じたことを目ざとく見つけると、率いていた兵に対して門への攻撃を命じている。いきなりの攻撃命令に戸惑いつつも指示に従った兵たちが門へと殺到したのだが、すると意外なことに反撃らしい反撃を受けなかった。言うまでもなく門は、裏であろうと表であろうと守備の要である。その門を突破されてしまえば、守備を続けることはかなり難しくなる。なればこそ、門の防衛には神経を研ぎ澄ますのだ。しかし、今は門に対して攻撃を仕掛けているにも関わらず、敵が有効な行動を取れずにいる。無論、その理由は、守備兵を統率していた将の討ち死にが原因であることは今さらであった。しかし、兵たちにはそこまでの事情は分からない。彼らが分かっていたのは、曹操の命に従って門を攻撃することが、今は門を破る絶好の機会ということだけであった。
「今こそ、門を打ち破るのだ!」
『おおー!!』
曹操の声に後押しされるように、兵の攻勢が強まる。そしてついに門が打ち破られようとしている正にその時、李蒙が援軍の兵と共に現れたというわけであった。とはいえ、この状況は彼としても想定外であっただろう。まさか、到着したと同時に虎牢関裏手の門が打ち破られてしまう直前など、さすがに思惑の埒外であった。同時にこの事態は、虎牢関がもう持たないという意味と同義でもあった。確かに虎牢関は、前述したように難攻である。だからといって、落城しないというわけではないのだ。しかも、裏手とはいえ守りの要と言える門が今、正に打ち破られ様としている。そして門が打ち破られてしまえば敵が雪崩れ込んでくることは必定であり、その様な事態となってしまえばとてもではないが守り切れるものではない。仮に、李蒙が率いている兵がもっといればそれはまた別の結果が得られるかも知れない。しかし現状の兵では、その様な結果が得られることにはならないのは言うまでもないことであった。
「これではもう、門を守り切ることは不可能であろう。今少し知らせが早いか、兵が多かったならば別だが、現状ではどうしようもない。なれば……答えは一つか……」
虎牢関裏手の攻防を目の当たりにして現状を大枠でも把握した李蒙は、虎牢関の守備を諦める決断をする。そして彼の思考は、いかにして自身が生き残るかに割り振られたのだ。果たして李蒙が決断した答え、それは虎牢関陥落の責任を全て徐栄へ押し付けることに外ならない。虎牢関裏手の門が打ち破られてしまえば、虎牢関に籠る軍勢が後方より攻め立てられる。その様な事態となれば、虎牢関正面の門が解放されることはもはや時間の問題だった。表と裏、二つの門が意味をなさなくなってしまえば、籠城など不可能なことでしかない。ならば、その様な事態となる前に、僅かでも生き残る可能性が高い方に李蒙は賭けたというわけであった。
「門を開け! 打って出る!!」
守備を司っていた将が討たれたことに混乱していた守備兵は、新たに登場した李蒙の言葉に思わず従ってしまう。そこには判断も何もない、ただ将からの命に従っただけでしかない。その結果、どのような事態となるのかなど全く考えてはいなかったのであった。
今、正に打ち破られようとしている虎牢関裏手の門。その門が、突如として開いていく。まだ誰も門を突破していないだけに、なぜ門が開いていくのか分からず、それこそ意外なことだが攻め手の攻撃が一瞬だけだが止まってしまう。だがその際、いち早く意識を取り戻した人物、曹操によって警告が出されたのであった。
「気を緩めるな! 敵がくる!!」
『……はっ!』
その言葉によって一瞬の思考停止に陥っていた曹操と張邈の兵が我に返る。それと時を同じくして虎牢関裏手の門が開いていくと、そこには今まさに突撃を仕掛けようとしている李蒙率いる軍勢の姿があった。その直後、李蒙は手にしていた得物を振り降ろす。それとほぼ時を同じくして、突撃の号令を掛けていた。本来であれば、奇襲となったかも知れない。しかし曹操が咄嗟に出した警告のお陰もあって、奇襲にはならないで済む。しかし攻勢が李蒙に取られたことは間違いなく、急襲という形で攻撃が仕掛けられたのだった。
間もなく全開となった門から、兵が躍り出ていく。突撃の命を出した李蒙もまた、打って出てきている。奇襲ではなく急襲という形となったことに加え、初めから突撃を仕掛ける気であったこともあり、門を攻めていた兵は押し返されてしまう。しかもその後から、李蒙が続いていたこともあって、さらに押し込められていく。それは殆ど、後先を考えていないかのような突撃であった。
この状況に対して、曹操もすぐに手を打つ。史渙に一軍を預けて、援軍に向かわせたのだ。そして、張邈も手を打つ。彼は、弟に兵を預けて向かわせたのだ。こうした援軍のお陰もあって、一度は押し返された兵も持ち直していく。しかしながら、押されたのは事実である。そこに生まれた僅かな隙をついた李蒙が、突破されてしまったのだ。しかも厄介なことに、乱戦であったことからか、李蒙が突破したことが判明するまでに時間が掛かってしまう。最終的に李蒙の行方が分からないことが判明したことを把握したのは、虎牢関が落ちたあとであった。
それはそれとして、虎牢関裏門の攻防に話を戻す。命令を出した李蒙が戦場より行方不明となってしまった以上、打って出た董卓の軍に対して指示を出せる人物がいないことになる。それはつまり、打って出たあとが続かないことを意味していた。その様な状況で、しかも兵数で負けている裏門より出た董卓の兵である。彼らは、すぐに押し込められて次々と討たれていくこととなった。こうなると、先ほどまであった勢いなどあっという間でしぼんでしまう。もはや士気など皆無に等しく、彼らは我先と逃げ出し始めたのだった。
『落とせ、虎牢関を!』
その直後、奇しくも曹操と張邈が同じ命を出す。するとその命に従い、逃げ出した敵兵へ追い打ちを掛けようとしていた兵を将が押し留める。その命に従わずに逃げた兵を追撃した一部の兵もいたが、大多数は追撃を諦めると攻撃の矛先を門が全開となっている虎牢関へと変えて突入した。それでなくても正面から攻められている現状であり、さらに後方から内部へ侵入を果たされてしまった。この状況では、正面からの攻撃を受け止めるなど不可能である。しかも一部の将は、敵兵を討ちつつ表門を開けるべく動いているのだ。この敵の動きには徐栄も気付いたが、現状ではどうしようもない。虎牢関内部のあちこちで乱戦が起きており、命が行き届かない為である。するとその時、徐栄の耳へ微かにだが「門を奪取したぞ!」という声が聞こえてくる。まさかと思いつつ覗き込むと、その言葉を証明するかのように、少しずつであるが表の門が開き始めている。その光景を認識した徐栄の胸の内には、諦観にも似た思いが沸き起こってきていたのである。
「もう……よい」
「は?」
「これでは、致し方なし。常剛様へ降伏しよう」
「…………承知致しました」
それから暫くしたのち、籠城していた董卓の兵からの攻撃が止む。ことここに至って、難攻とも不落とも謳われた屈指の虎牢関が、劉逞が率いる軍勢によって落城したのであった。
劉逞が首尾よく虎牢関を落とした夜のことである。数日の内にはいよいよ虎牢関へと入る筈である劉逞の元に、一つの知らせが飛び込んできた。果たしてその知らせを届けたのは、洛陽に残っていた劉逞旗下の密偵たちである。その密偵たちだが、何と密偵ではない複数の者と共に虎牢関へとやってきたのだった。
「何!? それは真か!!」
「はい。詳しくは、これを」
対応した夏侯蘭が差し出した書状を、劉逞は奪うように受け取る。その書状の差出人は、荀棐であった。さて、その書状に記されていた内容であるが、それは言うまでもなく彼らが洛陽から出ることとなった理由についてであった。先述したことだが、荀棐と种劭と趙融の三名は、劉協からの密命を果たす為に洛陽から脱出する機会を伺っていた。そしていよいよ、董卓も長安へ移動するという事態が発生したことを機会と捉え、荀爽を介して紹介された劉逞の密偵と共に洛陽を脱出したのである。勿論、伝国璽と共に。
伝国璽のことは別にし、洛陽から脱出してきたという三人を劉逞は、夏侯蘭へ命じてすぐに自身の元へ呼び寄せていた。すると間もなく、荀棐と种劭と趙融は劉逞の前に現れたのである。しかしながら、表立って言えることでもないので、密かにではあったが。ともあれ三人は、劉逞との面会を果たす。するとその場にて彼らは、劉協より託された伝国璽を恭しく取り出したのであった。
「ふむ。これは?」
「常剛様、伝国璽にございます」
「なっ! こ、これが伝国璽だと言うのか……」
「はっ」
皇族の劉逞といえ、伝国璽など見たことはない。その為か、感動とも畏れとも判別できない何かが体の内から湧き上がってきていた。すると劉逞は、荀棐と种劭と趙融たちと同様に恭しく手に取る。しかもその手は、微かにだが震えていたのであった。
「……して伯和様が、この伝国璽を弘農王様にと申されたのか」
「はい。あのお方ができる、せめてもの意趣返しであると。そう申され我に……いや、我らに託されました」
「そうか……相分かった。一連の戦が終わり次第、必ずや弘農王様へ我が手ずからお渡し致そう」
劉逞からの言葉を聞いた趙融は、僅かの間だけだが驚きの表情を浮かべていた。実は趙融、伝国璽の扱いについてある種の懸念を抱いていたのである。それは、劉逞が自身の為に利用するのではないかとの懸念であった。それと言うのも趙融は、直接劉弁へ伝国璽を渡したかったからである。しかし彼……いや趙融と荀棐と种劭の三人だけでは洛陽から脱出する手立てを見いだせず、最終的には荀爽を介して劉逞の放っている密偵の手を借りて洛陽からの脱出を図ったのだ。そういった経緯がある以上、劉逞に対して伝国璽を隠し通すなどできる筈もない。一応、劉協や荀爽から劉逞ならば大丈夫だと言われてはいても、物がものだけに心配は尽きなかった。その心配が晴れたことで、内心で安堵したというわけであった。
因みに劉逞としても、今この段において伝国璽を利用して劉弁を追い落とそうとか、または自身が劉弁になり替わろうとかなどは考えていない。そもそも劉逞が率いている反董卓連合の軍勢も、劉弁の檄から始まりを見せている軍勢である。その様な経緯を持っているだけに、仮にこのまま伝国璽を利用して掌握しようとしても、反旗を翻されることが推察できるからだ。よくて董卓の二番煎じ扱いであり、最悪は味方から討ち取られるだろう。その様な事態に陥るぐらいならば、素直に劉弁へ渡した方がましというものだからであった。
別連載中の「風が向くまま気が向くままに~第二の人生は憑依者で~」も
併せてよろしくお願いします。
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ご一読いただき、ありがとうございました。




